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俺の記録庫
124
:
考える名無しさん
:2017/08/06(日) 03:34:33 ID:UzDke0GE0
創造力は、「人間同士の競争」目的に湧いて出てきたりはしない。
東浩紀の発言に、いつも乗っかっている「俺のことを構って、もっと構って?もっと数字と人気を上げてって?」というような「念の形」は、創造力ではないように思う。
「人を」「操作する」みたいな思惑は、創造のない世界内の知恵。
「創造する」ということが存在しない世界においては、如何に「人を」「動かす」か、を考えるのが、
「箱の中の積木を並べ替える」みたいな感じの単純な知能テスト的作業として、意味がある。
会社の人事担当が創造力を持って新部署を作ったり、新人材を生み出していたら、それは枠から出ている。
比喩のまま言うと、
人事担当が、世界の未来を語ると、「ちょっと違うんじゃないのかな」「それじゃあ、誰かが得して誰かが損するだけで、何も変わらないままなんじゃないのかな」
という印象を受ける、という感じか。
哲学者・批評家というのが、それほど創造的ではなく、むしろ事務仕事に近い。
前も画像引用した、ルドルフ・シュタイナーの見る「天才・芸術家・哲学者・大哲学者」の「かたち」の違いだが、
この中で、一般的な哲学者は、事務処理や実務処理をする人側に見える。
哲学者と大哲学者を分けてしまう、というところがシュタイナーの「見る目が違う」ところだと思う。
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