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俺の記録庫

1901考える名無しさん:2018/01/21(日) 14:28:33 ID:5d6FeLLM0
このコツコツデッサン、最低限、現物の観察、がなくては、目的物の習得には至らないわけだけれど、
しかし、闇雲にデッサンすることで、何を学んでいるのか?

いきなり答えだが、「法則性に気付くレベルまで、情報が己に与える圧迫感を鈍感化させること」を学んでいる、のだと思う。

しわをデッサンしろ、と言われて、法則性解明の意志を持たないでデッサンし続けることが出来る。
これがいわゆる「念仏を唱える」型のコツコツだ。
俺がコツコツを危険視するのは、「俺が」この「念仏型のコツコツを得意としているから」だ。

法則性に気付かない努力は無意味。

概要や枠組みを知らない状態で、現実上の現象を情報として与えられると、情報量が多すぎて酸欠気味になる。
この酸欠状態の効果として、解析のための思考続行が不可能になる。

パニック状態が意識を支配し、解析を進められないのだから、この段階では何も学び得ることが出来ない。

日常語で言うと、「慣れると余裕が出来る」というやつだ。
この「心の余裕」が、思考と更なる観察を可能にする。

先程は、心の余裕を酸欠状態として示した。

コツコツ努力の問題は、「法則性に気付くのが最終目標」というのを示さないこと、それが最終目標であることすらに気付いていないということ。

あえて具体例を交えていくが
完全に現実的な服のしわを「常に」描くのなら、毎度写真をとってそのしわを転写すれば良い。

何のための法則理解か。

法則を必要とする意志は、現実よりは抽象的なレベルに焦点を合わせておきたいわけだ。

その理由が、楽をするため、時間節約のため、仕事量削減のため、獲得物を手段としてより大きな目標を達成するため、何であるにかかわらず。


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