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短文レス用スレ

7692考える名無しさん:2017/05/15(月) 09:30:03 ID:ZrGGmZ1s0
先日、アニメ「幼女戦記」を12話通して視聴した。
話中の議論の質の高くなさに僅かな痛さを感じたが、まあでも、こう閉じるのならそれはそれで良いだろう。

話中の「神。存在X」と「信仰を強制する世界展開」の関係が、俺が普段語っている「やまびこ現象」と「妖精」というものに近い。

しかし、そういう部分的&構造的なことは後。
「この作品について俺は何を語るべきか」と起床直後に考えた結果の議題が
「現代社会では、『素朴実在論』的に、神の概念が、『固有の存在状態』として、信じられている」ということだ。
神。神に祈る。などと聞いて素朴に思い浮かぶ精神世界の「現実」。

俺の「妖精」からの「神霊世界の実在論」としては、「少なくとも妖精には人格や感情の起伏を想定していない」「人間的な反応を示す神らしき存在は、神未満の霊的存在だろう」ということが言える。

これらの認識を、現代社会の神霊世界の素朴実在論は抵触しまくる。「神」に人間っぽい人格がある。

しかし、その作品はその意味ではなかなか頑張っている。
その「神・創造主」を自称するものを主人公は「悪魔」「存在X」と呼び、「人に幸福を与える全知全能な存在」を神と想定(信じようと)しながら「自称神」に反発している。反発することで(俺の文脈の)「妖精的な現象」が身辺に発生していく。

(俺の文脈の)「妖精的な現象」とは、神霊世界の素朴実在論的言葉で書くと「まるで神に仕組まれたかのような奇跡と偶然に後押しされながら人生を進められていく」ということ。

時折、双頭の竜の石像が映るのが嫌な感じなんだな。俺が先日挙げた10年前に描いた謎のエネルギーの絵の対象に重なる。


その作品が、己と神の間の「信仰力」の駆け引きを描く傍ら、俺は「人間に干渉する霊的存在が信仰心を必要とする構造」を解明しようと理論化(可視化)しようとしている。

「信仰を拒む」という状況は、結構(将棋的に)追い詰められていて、「次の一手で信じなければ王手」な自陣の展開の悪さだ。


俺として絶対に引き締めておきたい点は、「決して架空のファンタジーという非現実世界内に描かない」ということだ。
ここをやるかやらないかで「『素朴な現実』を守りつつ、絵空事を妄想してガス抜きしているか」「『現実』について追求しているか」が分かれる。

俺は、「現実」を追い詰めている。

7693考える名無しさん:2017/05/15(月) 09:36:27 ID:ZrGGmZ1s0
先日話題にした戦争と平和と貴族、そして、水木しげる氏の主張からの「戦記物は勝たないと売れない」「戦争について描かれる点は別に存在している」というところから、そのアニメ作品は「まだ戦争の破壊力をアトラクションとして用いているな」等と様々な論点において色々語ることができるのだが、後。

7694考える名無しさん:2017/05/16(火) 06:23:07 ID:ZrGGmZ1s0
筋トレしたくて堪らないが、筋トレ=筋組織破壊=体力消耗 なので、身体平常運転まで我慢。
今までやれてたダンベルの重量が持ち上がらなくなるショックを感じるのが嫌なんだよな。

7695考える名無しさん:2017/05/16(火) 06:28:27 ID:ZrGGmZ1s0
今が朝六時半であることに驚いている。やはり俺はかなり疲れているのか。

7696考える名無しさん:2017/05/16(火) 06:57:40 ID:ZrGGmZ1s0
茂木氏のツイートから、今度発売されるらしい茂木氏の著書。これは…
東浩紀「セカイ系は終わった」から路頭に迷い始めた「日本の紙芝居ゲームのシナリオ作家達」に「まだ繋がる希望」を差し伸べることになる感じだろうか。

霊的現実探求最前線の手前でポストセカイ系を現実社会に浸透なるか否か。

「セカイ系はまだ終わっていない」で続けても良いのだけど、東浩紀とか面倒くさいから、「セカイ系は東浩紀の利権ということで終了」、「はい。そして、新しい権利構造で再スタート」という方が、色々と手間が掛からない。
セカイ系とポストセカイ系の思想内部の違いとしては、重視する哲学思想かな。

しかし、その発売される著書の本流としては、読んでないから超常的にしか判断できないが、星新一系のSF感というより不思議感覚が主体になっているようないないような。

そういう、派手じゃない大人なコミュニティに著書の本体を在籍させる形でも、別に問題ない。

最近、小売店のメルマガなどで五月蠅く宣伝されている「君の名は。」DVDの発売の時期に被るのも、なんか面白い。

セカイ系の遺作「君の名は。」と同時に誕生するポストセカイ系の小説。

7697考える名無しさん:2017/05/16(火) 07:27:53 ID:ZrGGmZ1s0
リツイートについて。
笑った。
俺は左利きだが、幼稚園で箸だけは右に矯正されているので、なんだかよくわからない視点から感想を述べると、
箸を持つ手でカップを握る、って、「テーブルマナーの強制」の意味しか無いように思う。そういう束縛するデザインは無知・独りよがりだなと思う。

7698考える名無しさん:2017/05/16(火) 07:34:48 ID:ZrGGmZ1s0
RTついて。
動物の見せる滑稽さ。その滑稽さが愛らしさになるのだが、果たして動物は「お茶目な思惑で」(ぶりっこして)そういう反応をしているのだろうか?

これへの考察が俺の文脈上の「妖精」の解釈に大きく貢献するように思う。
妖精に人格は無い。それでもお茶目な場合、どう解釈するか。

7699考える名無しさん:2017/05/16(火) 07:40:14 ID:ZrGGmZ1s0
RTについて。
本音と建て前という分け方に似ているが、意味的にその通りではない。
我々の目、そして目からの情報を纏め上げる身体が生む実感として、「公的に美しいと呼べる物」と「私的に好ましく思える物」の区別において、まず「公的に言える物」が「贔屓にするもの」から除外されていく。

7700考える名無しさん:2017/05/16(火) 07:48:06 ID:ZrGGmZ1s0
RTについて。
俺の文脈として高度な話として扱うが、
「動物の無邪気さ」「人格のない妖精」そして「原型を保っていないのに、印象は変わらない動物」
つまり、
「感じ取れる無邪気さ、お茶目さ」は、「受け取る側の幻想」である可能性が高く、
その幻想を妖精に持つ場合、妖精はお茶目なはず。

7701考える名無しさん:2017/05/16(火) 08:07:42 ID:ZrGGmZ1s0
RTについて。
その漫画で描かれる「状況」について。

これは、エロゲのメイン購買層が直視しなければいけない問題だと思うが、
直視するためには、
この小学生の顔部分に「魅力を全く感じないおっさんかおばさんの顔写真」を貼って、読み直すことだ。

サキュバスの霊的部分だけを見る感じ。

「おっさんやおばさんの顔写真」ではなく「ゾンビなどの写真」を貼って見るべきだが、それだと視覚的な刺激が最初に飽和するので、
まずは、現状の視覚的+方向の刺激をニュートラルに戻す。

それでも、そんな「包容力のあるキャラ」を求めるのなら、その人にはそういう存在が必要なのだろう。

7702考える名無しさん:2017/05/16(火) 08:17:59 ID:ZrGGmZ1s0
RTについて。
写真1枚目、これは実は、「小学生の顔が見えない、この後ろからの写真こそが『こと』の本質を最も深く描写する写真」であると思うのだが、
うーん、今俺が語っていたような話の上で、物質上に(文脈上の)『幻想』を見出そうとする「第3の目が盲目な人」が問題視されている感じ。

しかし、本当の問題は、そのように「第3の目が盲目のまま」でも「普通に社会人として成立する」現代社会の形であり、そこは単純に、法規制や罰則で束縛する形で取り締まれば社会全体が良くなるという風ではなく、「納税・労働・教育」を国民の三大義務とする「一人前定義の優先事項」から変えないと。

と、連続RTによるセッションをひとまず終了。

7703考える名無しさん:2017/05/16(火) 08:40:03 ID:ZrGGmZ1s0
だが、もう一度「後ろ姿の小学生女児の写真」に戻り、
なぜ、この後ろ姿の写真こそが、ことの本質を描写しているのか。

小学生を撮影している「誇り高き日本男子たち」が写真内に収まっていることは当然として、
「印象・雰囲気・イメージ」は、顔が映らない後ろ姿(小学生)に、より鮮明に宿る。

「後ろ姿は美人な人」、という描写と「解釈のフレーズ」は、社会に浸透している。

なぜ顔が映ると、「イメージと異なる」ことになるのか?

が、芸術を超え、霊的なものを解釈する上で大切な問いとなる。

「顔には一体、何が宿っているのか?」

7704考える名無しさん:2017/05/16(火) 08:57:25 ID:ZrGGmZ1s0
思考実験的な脳内シミュレーションを繰り返し、より奥深くの解釈の層に辿り着こうと試みる。

「顔は、顔の良し悪しだけでなく、その物質身体を持った人の精神的身体のイメージも含められて我々に伝達してくるからではないのか?」

と考えた。

顔の悪さでイメージ悪化するのではない。

顔は、「物質的品質と精神的品質の両方」のクオリアを実感させる。

第3の目などで「物質的ではない・視覚ではない何か」を「視覚と同じ実感で得られる」ことがない状態の人達にも、「顔」は、その見えない身体の情報さえも感じ取らせる何かを持っている。

と考える。

しかし、その写真の出元からの問題は、そういう「見えない情報」をも感じさせる「顔」から、「見えない情報を感じ取れない盲目な人間」が増えている、または一定数、社会的権利を持って存在している、ということにある。

本来そういった伝達機能を持つ「顔」に対しても『盲目』になる社会の病。

社会の病と書いたように、この問題は、個々人を改善させても意味が無い。
「病」は「自己実現により変革される個人」には宿っておらず、「個人」に「心の問題」を刻み込む社会、「世界」側に宿っている。
その世界に生きる限り、その様な病に感染する人間は後を絶たない。世界を改善する必要がある。

7705考える名無しさん:2017/05/16(火) 09:08:06 ID:ZrGGmZ1s0
どういう理屈か。
三大義務の「そういう風に育っても、国民として、何の問題も無い」という、目に見えない「人間の在り方定義」が、そういう問題抱えた人達に「今のままでは一人前ではないから改善しないと」と思わせない。定義が圧迫する(病を治す)部分が塞がり、塞いでない箇所に症状が現れる。

俺は「病を完治させる無意味性」を説いていたので、そういう問題を抱えた人達の問題だけが完治する形の社会を俺は推奨はしない。

どういう落としどころにするか、を考える必要がある。
モグラ叩き状に発生する病を、どう満遍なく規定値以下に留めるか。「そのバランスを取ること」が方向性となる。

7706考える名無しさん:2017/05/16(火) 09:23:14 ID:ZrGGmZ1s0
最寄り駅なのに、ずっと寝ていたため、全く知らなかった。
急行も止まる駅だから、停車のためのブレーキを掛けながらの電車にひかれた感じだな。
asahi.com/articles/ASK5H…

痴漢も「社会の病」であると考えたとき、「個人」への同情や責任追及の念も、あまり生まれない。

7707考える名無しさん:2017/05/16(火) 09:26:42 ID:ZrGGmZ1s0
ヤマハとJASRACの対決。
この「煩わしい問題」は、この二者が担うのが「最適」だと思う。
やはり、個人単位でJASCRACと戦っても、効果がなさ過ぎる。
asahi.com/articles/ASK5H…

7708考える名無しさん:2017/05/16(火) 09:34:57 ID:ZrGGmZ1s0
「個人に求められるのは超能力(異能)」。これ以外に解はない。
社会組織が「社会的影響力」を「法的・資産的次元」でのみカウントするなら、そこに個人が立ち入れる隙間はない。

「自己実現」のコーチングとかが気にくわない理由は、「個人」をコーチして「組織内で強い人間」を作ったりするところだな。
「個人」を育成するなら、「組織」という武装を強化させる方向ではなく、「組織だろうが貫通する」異能力を開発する方向でコーチすれば良いのに。
結局、秘技は隠蔽する形。

7709考える名無しさん:2017/05/16(火) 18:18:58 ID:ZrGGmZ1s0
なんだこいつ。千葉雅也。東浩紀の真似して俺をブロックしたか?
お前、火星座射手座の性格は、ブロックして守りを固めるスタイルじゃないだろうが。バカかよ?

