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俺の記録庫
2007
:
考える名無しさん
:2018/01/31(水) 09:08:57 ID:hWzIBjVE0
となると、その恐怖という触覚的な感触を感じ取り、発している我々の胸の辺りの器官は、一体何を感じ取っているのだろうか?
恐怖を感じ取っている、というトートロジーではない。
その虐げるバランスを感じ取っている。どのようにして?そのバランスが変えられないことを感じ取っている。どのように?
その場の法則性が感じ取られ、恐怖という症状になる。
その場の法則は、その場の要素を用いて構成される。f(a,b,c,d)みたいに要素を持った関数、という具合に。
法則からの逸脱分が不安・心配・恐怖となる。
法則上未確定なだけな要素は不安・心配として、結果が出ると同時に症状は収まる。
恐怖の具体例を作ろう。
どこかの高校の学生であるとする。
校則で、モヒカン頭にしなくてはいけない、とされているとする。
ここで、モヒカン頭にしないで学校に登校する生徒、この生徒が恐怖を胸に発症する。
この感触は不安や心配ではない。不変のルールからの己の逸脱だ。
罪悪感ではなく恐怖だ。
ここで、「こんな学校辞めたい」と思う心が「死にたい」と思う心だ。
その心は、
その不変のルールを押しつける場、もしくはそのルールが「普遍」のルールではないことを己が確信している、ということだ。
宗教的な信条、と相対化されて理解されるものかもしれない。
違うルールの場に身を移さないと恐怖は消えない。
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