したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

(´・_ゝ・`)白天、氷華を希うようです('、`*川

153名無しさん:2024/04/04(木) 00:09:29 ID:kBWnHJag0


(´ _ゝ `)「僕、どっかのクソ生意気な後輩と違って法律には詳しくないんだけどさ」

(´ _ゝ `)「暴行罪って、未遂の処罰規定、あるんだっけ?」


予期していた衝撃は、いつまで経ってもこなかった。
そして、まるでその代わりだとでもいうように、予期していなかった声が聞こえた。


(´・_ゝ・`)「…まぁ、でも、多分、伊藤にも非はあるんだろうな」

(´・_ゝ・`)「相変わらず、優等生のフリして意味分かんないことするよなぁ、お前は」


恐る恐る目を開ける。天井の明かりが、誰かの背に隠れている。
一番会いたくなかった人が、呆れた目で私を見降ろしていた。

154名無しさん:2024/04/04(木) 00:12:07 ID:kBWnHJag0

('、`;川「…………しゃ、ちょう?」

(´・_ゝ・`)「他の誰かに見えるのか、酔っ払い」

目をパチパチと瞬かせるも、眼前の景色はまるで変わらない。
もう十年以上毎日見ていて、ここ十数日一度も見ていなかった顔がそこにあった。

いつ入ってきたのか。いつから居たのか。
いや、そもそもどうしてここに来たのか。まさか、私を探しに来たのか。
無数の疑問符が脳内を踊り出す。だが、私の口から何か言葉が出るよりも、周囲が騒然となる方が早かった。

<(' _';<人ノ「えっ、盛岡デミタス!?本物!?」

リハ;´∀`ノゝ「うっわ…雑誌とかテレビで見るまんまじゃん、やば…!」

¥・∀・;¥「も、盛岡くん…!?」

(´・_ゝ・`)「やぁマニーさん、お久しぶりです、僕から奪ったテーブルたちを使って営む飲食業は順調ですか?」

¥・∀・;¥「あ、あぁ久しぶり…いや奪ってないよ!君が2年以上も買い渋ってたのが悪いんでしょ!?」

(´・_ゝ・`)「その2年にも渡る深慮を台無しにしたのが貴方だ。あぁ、もし経営が難しくなったすぐにご相談を。つい最近コンサル事業も立ち上げたばかりでしてね…」

¥・∀・;¥「えっまさかの営業トーク!?この状況で!?怖っ!!」

155名無しさん:2024/04/04(木) 00:13:29 ID:kBWnHJag0

魂を抜かれたように呆けた私やざわざわとし始めた周りの人たちも気にせず、社長はマニーさん相手に笑顔で話を始めようとする。
この二人、面識あったのか。いや、そういえばここを教えてくれたのはデルタ君だ。そりゃあ繋がりがあって当然か。
当事者である私まで、呑気にそんなことを考える始末。だが、無論そんな歪な状況がいつまでも続くはずがない。

( ∀ #)「―――おいっ!!」

事実、社長の流れるような営業トークは、とある怒号によって中断された。

(・∀ ・#)「なに俺のこと無視して喋ってんだよ!!これが見えてねぇのか!!あぁ!?」

斎藤さんが自らの服を見せつけるように引っ張ってみせる。
シャツの袖や彼の前髪からは未だにポタポタと雫が零れているのが伺えた。

(・∀ ・#)「そこの女…おたくの社員がさぁ、いきなり水ぶっかけてきたんだよ!!」

(・∀ ・#)「部下の責任は上司の責任だよなぁ!!一体、どう落とし前つけてくれる――」

(´・_ゝ・`)「…えっ、まだいたのか君?」

まるで、下校チャイムがなったのにまだ校内にいる生徒を見つけた教師のような。
朝の登校中に見かけた猫が、その日の夕方の下校中にもいた時のような。
そんな、本当になんでもないことのような声色だった。

156名無しさん:2024/04/04(木) 00:14:21 ID:kBWnHJag0

(・∀ ・;)「………は?」

(´・_ゝ・`)「普通、人を殴ろうとしていたところを見られたらすぐに謝るか、面倒ごとになる前にさっさと立ち去るものだと思うんだが…変わった人だな」

(´・_ゝ・`)「あぁ、まさか僕に何か用なのか?仕事の話ならちゃんとアポをとってから後日に頼む。僕には今から個人的かつ、とてもとても大事な用があるんだ」

至って平坦な音程の声が店に響く。
私とマニーさん、そして周りの人たちの顔はどんどん青白くなり、それらと反比例するみたいに斎藤さんの顔は更に赤くなる。
そんな中、社長の顔色だけは一切変化がないのが、殊の外奇妙に思えた。

