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俺の記録庫

1237考える名無しさん:2017/10/27(金) 03:56:33 ID:ZZVKU.B.0
書こうとしていたことと全然違うことを長々と書いてしまったな。

書こうとしていたことは、全く関係の無い話で、「自分で課した課題に対して悪いように働かない『好奇心・やる気の移植方法』」だ。

しかし、書き疲れてきている。

書くのが面倒と思うことになる理由は、書く上で、そこに至るまでの前提条件などを全て列挙する必要があるためだ。

列挙しないで書きたいことを書いても良いが、それでは「機能しない」。
機能しない、力が無いことを書いても意味がない。

「発芽する方向」と呼ぼうか。枯れない成長の方向。

書くにしても描くにしても何をするにしても、つまらないまま成しても「つまらない思いで仕上げた」という「不味い味」だけが伝わる。

この状態を一番避けなければいけない。伝えるものは旬でなければいけない。
腐っていてはいけない。干からびていてはいけない。
活きの良さ、が「発芽する方向」

「活きの良さ」ではない芯があるケースがある。
描くべき夢がある。見せるべき未来がある。

そういうビジョンを持っている場合、「活き」のミクロの躍動感には焦点はなく、抽象的な目指すところに向かっている。

このビジョンはファッションではないので、ないときにはない。その場合の解決法。

単刀直入に抽象的に言うと、自分が絶対的に価値を感じる「化学反応の結果」を見て一人で喜び一人で関心できる、そんな「化学反応のひな形」を用意する。

「グリットで継続的な努力、努力には面白みがなく、やる気に寄らずやり続けることが大事」という方法論の穴を埋めるものになる。

一人で喜び一人で関心できる、そんな「化学反応のひな形」には、いくつも種類があると思う。
人それぞれであるが、「ここのひな形の決定」は、蔑ろにしたらいけない。

その重要さに俺は先程、この歳で気がついたわけだけれども。

化学反応の結果を見て、「あれ?面白い!」と思えるものを探す。

例えば、「絵を描くこと」が課題の人がそのひな形を探すとき、「絵を描く営み」の中から面白さを探す必要はないし、むしろその狭い視野に固執しない方が良い。

承認欲求で満たされる人、描いた絵を額縁に入れて飾ったのを眺めるときの人、絵が売れたときに手にした札束の人、色々居るだろう。

俺はもっと非社会的で現象に対して直接的なため、思いついたものは、「粘土状だったクッキーを焼いて、できあがったクッキーの、硬く変わり果てた姿とその香ばしさ、食べるとしかも美味しいかもしれないという五感総動員したギャップ」にその面白さを感じたかもしれない。クッキー焼いたことないけど。


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