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俺の記録庫
1798
:
考える名無しさん
:2017/12/29(金) 17:17:45 ID:pqXCoiXk0
その俺が希望と呼んだ「未完成たらしめる隙間」が、デュナミスがエネルゲイアへ発展する過程で観測される、となる。
そんな希望という「何にでも成れそうな兆し」を内包したアートだけれど、俺の主旨は「実はアートは印象が完成しているため、印象方向の可能性がない」というアートの限界の考察。
例えば、対比させたマンガ絵等で、二次創作が活発化するのは、元絵・オリジナルがイデア的な「概念的ひな形」を感じさせるが故に、様々な印象の「可能性が実現済みな存在」エンテレケイアが発生する、と言えると思う。
これらの解釈に、記号論や近代の理論は用いていない。
そして、「アートっぽいマンガ絵」という、印象・形状の二分割線上に載っかるような存在についても考えている。
分断した観点から「あまり存在意義がない」と考えるその「アートっぽいマンガ絵」だが、
アリストテレスの形相の中世での解釈:本質的なものと偶有的なもの、これが関係してくると思う。
偶有的なものとは、在る必然性は無いが、在っても、在ることで「困る」事態が生じないもの
という風になる。
「あまり存在意義がない」即ち影響力も無く、空気として存在している、というような「アートっぽいマンガ絵画風」は、偶有的なものとして、2分断する境界線上に存在しているようである、と。
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