ブロックするってことは、喧嘩を売ってるってことだからな。千葉雅也、お前は俺に喧嘩を売った。俺もお前も記憶力は悪くないだろ。

7710考える名無しさん:2017/05/16(火) 18:52:52 ID:ZrGGmZ1s0
腹立たしさの勢いで「やるのを抑えていた筋トレ」をやったら、凄い速さで(休み時間最小で)1日分のセットか完了した。

大体さ、俺は千葉雅也にツイート飛ばしたことすらないと思うんだが。
エゴサしてブロックするとか、そもそもの行動から自意識過剰で自己中だろ。器が小さい。醜い。

7711考える名無しさん:2017/05/16(火) 18:56:25 ID:ZrGGmZ1s0
千葉雅也。こんな小物が、39歳なんていう人生の半分も生きていない時点で、「勉強の仕方」「生き方」を説く、とか真面目に言ってるなら勘違いしすぎだろ。
出版の話を持ち込んだ編集者とかに持ち上げられたり担がれたりしていい気になって書いちゃったならば、その利用されるザマが見てられない。

7712考える名無しさん:2017/05/17(水) 07:03:27 ID:ZrGGmZ1s0
東浩紀と千葉雅也のライン。これは2ch哲学板の頃からの「全員名無しだったが、目に見えない因縁」みたいなのがあり、
2002年頃から、一体奴らが何を考え、何をやってきたのか、

その疑問への回答が「何もしてなかった」ならば、「ブロックする」という答えにはならないんだよ。

と、俺の中の「怒り」の「姿勢」は未だ存続中であるのだが、

この怒りのエネルギーは、ブロックされた(拒絶された)ことへの反抗心ではなく、ブロックされた(挑発された)ことへの「ターゲットが戦闘態勢に入ったことにより、やっと俺の中の闘争本能を解放できるのか!」という野蛮な衝動に近い。

そう考えると、俺の持病は、「破壊的な本能的な欲求を、理性で抑え付けて、穏やかにあろうとする」ことへの反動、「病」なのかもしれない。

これを「ストレスが溜まる」などと描写されると、そのストレス、固有原因から一般化された原因を取り除くための処置は、これまた一般化された解消法(運動をする。よく休む等)で解決が求められ、そうすると、具体的直接的原因が一切触れられないままなので、何の解決にもならない。

ここで何が言えるかな。

例えば俺の考える「戦い」とは「ゲーム」ではない。戦闘の一部始終に「楽しむ・遊ぶ」時間は要らない。
一方、「戦争」は、金持ちによる「ゲーム」な感じがある。費やされる時間の中に「楽しむ・遊ぶ・時間を潰す」目的意識があるように思う。

そんな(瞬間的な完了を求める)「戦い」が、(一定期間以上の開催を求める)「戦争」の仕掛け人を目標に、瞬間的に刈り取りにいこうと思い至ることは、自然であると思う。

世の悪代官みたいな悪い奴ってのは、「戦争の仕掛け人」側の立場にある。
共謀罪も、一体何を防ぎたいのか、想像が付く。

7713考える名無しさん:2017/05/17(水) 07:05:44 ID:ZrGGmZ1s0
「戦争を安全に継続させるため」に、共謀罪の成立は、戦争の仕掛け人を安全地帯に保護・隔離する上でも、重要である。
というような感じになる。

7714考える名無しさん:2017/05/17(水) 07:15:21 ID:ZrGGmZ1s0
「腐った魂」の定義というのを、改めて現実文脈上で行うべきと思う。
神話や文学に(悪魔など)その拠り所を見つけて、過去現在未来が混在した空間のエントロピー増大による「理解」の拡散・濃度低下をもたらせないために。

理解濃度の低下は、目前の悪を見逃すヘラヘラ・ホワンとした意識を作る。

7715考える名無しさん:2017/05/17(水) 07:56:18 ID:ZrGGmZ1s0
俺として律儀に恐れずに比較していくと、
そういう東浩紀・千葉雅也・そして2ch運営みたいな暴走族みたいな連中と苫米地英人氏を比べると、
あれだけ俺は苫米地氏の方向性を批判していたにもかかわらず、苫米地氏の方が全然まし、というより比較することすら失礼となる様な質・次元の違いがある。

前者には、街の盗賊団・首都にいる悪党本部の末端組織が地方で好き勝手やっている様子、な感じがするんだよな。
そういう「お上の目も、世界の目もないから、人目のないところで悪さできるし我儘できる」みたいな甘え。

7716考える名無しさん:2017/05/17(水) 08:12:41 ID:ZrGGmZ1s0
俺という存在の意義として、全て(心の中で通常は言語化されないような些細な・不完全なもの・思い)を白昼の元に晒す(太陽の力)があるので、
この様に、思うこと全てを言葉にする(可視化する)ということが、俺が俺に忠実であること、となる。

この力を他人に及ぼすと、それは「太陽から火の玉が降ってきた!」みたいな「生を育む太陽も、こうなっては種を死滅させる爆撃だ」ということになるので、
「他人を丸裸にさせる様な方向にこの力の流すこと」は「よくないことだ」と人生の中で学んだ。
ただ、自分自身へ流すには問題なし。

7717考える名無しさん:2017/05/17(水) 09:59:02 ID:ZrGGmZ1s0
文脈を変えずに、もの凄く危険なラインを綱渡りする。
www3.nhk.or.jp/news/html/2017…

先日までは、現代音楽の作曲家の人や苫米地氏の在り方について思うところを書いていたのだが、
そこで現れた東浩紀・千葉雅也・2ch運営(+ドワンゴとか書かない)みたいなきな臭い連中。

批判という行為は、切磋琢磨を視野に入れた友好的な行為だ。

ひとつ前のツイートに、俺の文言に関連しないソースが載っていると思うが、それは「批判することが許されない」対象だ。

東浩紀・千葉雅也・2ch運営達は、「皇室的な何か」な特権階級になることを目論んで、毎日を悪巧みしている。

こういうことを書いているときの俺の文言は、「論理的に2手先、3手先でどう転ぶか」までを計算してあるので、字面に見えるほど、危なっかしくない。

「ああいうふう」(皇族等の特権階級)に「なろうと欲望を燃やす人達」かどうか。そこが、俺が白黒を見分けているポイントだと思う。

生まれながらに貴族だったり王族だったりした人は仕方がない。
釈迦のように王子を辞めて乞食になれとは思わない。人畜無害な形で精進すればいいと思う。

東浩紀・千葉雅也・2ch運営達と「オウム真理教」って、似てると思うんだよ。

どこか、ベンチャー企業の立ち上げの感じがあり、団結した仲間で天下を取ろう、みたいなギラつきを感じる。
その暁には、皇室的な特権階級の座につくことを求め、現時点からその特権階級意識で庶民生活を送っている。

所謂、「意識高い系」が完熟しきって腐った形なわけだけれど、
昔、ネットの無い時代では、こういうのは「ハングリー精神」などと呼ばれたりもしたのかな。

でも、その時代は、暴走族の時代であり、その後、チーマーとかの時代であり、悪本体の子分組織な感じがとても強い。

悪い組織があるとする。そのトップの組織の品性と子分の組織の品性は同じ悪の組織でありながらも、最悪、真逆方向にまで異なるように思う。
堅気の人に手を出さない親分組織と、堅気の人間をカモに悪さをしまくる子分組織。
件(くだん)の輩共は、哲学を武器にしたインテリヤクザ達主催の子分組織。

オウム真理教の場合は、洗脳と科学・医学のインテリヤクザによる子分組織。
親分組織がどこにあるのか、それはまだ噂にあがるかどうかな段階。

問題は、
子分組織は、「後に特権階級に居座れる」という夢を見させられる、ということだ。
その夢に向かって我武者羅だから頭のおかしな人に見える。

もう訳がわからないくらいに堅物で「何も記憶にございません」、保身を貫く政治家とかも、同じ状況にあるのだと思う。
公人としての生き方に慣れすぎて、もう人間としての価値がなくなってしまったのだと思う。

7718考える名無しさん:2017/05/17(水) 10:03:56 ID:ZrGGmZ1s0
「記憶が無い」発言をしている政治家って、あんまりマスコミとかに叩かれない感じ。

もう全部、そういう話の流れで繋がっていると思う。

7719考える名無しさん:2017/05/17(水) 10:11:51 ID:ZrGGmZ1s0
はあ。この嫌悪する日本の勢力と戦うためには、海外で力を蓄えてくる必要がある。

あの腐った奴らが「自分と同じ」日本人?というところが一番嫌なんだよな。そいつらを他国人として別視(蔑視)できるのならば、この嫌悪感は生まれない。

最高に際どいラインを渡るが、

”日本の特権階級”の人達の顔が朝鮮人っぽかったりするのも、それはそれで「あ、あの顔、別人種だ。」と下々の庶民達が思えることから、同じ日本国民でありながら、別世界の人と認識することが可能な状態にある。

そういう隔たりがあるのなら、許容できる。

7720考える名無しさん:2017/05/17(水) 12:36:58 ID:ZrGGmZ1s0
”特権階級”の婚約報道が、「共謀罪の強制採決」の隠れ蓑として使われてしまうこの国。

日本という国の「安全地帯」には、どこの誰が着席するのだろうか。
天皇を象徴化した米国とか、そういう単純な感じではなさそう。

例えば、カジノの親玉とかが、日本で安全な暮らしを始める下準備だとか。

7721考える名無しさん:2017/05/17(水) 12:46:25 ID:ZrGGmZ1s0
なぜ「大人の事情」は難しいのか。
情報が隠されまくるから、話にならないから。

そういう「人間同士のどうでもいい奪い合い・守り合い・探り合い」と無縁な世界になれないものかね。

そういうことを本分としている大人は全然「大人」じゃない。「動物」だ。人類がくだらなすぎる。反吐が出る。


”国民の象徴”を用いて隠蔽する「共謀罪」の強行採決。
今の、この状態。この日本国で感じれるこの感じ。

これが、昨年秋に米国でトランプ当選時に、米国民が感じた「思い」。

「世界の終わりだ」
「外国へ移民しよう」
「なんとかできないものか」

それは同じ「悪」に感じた無力感。

7722考える名無しさん:2017/05/17(水) 12:47:51 ID:ZrGGmZ1s0
”国民の象徴”を用いて隠蔽する「共謀罪」の強行採決。
今の、この状態。この日本国で感じれるこの感じ。

これが、昨年秋に米国でトランプ当選時に米国民が感じた「思い」。

「世界の終わりだ」
「外国へ移民しよう」
「なんとかできないものか」

それは同じ「悪」に対して感じた無力感。

7723考える名無しさん:2017/05/17(水) 18:13:34 ID:ZrGGmZ1s0
9年に一度の最悪運気年+12ヶ月の間の2ヶ月間の最悪運気月間において、
「何が起こるか」「どう不運か」は問えないが

「時間の進みが遅い」感じがする。
ようやく最悪月間の後半1/4に入ったところだが、4月頭からの体感で1年間分くらいある。毎日が苦痛な感覚がスローモーションで進行。

ああ、これなら占術師が「最悪運気年は資格取得などに励むのが吉」と書きたがるのも納得がいく。
なにしろ時間の進みが遅いのだから、相対的に、自主的な行動は沢山詰め込める。
いくらやってもまだこれだけしか時間が進んでいないのか?となる。
しかし、氣が補給されないので倒れて実行できない。

ただ、占術師が「資格」だなんて「カタチ」を重んじているのには嫌気がさす。

「生きる資格」が試験で獲得できるものだとする。
生きる上で資格が必要である世界、そして何も疑わずにその資格を取りに行こうとする悪い意味で従順で無知な意識、
その両方に賛成できない。

