[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
3801-
3901-
4001-
4101-
4201-
4301-
4401-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
俺の記録庫
1901
:
考える名無しさん
:2018/01/21(日) 14:28:33 ID:5d6FeLLM0
このコツコツデッサン、最低限、現物の観察、がなくては、目的物の習得には至らないわけだけれど、
しかし、闇雲にデッサンすることで、何を学んでいるのか?
いきなり答えだが、「法則性に気付くレベルまで、情報が己に与える圧迫感を鈍感化させること」を学んでいる、のだと思う。
しわをデッサンしろ、と言われて、法則性解明の意志を持たないでデッサンし続けることが出来る。
これがいわゆる「念仏を唱える」型のコツコツだ。
俺がコツコツを危険視するのは、「俺が」この「念仏型のコツコツを得意としているから」だ。
法則性に気付かない努力は無意味。
概要や枠組みを知らない状態で、現実上の現象を情報として与えられると、情報量が多すぎて酸欠気味になる。
この酸欠状態の効果として、解析のための思考続行が不可能になる。
パニック状態が意識を支配し、解析を進められないのだから、この段階では何も学び得ることが出来ない。
日常語で言うと、「慣れると余裕が出来る」というやつだ。
この「心の余裕」が、思考と更なる観察を可能にする。
先程は、心の余裕を酸欠状態として示した。
コツコツ努力の問題は、「法則性に気付くのが最終目標」というのを示さないこと、それが最終目標であることすらに気付いていないということ。
あえて具体例を交えていくが
完全に現実的な服のしわを「常に」描くのなら、毎度写真をとってそのしわを転写すれば良い。
何のための法則理解か。
法則を必要とする意志は、現実よりは抽象的なレベルに焦点を合わせておきたいわけだ。
その理由が、楽をするため、時間節約のため、仕事量削減のため、獲得物を手段としてより大きな目標を達成するため、何であるにかかわらず。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板