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俺の記録庫
1892
:
考える名無しさん
:2018/01/20(土) 22:27:55 ID:5d6FeLLM0
ニュートンが、りんごが木から落ちるところから万有引力を発見した
とはいえ、りんごか木から落ちることは、ニュートン以外の人も前からずっと知ってたことだ。
何がニュートンの功績なのかと言えば、「そこ」その当たり前すぎるところを「ひとつの存在」として八百万的な全体から分離したことだ。
ならなぜ他の人は、りんごが木から落ちる既知の事実から、世界観、言い換え【リアリティ】を更新出来なかったのか?
同じ「りんごが木から落ちる」対象であっても、それを見ている「視点」がニュートンとは異なっていたから。
と書けば、先程までの「視点」の在り方が問題なく肯定される。
「視点」の概念を使用することの弊害。
それは、語る者、読む者、考える者が、その視点という語を処理する都度、俯瞰視点に一度浮上して、「机上の空論上の理解」をして、その理解を放り捨てて今までいた自分の視点に降り戻ってくる、という「情報劣化率の高さ」が問題と言えるのだと思う。
「視点」として語らずに「世界」「霊的空間」として語ると、
語る者、読む者は、その内容を処理する時に、いちいち俯瞰視点へジャンプしないで、今自分のいる視点にいながら情報を掴むことが出来る。
ここで稼げるものが、情報肺活量とでも呼ぼうか、皆が、もう少し難しいことを考えられる様になる。
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