無知と、そのような従順さは、時に「人殺し」よりも重い罪だと思う。

「世界殺し」をしているわけだから。

7724考える名無しさん:2017/05/17(水) 18:42:27 ID:ZrGGmZ1s0
創造性と生産性。
この2つは相反する。

ということを頭が思い描き始めたが、管理者の視点みたいな気がするので、意識を散らした。

言うなれば、
創造性は「未来に生きている」
生産性は「現在において過去を切り売りしている」

創造性に空売り等の言葉を当てはめようとしたがこうなった。

7725考える名無しさん:2017/05/17(水) 19:03:44 ID:ZrGGmZ1s0
もうひとつの側面は、
創造性「10割の時間は悩んでいる」
生産性「悩みの発生する時間はない」

大体、一人前になったら生産者になる。
しかし、「一般世間における一人前」と「人類の歴史上における一人前」かの意識の違いがある。

そもそもの目標が小規模だと、早く大成できる。(皮肉)

7726考える名無しさん:2017/05/17(水) 20:35:58 ID:ZrGGmZ1s0
なぜプログラミングが流行った時代にのみ、創造性と生産性が一致したのか。

情報空間が情報空間で完結している、ということと、物理空間において、物理的な制約(筋力・重機の使用、他)が原因となって発現していなかった思いとアイデアが、それら制約無しで実現できるようになっただけ、

ってなんでこういう方向に勝手に思考が行くのかな。

なんとなく理由はわかるのだけど、そこには触れずに、ただ、「俺が自分で流れの全てを決めること」などはできない、ということは確実、ということを明記しておく。

これは「妖精」よりかは「集合的無意識」的な何かだろうな。

7727考える名無しさん:2017/05/17(水) 20:54:01 ID:ZrGGmZ1s0
この3連の曲について、何かを言おうとして、比較というか連想先として思い当たる曲を探していて時間が経ってしまったのだが、全部に触れるかどうかまだわからないが最初のから。

RT一つ目。2分目位から歌が始まるのだが、その旋律の感じと歌詞の内容から、リンクの曲。
youtube.com/watch?v=Q7O7ih…

次のリンクの動画は、ひとつ前と同じ曲だが、woodstockでのライブの演奏。
youtu.be/2EdLasOrG6c?t=…
ここで、気がつくのだが、「サビ」パート以前のAメロが、完全に省略されているか、アドリブ状態にある。

先の電子音の曲は、この曲のAメロ部分だけな感じ。

2つめ飛ばして3つめ。これ、メタリカの曲の中にそのボーカルの旋律の元祖っぽい詰め込み感や揺れ感があったはずだなあ、と色々探してたんだが、完璧に該当するものは見つからず。
だが、メタリカは、改めて聞くとかなり魔術的なパワーがあるな。あれ、リフやソロじゃなくてメロディーに力がある。

メガデスでも代用可能か、今吟味している。ということはMechanixとThe Four Horsemen(同じ曲)の聞き比べから始まるのだが、
うーん、これは、メタリカの方はリフ一発ではなくて三部構成みたいになっていて、「話術」的に、メタリカの方が引き込む。ライブ=催眠術の形。

しかし、ここは曲に対する考え方の違いとも言え、
メガデスの方は曲ごとに曲風を変えてある。そして、リマスターだとか撮り直しだとかを結構行っている。
几帳面で整頓されている。
さすがは土星座乙女座と言ったところか。

メタリカと比べ、安定してプロ活動を長期間に渡って行っている。

メタ視点に立って、「何が良いのか」は、「作者が何を聞かせようとしているのか」の質で決まるような感じがある。

催眠を掛けようと思って作られた作品は「その催眠によりリスナーに何を与えようとしているのか」の部分が形として残り、「その与えようとした質」が吟味され評価される。

基本は、赤子をあやすのとか、猫と遊ぶのと同じだと思うんだよな。

猫が夢中に遊び続ける「提供する娯楽の継続時間」と「別の娯楽に切り替えるタイミングの制御」などを作品内で行う。

こういうのが、ハリウッド映画の90分の使い方として科学的に定義されていったのだと思うが、

果たして、この現在においても、同じ地点で結論として良いのだろうか?

俺個人の意見としては「ハリウッド的な創作物は、あまり全面肯定したくない」と思っているのだが。
最近の日本の深夜アニメなどは、ハリウッド的な効果だけで24分間を埋めた「中身のない骨組み」みたいに感じるし。

7728考える名無しさん:2017/05/18(木) 11:54:57 ID:ZrGGmZ1s0
茂木氏のツイートからのインスタグラムだが、
色鮮やかなのは当然として、茂木氏は、この調子で草花の写真集を出版可能だな、と思う。
写真一枚ごとに、これのように問いかけるようなタイトルを付けることで「絵本」のような存在になる。

これが本当の「才能」に当たるものと思う。

「才能」って、「よーし、勉強するぞ!」みたいな感じでやりこむ対象ではないと思う。
何の訓練も要らず、堅苦しい上達ステップごとの「この上達項目で満点でしょ?」みたいな自己顕示+アピールが要らず、
思うがままに行って、そのままの荒削りな形で既に分野の水準を超えている、そういうもの。

また、俺が、その「茂木氏の草花の写真」が「写真集として出版可能」と言った考えについては、
商売的な計算でそう読み取っているのではなく、「このコンテンツを(心を豊かに、教養を育むために)必要とする人達が多くいる」というのを感じ取って、だ。
俺はお金の才能は無い。お金以外を見ている。

例えば同じコンセプトで、プロのカメラマンに同様の写真を取って写真集を作るぞ、と言ったところで、
同レベルの画像の色鮮やかさを表現することはできても、+αで乗っかる「観測者の意図とクオリア」は再現されないと思う。
「どういう目で見ているのか」という部分が写真に現れる、という感じか。

7729考える名無しさん:2017/05/18(木) 12:05:49 ID:ZrGGmZ1s0
しかし、このひとつ前の茂木氏のブログツイートの内容を「融合して」、改めて表現しようと思う。

茂木氏に写真の才能を見た。
しかし、茂木氏がそんな写真を撮ることが可能だったのは、空にお天道様があるからで、大地に生い茂る草花が「見てくれ!」と主張して茂木氏に存在を気付かせたからだ。

7730考える名無しさん:2017/05/18(木) 12:21:13 ID:ZrGGmZ1s0
人間社会での応用として、
例えば、草花の写真を撮る才能について、自意識を探るような記者からの質問が飛んできたとき、
「お天道様と草花が舞台を用意してくれていて、自分はそこに立ち寄っただけです。自分は何も特別なことはしていません。賞賛されるべきは草花です。」
などと返答できる。

7731考える名無しさん:2017/05/18(木) 12:47:49 ID:ZrGGmZ1s0
ここで、アニメ「幼女戦記」みたいな「神の信仰」との抗いが俺にこんな形で生まれる。
「俺は人の良いところを伸ばすようなことばかりしているが、その形では俺自身は破産・破滅するのではないか?」
「大丈夫。信じなさい。破滅を恐れずに、保身せずにそのままで大丈夫ですよ」

瀕死時のみに奇跡が起きる神の力を信じろというのは、非常に難しい。

これは一か八かの命をかけた博打(喩え)を行え、と言われているようなもので、自暴自棄にならない形で、どのようにその道を歩めるのだろうか。

これは、「やまびこ現象」などの「妖精」とは異なる。

7732考える名無しさん:2017/05/18(木) 15:47:00 ID:ZrGGmZ1s0
もはや定番となっている個室のある中華料理屋で昼食をとり、戻ると、先日注文していたルドルフ・シュタイナーの本が配達されていたことに気付く。

そして、パラッとページをめくる。
そこに書かれていたものは、
なんだか、俺が先程まで書いていたことを復唱しながら補強するようなものであった。

これが、俺のいつも言う「やまびこ現象」である。
「妖精」の仕業である。

何というか、連続コンボで発生するタイミングは、人間は弄れない。

流し読みで全ページに目を通してみたが、その部分以外は、なんか「珪酸プロセス」と呼ばれるものを、タンパク質とか臓器とか、生物学的要素の関係として色々説明されている本であった。

そういう現代医学と平行するようなヒーラーの本は多いから、少し内容においては期待外れ。

まあ、それでも、適当にページを開いて吟味する。
糖尿病と痛風と、刺さるような痛み。俺の神経激痛も関係しそうだ。

そこで
>釘を刺すと炎症を生じるように
と比喩による一例から因果関係を納得させるような文がある。

俺が思うには、釘を刺して炎症が起きるのは破傷風等で、菌感染では?と

7733考える名無しさん:2017/05/18(木) 15:51:55 ID:ZrGGmZ1s0
そういう物質的な関係の正しさを評価するべきなのか、
例えば、全てを比喩と考えて、俺の激痛は、そこに書かれるように「神経の中に発生した石英の結晶が溶けていないため」と考え、そういう「イメージ」の方向で、現実上ではそこに当てはまる物質をどうにかする、という風に活用すべきなのか。

7734考える名無しさん:2017/05/18(木) 18:00:48 ID:ZrGGmZ1s0
はあ。先に示した「やまびこ現象」を一発発生させるためだけに2500円払って本を買ったのだと思うと、なんか辛くなる。

「お金」が「身体の神経」みたいな感じになっているわけで、"神経激痛"(散財は激痛)が発生する方へする方へ、物事が進んでいる気がする。

7735考える名無しさん:2017/05/18(木) 23:03:17 ID:ZrGGmZ1s0
「才能」と「辰巳天中殺」。
という題から、少し考えを進めようと思う。
画像引用の資料の出元。
webyou2.jp/3mei/sanmeiset…
webyou2.jp/3mei/%E8%BE%B0…
webyou2.jp/3mei/%E5%8D%88…

算命学の占術について、そこまで深く原理的に捉えずに、それらが最終段階として言葉にしている解説(画像部分)を根拠に、幾つか考える。
占術の原理で考え直すと、全部がなくなってしまう。←この一文を書く「感覚」から既に辰巳天中殺らしさは始まっている。

まず、資料文章内に「才能」という言葉は見当たらない。代わりに「環境」という言葉がある。
午未天中殺を比較対象に置くことが、これについて考えを進める手がかりとなる。

そこで画像引用部分だが、
>青少期より高い教養を積み重ねる必要があります

これは一体、どういうことだろう。

ということから「才能」の解明が始まった。

どの喩えが一番良さそうか、ウサギとカメかな。
辰巳がウサギで午未がカメ。
飛躍するような「環境」の『存在』を最初から自己の世界内に有していないカメは、当然のようにゴールに向かって、必要な時間数を計算して、必要な歩みを休み無く進めていく。

アリとキリギリスでも良いのだが、童話の顛末がどうであるかはあまり重要ではない。

辰巳側。どうやら「環境」に強い様である。
コツコツやるタイプではない。
単なるぐうたらというのではなく、遊びのついでに等、偶然、まぐれで、当たりを引いたり宝を見つけてきたりと、存在自体が「ずるい」。

今回の資料には書いてない様だが、
辰巳は未来の方向を見ていて、午未は過去の方向を向いている、というような描写がどこかにあった。

人類史、というところまでその視野を拡大し、
辰巳「今までがどうこうより、これからどうするかでしょ」
午未「過去の積み重ねが現在を作っている」
となる。

例えば苫米地氏は午未だが「何年もやっていれば上手くなる。30年もやっているのだから上手くないはずがない。アインシュタインは5000億分の1の確率の存在。モーツアルトになりたい?それは無理。技術、は誰でも身につけられる。習得するには訓練すれば良い」という様なことを動画で言っていた。

そういうところを聞いて、俺は「なるほど。とても午未らしい考え方だ」と思った。

「才能」という「危険物」を思考の素材に含まないようにしっかりと整理されている。
また、(仮に)才能のある人よりも、理詰めの午未の人の実力の方が高いということも多々ある。

しかし、俺が問いたいのは、「『才能』という要素は、本当に存在しないのか?」ということだ。
これは非常にセンシティブな議題だ。先天性が関わる。関わると、個の存在の全否定・全肯定が見えてきてしまう。