(・∀ ・;#)「ふっ……ふっっざけんな!!」

予想通りの裂帛が沈黙を破った。

157名無しさん:2024/04/04(木) 00:16:39 ID:kBWnHJag0

(・∀ ・;#)「ざけんなよマジで!!ありえねぇ、ありえねぇ!!はぁ!!お、お前、おかしいだろオイ!!いきなり水ぶっかけて、そんで、そんで…はぁ!?」

(´・_ゝ・`)「初対面の人にお前って言うのも中々ありえないと思うが」

(・∀ ・#)「しょ、初対面だと…!?」

(´・_ゝ・`)「……あ、もしかして話したことあった?しまったな、やっぱりデルタも連れてくるべきだった。今のナシで」

今にも殴りかかってきそうなほどに興奮している彼とは対照的に、社長は心底面倒そうな表情を隠そうともしないまま頬をポリポリと掻くのみ。
相手の反応は当然である。私でも、あんな風に煽られたら正気を保てる自信はない。

(´・_ゝ・`)「しかしそうか…変な人じゃなくて、単に知能とプライドが釣り合ってないタイプか。本当、どこにでもいるなぁ君みたいなの。量産型か?」

(・∀ ・#)「う、訴える、訴える!!裁判だ裁判!!お前の会社ごと訴えてやる!!マジだぞ、マジでやってやる!!」

(´・_ゝ・`)「何を理由に訴えるんだ?」

間髪を入れない社長の言葉に、斎藤さんの勢いがほんの一瞬だけ止まる。
だが、すぐにまた彼は再び大声で怒鳴り始めた。

158名無しさん:2024/04/04(木) 00:17:38 ID:kBWnHJag0

(・∀ ・#)「だから…見て分かんねぇのか!?水かけられて、何十万もするブランド物のスーツもずぶ濡れだ!!どうしてくれるっていう話を…!」

(´・_ゝ・`)「いや、それそんな大した値段しないだろ。見れば分かる。そもそもかかったのって只の水だろう?」

(´・_ゝ・`)「仮に金銭で解決するとしても精々クリーニング代の数千円だ。それをどうして数十万なんて額に増やしたんだ?どういう計算なんだ?」

(・∀ ・#)「……ッ!あ、あれだ、損害賠償――」

(´・_ゝ・`)「それなら尚の事、今この場で主張して支払いを要求するものじゃないだろう。…まさか、それを踏まえた上で大声で“訴訟”と口にしたのか?脅迫や名誉棄損とかのリスクを考えず?社会人なのに?嘘だろ?」

何を言われても、社長の声のトーンは微塵も変化がみられない。
それは一企業の束ねる経営者の冷静な声というよりも、駄々をこねる幼稚園児を諭すような、そんな声色をしていた。

159名無しさん:2024/04/04(木) 00:18:23 ID:kBWnHJag0

(・∀ ・;#)「じゃ、じゃあ、いきなりその女が俺に喧嘩売ってきたのは、どう言い訳すんだよ!?あぁ!?」

(・∀ ・;#)「な、なぁお前ら!!見てたよな!?なぁ!!」

怒号と共に後ろを振り向き、一緒に来ていた人たちを睨みつける。
いきなり話を振られた彼らはオロオロとしながらも、首を縦に振ろうとする者は一人もいなかった。

(´・_ゝ・`)「…あぁ君たち、無理に話合わせなくていいよ。正直、ここに居るのもしんどいでしょ」

(´・_ゝ・`)「大丈夫。そのあたりは、店にあるカメラ見せてもらえばいい話だから」

さらっと言った社長の言葉を聞いて、斎藤さんは汗を浮かべてままマニーさんの方を見た。

¥・∀・;¥「……え、カメラあるって教えたことあるっけ?」

(´・_ゝ・`)「入口と、カウンターの奥に見つけ辛いけどあるでしょ。あれ、昔うちでも導入してたことあるんだ。映像だけじゃなくて音声も拾ってくれるヤツ。レンタル料高くてすぐ外したけど」

(´・_ゝ・`)「ある程度余裕がある個人の飲食経営者が、カメラの一つや二つ、店に置いてない方がおかしいでしょ。必要になったら後で見せてくれ」

¥・∀・;¥「全部バレてる!?会社経営者って皆こんななの!?怖っ!出禁!!」

世間話をする時のノリで話す二人と、さっきまでの勢いがすっかり無くなってしまった斎藤さんという構図が、いやにアンバランスに視界に映る。
また二言三言会話をした後、「あ、そうだ」と思い出したように社長は私の方を向いた。

160名無しさん:2024/04/04(木) 00:19:41 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「…で、なんでお前は水なんてかけたんだ」

( 、 ;川「……っ」

何を考えているのか分からない双眸が、真直ぐにこちらを射抜いた。
気が抜けていた私は即妙に返事をすることが出来ず、口を真一文字に閉じながら目を逸らす。
意地を張った訳ではない。純粋に、どう答えていいか分からなかったのだ。
いきなり会社を辞め、暴言を吐いて逃げた元部下がどの口で「貴方の悪口を言われたから」などとほざくのか。

