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俺の記録庫

224考える名無しさん:2017/08/19(土) 02:53:21 ID:XqU6XZIM0
なんか俺は、この時期、様々なことを、理屈として、客観的に事実として言えることから組み立てる目線から、理解し直す脳活動が進むようだ。例えば、絵の描き方とか楽器の弾き方とか。

現在進行している視点が盲点となっていた本来の俺の視点は、全体像を瞬間的に捉えるというものだ。別視点の獲得。

これは「何」の故の結果なのだろうか。
元々得意であり、24時間発動している「観察・分析」行為が、
そのもはやレベルアップに何億ポイントの経験値が必要なのかもわからないくらいに既に高いレベルの「観察・分析」が、次の段階に進もうとしている、ということなのかな。

なんだろうな。シンプルに要約すると、座学と実技のそれぞれにおいてやるべきことの配分が両極端過ぎて、それぞれが成り立っていなかったんだよな。

先日のギターのアーム奏法の探求にしても、一切の資料閲覧・情報収集をしないまま、あらゆる手段を自分で試し確かめる、という極端さ。

この極端さが、奏法の探求だけでなく、美術やその他、特に実技が伴う項目において顕著なんだな。
そうなってしまう理由も考え抜いてある。

普通の人が何かをやるとき、まず初めにその何かをやってる人に憧れたり、その何かという展示物に触れるのが好きだったりしている。最初にインプットがある。

最初にインプットがあるこの普通の人は、ひな鳥のインプリンティングのような感じで、その「それをやりたい」と思わせた「手本・師匠」を「親」と認識し、その出力機(親)のやることをコピーする。

最初の最初から全然創造的ではないのであって、また、そう創造的ではないことが普通なわけだ。

この最初の段階を俺は、最初にクリアしていない。

最初にあるべきものを、後から手に入れるために10年以上も「観察・分析」という行為を続けて、ようやく何かが見えてきた感じがあるという感じか。

俺は人に憧れない。これが俺にとって過酷。背中を押す力が無いから自分で進まないといけない。


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