先日、身体のコンプレックスなどを理由にされると、その個人は何もできなくなる、という話をした。
「心の隙間」を突かれる、という言い方をした。

「才能の在処」は「コンプレックスの在処」と、何かもの凄く強い関係があるのではないか?と俺は考えた。この2つは同質のものだ、と。

言い換えよう。
「才能の指摘」は、「コンプレックスの指摘」と同じくらいに、「心穏やかな状態から揺さぶり落とす」。

ここで辰巳天中殺の解説の一部を画像引用するが、
この辰巳の(あ、ここに才能という語があったが、これは無視で。)「波乱を招く」とは、力学的にどういうことなのか。

「君には〜をする才能がある」と告げられた人は、その瞬間から「平和で穏やかだった日々」から放り出され、欲と恐怖が入り乱れながら「才能を有した自己」というものの扱いに苦悩を始める。

欠点をズバッと指摘されるのと同じか、「未来に可能性」が見てきてしまう分、もっと酷く動揺してしまう。

「感覚人間」と形容された「辰巳天中殺」の人達が、「才能」というものを、「認識」しているようである、
という、他の人達からすれば「ほんとに余計なことをしてくれたな!」と言わんばかりの「危険物」の発見が日常茶飯事の様である。

適当に生きているが故に、非凡なものには目が向いてしまう。

「才能」を「心の隙間」(コンプレックス)と同格に扱った様に、
辰巳はその心の隙間(凹んだ才能)についても、常に見えているようである、というのが感覚的に感じ取れる。
コンプレックスを理由に人生諦めムードで生きている辰巳天中殺も多い。
午未と異なり、「才能」を視界に入れているためだ。

7736考える名無しさん:2017/05/19(金) 00:31:17 ID:ZrGGmZ1s0
霊能者が見たりする「過去世」というものが、案外、午未側の世界観を補強するものである、というところまで考えている。

才能がある。それは前世でそのことを50年間やっていたから。などと解釈すれば、その心の平静を揺るがす「危険」は消える。理に適うから。無条件の突然変異ではないから。

「才能の存在を認めない世界を求める」&「理屈で考えれば理解できる」という午未の人達が理解可能な「才能」の形を、どう描写しようかと思っている。

水は高いところから低いところへ流れる。自分の中に、そんな凹んだ箇所を見つけたら、けても、そこをどう活用するのかはその人次第。

凹んだ箇所というのは低い箇所だから、水が流れていく。つまり、才能がある。基本は面倒くさがりなので、日々の鍛錬とかなしで最初から上手くできることが楽で良い。そういう「箇所」を自分で知っていく。
知った後に、それを活かすか、放置するか、などはその人の考え方や戦略により扱い方が変わる。

「そういう箇所」というのを見る「メタ視点」が、「才能の有無を感覚で感じ取る空間」なのだと思う。
偶然だか何らかの理由で、その高さの「メタ視点」に視点が定まらない、というのが午未と定義される存在の形なのだろうと思う。

占術により人間をタイプごとに分類、というのも話半分で考える。

かなり「適当」である、という実際。しかし、これが「感覚的」と形容される本質である感じがある。

清書段階で理論的に完璧なら、思考の途中は奇妙奇天烈なブラックボックスのままでも全然OKでしょ、と考えている。

逆に、占術によるタイプ分類を絶対視してしまうような頭の固さがあると、発想力が貧困になってしまうと確信する。

この状態、この脳内、もしかすると、量子的(1でもあり、0でもある)(そう思ってるし、まずそうは思ってない)な状態で思考を進めているような気がする。

例えば、今日の午前中に、俺は「茂木氏に写真の才能がある」と書いた。
茂木氏も苫米地氏と同じく午未天中殺で、その定義の通りならば、才能という概念で物事が説明されることに異論・疑問を唱える見地にある。

俺は「午未の人にも、"才能"は存在してるんじゃん」と、直感的に思ったわけだ。

ただ、なんていうのかな、その「才能」っていうのがとても抽象的なものであり、(箇所もそうだし、その影響力にしても抽象的)、
そこで、例えば「いいね!の数字を沢山貰えば才能がある、と考える」とするのが、恐らく午未的。
辰巳の俺の見る才能はもっとクオリア的であり、社会的威力とか無関係。

やまびこ現象によりルドルフシュタイナーの本の引用も偶然に用意できたので説明しやすい感じだが、
「植物を見る」という「世界の繋がり」によって、感覚世界の尺度を、植物が発するメッセージとして、クオリアとして実感することができた、
ということが「才能」であり、努力云々ではなく捉え方だ。

全部が「偶然」により組み立てられている「俺の論拠」こそが大いに疑われるべきだが、起きてしまったものは仕方がない、と現状追認するしかない形である。

例えば、こんな曖昧な「力」を持ちながら平然と生きることなど、隅々まで論理的な考え方の持ち主に可能であろうか?適当にならざるを得ない。

また、「才能」とは、「百発百中ということではない」ということが絶対だ。
俺の固定ツイートが「ミスタッチを恐れるな!」の本の紹介であることからも、そういう完璧主義こそが才能から遠ざかる思考の向き、ということが言える。

百発百中ではないのなら、どういうところで判別できるのか?

「確率でものを見ない」。「有るのも無いのも同じ」。「できるときもできないときもある」。「それでもあるものはある」。
無ければ、そこにあると、気がつくことは絶対に無いのだから。

一度でも気がつけることがあるのなら、ある。
自然体で「ある」を出せることがあるのなら、その色で、ある。

7737考える名無しさん:2017/05/19(金) 00:31:33 ID:ZrGGmZ1s0
なんというか、「社会性」と反発するような性質だと思う。

誰より凄い。社会でどれ位凄い。みたいな物の見方をしているときには、「才能」という、その「その人だけ」「一点物」な世界に引き込む変性意識のようなものが生まれていない。

脳科学的に「その人だけ」な意識状態を技術的に作り上げることは、特に苫米地氏のやっていることを見て、可能なのだなとは思うけど、
それでも、その引き込む魅力が天然物か人工物かは、直感的に見分けがついたりしてしまうものなのだと思う。
それを輝きの質に喩えたりメッキに喩えたり様々だが。

それでも例えば、茂木氏の草花写真を「これは偶然に草花が良い感じに咲いていただけです」と「状況」を平坦化してしまう解釈が想像できるが、その決定的瞬間を逃さなかった撮影者の感覚が「冴えている」ということなのであり、アインシュタインも思考中の決定的瞬間を逃さなかっただけで同じなわけだ。

7738考える名無しさん:2017/05/19(金) 00:35:14 ID:ZrGGmZ1s0
才能というものは、そういう意味でとても抽象的である。
タイミングを逃さない、ということだが、百発百中という意味では無い。

そのタイミングは一回性のものであり、確率を想定できるほどに何度も訪れる類いのものではない。
そして、その一回きりを逃すか否かは、的中させる上手さとは別の力。

7739考える名無しさん:2017/05/19(金) 00:43:43 ID:ZrGGmZ1s0
「偶然居合わせる能力」とでもしておくと、わかりやすいのかもしれない。

「野次馬」という存在が秘める「才能の種」とでもいうのだろうか。

いや、でも、「偶然居合わせてしまう人」っていうのは、「しょっちゅう、好機を欲して首を突っ込みまくる人」ではないと思うけれど。

ああ、そうか。「野次馬」は、「偶然、居合わせていない」。事が発生してから後に集まってきている。だから、そのタイミングが合っていない。

それを世間では「運」と呼んだりするのかもしれない。

だが、もしそれが「運」ならば、これは、開発のしようがある。開発可能だ。

7740考える名無しさん:2017/05/19(金) 00:56:54 ID:ZrGGmZ1s0
もう一つ、そのタイミングには、どうも角度が存在する。
リズム的にピタッと合っていても、入る角度・見る角度が合っていないと、やはりずれてしまう、というのがありそうだ。

職人などは、そういうのを感覚だけで理解して感覚だけで学ばせる形で徒弟制が必須になるのだろうけど、理論化可能だな。

野球のバッティングでヒットとファウルの境界線等、そのタイミングに対する時間と角度と、与える力、ということで、とても良い比喩になるのかもしれない。

しかし、例えば、路地探索中に素晴らしい草花の決定的瞬間の時と角度の捉え方を野球のバッティングに置き換えるのは無理がある。

7741考える名無しさん:2017/05/19(金) 10:31:37 ID:ZrGGmZ1s0
「才能」と「唯一神」というところまで考えが進んでいるのだが、そこから少し巻き戻して「そこに至るまでの積み重ね」を書こうとしている。
それは、逆説的に、「才能」には、こう、目にするであろう事務的反復な感じと冗長性は含まれていない、質自体が「飛躍した感じ」を備えている、とも言える。

まず最初に初期化し直す必要がある。「才能」という代物は、そんなに大それたものではない、と。
磨かなければ光らない代物であるにもかかわらず、磨く前のそれの存在が他者から確認されてしまう。
更に光ったとしても、世界ランクでどの位?等と問うのは非常に馬鹿げていると思えるほどに関係ない。

比喩として「色」で考える。
際立たせるのは絶対的特性ではなく相対的特性だ。
水色の中に白い点がある場合。黒の中に水色の点がある場合。後者の水色のほうが前者の白より際だって見える。
絶対的輝度では白の方が高い。
一方、液晶モニタに見える白は輝度が落としてあるが白と認識される。

この「際立ち」という特性、アルゴリズムを言い換えると「個性」だろう。
他と区別される隔たりを感じさせる。

「才能」とは、この相対的関係性が自己言及的に存在として認識される場合の質・形だ。

我が色=周囲の色の反対色

という式の個性があるとすると、この才能は常に最高に目立つ。

「才能」を持つ人が、最初に経験するのは、「出る杭は打たれる」、潰される経験をすることだ。
潰されたままで、ずっと表に出さないで生きていく、という場合も多くある。

「才能」という質が、「努力の積み重ねの末に、そこに至ったと存在証明している形」ではないので、空気読めない感がある。

何に対して「空気読めない」のか。

いままでコツコツと、一日1時間やったら一歩進める、という平等な基準のもと、皆で仲良く一日一歩進んでいた「輪」を作っていた人達の「空気」を読まないで、一日50歩とか見せて、台無しにしてしまう。
この空気の番人にとっては、才能よりも和の方が大切だ。

ここに、「多様性の文化」と「画一的な文化」の違いが見えてくる。

多様性とはそもそも何なのか。
その多種多様な個々が、全て世界ランク上位なのか?そういう尺度ではない。各々の輝きの色と強度は、それぞれの個体が発する形のままで、という状況を自然な状態で保存する方向性だ。

一方の「画一的な文化」は、科学の実験でまずそう初期化される「conditioned」な環境だ。

科学が画一的なのではない。そもそもの「実験」は「何の確認のため」行われる。
画一的な文化は、観測された突出や劣弱を、測定するのではなく、切り落としたり埋めたりして平坦にしようとする。

7742考える名無しさん:2017/05/19(金) 11:01:55 ID:ZrGGmZ1s0
社会的な側面から、もう一度感覚的な側面に戻る。
ウサギとカメの喩えで表したように、「才能」には、「存在自体がずるい感じ」がある。
この質は相対的だが、普遍的に誰からもそう直感的に感じ取られる。

このずるい感じは、やっかみと贔屓と、過酷な状況と特別待遇を引き寄せる。

人に才能を発見して、「それを伸ばそうとする人」、「それを潰そうとする人」、の2種類がいる。両方とも常に存在している。後者だけの環境もある。前者だけは余りない。

しかし、この2種類は更に抽象的な認識において同一であり、「その才能を放っておけない」という衝動に駆られている。

より具体的な比喩で復唱すると、
辺り一面に生い茂る緑草がある。その中に、鮮やかな色の花が一輪だけ咲いている。

この花は、十中八九摘み取られる。観賞用にしろ、緑一面を確保するためにしろ。
間を取って花壇に移動させられる。多くの場合、移動が面倒なので花壇に着く前に廃棄される。