(´・_ゝ・`)「だんまりか。まぁ、ある程度は予測がつくが」

(´・_ゝ・`)「…さて、君の望む通りに事を進めたら君が不利になりそうだけど、どうする?まだやる?」

( ∀ ;#)「……ッ」

一瞬だけ呆れたような目をした後、私から斎藤さんへと視線が移される。
斎藤さんの後ろでは既に同僚らしき人たちは気まずさを通りこしてやや苛々しているようにも見える。
知り合いたちの前で水をかけられ、挙句に先ほどまでこき下ろしていた本人にここまで理屈詰めされては立つ瀬がないだろう。ほんの少しだが同情する。

161名無しさん:2024/04/04(木) 00:21:52 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「君が失礼をした。それに対して伊藤も失礼をした。それであいこだ。それなのに、君は相場以上の見返りが自分に来ることを期待してる。仮に上手くいったとしたって、別に君自身の人生が劇的に変わる訳でも、救われる訳でもないのに」

(´・_ゝ・`)「君さぁ、もう二十代後半とか、それなりの年齢だろ?それなりに生きてるだろ?なのに何故こんな詰まらないことに拘るんだ?何の根拠もない他人の悪口を外で言うなんて、ダメなことだって知らないのか?」

(´・_ゝ・`)「教えてくれる人がいなかったのか、それを理解できない頭を持って生まれたのか、どちらにせよ可哀そうだな」

(´・_ゝ・`)「…僕も伊藤に会うまでは、周りから君みたいに見られてたのか。なるほど、ぞっとする」

社長の視線は既に私にはない。ここからでは彼の目の色は伺えないし顔も見れない。
それでも、只の声色だけで十分なくらい、彼の声には気の毒なまでの憐憫の情が含まれているのが分かる。

彼は挑発で言っている訳でも、ましてや真っ青な顔をしている男性を馬鹿にしている訳でもない。
本当に心から、”救えない”と、”どうでもいい”と思っているのだ。いっそただ馬鹿にされた方が、素直に見下された方が斎藤さんにとってはよっぽど楽だったろうに。

162名無しさん:2024/04/04(木) 00:22:19 ID:kBWnHJag0

(・∀ ・;#)「ば、馬鹿にしてんのか!?お、お前、いい加減に――!!」

(´ _ゝ `)「いい加減にするのはそっちだろう」

声の温度が一気に低くなった。
同時に、ずっと前のめりだった斎藤さんがほんの少しだけ後ずさる。

バーの中は外と違って暖かく、適切な温度に保たれている。それは社長がやってきた前と今とで変わりはない筈なのに。
社長の声のトーンが一変したと同時に、空調全てが壊れたのではないかと錯覚するほどに。
それほどに底冷えする空気が一気に部屋の中を満たしていった。

(´ _ゝ `)「僕はな、これから恐ろしく難しい交渉に臨むんだ。今までやった、国や政治家、大手企業の役員共を相手にした商談が、飯事に思えるくらいの交渉だ」

(´ _ゝ `)「なにせ相手が相手だ。この僕…あらゆる才能や環境に恵まれた僕ですら一度も勝てない相手。もちろん、相応の準備も、覚悟もしてここに来た」

(´ _ゝ `)「それを、自分にも非があるような詰まらないことで、やれ謝罪だの訴訟だのほざく蒙昧に邪魔された僕の気持ちが分かるか?なぁ?」

心臓がキュっとなるような低い声。少なくとも、私には今まで一度たりとも向けられたことのないタイプの怒り。
社長が一歩踏み出す。それに応じて斎藤さんは後ろに退く。
斎藤さんの口は開いたまま、そこからは言語化された声など一切発される様子はない。

163名無しさん:2024/04/04(木) 00:23:10 ID:kBWnHJag0

(´ _ゝ `)「…隠し通すつもりだったけどな、結構いま、怒ってるんだ、僕は」

(´ _ゝ `)「お前みたいな取るに足らない凡百が、僕が決めた予定を邪魔した。それだけならまだいい。今の僕なら笑って水に流せる」

(´ _ゝ `)「…でもお前、なんで伊藤に強く出たんだ?伊藤には暴力を振るおうとしてたのに、僕には口だけで、何もしようとしないよな?なんでだ?」

(´ _ゝ `)「まさかとは思うが、こいつを下に見てたりしないよな?この僕ですら一度も勝てないこいつを、僕ですら百点取れなかったテストで百点が取れるこいつを、お前如きが?なぁ?」

(・∀ ・ill)「い、いや……そ、そ、その、ちが」

(´ _ゝ `)「違うのか?違うなら何だ?どういう理由で、どういう了見でこいつを殴ろうとしたんだ?お前は、こいつに暴力を振るえる理由か立場があるのか?こいつの何を知ってるんだ?」

