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俺の記録庫

1889考える名無しさん:2018/01/20(土) 21:46:40 ID:5d6FeLLM0
先日俺は「士業的、司法や財務管理のリアリティで生きてしまっては、創造性が育まれるリアリティが主体にならず、そのルールと管理の波長で塗りつぶされてしまう」と言うようなことを書いたが

その「リアリティ」とは「霊的世界」である、という考えに至った。
沈黙の間もずっと何かを考えていた末。

なんでまた「霊」とか出てくるんだよ、
と、
俺は自分で自分に突っ込む。

しかし、落としどころを「それ」にしないと、心の中のモヤモヤと不安が一切解決する兆しを見せない。

「実は俺には霊的な空間が別の目で見えていたんだ」と仮定することで、納得できる「現実上の不条理」が生まれている。

納得できない「現実上の不条理」は、もう絶対的な恐怖と不安の発生源でしかない。
これをなんとか「認識」することで、恐怖や不安が和らぐ。
「納得できる」ということは「認識できている」ということであり、その方式で捉えることによって、目的の産物の軽減が確認できたことからの現状追認。

ここで、比喩、というより、霊的空間を、現実上で使われている概念を用いた具体的な具体例を挙げて、その世界観の現実感を表現すると、

例えば、「恵比寿様」の加護のもとにある「世界」、「弁財天」の加護のもとにある「世界」、っていうふうに、分かれている。平行世界みたいに。

「財務のリアリティに浸かりながら創造性のリアリティは無理なんだよ!」
の理由が、その「神の加護」的な世界の枠組みとして、一般人に理解される。

本当は下に付く神は重複可能かもしれないけど、それを実現する我が身の脳みその脳細胞の生態系を、自分で生めるのかどうか?が関門となる。

「日本に天才が生まれない理由」が教育の問題だけでなく、国民の義務の在り方からの問題である可能性も大いに出てくる。基本的にこの国は、事務的な人間しか生めない。
「そういう神」の加護のもとの「世界」しか展開できない。
真っ当な日本国民として生きると。

そこで「逸脱」に必要性が見られる。


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