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俺の記録庫

1013考える名無しさん:2017/10/07(土) 08:57:35 ID:ZZVKU.B.0
人工知能による運転ミスが「自然災害」であるのなら、人間にできることは何もない。311の地震も、人間にできることは何もない、として自体を受け入れる以外の選択肢はなかった。

前に、例として巨大な原発が建てられたら、その施設の維持は既に自然法則の一部になっていると俺は考えた。

放棄することで人類や地球が滅亡するような代物を建ててしまったのならば、その建物の健康が人類の健康に直結するようになる。それ以後、人類は、その建造物のメンテも従うべき自然法則の一部として考えて生きていくことになる。
神のご機嫌を取らないと天罰を食らう、という原理を現実に組み込む。

自動運転車が障害物に追突する場合、「乗客の命を大切にしない機械は頼れない」という社会状況を作る。
交通上の1ノードとして見れば、問題発生時には自爆してくれるので、他者に迷惑をかけない存在として認識されるが、無人運転の文化は広まらないままだ。

問題発生時、乗客を優先して周囲の人々を犠牲にする場合、無人運転車の利用者は安心し、提供企業の株価も上がり、無人運転文化は広まるが、
他者として路上で無人運転車を見かけたときには、「無慈悲な弾丸」としか目に映らない。皆が共有する道路に居られると困る存在になる。

ジレンマっぽいが、そうだろうか?
株主と提供企業にとってのジレンマなだけの可能性。

ここで、「サイコロを振れ」、というのが出てくる。
自動運転車ではなかった場合、一個人の運転する車の事故であった場合、なぜサイコロを振る状態が考えられるのか。賽を振った責任を運転者が取るからか。


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