( ∀ ill)「……す、みま、せん、その、ちょっと、まちが、ったっていうか、その」

(´ _ゝ `)「”間違った”?」

低音が響くと同時に、店内にいる人間が全員肩を震わせた。

164名無しさん:2024/04/04(木) 00:24:19 ID:kBWnHJag0

誰でも分かる。今に至るまでに斎藤さんが口にした言葉の中で、それは間違いなく一番の失言だった。
彼の口から訂正や謝罪の言葉は出ず、ただただ恐怖の息が漏れるのみ。
社長に守られている立場の私ですら、今すぐここから逃げ出したいと願ってしまうほどのプレッシャー。

(´・_ゝ・`)「伊藤、こいつはどこの誰だ」

('、`;川「えっ…?」

こちらに振り向かれることはなく、怒りの滲んだ声だけがかけられる。
いきなりの呼び声に上手く反応できないでいると、社長は苛立ちを隠そうともしないまま話を続けた。

(´・_ゝ・`)「こいつ、僕と会ったことがあるってことは、うちと何か関係のある会社の人間なんだろう」

(´・_ゝ・`)「”間違え”でお前を…うちの社員を殴ろうとするような奴がいるトコとなんて取引できるか。どんなメリットがあっても願い下げだ。」

(´・_ゝ・`)「お前、覚えてるんだろ。こいつは誰だ、言え」

165名無しさん:2024/04/04(木) 00:24:51 ID:kBWnHJag0

暖房が効いている筈の部屋の中だというのに、一滴の冷や汗が首筋を流れた。

もはや斎藤さんの顔色は悪いとか青いを通り越して、雪を思わせるように白い。
死刑宣告を裁判官から言い渡された被告人のような、人生の崖際に立たされたような、恐ろしく気の毒な表情をしている。

どうしよう。どうすればいいのか。
どうするのが正解なのか、何がこの場の模範解答なのか、どうすれば100点なのか。
私が彼のことを覚えているのは、もう彼らに知られている。さっき私は斎藤さんの名前を口に出し、更に言えば、彼がうちに来た時の話まである程度鮮明に喋ってしまった。

(´・_ゝ・`)「おい、どうした。何を黙ってる」

考えがまだ纏まっていないところに促しの声をかけられる。
ちらりと社長の向こう側を見る。斎藤さんは、今にも泣きそうな顔をして下を向いている。

166名無しさん:2024/04/04(木) 00:25:27 ID:kBWnHJag0

( 、 ;川(……”知らない”って、言ってしまえば…)

口を開こうとして、そのまま何も発さずに閉じ、心の中で首を横に振る。
社長のことだ。私がここでその場しのぎの嘘を吐いたところで、彼はきっと今日のうちにも斎藤さんのことを調べ上げるに違いない。
そして、斎藤さんを原因として彼がいた会社を非難し、契約を切る。そうなれば、斎藤さんが置かれる立場や受ける叱責は想像に難くない。

社長が生半可な処置で終わらせる訳がない。
ただ自分を馬鹿にされただけなら笑って終わらせるだろうが、その矛先が自分の会社や従業員に向かうとなれば話は別だ。
不確定要素が詰まった不安の種を、彼が摘まない訳がない。徹底的に、根も種も、なんなら土ごと掘り返す。そういう人だ。

正直に言ってしまおうか。焦りにまみれた思考の中で、そんな考えがじわじわと浮かんできた。
どうせ結末は変わらない。早いか遅いか、私がこの場で真実を告げることで変わるのはそのくらいだ。

それに、社長の言い分だって一理ある。
斎藤さんは事実無根の噂や讒言を口にしていたのは本当のことだ。例えそれが、お世辞にも広いとはいえない個人経営のバーの中でも。

けれど、彼だけが悪い訳じゃない。私だって、ただ注意すれば良かったのに酒の酔いに任せて頭から水をかけるなんて暴挙に出たのだ。
しかし、彼はその後、私に暴力を振るおうとした。
でもそれは私が余計なことを言ったからであって。

167名無しさん:2024/04/04(木) 00:26:19 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「さっさとしろ。早く言え」

('、`;川「い、いや、わたし、は……」

ぐるぐると思考が回る。
理想的な答えを探そうと脳を動かしても、結局は同じ所に辿り着いてしまう。
答えが見えない。分からない。
私はどうしたいのか。この状況が、どうなればいいのか。

私は、私はただ。
社長の悪口を聞きたくなくて、それを訂正して欲しくて。
水をかけたことはやりすぎだったから、それは謝りたくて。
殴られそうになったのは、本当は凄く、凄く怖くて。

