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俺の記録庫
1534
:
考える名無しさん
:2017/11/23(木) 00:41:50 ID:rP5sRNts0
ここで、そのRTの人が見ている構図をもう一度。
>公共の場に[X]をおいて、生来[Y]な人間がそれを見て苦しみ力を失うようにしなければならない。
X=RTの人からみた他者
Y=RTの人
XとYを入れ替えた。この状態が、この人自身の心の状態だろう。
他者に囲まれて苦しみ力を失う己の構図。
例えば、座間の事件の犯人が、
首絞めをされて気絶したことがトラウマレベルの心の傷になったことからの、
首絞め性行為に覚える快楽、
そして首絞め殺人・首切断により自己の苦痛を減らそうと足掻く姿、
そう転換する[X]と[Y]により利用されていく外界の事物。
そもそもの間違いはどこにあったか。
このRTの人について言えば、
己の問題を、魔術やオカルトや宗教の風習が肯定してしまったことにあるのだと思う。
最初は違和感があった己の狂気。
由緒ある歴史にその狂気が善いこととして記されているのを知ってしまった。
そこからの暴走。
暴走後の論述は「雑・荒い」という質で整っている。
主張としての誤謬や詭弁はどこにあるのか。
歴史上の宗教行事や記録が同じことを行っていたとしても、それはその行いが正しいという証明にはなっていない、というところか。
この点において正しさを勘違いして暴走して、自己の(暴力的な)内面を曝け出すに至ったかたちか。
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