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俺の記録庫
2193
:
考える名無しさん
:2018/02/18(日) 17:14:26 ID:hWzIBjVE0
模写の文脈に戻ろうかね。
言い方を変えるべきだな。
「模写に意味はない」と言っている人(俺など)は、「模写の次段階の自在性が模写レベルで掴めない」ことをコンプレックスにしている=「努力とか必要なく、生まれたときからいきなり模写はできた人」
ってことだと思う。
人って、努力しないでできることに関しては、自分で成し遂げた実感を得にくい。
習得済みの技能で何かを成したときも、何かを成したという実感を得にくい。
だから、人は自分から苦労する方向、努力を必要とする道を選ぼうとする。
俺が中学の頃に、自分は吹奏楽部なのに美術が無勉強・無鍛錬で100点満点中の100点だったりしたことは
「知らねえよ。ただ他の宿題のついででやっただけで何も頑張ってない。何を成したかのすら自分でわからない」
という状態。
「努力努力努力努力」とか言われたり、そういうのを聞くと、
小学3年の頃に、挙手して解答すると全部正解してしまうために挙手禁止令を下されて、授業を傍観することしかできなかった、自分を抑制する「努力」をしろ、と言われているように聞こえて、とても居心地悪い。
で、高一になると世界史の成績がトップに。知らない。ただ勉強しただけ。
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