社長が来てくれたのが嬉しくて。
私が傷付けられそうになったことに怒ってくれているのも嬉しくて。でもそれを喜んでいる自分が女々しくて嫌で。

何よりも。
何よりも、本当は、私は、社長が。


盛岡くんが怒っている姿を見たくなくて。

168名無しさん:2024/04/04(木) 00:26:55 ID:kBWnHJag0

( 、 ;川「……覚えてません」

口から無意識に漏れた答えは、あまりにも浅慮なものだった。

私の呟きを聞いて、盛岡くんはじろりとこちらを見下ろす。
何も追加の言葉が言えないまま、私はただ黙って地面を見ていた。

(´・_ゝ・`)「…お人よしもそこまでいけば、もはや天然記念物だな」

(´・_ゝ・`)「こんなのを庇って何になる?将来的にうちの会社にも、他の数多の人間にも迷惑をかける可能性が高い人間だ。守る必要性がどこにある?」

(´・_ゝ・`)「どうせ社会的にも求められてないこんなのを放っておく方が、よっぽどだろう?」

溜息交じりの注意が遥か頭上から浴びせられる。
私はただじっと、両手の拳を握ったまま震えている。

169名無しさん:2024/04/04(木) 00:28:33 ID:kBWnHJag0

( 、 ;川「……知りません、私には、分かりません。覚えて、ません」

答えは変わらない。
情けなく震えた声を隠す余裕もないまま、されど答えは変えたくない。
盛岡くんの気持ちは分かるし、その理屈も理解できる。
だけど、理解は出来ても、納得が出来ないことがあるのだ。

(#´・_ゝ・`)「おい、いい加減にーー」

( 、 #川「……………さい」

(´・_ゝ・`)「…は?今なんて――」

('、`#川「うるっっさいわね!!覚えてないっつってんでしょ!!」

もはや、今日何度目の怒号なのか分からない大声がバーに木霊した。

叫んだのは、震えながら立っている斎藤さんでも、苛立っている盛岡くんでも、ましてや店主であるマニーさんでもない。
どこか吹っ切れたような大声の主は、他ならぬ、この私であった。

170名無しさん:2024/04/04(木) 00:29:21 ID:kBWnHJag0

(;´・_ゝ・`)「い、伊藤……?」

('、`#川「何よ!もっともらしい理由つけて、上から睨んで!今更君なんか怖くないわよ!」

('、`#川「……そもそも、もう君の部下じゃないから君の言うことなんて聞く義理ないし!!何が会社のためよ!!私、関係ないもん!!無職舐めんな!!!」

数週間前のように、ふたたび盛岡くんを怒鳴りつける。
なんだかデジャブを感じるが、そんな違和感はこの際どうでもいい。

そうだ。私はもう彼の部下でも何でもない。会社のことなど知ったことではない。
今更私に失うものなんて何もないのだ。というか、一度啖呵を切った身なのだ。
それならば思う存分、好き勝手言ってやろうじゃないか。

171名無しさん:2024/04/04(木) 00:30:25 ID:kBWnHJag0

('、`#川「結局、君もこの人とやってることは変わらないじゃない!自分の気に入らないことをしたから、相手の立場とか、自分の持ってる力とかを利用して、陥れて、スッキリしたいだけじゃない!」

('、`#川「何が会社のためよ!!社員のためよ!!一々綺麗な言葉で取り繕うな!!君の意地悪に、私を利用しようとしないでよ!!」

溢れそうになる感情を必死に言語化していく。
そうだ。私は別に、あの人に怒ってなどいない。
盛岡くんに裁いてもらおうとも思っていない。そもそも、彼がどうなろうが心底どうでもいい。

私はただ、盛岡くんがまた酷いことをしているという事実が嫌なのだ。
彼が誰かを傷つけようとしている景色が、心から腹立たしいのだ。
そして何より、その原因が他ならぬ私にあることが、どうにも我慢ならないのだ。

172名無しさん:2024/04/04(木) 00:31:13 ID:kBWnHJag0

('、`#川「何度でも言ってやるわよ!私は、その人のことなんて知らない!会ってたとしても、顔も名前も覚えてない!」

('、`#川「疑うなら疑えば!?嘘だと思うなら後で気のすむまで調べればいい!!」

嘘なんていくらでも吐いてやる。それが、どれだけ脆い嘘だったとしても。
私が好きなのは、どんな難しい問題にも立ち向かう人だ。
あの手この手で結果を出して、誰にもバレないように研鑽を積んで、その苦労は誰にも見せないように強がる人だ。

だから手伝ってきた。力を貸してきた。
こんな中途半端な才能でも、身の丈に合わない記憶力でも、貴方が歩く道を少しでも舗装出来るならと答えてきた。
それを、それを今更なんだ。何を恰好悪いことをしているのか。

私は。

('、`#川「今の君なんかに、誰かに嫌な事をする気の人なんかに、私の記憶は教えない!!」

そんな目をして誰かの嫌がることをする人の手伝いをした覚えなど、一秒もない。

173名無しさん:2024/04/04(木) 00:32:30 ID:kBWnHJag0

言いたいことは言い切った。
というか、これ以上胸中に沸く感情を言語化できそうになかった。
熱暴走してキーボードが反応しなくなったパソコンよろしく、私は激しく動かしていた口を止める。

