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俺の記録庫

2230考える名無しさん:2018/02/23(金) 19:26:45 ID:hWzIBjVE0
なろう、「小説家になろう」「小説を読もう!」の「プロ読者じゃない読者」って、どの位の解像度で物語を頭に描けてるのだろう?って思う。

今日は、この疑問が考察の中心のテーマ。

「最初何だかよくわかんないけど、勢いと喉ごし感で、とりあえず10話とか読んだら、もう中毒になっちゃいました」な感じだろうか。

いや、そうではないのかという仮説だ。

俺が、どの作品も1話目から目を通して感じることは、いきなり描写が雑というか情報量少ないまま加速段階に入ろうとしている。

こういう、商業化前の作品=プロトタイプ=見せるべきは装飾ではなく本質、な類いのもので、

例えば、音楽で喩えると、出だしフェードインとサビの終わりから入って、聞き所のないAメロに着地する、

っていうような「小細工」は、その意味の通り目眩ましでしかなく、分析の邪魔でしかない。

「分野の垣根なく作る側にいる人達」と、「完全にお客さんな人達」の差・違いは、
ラフ段階、骨組みだけの提示から、完成させたときの豊かな臨場感を想像上で把握できるかできないか、だと思う。

そういう意味では、ラフ段階の小説は、アウトラインだけで提示してくれたほうが判別しやすい気がする。

なろうサイトから既に何本もアニメ化・コミカライズされている。
これのどこが凄いのか

というと、「小細工も付加された原石」(なろう作品)から小細工を削り取り、本質・アウトラインだけの透明結晶に磨き上げ、そこから脚本を作り、絵コンテを仕上げる。

ここまでの具象化を行えることだ。

小細工による目眩ましを取っ払い、透明結晶の骨組みを取り出し、そこに脚本を付けて、ビジュアルの要となる絵コンテで臨場感を確定したのなら、

ここから先は、あまり腕のない人達に作業を任せても形になる。最終的評価もこの時点から変わらない。作画などで、そこから落ちる評価は誤差レベルだ。

そこで、思うのが、ここから多分現実の作業工程のつまらない話だが、

絵コンテ担当の人も、原作(小細工まみれの原石)を読んで読解する必要がある、ということだ。
「いや、ない」
というのなら、そこが、これからの時代での競争でできない人を蹴落とす項目になると思う。

脚本作る監督との連携?

脚本作る監督との連携。
これが多分「業界」の悪しきしがらみ。

絵コンテの人が、入社前から小説読解能力を身に付けていること=作品の本質まで目を向けて世界観の描写をニュアンスを損なわずに実現できること、を能力として持っていても良いのではないのか。

アニメーターの上級職としてではなく。


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