才能というものは、この様な追い風と向かい風を吹き荒れさせる。
そんな嵐の状況の中、すくすくと育つ、という表現は、到底現実的ではない。

才能が可視化されていないカメの大地では、この様な嵐が吹き荒れていないので、障害もなく、コツコツと積み上げる行為は問題なく理論値通りに進行する。


才能は本能的に目立つから、皆、無意識で隠している、と考えられる。

無意識が隠しているのだから、意識上における人間同士の交流で、それについての正しい認識が追求されることは、まず考えられない。

故に、この議題は、議論によってではなく、各々の悟り・気づきによって触れられるしかない。

7743考える名無しさん:2017/05/19(金) 11:03:52 ID:ZrGGmZ1s0
まだ「一神教」に辿り着かないか。思考の言語化、道程の再発掘は骨が折れる。

7744考える名無しさん:2017/05/19(金) 16:26:30 ID:ZrGGmZ1s0
アマゾンで、画像のジャンルの本が沢山表示されるようになってしまい、胸焼けする。
古代文明だとか、全人生イベントか書き込まれたDNAの書き換えだとか、イエスは天皇だったとか、
著者らは社会的な地位を確保しているから頭おかしくはない、って勘違いしてるだろ、って思う。

俺も似たようなキチガイ染みたことを書いているように見えるけれど、
俺の場合は「思考」という、抽象的な概念を示す方が本体だが、それらは現存の物質や名称を根拠に何かを断言する形で、なんか違うんだよな。

この現実上の名称とか固有文明とか、どうでも良いのに。概念はいつでも生まれるのに。

7745考える名無しさん:2017/05/19(金) 17:18:45 ID:ZrGGmZ1s0
レイキと呼ばれる、気功みたいな宇宙エネルギーを使うヒーリングに用いられるシンボルの画像検索。

漢字がシンボルなのは「もう、どうでも良いんだろ…」と思うだけだが、それ以外は、音楽のト音記号、ハ音記号、四分休符、などに似ている。

これらシンボルが「固有」だとは思わないんだよな。

7746考える名無しさん:2017/05/19(金) 17:33:27 ID:ZrGGmZ1s0
でも、こういう「思考回路」になってしまうのは、全く理解できない。

むしろ、こういう意味不明な継承構造だけを、レイキ伝授の時に継承されているのではないかと思える。

俺の文脈で言えば、「概念」が主体の世界に取り込まれて己が消滅している。(己が概念の歯車に成り果てている)

7747考える名無しさん:2017/05/20(土) 11:17:59 ID:ZrGGmZ1s0
昨日からまた持病。この限度を超えた冗長性と乱発っぷりは、運気最悪年の色んな意味でのタイミングの悪さの極みと考えておく。
しかし、全身に響く激痛でも腹痛でもなく、背骨の一箇所へのピンポイントな痛み。
ヘルニアの可能性はある。関連痛だと色々厳しい。神経痛だと迷宮入りに逆戻り。

7748考える名無しさん:2017/05/20(土) 12:55:27 ID:ZrGGmZ1s0
痛みの点は、腕の付け根の高さの背骨の一点だな。
痛みの感じが外傷的なので鎮痛シップを貼ってみる。
湿布で痛み止めすると、痛みが分散しそうな予感がするが、完治よりも実験がしたい。

痛みの箇所が、15年くらい前に気功で見える接骨院のおっちゃんの指摘した箇所のままだから怖い。

7749考える名無しさん:2017/05/20(土) 13:25:32 ID:ZrGGmZ1s0
飯を食うのがだるいので、年に一度の北米からの支給品のひとつのシリアルバーの最後のひとつを消費する。

しかし、北米にいた頃の体調が良好であったのかというと、そうでもない。
年々、体調は比例グラフ的に改善している。
現状は最悪だが、現状が最も健康的な状態だ。

7750考える名無しさん:2017/05/20(土) 23:24:24 ID:ZrGGmZ1s0
ズタズタだな。予想通りに痛みは左肋骨と脇腹辺りに立体的な激痛平面を形成し、息を吸う度にズキンと虫歯や帯状疱疹の痛み。重力によりズキーンというBGMのような痛みの膜があり、呼吸の合間はズキズキと余韻の痛みが響いている。熱は37.9℃で不動。前回のツイートから毎呼吸意識が休まらない。

凄い集中力の訓練になっている。
呼吸毎に受け身を取るので、ずっと意識が忙しい。
過去10時間の間にアニメひとつ12話見終わっている。痛みながら見続けるので、ずっと車を運転中、みたいな意識状態だな。
救いがない。痛みが去るまでこの目で見届けなければいけない。そういう生を生きてきた。

痛みは、ぶっちゃけ慣れているのだが、熱による何かに感染しているようなせき立てられるようなうずめきが厳しい。

痛みの「痕跡」みたいなのが「(背中の)凝り」みたいな感じで、その疲労感を伴う身体の維持が辛いな。ズキンの痛みとの毎秒の勝負ではなく。

横になるとズキンを超える視界に星が舞うようなピカッっていう激痛が走るから、横になれない。

運気最悪年というのは、主観的苦痛の極みを目指すようだ。
キュウリの漬物が食べたくなったが無いので冷凍ブロッコリーとインゲンを酢系と塩で食べた。
内臓冷やすためにアイスを食ったら気持ち悪い。

7751考える名無しさん:2017/05/21(日) 22:55:24 ID:ZrGGmZ1s0
日本のチラシの色(原色の赤・青・黄・黒・白)の色彩が大嫌いな俺は自閉症かもしれないな。

というか、欧米には、そんな自閉症が一定数以上最初から居るから、街の景観(色彩の統一、広告看板の抑制)が整えられているのかもしれないな。
ソースの記事のリンクは次。

画像引用のソースの記事。
gendai.ismedia.jp/articles/-/516…

絶賛持病中なので、提示だけで、語り始めたりしない。

7752考える名無しさん:2017/05/21(日) 23:12:57 ID:ZrGGmZ1s0
持病中にいつもの感じの思考を展開すると氣を使い切るのか悪化する可能性が高く感じるので、書くならばどうでもいいことを書く。
キュウリの漬物とニンニクの味噌漬けを手に入れた。
冷凍のブロッコリー、インゲン、カボチャを茹でて食べたが作りすぎて食い切れず。ハッシュドポテトが妙に旨かった。

7753考える名無しさん:2017/05/23(火) 16:30:14 ID:ZrGGmZ1s0
持病回復率75%。残り25%をどう過ごすかで今までの75%が0%になったりする。
故に、これは確率等ではない。

最初の75%は無意味だ。

これは、人生において、「75%までしか行けない人」というのが居る、というのと同じだ。
「確率」の扱い方は正しいビジョンを持ってでないと。

車のギアの構造は、何かと比喩に使われる。
75%というのは、最高時速に対する割合であり、それ以外の何をも示さない。

75%時のギアで76%を目指すと、時速は上がらず、回転数が上がりノイズ(発熱もノイズと解釈される)が増えるだけで、その75%超えの行為は性能低下の兆しになる。

現在俺は、ようやく背中を地面に平行な床面に付けても激痛が走らないところまで回復した。
ここで俺が取った次なる行動は、

浄水器と浄水ポットのフィルターを新しいのに交換して、摂取する水の鮮度・純度を上げることにした。

気持ちはさながら年越しである。最悪運気月間超えに向けた準備。

何の意味があるのか。
むしろ、これは未来のためではない。
今まで気になっていた部分を、この際だから全部直しておこう、という断捨離というよりは、「次に持ち越したくない気がかりなこと」を始末する、という感じが強い。

「浮気・移り気」が主体(概念世界の本体)な「確率」、という話を回復率100%になったときにする予定。

確率というものは、人間には必要ない。
必要とするなら、「あなた」が人から捨てられる世界に、あなたが生きるという意味だ。

ということだが、まあ、今は良い。
浄水器の調整をする。

7754考える名無しさん:2017/05/23(火) 17:32:20 ID:ZrGGmZ1s0
画像引用、茂木氏のブログより。
lineblog.me/mogikenichiro/…

俺が持病続きであったここ数日?もっとか?は、人々のツイッターを確認することなく、ひたすらにアニメ12話をいくつもいくつも見続けていたのだが(痛みの期間を通り抜ける策)、

これは…(画像2な出来事)

俺が先日、認知科学分野の教授の「自閉症は障害ではない」の記事について触れた後日に、NHKで発達障害に関する番組が放送されていたのか。

何かもう、何から何まで絡み合っていて、どう紐解けば良いのかわからない。
紐解く必要はない。
が、解説するとは紐解くことになる。解説の必要はない。

一番大きいと思えるのは、茂木氏が、その何らかの「一般的な普通の人」とはずれる個人的な特性部分を負や引け目と解釈することなく、科学的に個性として認識できる基準を得た上で、その可能性を肯定的に受け入れたことで、他者(画像2)が心の内を茂木氏に伝達できるパイプが形成されたことだと思う。

いや、ここは、ψ場と呼ぶべきか。
茂木氏側からの意識のピントが合う(事象の論旨を客観的に捉え、ビジョンとして展開できる)ことで、その他者との間に関係存在が発生し、その関係存在によって、相互の伝達が意味を成す形で成立するに至った、と。

ああ、この頭の使い方をすると、また持病の激痛に襲われるのではとブレーキが掛かる感じが生まれる。
この抑制は俺には不要だ。だが、必要とする時期に自分があることを、俺が自覚しなければいけない。

あの自閉症記事の1頁めに、蝶に詳しい人を典型例に挙げてたから、これ…、と思っていたのだが

7755考える名無しさん:2017/05/23(火) 18:21:35 ID:ZrGGmZ1s0
茂木氏のブログの別記事から画像部分引用。
lineblog.me/mogikenichiro/…

持病中でもスカイプの文字チャットで元彼女と会話をしていたのだが、「こいつはまじで知恵遅れじゃないのか?UBC計算機科学出ているくせに」と、さっきまで思っていたのを少し書こうと思う。

Adobe CSのライセンスを俺は幾つか所持しているのだが、その1つを元彼女に譲渡すべく面倒な事務処理を進めている。
進めるにあたって、なんと、かなり頭を使わないと問い合わせの手段から手に入らないようにウェブサイトが素人除けの細工を施している。

それを難なく俺は突破して、必要な書類(検索でweb上で表示される物とは異なる)全てを入手し、例外ケースへの対応の事前連絡(俺の名義が例外ケース適用の目印となる)を済まし、あとはこちら側で書類に記入し郵送するだけ、という時点で、滞っている。

指示しなくても、できる人はできる。
指示したとおりにしかできない人がいる。

指示したことすらできない人がいる。
しかも、指示しないと何もしないまま。

これは状況に甘えていると見るしかないと思うのだが、
こういう時こそ、苫米地氏の鉄則である師弟関係の強制で緊張感により効率化か。

しかし、その師弟関係による効率化は、獅子座過ぎて乙女座で確立する「生き方」なので、俺が採用するにはしっくりこない。

譲渡する製品は22万円位するのだから緊張感くらい持ってくれ、と思いたいのだが、
「おまえは文盲なのか?」と思えるパフォーマンスを繰り返し見せてくれる。

ここで、俺の特性について少し書くが、「他者の視点から物を見る」ということを、幻想ではなく実際に呼べるだけの客観的な理解を得ることができる、というのがある。これをものにするには現象学的還元のような思考法に慣れる必要があり、自己を瞬間的に忘れることができる必要がある。

その後の問答で、その「文盲のような仕事」を改善することはできたのだが、どのように改善したのか、だ。

指示内容を文字通りに行うと、その仕事は完了できる。
だが、その指示内容には、事の背景や、なぜそれをするのかが書かれていない。

つまり、相手の意識のピントが指示内容にない。

しかし、指示書に「事の背景」から「指示の理由」まで全てを書くと、そんな相手は、その分厚い指示書を読む気を起こさない。「読まずにやらない」という行動が採択される。

もうひとつ、元彼女は6月からUBCの講座を取る予定であったが、それについて聞いてみたら独学でやるとか言い始めた。

この元彼女という歪にポンコツな意識体は、
「指示通りのことしかできない優等生」ではなく、「指示がなくても何でもこなす逸材」でもなく、「常に人の手によるメンテが必要な代物」である。