しばらく沈黙が流れた。
盛岡くんは数秒、ただ何も言わずに私をじっと見ていた。
呆れたような、驚いたような、なんとも分からない瞳の色。
何を言われるのだろうか。まだ、彼の気は変わらないのだろうか。私の言葉は、想いは伝わらなかったのだろうか。

恐る恐る、彼の顔を覗き見る。そして目が合う。
すると、彼は顔を天井に上げ、長い長い溜息を吐いた。

(´-_ゝ-`)「……………そうか」

ボソリと、何かを諦めたみたいな呟きが零れた。

どうしたのかと私が疑問に思うより先に、彼はゴソゴソとコートのポケットを探る。
ポケットから出ていた彼の手には、数回しか見たことのない財布が握られていた。
確か、彼が車の中に常備しているサブの財布の一つだ。

財布を開いた盛岡くんが小さく「おい」と呟く。
私にではない。もはや小動物のように縮こまってしまっている斎藤さんに向けての呼び声だった。

174名無しさん:2024/04/04(木) 00:33:02 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「これで、君が言うクリーニング代と、迷惑料にあたる不法行為に基づく損害賠償ってことで、いいか?」

「天は人の上に人を作らず」とかなんとか宣った有名人が描かれた紙幣が無造作にテーブルに置かれる。
遠目から伺う限りでもその数はおそらく10を軽く超えているように見えた。

(・∀ ・;)「えっ……?い、いや、その…」

(´・_ゝ・`)「よく考えれば、水をかけるというのも広義的には暴行と捉えられるかもしれない。それにまぁ、僕の先ほどの発言も脅しと言われれば否定は出来ない」

(・∀ ・;)「い、い、いいですいいです!!こんな大金…!」

(´・_ゝ・`)「いらないなら店に置いていけ。君がここに居る全員の飲み代と迷惑料を払ったという体にしたらいい。もう面倒だから、僕としてはこれで何もかも手打ちにしたい」

そう言いながら、盛岡くんはちらりとこちらを見た。
まるで「これでいいんだろう」と聞いてくるような視線だった。

175名無しさん:2024/04/04(木) 00:33:39 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「これで君の矜持が満たされるかは知らないが、まだダメなら後日改めて訴訟でも何でもするといい。正直、僕は君の憤懣も目的も、どうでもいい」

( ∀ ill)「あ、あの、ほ、本当に、すみませ……」

(´・_ゝ・`)「謝罪に興味はないからもう黙っててくれ。どうせ明日の僕は君の顔も声も覚えちゃいない」

うわ、また余計なことを言ってやがる。減点だ。
変わらず失礼な言動をする彼にヒヤリとしながらも、私のほっと胸を撫で下ろしていた。
どうやら、大事にする気はすっかり彼の中から無くなったらしい。

斎藤さんはしきりにずっと頭を下げている。彼の同僚らしき人達は、心底ほっとした表情を浮かべていた。
とんでもない事になるかもしれないと恐れていたが、どうやらその心配は杞憂に終わりそうだった。

これで一安心。何事もなく店を出れる。
気を抜いた、その一瞬に。

176名無しさん:2024/04/04(木) 00:34:32 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「僕の興味は」

('、`*川「へ」

突然、無遠慮に、腕をがしっと掴まれた。

(´・_ゝ・`)「最初からこいつだけだ」

('、`;川「えっ?えっ?」

私ではいくら鍛えたって出せそうにない力が腕に込められる。
痛くはないが、抜けられない、そんな絶妙な力加減。

(´・_ゝ・`)「じゃあマニーさん、お邪魔しました。本当はテーブルも貰いたかったけど欲張りはいけないのでね。今日は本命だけで良しとします」

('、`;川「な、なに!?何よ!?」

¥・∀・;¥「えっ?あ、あぁ、お、お気を付けて…?」

(´・_ゝ・`)「そこのテーブルの上の諭吉は好きなだけ取って下さい。万が一足りなかったり、テーブルに飽きが来たらすぐにご連絡を。それでは」

私の叫び声も、頭を下げたままの斎藤さんも、呆気にとられたままのマニーさんも放ってずんずんとドアに向かっていく。
言いたいことを言うだけ言って、周りへのフォローも後片付けもせずに去る様はまさに嵐のようであった。

177名無しさん:2024/04/04(木) 00:35:36 ID:kBWnHJag0

足早にバーを出ると、冬の夜特有の寒風が頬に当たった。
緊張とアルコールで火照った今の頬には丁度良く、気持ちが良い。
…と、いつもならそう思いながら呑気に駅まで歩いていただろうが、今回は違った。

('、`;川「ちょ、ちょっと!離してよ!」

(´・_ゝ・`)「ダメだ。逃げるだろ」

空いている方の手でペシペシと抗議するも、彼の歩みは止まる様子はない。
店の前には、明らかに道交法を無視した止め方がなされている車があった。
夜の街灯を反射しながら主を待っていたそれは、紛れもなく盛岡くんの愛車である。

