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俺の記録庫

1866考える名無しさん:2018/01/16(火) 15:37:36 ID:pqXCoiXk0
最近手持ちのデバイスを改造した写真が多いが、

純粋に「より良くなるように工夫をする」

という行為を日常的に行う人ってのは「士業」側ではない芸術・学問研究側の人なのだと思う。
「不便に対して働きかける」という「努力」を自然に行う。

逆に言えば、行政機構の構造改革なんて有り得ない。

例えば、デバイスひとつにしても、改造したら保証対象外となる、と規約・同意書に書かれている。
士業的な性質の人間は、絶対に改造しないだろう。

一方、使いにくいままの形で保証されてもそんなの「目当ての品」が与えられていないのと同じだ、と考える人は改造するだろう。

一昔前、暴走族が流行したとき、
この人達はバイクなどを改造して、騒音公害を発生しながら乱暴運転を行い、自分たちの世界、族の間での競争と闘争に没入していた。
士業側となる警察は、そいつらを取り締まる。

「芸術側の志向性」が、「くすぶったままでしかいられない存在」に宿っている。

暴走族なんて憧れないけど、
「そっち側」(暴走族側)の人達も、非士業側ってことだったんだな、と客観的に理解をした、というところ。

工夫できない、ってのはそのことが欠点であるのだが、
現代社会では、その特技「工夫力」を持っていない、ということが国家に関わる職につくことへの適正となっている。

使いにくいデバイスの改造と現代社会を良くする工夫、そこを「同じこと」と考えられる抽象的な思考力を得られるかどうか。


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