前者の2つは独学も可能と思う。3つめの後者だけは、学校とか家庭教師とか師匠とかが必要だ。

ていうかさ、「大の大人」でこの状態だよ。

子育てとか義務教育だとか、「親と子」「子供と大人」という分け方が、そろそろ全く意味を成さなくなる。

教育というか、生き方は、年齢で分けるのではなく、個性で分けるのが最もしっくりくるはずだ。

「多様性」とは何なのか。現代の法学的な曖昧さにとどめることなく、文学的な楽観と希望的観測に逃げることなく、科学的に、多角的に、3つ以上の描写による連立方程式の形で立体的な解釈となるように、しっかりと言葉でデッサンしながら改めて「多様性」を定義する必要性がこの現代社会にあると思う。

7756考える名無しさん:2017/05/23(火) 18:53:40 ID:ZrGGmZ1s0
持病完治前なので、深いところまで記述・考察を進めていないまま思考を閉じたりしているのだが、
「元彼女が見ていたもの」ということについて、もう少し書く必要があると思った。

元彼女が指示通り+αの力を発揮するために必要だったのは、「なぜ?」で連結された元彼女の頭の中でのビジョンだ。

ビジョンとは何なのか。
何度もこれについて書いている気がするが、手短に再度。

過去・現在・未来。ビジョンとは「未来」を「過去」化して、「現在」において「再実行」可能にする脳内疑似空間だ。

「イメージトレーニング」というのは、スポーツなどで、未来に行う様子を脳内でシミュレーションして、先に体験しておくようなものだ。

俺は去年、「アドリブ」というものについて色々考えていたのだが、結局アドリブも、引き出しの中の小ネタを繋げるだけ、というつまらない分析結果になった。

真に「未来に記述」する行為は、俺が回復率100%に至ったときに書くといった「確率を考えない生き方」にある、というところは書いておこう。

その真なる創造性に至らない、日常に発生する「単に知的な生産活動」においては、「未来を過去化する思考」が、氣の消費も少なく効率的となる。

7757考える名無しさん:2017/05/23(火) 20:42:53 ID:ZrGGmZ1s0
体調が回復傾向にあるのか食欲が湧き、一食食べると更に少し書ける状態になった。

「アドリブ」演奏というのは、そういう意味で異なる2つの意識状態を、外から見る感じ同一のものと見做してしまう困った状態にあると思う。ひとつの状態は、その引き出しから小ネタを繋ぐ意識。もうひとつはゾーン。

この心理学用語のゾーン
ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95…
以外の「アドリブ」には、俺は最初から興味が無かった。

トリックを隠すマジシャンになる気は無いし、その在り方もつまらないと思う。

それ故に、ガチの超常現象を発現させる方向にあり、やまびこ現象もそのひとつ。

だから、フレーズを沢山憶えて、あたかも魔法のような即興演奏をしているのを演出するが如くの「アドリブ」演奏法には、非常にがっかりした。

自分が既知のことを、他者に対して、あたかも未知を切り開いているかのように演出する行為には「社会的な欲求」しか、それを行う動機として読み取れない。

もうひとつの側面はある。
音楽を「コミュニケーションツール」として、ジャムセッションを行う上で、他パートのプレーヤーと「絡む」ことを主旨とする活動だ。
これが、アドリブが発生する音楽ジャンルの9割以上の「目的」だと思う。

つまり、アドリブ自体に創造的な活路は含まれていない。

一方、ごく希に、「ゾーン」としてのアドリブ演奏が発生したりする。
これが創造的な一発であり、これが歴史に新たな枝分かれの筋を描き伸ばす。

そういう意味では、このゾーン発生は「事故」であり、「世間話」を開始して終わらす、みたいなコミュニケーションには最初から必要とされていない。

最近の現代音楽の作曲には、演奏中に伴奏パートが奏でるコードもリズムもランダムに選択されて、旋律奏者が否応にもゾーンとしてのアドリブをしなければ演奏失敗となる、というような楽譜があるようだが、

うーん、作曲としてはそれは、駄目だろ、と思う。
奏者の奇跡に期待、と書けば終わる駄作。

「奇跡が発生する『場』を与えた偉大な作曲である!」と解釈するのは、
まあ、
音楽が音楽という一分野で閉じている限り、そういう「無駄」は、いつまでも続くのだろうと思う。

作曲家の仕事が、企画演出にまで裾野を広げただけじゃんっていう。
途中で奏者が倒れるイベントとか既に食傷気味。

「モーツアルトには成れない」などと諦めて発想の転換をして逃げるより、気が狂うまでモーツアルトを超えるべく、その次元で、その土俵で、作曲家は突き進むべきだと思う。

気が狂うべきだと思う。正常なままで「できませんよ」とか言ってる奴が凡人ではないわけがない。
気が狂え、と言っている。

7758考える名無しさん:2017/05/23(火) 20:47:36 ID:ZrGGmZ1s0
そして、気が狂った挙げ句、出来上がって提出された作品が、単に奇を衒ったような不快を極めるだけの作品だったりしたら、バッサリと全否定されて切られる。

こんな芸術分野の目に見えないサイクルを、どのように、より人道的&効率的&建設的な形に発展させることができるのだろうか。

7759考える名無しさん:2017/05/23(火) 20:57:11 ID:ZrGGmZ1s0
しかし、心理学における、こういうモデリングを易々と行う傾向は、良くないと思う。

右や左にも意味はある。対角線にも意味がある。円を形成することには意味がある。
そういう幾何学的に形状に先天的に内在する機能を無視しながら、その形状を使うことは、非重要部分の「捏造」を思わせるだけだ。

7760考える名無しさん:2017/05/23(火) 21:02:59 ID:ZrGGmZ1s0
論旨だけが重要ならば、下手な図で装飾(要らない部分の捏造)を行わずに論旨だけを示すべきだ。

図やシンボル化する「意味」まで考えているのか非常に疑問に思う。
現代の「シンボル」に(レイキのシンボルの様に)力が無いのは、図形自体の機能を活かしてないために意味が通らないからでは。

7761考える名無しさん:2017/05/24(水) 17:01:34 ID:ZrGGmZ1s0
人をブロックする人間(千葉)が、こういう形で「人目に付いてくる」っていうの、

うーん、動植物の繁殖のDNA的な?

同じ「左利き」でも同じ「火星座」でも、
いや、だからこそか?
そのラインでしか見えない通じない事柄についての「意見の相違」が明白にある。
(痕跡の残し方について)

画像引用。アニメ「暗殺教室より。
「暗剣殺」のイメージにぴったり。

さて、持病中に沢山アニメを見たのだが、その一番最近のものが「暗殺教室」全シーズン47話。

「やまびこ現象」も兼ねやがって、軽くうなされるような脳内情報処理が、視聴完了後から生まれる。

5月末か6月5日位に辰巳天中殺の最悪月間は終わるのだが、気学、六白金星のほうの最悪運気年と暗剣殺の雲行きは、今年いっぱい続く。全く安心できない。
画像引用のリンク。
2996.info/kaiun/episode/…

暗剣殺の定義から判断すると、我が身を切らせて現象を観測する好機。

7762考える名無しさん:2017/05/24(水) 18:05:24 ID:ZrGGmZ1s0
筋トレ1日分を終わらせて「筋力が落ちる不安」の解消を行った。

筋トレ中に食らうあの苦痛は何なのだろうか。できるだけ心拍数が上がらないように制御しているので有酸素運動の苦しさとは違う。筋肉に力が入らない辛さ。痛みの程度は低い。「無力感」という苦がくすぐったい感触として感じられる。

もう、この時期から暑さ+湿気で筋トレが大変になる。
効率を考えて、冷房の部屋で今年は筋トレをするかな。

「暑さの中でかく汗がご褒美」みたいな歪んだ精神論と気合いで乗り越える事ではないと思う。

やはりダンベルだと怪我への配慮が必要なので、一心不乱に無責任に楽しむ風にはなれない。

7763考える名無しさん:2017/05/24(水) 18:59:27 ID:ZrGGmZ1s0
元彼女「今日、書類を印刷してくるのを忘れた」

いや、俺はわかっていたんだよ。そして、先日「暗殺教室」を見て既に確信していたんだよ。
暗殺教室の語彙を用いると、
人は「見てもらうこと」を目的に、何かを習ったり教師生徒の関係を獲得しようとする。
教習内容が目的ではない。

「これは両親の責任だな。育った環境での教師との関係が原因だな」とはわかるのだけど、
さて「コーチング」をしている人達は、こういう「目的と原因」を持ったクライアントが現れたとき、一体どう対応するのだろうか。苫米地氏ならば、弟子「権利」を主張するだけの責任を果たさせるのだろうと思う。

アニメ「暗殺教室」については、ミームとして「ころ先生」遺伝子が継承されていく、などの思想構造的な読解は、とりあえず視聴しただけで全部頭にある、ということで触れない。俺として冗長。

後味として、一流少年漫画誌「編集者」の優等生な纏まりすぎる構造と、埋め込まれた「才能への劣等感」。

ゲーム「3days」の草壁遼一と美柚の関係が使われている、というのが直接当てはまるのかは定かではないが、麻枝作品「Angel Beats!」の影が見えるのは、「挿入歌の歌部分の旋律語尾が『裏拍』で音が降りるところ」で、かなり確定的である。
終わる終わる詐欺で本当に終わる系。

作品と視聴者のチキンレース、だな。

ああ、面倒くせえ。

さて、作内で「暗殺」が「戦争」と区別して定義されていた点においては、画像引用部分の俺の前ツイート部分とかなり重なる。

7764考える名無しさん:2017/05/24(水) 19:11:41 ID:ZrGGmZ1s0
京都大学総長が、式辞にボブディランの歌詞を引用したことについてJASRACが使用料仄めかし。が「論評などの目的で必要な範囲内で歌詞を「引用」する際は許諾を不要としている。」とJASRAC浅石道夫理事長は表明。
asahi.com/articles/ASK5S…
権威が突破できる可能性

7765考える名無しさん:2017/05/24(水) 19:48:07 ID:ZrGGmZ1s0
アニメ「暗殺教室」で絶対言っておかなければいけないことを思い出した。
BGM。歪みギターのやつ。
あからさまにメタリカの劣化コピーのリフで、安直なピロピロは、作ってる世代がばれるだけでなく、その「教養の深さ」の浅さが知れる。

理事長の名前が浅野だが、浅野中高レベルだろうか。

浅野中高レベルか、と思って現時点の高校ランキングを見たら全国9位とか、大変なこと(大躍進)になっていたんだな。

しかし、こう見ると、日本に存在する高校の数は、そんなに多くないんだな。

「暗殺教室」の中学は「偏差値66」とか作中で言っていたな。この辺から編集者の臭いを感じる。

ああ、もうひとつ、「暗殺教室」に感じた別ゲーム作品「大図書館の羊飼い」の影。

結構、同じ感じのエピソードが出てくる。意味不明なまでに全方位に万能なエリート校という設定も被る。

7766考える名無しさん:2017/05/24(水) 20:19:45 ID:ZrGGmZ1s0
別のアニメからの一コマ。「化物語」風な臭いポーズとカット割りで展開される推理小説愛好家らしき作者による作品。

これ、思いっきり地元圏内で気持ち悪かった。この路線図には実家方面は描かれていないが、多分俺はその「知故小学校」(偽名)卒だ。
作品の丸子商店街はキャノンに続く道だろ。

7767考える名無しさん:2017/05/25(木) 18:23:18 ID:ZrGGmZ1s0
人工知能よりも先に暴走するのは、人工知能の設計・研究をする「人工知能学会全国大会」参加大学・研究員であった。
buzzfeed.com/jp/harunayamaz…

常日頃、「法」はプログラミングで定義されるべきだと思っていたが、開発者のリテラシー開発が先に必要な感じか。

7768考える名無しさん:2017/05/25(木) 18:54:50 ID:ZrGGmZ1s0
この立命館大学の人工知能学会での発表の、「問題点の核心」は、研究の方向性が「世の中をギスギスさせる、規制・抑圧を促進する方向性」であったことだと思う。