('、`;川「い、いいよ!私、一人で歩いて帰るから…!」

(´・_ゝ・`)「勘違いするな。帰らせるつもりはない」

え、と思った瞬間にようやく腕が解かれる。
車の前で立ち止まった彼は、少しぎこちないスピードで私の方に向き直った。

178名無しさん:2024/04/04(木) 00:36:13 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「…どうせ、明日も用事なんてないだろ。なら、少しだけ僕に付き合ってくれないか。話があるんだ」

(´・_ゝ・`)「行く場所も、ここからそんなに遠くはない。少なくとも、日付は変わる程にはかからない筈だ」

最低限の夜を照らす傍光が彼の整った横顔を照らす。
こうなるのが嫌だから、隙を見てこっそり帰ろうとしていたのに。
舌打ちは心の中にどうにかとどめ、どう返事をしようか考える。

確かに、特に用事はない。明日だって昼過ぎまで寝て、また何処か適当な店にお酒を呑みに行こうと思っていた。
勢いで無職になった女の用事など、そんなものである。

179名無しさん:2024/04/04(木) 00:37:02 ID:kBWnHJag0

('、`;川「…い、いきなり言われても……」

ただ、”予定がない”と一様に断じられるのも少し気分が悪い。
無職になった今の私に張る見栄など微塵もないが、このまま彼と話をしたくないというのも本音だ。
いきなり激情のまま怒りをぶつけた上に、勢いで退職願までぶん投げてきたのだ。それなのに二人きりで話など、気まずいことこの上ない。

どこか怯えたような彼の瞳にどう答えようか迷っていると、

(´ _ゝ `)「………頼む」

彼は遠慮がちに頭を下げた。

('、`;川「えっ…!?ちょ、ちょっと!?」

頭を下げる。別に、人が人にお願いをする時の普遍的な行動だ。
それでも、私は時間帯も気にせず間抜けな声を上げてしまった。
私の記憶には、盛岡デミタスが人に頭を下げるシーンなど、仕事の場ですら見たことがなかったからである。

180名無しさん:2024/04/04(木) 00:38:11 ID:kBWnHJag0

(´・_ゝ・`)「前の、婚約云々についてのことはその…全面的に僕が悪かった、と思う。すまなかった」

“すまなかった“なんて、ありきたりである筈の言葉が延々と脳内に響く。
控えめではあるものの、車の前で頭を下げたままの彼の姿から目が離せない。
“何に謝っているのか”、”謝るなんてことが出来たのか”、なんて失礼な考えまで浮かんでしまう。

(´・_ゝ・`)「ただ、その……情けないことに、僕はまだ、お前が怒った理由が分からない」

(´・_ゝ・`)「僕なりにずっと考えてはみたが、お前があの時、どうしてあんなに怒ったのか、僕の元から去ったのか、結局今日まで分からなかった」

(´・_ゝ・`)「だから一度、ちゃんとお前と話したい。……僕は…その、なんというか……」

顔が上がった。
端正な瞳が忙しなく左右に動いている。時々私を捉えては、すぐにまた違う方向を見て、また私を中心として捉えに戻る。その繰り返し。
そんな彼の目とは対照的に、ピタリと言葉は止まった、

181名無しさん:2024/04/04(木) 00:39:15 ID:kBWnHJag0

何が言いたいのだろう。何を言うつもりなのだろう。いつもなら、どんな難しい商談の時でも、誰が相手の時でも淀みなく流暢に話すのに。
寒空の下、私から何か促すのはどうしてか少し違う気がして、只じっと彼の次の言葉を待つ。
数秒の沈黙の後、彼はまるで言いたくないことを仕方なく言うかのように、漫然と唇を動かした。

(´ _ゝ `)「………お前だけには、嫌われたくないんだ」

それは、ひどく弱々しい呟きだった。
私よりずっと背の高い筈の彼が、いつも自信満々でそれに見合う能力のある彼が、今だけはひどく幼い子どものようにも見える。

既に日は落ちきり、周りには人も居らず、冬特有のしんとした静けさだけが空間に満ちている。
こんな状況でなければ、満足に聞き取れもしなかったであろう声。

私の記憶にない程に縮こまった彼を前に、私は一切の語彙を失っていた。
なんと言えばいいのか分からない。どう反応していいのか皆目見当もつかない。

182名無しさん:2024/04/04(木) 00:40:34 ID:kBWnHJag0

“私にだけは嫌われたくない”という言葉に、喜んでいいのか。
未だ私が怒った理由が分からないという彼に、怒ればいいのか。

とにかく何か言わなければ。このまま黙ってこんな所にいても仕方ない。
ただ、依然として気の利いた言葉は出てこない。
口を無理やり動かそうにも、そこから漏れるのは只の空気の塊と化した単語のなりそこないだけ。
なんと言っていいか分からなくて、けれど、もしこのまま私が帰ったらもう、二度と彼と話せない気がして。


