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俺の記録庫

1852考える名無しさん:2018/01/15(月) 00:29:11 ID:pqXCoiXk0
人生、というか人間の社会について考え直している。
「士業」の人達の人生のリアリティがわからなさすぎる。

なので、国家試験の学校の業種紹介とか試験難易度とか合格者の声に目を通しながら、「その人達が"生きている理由"」を読み取ろうと試みていた。

まじで、全く、わからなかった。今まで。

うーん。

一行でまとめると、「法律」+α(各種専門知識)という『知の集大成』とでも(士業の人達に)見做されている「絶対的価値・目標」を基準に、勉強・受験・労働・貢献・お客様の役に立っている喜び という見方から自己の人生に臨場感を与えている。

「『培った法律知識を活かして…』だなんて、今は電脳辞書、これからは人工知能に任せて、人間はそこから先の立ち位置からの価値判断すべきでしょ」
という俺側からの価値観は、時代の先を行ってはいるが、現時点では、俺の方が社会の底辺であり、士業の人達が社会の上辺であるのが事実だ。

「これからの時代は英語力も必要となり、更に難関になります」みたいなことが国家資格受験の心構えのところに書いてあったりするが、

いや、語学なんて余裕なんだが。
そんなものをものにしてないレベルの脳で競う試験って、難しいとかの話以前に、ちょっとやはり感覚的に合わないのかな、と

最終的に、他の分野(芸術と教養以外)の積み重ねを俺は行ってきてない、という自覚は持った。

しかし、詰め込んだ知識に一体どんな価値があり、人間としてどれだけ優れていると言えるのか?
中高一貫の高校三年の時に理数科で学年上位、からの留学そして美大の俺は別の知的ステージに向かった様だ。

今現在、俺は、社会で一番「頭が悪い」とされるような「種類の人間」として分類されていると思う。

そのような現在に至った経緯の発端に、「くっだらねえお勉強の試験での競争の結果によってでしか証明されない『自己』なんて空虚どころか、生きている意味が不明すぎるだろ」
というものがあった。

国家が試験で支えられている・ ・ ・ というところが、あるような気配がある。

試験があるからこそ、そのゲーム的なロールプレイに、リアルを錯覚してしまう、そういうところがある様な気がする。



本当なら俺も、その空気に飲まれたかった。それを現実だと俺を騙しきって欲しかった。

逆に考えると、
「法律というルール」を憶えることに真剣な士業の人達が、「音楽理論のルール」をマスターして天才的な音楽家にならないのは、

「音楽のルール」をマスターしたところで( )ないから。

・社会公認の資格がもらえ
・お客様を支える立場になら
・収入と雇用が保障されたレールが

「法律というルール」を憶えることに真剣な士業の人達が、「音楽理論のルール」をマスターして天才的な音楽家にならないのは、
「音楽のルール」をマスターしたところで( )ないから。

第4の選択肢
・音楽と芸術が理解できない

中高一貫の理数科で学年上位で、
尚且つ、
美術と音楽に秀でていた俺は、

芸術が理解できないのに勉強だけしている人間 のことが全く理解できないまま、現在に至る。

ということに先程気付いた。

美術と音楽が苦手なら、5教科で上位に立ってる、ってのがバランスなんじゃないの?という疑問。

なんかどっか根本的なところから、ボタンの掛け違いのようなことが発生しているような気がしてならない。

俺が間違った生き方をしているのか、多くの他者が固定観念に縛られた生き方をしているのか。

先程も言ったように、現時点での幸福度で測るのならば、俺側が人生失敗で、士業側が人生の正解。


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