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俺の記録庫

143考える名無しさん:2017/08/07(月) 02:40:22 ID:UzDke0GE0
ルール:「家賃が払えないと出ていくしかない」

このルールの構造を解析する。
このルールが「自然法則」と、どこか異なっているがために、人間は自然体でいることが許されないと悟り、苦しむ。
自然法則としての「ルール」は、「家賃を払わないと、住居の存在が消滅など、維持できない」となる。

しかし、現実社会上での「ルール」の実構造は「法」的であり、
「そうだと決められたから、守れないのならば修正されるか排除される」

家賃が払えないことで住居が滅ぶわけではない。「誰か」が、条件の下、「居させて」くれている「厚意」に縋ることで、己という存在が成り立っている。

「生きるのが辛い」「死にたい」「自分が存在して良いのか不安」
こういう気持ちは、
「己」が、「法」という無敵どころか被弾する身体すら持っていない「絶対的支配力」に対して抱いている思いだろうと考える。
「権利」は、この「法」と同じ階層にあり、その階層での「人のアバター」の如く在る。

自殺の大半は「病気に苦しんで」というものだが、「病気で辛いから死にたい」と思っている人の「生きるのが辛い」のと、全然違う心理状況だと思う。

俺は神経激痛の持病に頻繁にかかるが、病中(激痛中)に「家賃が払えないから出ていかなきゃ」系の不安が増幅することはないことを知っている。

「お金」を媒体とした「法」という無敵存在からの圧力に人の心が押し潰されそうになる「時」は、
己の身体がそこそこ健康な時であり、痛みや痺れや腫れなどによって己の意識が害されることがない状態の時だ。

言い換えると、「死にたくなる」とき、己の体調はそう悪くない。

逆に言うと、「病にかかると」、「なんとしても生還してやる」という闘志のほうがみなぎり、「法」とか、ぶっちゃけ無視したレベルでの自己意識管理態勢になる。
病中は絶え間なく痛みや煩わしさと己は戦い続けているので、とても忙しく、とても賞賛されるに値する仕事をなしている状態にある。

心のバランスを整えるために、人はあえて病に罹る。

という説をここで立て、この説で閉じる見解とは別に存在し続ける「安全地帯から人間を圧迫し続ける法」という、(法の)本来の存在意義から逆転したその有害な姿への対処法・解決法を考えなければいけない。

法に頼る以上、人は死にたくなる。


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