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俺の記録庫
186
:
考える名無しさん
:2017/08/13(日) 06:33:11 ID:UzDke0GE0
このリアル現実には、「リアルな達成感を感じられる営み」が無いんだな。
この現実こそが、「真実に対する近似値」なんだよな。
いまいち本気になれない人は、ガチの世界の感触を記憶に残しているのかも。
一方、この現実に対してガチに本気な人は、劣等感・嫉妬・コンプレックスが強くて必死だ。
この現在の俺の、非常に危うい現実認識の臨場感、は、「妖精との対局」を続けるうえで、どうしても生まれてきてしまう「周囲の背景に対する観察結果」だ。
俺自身の頭がおかしくなるということはない。
現実は現実人のロールプレイであって、だからこそ、他人のために「生きてあげる」形になる。
「自分のために生きる」場合、まじで、社会とか他人とか、本当に関係なくなる。
自己の世界は、他者や社会、特に他人同士の共通認識から規定されるものではない。
人が「自分のために生きる」ことができない理由は、物質的・権利的な身体と環境を維持するために金が必要であるところにある。
もうひとつ、「自分のために生きる」ことを自分だけでは難しい理由は、
「自分が求めること」を「自分一人で想像しきれない」ことが多々あるためだ。
自分が、過去の自分が培った知恵やパターンからどうしても思いつけない辿り着けない「どうしても自分が至りたいところ」。
他人の生きている道の途中に、自己が求めるものの手がかりがあったりするのだが、
ならば、自己の目的地は、その他者の通過点なのか?というと、そういう風にはなっていない。
人類は、(集合的)意識として「人類として1個」と数えられるっぽいが、自己は1個として完成させられる入れ物っぽい。
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