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俺の記録庫
1849
:
考える名無しさん
:2018/01/12(金) 14:58:20 ID:pqXCoiXk0
話ひとつ戻って、先日、高所からの落下で逝去したギタリストの件だが、
もしこの世に神がいて、才能ある者に更なる役目を与えている、繁栄するように守っている、という仮説を立てた上で考えると、
その故人は、亡くなった年代もあり天才判定前のところにいるのだが、神は更なる貢献を望まなかった。
これを考える上で、
「その人自身としての主観的な世界」と「その故人が存在する我々の世界」の2つから見る必要がある。
まず、神なんていない説。
事故で落下して死んだからそれは因果的決定論では、落下を許した自己責任。因果通りの結末が訪れるだけ。
確率的決定論では「運気」的な要素がある気配
個人の運勢や個人として決定された状態などに意味はない。
こう考えるとエリートの視界。
如何に己の主観を、人間集団をひとつの生命と見たときの主観と一致させるか。
こういう物の見方で、具体的な個人や事象は蔑ろにする方に向かい、自己は自己で己らしさを己から排除することにストイックになる。
次に、「その故人が存在する世界の我々」が感じること。
人によってはその故人のことを「神だ」とさえ思い崇めていた。その神の覇道は止まないはず、だが年始に逝去が告げられた。「神ではなく、自分たちと同じひとりの人間だったんだ」という思い込みの書き換えが我々の記憶に発生する。
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