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俺の記録庫

2069考える名無しさん:2018/02/07(水) 09:59:32 ID:hWzIBjVE0
模写は無意味。
卓上のねんどろいど模型をボールペンで模写(クロッキーでない?)したもの。
ほんとピントが合ってくれないこのコンデジG7Xのフォーカス精度に似た様な残念感を覚える。
20分弱。ボールペン一発だから失敗=即死のスリルだけが旨味。
ペン先のどこからインクが出るのかわからず怖い。

1円玉ほどの大きさの絵をボールペンで描くときに、ボールーペンのペン先のどこからインクが出てくるかわからない。





世界は巨視的から微視的へと移り変わる。ミクロの世界。量子力学的確率的存在。

まじで、何が起こるかわからない。確証なんてない。けれど、それが面白い?

それが面白いということは、遺伝的に本能的に「博打好き」なのだろうと思う。

逆に非博打的な取り組みとはどういうものか。
「努力が報われる」

でたな公正世界仮説。この仮説は認知バイアスであり誤謬である。世界の"正しい"姿ではない。ここに、正しさにおいて自己矛盾すら起こしている。

「模写が無意味」と俺が言うひとつの理由は、「行動の結果が、ほぼ確定している」からだろう。
模写をすれば、九割五分、原本と寸分違いのない結果が出る。

違いが出る人は「模写をしていない」。たったそれだけのこと。
だから模写は意味がない。

仮に、マンガでもアニメでも、とても具体的なキャラの具体的なシーンを模写するとする。
"正しく"模写されれば、もう原本との違いが殆どない。
模写が完成すればするほど、描いている本人は「一体誰が、そして誰の作品を今作っているところか全くわからない」という状況になる。

でも、恐らく、このマインドは芸術家のものであって、商業としては、生産性が上がる有効な手段なので、その「転写」技能を持つことが労働者としての自身の商品価値を上げるものだと思う。

例えば、俺は最近「金が稼ぎたい」。
だから、芸術家としてでなく「簡単なお仕事」としての模写を活用できる。


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