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俺の記録庫
2039
:
考える名無しさん
:2018/02/04(日) 06:57:27 ID:hWzIBjVE0
俺は自分の人生を停止させた理由から考え直す必要がある。
「人に勝つ」という生き方は、やり易い。しかし、その場合「残るもの」の価値が結果論的にしか定められない。
「人に勝つことで生きる」ことは、(頭脳明晰でも)脳筋で侵略をするだけの簡単なお仕事だ。
勝つことで得られる未来の意味は?
現在の視界から見える世界のなかから、守りたいもの・伸ばしたいもの、そういう価値を感じられるものを主体にする。
こうすることで、「勝ち残った末に残ったものは虚無だった」という無価値な未来は回避できる。
しかし、主体を自己から世界へ移すことがすべきことなのか、未だに不明だ。
公僕とか業界人って人達は、既に後者の「世界の中で伸ばすべき価値」を育む【養分】として生きているので、人生を全うする上での自己の生き方に対して疑問は抱かないだろうと思う。
問題は、自己が「新しい世界」に属しているケースだ。
その「新しい世界」は、常に「現在」において未成立、存在していない。
しかし、そこに価値を見出しているので、「現在」の世界の中の機構や組織を助成するような判断・決断はできない。
なぜか日本では「プロ」という価値が一人歩きしているので、それを使うが、
プロというのは腕前云々ではなく、業界ありきの存在であり、なによりもその業界に居心地の良さを感じている人達だ。
プロ相手にタイマン勝負で戦って勝つことは出来る。その場合、「人に勝つ生き方」になってしまう。
そしてプロに勝っても、勝者がプロになるわけじゃない。
先程定義したように、プロとは、業界あっての存在だ。業界の歯車の一部である。
プロの水準は、業界の順調な継続・成長を基準に打ち出される。
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