どこかに「引け目」が生まれる「物の見方」をするときにおける使用・引用の際には、「生贄になってくれ」との事前懇願承諾獲得が必要。

そういう「空気が読めない」研究者が、アスペルガーなどの「発達障害」である可能性はあるが、そこで「発達障害ならではの空気読めなさだったか」では収まらない部分が、その「研究内容」。
その「社会的に規制を行う」という視野と意志を持った研究が、発達障害的な無頓着さではない質を感じさせる。

今回の立命館大学の人工知能学会での発表における暴走は、次の様に喩えることができる。
「共謀罪」が適用される「具体的事例」を「自動処理」するフィルタリング。

具体事例を根拠にフィルターを作成することにより、「判例」を事前に作成するという、「弁論における詭弁」的な"違反"がある。

まあ、「学会」絡みだから、英語の記事でこの問題を取り上げて、世界の舞台で「審議」されるのが、一番良いと思う。その結果、日本の大学と学会の名誉と評判とランクが下がろうが、それは自己責任であり、それこそがむしろ、当初の主義(研究の方向性)から無意識的に求めていた価値。

7769考える名無しさん:2017/05/25(木) 19:15:04 ID:ZrGGmZ1s0
この視野で議論をするには「単一分野の専門家」だけの意見では纏まらない。
「単一分野に特化」ということは、その人間が取り扱う要素において、その分野以外の要素を棚上げして考慮・計算に含まない、ということになる。
無断引用は法的には問題ない。引用しなければ論文書けない。これでは不十分。

うーん、技術的にいうのなら、「フィルタリングという発想・行為」自体が、「技術や分野を超えた影響をもたらす力の発動」ということを、それぞれの学問分野を超えた教養・モラル・リテラシーの高さで把握する必要がある。

医師免許=医師の心得取得者 という感じで フィルタリング者免許が必要。

研究者一人一人にそこまでのモラル&心得の取得は難しいというのなら、研究者のトップに、それら心得を持った人が「発表する論文のフィルタリングを行う」という、なんとも冗長的だが、人材的にはトップ1人の人数確保で済む形が最初に形成されるべきなのだろうと思う。

学会で発表されない研究では、そういうモラル・心得は必要ないのかもしれない。またそういう形で研究している企業は多いと思う。しかし、それは、「その研究は発表できない」という条件と切り離せない関係になる。
大学と企業の区別・棲み分け・これからの在り方について考えられる人が必要っぽい。

7770考える名無しさん:2017/05/25(木) 19:23:21 ID:ZrGGmZ1s0
巷の研究者達が「この引用の仕方で問題ない。それが業界の常識」という風にこの暴走を肯定するケースが考えられるが、

「今回の様に『お前(研究者)』が槍玉に挙げられない未来を創造するために、『盲目なお前(研究者)』に見えないところを、見える人が考えよう」
という話の切り方である。

7771考える名無しさん:2017/05/25(木) 19:27:09 ID:ZrGGmZ1s0
どうしたって、より色彩豊かな人が、より「介護する立場」から、物事を考え、世界を作っていかなければいけない。

「見えない人」に「見る」ことを強制することはできない。
現状の業界内の常識で完成している人達を変えることはできない。その個体はその色弱度と考え、介護しなければならない。

7772考える名無しさん:2017/05/25(木) 20:15:55 ID:ZrGGmZ1s0
現時点、現時代における人工知能の研究が「人間の認知・思考プロセス」を「機械にやらす様に翻訳する」というレベルのものであるならば、
この人工知能の研究は、研究成果を活かす方向で世の役には立たず、研究の方法論の穴を皆で批判し人工知能研究における問題点を網羅する方向で世の役に立つ段階。

「モラルカタワ」が開発した人工知能に縛られる人間生活、というのを想像すれば、その有り得なさにすぐ気がつくはずだが、

と、数日前から、事務処理方向に速さが乗り、クッションゼロの固い自己を包む皮下脂肪を持つ牡牛座の月が終わり、技術・技巧とバリエーションの双子座の月に入った。

7773考える名無しさん:2017/05/26(金) 16:48:51 ID:ZrGGmZ1s0
「一芸特化」や「専門特化」という「人生戦略」を流行させる形ではなく、この新聞記事のような事例を「教育方法」として確立を目指すような方向性だと、前者に感じる問題点を感じることなく事象を解釈できる。なぜだろう。自分で才能に気付くケース。
mainichi.jp/articles/20170…

「才能は、発掘されるまで所在不明なケース」と、「才能だけは自分でわかっているケース」がある様だ。
どちらにせよ、他者との比較、それに伴う劣等感や焦りというものが「そうでないもの」を際立たせるために常に知覚されている。

7774考える名無しさん:2017/05/26(金) 17:22:24 ID:ZrGGmZ1s0
元彼女が送ってきたリンクの動画を見ている。
ビジュアルの力は文字の力よりも強い、脳に伝達される情報の90%以上はビジュアルである、脳はイメージの処理を文字の処理より6万倍速く行う、などが語られている。
youtu.be/3t70HUShfa0
だが全部確率統計で語られる。

うーん、MBAのプレゼン、キモいな。
そしてとても幼稚に見える。しかしこれはスタンフォード大学院ofビジネス。

MBAは、やはり「発見するより詰め込まれる」暗記力を知能の下地にしている感じだな。

このプレゼンが授業内容なのか生徒のプレゼンなのかわからなくなってきた。

ビジネス脳の人が「アート」を実用利用する方向でのアプローチの仕方、を学ぶことができる。
何を「ビジネス脳」の人を「ビジネス脳」と区別するのか、は、その軍隊組織と互換性のある「知識の貯蓄法・使用法」だろうと思う。
仕組みを掘り下げたり、原理を発明したりしない。完成品を使う人達。

7775考える名無しさん:2017/05/26(金) 18:41:43 ID:ZrGGmZ1s0
リツイートについて。
指数関数的な上昇が、二次元平面上でビジュアルで示されたこの感じは、下手な現代美術よりもアートの核心を突く。
「事実は小説よりも奇なり」の例。
観測されているのがあくまで自然物理現象であることが、「我々」と「世界」の間にある「重要な関係」を仄めかす。

7776考える名無しさん:2017/05/27(土) 18:08:11 ID:ZrGGmZ1s0
持病が長いこと発生した後には、「持病疲れ」に対する「休養」が必須となり、現在は「休養中」にあたる。
休養が必要な持病って、そういう病の形って、一般に認識されているのか怪しいな。

7777考える名無しさん:2017/05/27(土) 19:25:57 ID:ZrGGmZ1s0
スーパーで、白身魚のタルタルソースを買おうかと迷った挙げ句、漬物・ポテトサラダ・コールスロー千切り野菜を買うに至った。

無意識的にベジタリアン化が進んでいるようで懐疑する。

大体は、持病発生直前に食べたものを避ける形になっているのだが、俺としてはカリッとしたフライが食べたい。

持病→休養期間は、アニメ・ゲーム三昧なのだが、自分でコンセプトを決めた上で比較視聴を行い、各々の存在価値を吟味する。
例えば、「けいおん!」の亜種として「ばくおん!」「バンドリ」を比較視聴した。知恵遅れがリードという部分を軸に、どこまで模倣し、何を付け加えているのかを比較した。

次に「坂本ですが」「はんだくん」「田中くんはいつもけだるげ」の比較視聴。
漠然と主人公の名字が作品タイトル、ということはすぐにわかるが、それは一体どういうことなのか。
個性的なキャラひとつだけで話が尽きない世界の描き方。そこから、切り離せない脇役の機能と役割を比較する。

7778考える名無しさん:2017/05/27(土) 20:34:35 ID:ZrGGmZ1s0
>人はPCよりもスマホを使っている時の方が論理的? 英大学の研究
pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1061…

論理的思考を行う機会・割合・時間が増えるかどうか、を、それだけで結論するのは短絡だ。

なんでだろう。科学者って視野が狭いのかも知れない。

次に俺の見解を書く。

ただでさえ残念な知能の元彼女の書く文章の移り変わり(PC→スマホ)を観察しながら考えていたことがある。
結果として、元彼女の書く文章はスマホによって、より知能が落ち、文法が崩壊し、仕事を任せられるような信頼性は格段に落ちた。
これは、スマホという入力機器の持つ「抵抗値」の高さ故。

>同じ状況について意思決定を行なう場合でも、使用するデバイスによって下す判断が異なってくる可能性があるという結論付けられた。
pc.watch.impress.co.jp/docs/news/1061…

違う。
スマホという入力機器が意思伝達における高い抵抗値を持つので、意識は入力前段の思考活動に向かう。

なんか、バカでも博士とか研究者とかになれるこの社会、現代の地球人類の水準というものに、苛立ちと、手の付け様のなさを感じ、非常に悶々とする。

これだから俺が学歴を極めて直接切り込こみたいという願望が生まれる。
しかし、そういうアプローチではないやり方を模索するのが俺の使命っぽい。

苫米地氏の語彙を使うと、
「スマホを使って会話する人」は、「酒を飲んでいる人」と同じくらいにIQが下がる。

ただ、酒との違いは、
酒の場合は、思考も反応性も揃って落ちるが、スマホの場合には、反応性の部分が著しく落ち、使用者の人格を擬似的に「内気な感じ」にする。口下手になる。

現在俺は「休養中」モードなので超常的な力や霊的な目に見えない「偶然を紡ぐ触手」を発生させていない。
とても平々凡々とした境地から考え、語っている。

何ていうのかな。実験による実証任せな研究が多すぎるのではないだろうか。
仮説の構築にもっと頭を使って、意味ある説を立てるべきでは?

7779考える名無しさん:2017/05/27(土) 21:00:32 ID:ZrGGmZ1s0
苫米地氏の語彙〜書き出しツイートについて。
ああ、もしかしてRESPONSIVENESSの意味を「反応性」と書いたことで「反射的に反応できる度合い」と勘違いされた可能性が高いな。
この英英辞典の語義2を意味したのだが、まあ、元々本文脈に関わる指摘ではなかったのでそれはそれでよし。

7780考える名無しさん:2017/05/28(日) 00:35:00 ID:ZrGGmZ1s0
画像引用最終行。
>迂闊に飛び込まないほうがいいかもしれない。

リンクは、画像打ち消しを避けて次ツイートへ。

儲かるネタは広めたくない記者(+記者の周辺の投資家)の心が最終行に現れている。

ちなみに今日は、1BTC=$2000まで下がった。

画像引用のリンク先。
nikkan-gendai.com/articles/view/…

ビットコインについては、1BTC=6000円の頃から目を付けていて、Mt.Goxの詐欺に煮え湯を飲まされたという話は何度もしているが、
その「不当に負かされた腹立たしさ」への逆襲計画は立ててあり、進行中だ。

逆襲とはいえ、災いをもたらした者を襲うという意味ではない。
そういう「屑な中間業者抜き」の形を、徐々に構築していっている。

ただ、そういう透明性のある土俵では、世界トップの金持ちの展開方法も具体的に把握できるので、こちらは本当に個人レベルの頑張りしか出来ないことを思い知る。

絶対に、100億円くらいを自由に使える環境にならないと、碌なことが出来ない。

先日のカオス振り子の動画検証ではないけれど、この現実社会上で、何か事業なりを展開するときに、ある一定の規模以上になると勝つことしか出来ない確率変動した状況が発生する。

金持ちは「それ」をやっている。


単純計算してみたら、現在、その筋で世界トップの金持ちは、PC(サーバー)2023台、恐らくradeonのビデオカード合計で8096個を同時に稼働させている。

アホだろ。個人が手がける規模ではない。自治体とか国とか企業とかが組織ぐるみで利益一極集中させる形。

7781考える名無しさん:2017/05/28(日) 05:32:41 ID:ZrGGmZ1s0
この画面キャプチャはもう20分以上前のものだが、
ところで、俺は「偶然」原理主義とでも呼べるような変な価値観で生きている。
この世界の中の色々なものに対して「偶然」が存在しているものを本筋に置くというような、まるで端から見ると「何を考えているのかわからない気分屋」なところがある。

「果報は寝て待て」ということわざを、この「偶然」世界の解説として、本来の意味とは異なった解釈をすると、
例えば24時間ずっと果報の通知があるかどうかを5分毎に自分で確認しているような意識だと、その果報の存在を認識できない。果報は「絶妙のタイミングでやってきた感」の有無で識別する。

