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俺の記録庫

1738考える名無しさん:2017/12/18(月) 03:54:47 ID:RIOY3tlU0
iphone Xの画面が黒く抉れている部分について、色々思うことがある。
これはカルマの発生なんだな。
波立たせる。
だから、使用者(消費者)も開発者も嬉しくない。得をしない。

与えられた不自由に「周りが」慣れろ、という、まるでWindows 8登場の時のよう。Win8.1はまず出てくると思う。

なぜ黒く画面が遮られるのか。
ビジョンはわかる。
画面の中の世界が「世界の外側」だ、っていう見地。
まずはそれについて。

この黒く遮光された視界に「とても似たもの」がある。
自動車の前面のガラスだ。
ドア面ガラスでも良い。
ワイパー・バックミラー・サイドミラーによって視界が欠けている。

窓ガラスの外側が「皆と繋がっている世界」である。
全画面表示にしたときに、あえて視界の一部が欠けることで、より壮大な雰囲気が伝わったりする。
そういうのはわかる。そして、それを意図したのもわかる。

しかし、その思惑は、iphone Xからそれ以降ずっと、という風にはならないと思う。

iphone X以降、画面欠けが標準にはならないと思う理由を述べる前に、その画面欠けのiphoneを持つことになったユーザーが、これからいわゆるひとつの部位欠損障害者としての立場の体験を強いられると思う。例えば、「アプリが対応するまでは、自分はちゃんと使えない状態のまま待たされる」。

俺は例えば左利きであることなど、そういうハンディキャップ的な立場を多数経験しているので、そのiphone Xがユーザーの無意識に残す「しこり」について、どこか感じ覚えがあると思えてならなかった。
これは快適なユーザー体験にはならない。
不自由しか待っていない。

しかし、これは仕組まれた不自由だ。
不自由になる権利を買う。それがiphone Xを買う、ということみたいだ。

左利きとして産まれたら、社会に不自由を感じる。その結果、社会を改善しようと自ら働きかける。

そういう自発性を、iphone Xは購入者に与えている。

それは、「苦悩」だ。解決してない。


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