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俺の記録庫
1088
:
考える名無しさん
:2017/10/19(木) 08:29:41 ID:ZZVKU.B.0
ドリアンモード縛りでギターを弾いていて(瞑想しながらドリアンモードと親睦を深めていて)思ったのだが、
俺がジャズが嫌いな理由が、
「ドリアンモード本来の響きを冒涜しているからではないのか」
という考えに至った。
民族音楽と互換性のある幻想的な響きがジャズ臭さで台無しにされる。
ドリアンらしさを醸すには、1カ所以外全部同じなエオリアン(普通の短調)と重なる部分を認識し、重ならない部分(6番目の音)を光らせることになるわけだが、
民族音楽的幻想的な音って、大体、スケール(前後の音を辿って)その音に至ると思うが、ジャズってコードのアルペジオを骨格にしてるから、ドリアンらしさを「ジャズらしさ」な檻の中に閉じ込めている感じになる。
「ジャズは逸脱」なはずなのに、「ジャズらしさ」のほうが先に目立つという。
ジャズは一体、どこから何から逸脱したのだろうか。
なんていうか、テンション(9th, 11, 13thとか)を重視するから、結局、「どれもこれも同じ」に聞こえる。それが「ジャズらしさ」。
コード・コンプレックスとでも呼ぶべきか。
コードから逸脱したくて、結局コードに縛られている。
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