「果報確認の意識」を「人間関係における他者への気遣い」に応用して解釈する。
人に合わせてばかりいる人は、本来自分が居たであろう場所がわからなくなり(まるで方位磁石が狂ってしまって戻り方がわからなくなってしまって)、迷走状態から抜け出せない。

他者に合わすのをやめて、全てを手放して、あるがままの自分で、それでも「偶然」タイミングや歩調、進行方向、波長が合ったりするものがある。
それらが「偶然」世界における「基礎」なのだと思う。

現代社会における社会生活上の基礎作りとは違う次元で、積み重ねられていく「偶然」がある。

7782考える名無しさん:2017/05/28(日) 21:05:09 ID:ZrGGmZ1s0
こっちの記事について何か書こうとしたが、
newsphere.jp/national/20170…
(ソースも論じる内容も結構くだらないので)やっぱりやめて、

こちらから引用。
wired.jp/2017/05/28/fut…
>AlphaGoは、4,000年とされる囲碁の歴史に大きなインパクトを残し、別のステージに進むことになる。これは、AlphaGoを開発したDeepMindの理念が「人間の知性を解明する」ことであり
囲碁はその過程

そこで俺は思うのだが、先のくだらない記事の論文原本にまで遡って再解釈して抽出したこと「懐疑することの有効性」が直接活きるわけだが、

俺は、先日、人工知能が囲碁の完全勝利が確定した話を聞いた瞬間から、「人工知能が勝てなくなる(囲碁や将棋への)追加新ルールの内容」を考えていた。

「人工知能が勝てなくなる新ルール」の話は置いておき、
囲碁で勝利した人工知能の開発者の理念が「人間の知性を解明すること」であるわけだが、
このままこの人工知能が囲碁的に解明を進めると、先の論文の言う「悲観性」(worry)からの逆境での強さを手に入れられないと思う。

人間は、不意打ちやいかさまで勝つ。
これは何を意味するのだろうか。

その「勝負」自体が「リアルではない」ということが、人間の本能だか知識の奥底に記されている。
宗教的な洗脳は、その「リアル」に対して「本当のリアル」を想定させ、「リアル基準」で下手を打てない形に持ち込む応用技だ。

例えば、言語は人格を作る、と言われるが、これはどういうことなのだろうか。

では、「詩的表現」とは何なのだろうか。

言語としての正常な伝達を蔑ろにしてまで、その言語で表現されようとするものは一体何なのだろうか。

囲碁は言語であり、試合中は囲碁で詩を奏でない。

7783考える名無しさん:2017/05/28(日) 21:10:29 ID:ZrGGmZ1s0
辰巳天中殺の最悪月間を抜けるまでは休養の意識で行くつもりだったので、少し足を踏み入れすぎた。
自然と深みに引っ張られてしまうので、気をつけなければいけない。(持病にならないだけの気力を貯めるために)

7784考える名無しさん:2017/05/29(月) 23:14:03 ID:ZrGGmZ1s0
アニメ「ReLIFE」を全13話視聴した。これ作者、女だな、というのがまず気がつく。
6話辺りでなんか嫌な流れの淀みを感じ、その不安はその後募り続け、最終話でメインヒロインも10歳若返りした大人の女性であることが判明。
無意識領域にグロさを植え付けられない男視聴者は居ないと思う。

たしかこの作品は、外国のアニメオタクの選ぶ1番の作品だったはず。
ここから俺特有の「吐き気」が。
外国人の、あの純情そうな真っ直ぐなポジティブな意志・意識・雰囲気、というものに、若干、トラウマというか、これもある種の「グロさ」を感じている。日本人とは違う部分で地に足ついていない。

なんなのだろう、この作品は。

まず、男視点と女視点は非常に簡単に区別・定義できる。

男視点の見方は「スポットライト」だ。だから主人公の俺tuee等流行る。
女視点、思春期以降の女性としておこうか。
こちらは「画面そこら中に視覚刺激がキラキラと散りばめられている感じ」。

具体的な例で言うと
鏡面仕立ての金の延べ棒に「おお!」と見入るのが男的。
なんか米粒よりも小さい宝石が一面に散りばめられたものに「可愛い!」と反応するのが女的。

体長20cmの虫1匹が音もなく壁に貼り付いているのを見て恐怖するのが男的。
蠢く30匹の小型Gに絶叫するのが女的。

relife作品における「意図された見方」を把握するために、まずはその「要素散りばめ」の女視点を土台に現象学的還元を行う。

それにより、物語の中心は赤髪女と黄髪男のリアル高校生であり、主人公・ヒロイン・その他は、その中心を囲む様に散りばめられている形が見える。

その「10歳年下の若者を応援する構図」が確立した上で、応援している主人公自身にも「春が来る」(スポットライトが当たる)という風に話は進み、そのタイミングで「春の相手のヒロインは、実は+10歳の大人の女性でした」という

男心理としては「ネカマ詐欺」的真実が明かされる。

しかし、ここは、女性の心理として物語を追うべきであり、女視聴者は、その女子高生の姿をした+10歳の女性の方に感情移入している可能性が大いに考えられ、
物語として+10歳が確定として告げられた後、同じく中身は+10歳の主人公男との繋がりが、より深いものに感じられる、という仕組み。

何だかよくわからんが、「女性の魅力は、その女性が群れないときに現れる」、ということが言えると思う。

女というのは、何が何でもどんなときでも、その「リアル自己」が主人公であるため、自分側、つまり仲間を沢山連ねた状態での意志や主張というのは、妥協案にもならない曇ったものになる感じ。

群れ云々は作品とは無関係な普遍的な言及なのだが、作品に戻ると、
もう一人の+10歳の女性、仕掛け人後輩の杏の存在意義。

このキャラは「機能的には」必要ない感じがある。だが、このキャラが「繋いでいる」部分がある。

それが「女性らしさ」なのだと思う。

7785考える名無しさん:2017/05/29(月) 23:22:03 ID:ZrGGmZ1s0
「女性らしさ」の尊重、という方向性は、個性を重んじる多様性の方向であり、
男女平等の方向性とも、男尊女卑・女尊男卑の方向性とも異なる。

区別しないと、違いの旨味を味わえない。

が、これにはこれで、例えば戦士・僧侶・魔法使いと分業する(クラス)階級制度の問題が残る。

7786考える名無しさん:2017/05/29(月) 23:25:54 ID:ZrGGmZ1s0
分業の問題は、人(相手)のことを「役割」としか見なくなることだろうと思う。
例えば「戦士」クラスの募集が掛けられているとする。

ここで見られるのは「戦士」としての良さだけだ。
その個人の良さは比較・競争の上で、二の次か、最悪考慮されない。
戦士でなくても「ドラム」募集でも同じ。

7787考える名無しさん:2017/05/29(月) 23:40:49 ID:ZrGGmZ1s0
今日の流行はフライドポテトなのか。
news.livedoor.com/article/detail…
アニメ「ReLIFE」読解にも関係する「大人になりなさい」な意識について俺の私見を書くと、
俺の場合はこういうふざけた上司等がいたらシメる(会社も余裕で辞める)ので、俺には縁のない系の悩み。

7788考える名無しさん:2017/05/30(火) 00:00:31 ID:ZrGGmZ1s0
そういう「縁も要らない上司」という人間と遭遇する自己の計画に問題がある。
その方向で計算を進めると、「自分に縁のない『赤の他人の会社』に就職しようと考える人間が浅はかである」という結論になる。

何を考えて、無縁な人間に養ってもらおうとしているのか。それは恐ろしく危険な綱渡りだ。

7789考える名無しさん:2017/05/30(火) 00:33:49 ID:ZrGGmZ1s0
では、血縁だけが非「赤の他人」なのか?と問える。
「ミーム」という語・概念は、生物学的な遺伝ではない形、主に社会的影響や知識伝播等、情報空間を通して遺伝が発生するという時に使われることが多々あるが、

情報空間。これをどれだけリアルな異次元として認識しているか、だろうか。

インターネット黎明期よりも前、携帯電話もネットもなかった時代を知っている人の中に「脳内に疑似視覚的に見える情報空間の明るさ」を現実として感知している人はどれくらい存在するだろうか。

今の時代、情報空間は、ネオンみたいなのが点いていていつも明るい。
以前、この空間は真っ暗だった。

情報空間が真っ暗だと、リアル現実の明るさだけを頼りに歩くことになる。
リアル現実の灯火は点々としていて、一つの明かりが次の明かりまでを照らさない。
次の明かりに行くまでに一度暗闇空間を通過する。田舎の駅を通過する夜の電車の様に。
情報空間が暗かった時、リアルは一つずつ閉じていた。

ネット常時接続によって、情報空間は明るくなったのだが、この空間での明るさは、リアルの電灯とは異なり、連続して空間全域を照らす。

それ故に、どんな末端にいる個人でも、世界トップの様子が目に入り、空間という環境が、届かない相手までの距離を物理的に表すことがなくなった。

リアル現実では、届かない相手までの間には長い距離があり、それだけの距離があると、自分の頭上の電灯は、そこまでを照らさない。故に、届かない相手の方向には暗闇だけが見えていて、その相手は目に見えない。

つまりは、その時代までは、環境自体が、自己の無意識による防衛の機能を担っていた。

ネット通販の普及により、リアル現実の小売店の売り上げが落ちるというのも、この明るさのことと関係しており、嘗てリアル店舗が売り上げを上げられた理由は、リアル現実における電灯の明るさが照らせる範囲が物理空間内で限定的であったためだ。反動として、店舗でネット価格を提示すると嫌がられる。

リアルの利点は無いのか?というと「物理的限界」という独特な制限値を絶対視することにより発生する「縁」というものがある。

異性と知り合った、と言っても、結局はこの制約内での締結となる。全世界の異性全員を吟味した結果ではない。この縁を有効利用しているのが地元に支持される政治家だな。

で、今俺は、情報空間における「縁」の形を考えている。

7790考える名無しさん:2017/05/30(火) 02:28:20 ID:ZrGGmZ1s0
先月、茂木氏が松本人志の番組に出演した際に、「中間管理職的な芸人」ではなく「スポンサーの意向に従う番組制作側と放送局側」の仕切り方が「オワコン」だ、ということで一度話はついていたと思うのに、なぜ芸人宛でこの件が再燃しているのだろう?
nikkansports.com/entertainment/…

ウィキペディアみたいな形で、様々な「議論の行く末」を「議題」ごとに正確に記載していく非営利サイトがあると良いと思う。
項目具体例としては「お笑い芸人オワコン議論」という項目で「茂木氏が番組で松本氏と、これこれという段階までの共通認識を得た」という様なことを記載しておくサイト。

「番組を見てなかった奴が遅れてる」だとか、もうそういう視聴者同士の競い合いは不毛。
人々が、議題の背景探索から消費していては、人的リソースの無駄使い。

誰もが常に、最先端の「議題&論点」に対して頭を使えるような「環境作り」がなされると良い。これも世界創造のひとつの歩み。

同時に、
例えば、井戸端会議には花を咲かせるが、真剣な議題には意見を持てない出せない、という一般人にありがちな現象の改善を考える必要がある。

これは、気功の氣が関わっていると思うんだよね。

強い意志と形ある主張というのは、喉元過ぎて頭の方まで氣がすんなり通らないと作れない。

逆とも言えるかもしれない。
頭の方から喉元過ぎて身体の下の方まで氣が通らないと、芯のある考えとして、その情報空間内の主張を固形のまま保っておけない。

健康とか病にならないとか、そういうのどうでも良いから、思考力アップのための気功の氣の捉え方みたいなのは、もっと普及すべきと思う。

7791考える名無しさん:2017/05/30(火) 02:55:56 ID:ZrGGmZ1s0
憶測の域を出ないが、出ている情報だけから読み解くと、
biz-journal.jp/gj/2017/05/pos…
「オリラジによる松本氏へ謝らない意思表示」は、こちらの松本氏の「番組」の失態を体よく「しめしを付ける」ための推進力なのかもしれない。
松本人志が立つ瀬が無く番組を閉じるシナリオ。


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