( 、 *川「……あんまり、遅くならないなら」


なんて。
私の口から零れたのは、なんとも面白みのない返事だった。

盛岡くんの顔が少し明るくなる。
そんな彼の様子にちょっと浮かれそうになりつつも、顔を逸らしてなんとか気が付かれないようにする。



無言のまま車に乗り込む。仕事でもプライベートでも、何度も乗った彼の車。
普通の車より大きくて、広々とした車内空間がウリな筈なのに。
どうしてか今日だけは、隣の運転席がひどく近くに思えた。

183名無しさん:2024/04/06(土) 13:38:34 ID:12yTjduw0
おつです
固唾を呑んで見守っています

184名無しさん:2024/04/06(土) 16:47:28 ID:0nitWrEg0


185名無しさん:2024/12/31(火) 23:58:15 ID:LBBiok2U0

*


車の中でも、降りてからも、私たちはお互いに無言だった。
話したくない訳じゃない、と思う。少なくとも私は、彼に聞きたいことが山ほどある。

けれど、心の中とは裏腹に、どうにも言葉は出てこなかった。
車での移動中、彼はじっと黙ったまま前を見て運転するばかり。私もまた、黙って窓から景色を手持ち無沙汰に眺めるばかり。
そんな気まずい空気を破ったのは、「着いたぞ」という彼の呟きだった。

適当な場所に停まった車から降り、スタスタと歩く彼の後ろを追う。
彼は脚が無駄に長いし体力もあるから、数分も歩けば、自然と私が彼を追いかける形になるのが昔からのお決まりだった。
でも、今日はいつもほどの速さじゃない。色々あって疲れた今の私でも難なくついていくことが出来ている。

186名無しさん:2024/12/31(火) 23:59:15 ID:LAgS5lhk0
ktkr

187名無しさん:2024/12/31(火) 23:59:49 ID:LBBiok2U0

('、`;川「……えっ?ちょ、ちょっと!?」

ふと、自分たちが今歩いている場所に気付き、反射的な声を上げてしまう。
酒に酔い、暗い周囲の状況も相まって気付くのが遅れてしまった。
前を歩く盛岡くんが入ろうとしているのは、この街を代表する遊園地であった。

(‘、`;川「どこ入ろうとしてるの!?勝手に入ったら…!」

(´・_ゝ・`)「大丈夫だ。許可はとってる筈だから」

やっと口を開いたかと思えば、盛岡くんの口から出てきた言葉はまたしても要領を得ないものだった。
私の呼びかけにもまともに応じず、彼は堂々と園内に入る。
慌てて彼の後ろに続いて私も入園したがいいが、周りの街灯や建造物は一切灯りがついていない。
強いていうなら、所々にポツンと置かれている自動販売機たちが唯一の光源だった。

('、`;川(大丈夫には見えないって!)

口には出さないまま心中で文句を垂れつつ、置いていかれまいと懸命に彼を追いかける。
このままでいいのか。不法侵入ではないのか。やっぱり今すぐにでも彼を連れて引き返すべきでは。
だが、私がそう言ったところで今の彼が素直に従うだろうか。そもそも、彼は私に何の話をするつもりなのか。

一貫性のない考えを巡らせていると、ぽんと何かにぶつかった。
僅かな痛みに額をさすりながら前を向く。どうやら、私は急に立ち止まった盛岡くんの背中にぶつかったらしい。

188名無しさん:2025/01/01(水) 00:02:12 ID:TcObiKy60

「突然止まらないでよ」。そう言おうとした私の口からは結局何の声も出なかった。
急に酔いが回って気分が悪くなったからではない。無論、盛岡くんの意味不明な言動に怒りが突如沸いたからでもない。
立ち止まった私と盛岡くんの眼前には、未だ煌々と光る観覧車が聳え立っていたからである。

('、`;川「えっ…!?な、なんで……」

この遊園地の閉園時間は遥か昔に一度調べたことがある。
確か、冬の時期はどんなに遅くても20時には閉まる筈。
そして現在の時刻は今更調べるまでもない。そろそろ日付が変わるかどうかというところ。
事実、ここに至るまでの園内の施設は一つの例外もなく閉まっていた。

…にもかかわらず、観覧車だけは眩いほどに輝いている。
何度瞬きをしてもその光景は変わらないことから、見間違いでもなければ酔っ払いの幻覚でもなさそうだ。

(´・_ゝ・`)「よかった、ちゃんと用意してくれてたな」

私とは違って然程驚いたような様子も見せず、彼は迷いなく観覧車の方へと歩を進める。
観覧車の下、受付らしき場所には従業員と思われる方が一人。
まさか、こんな時間でも本当に観覧車だけ動いているのか。

189名無しさん:2025/01/01(水) 00:04:19 ID:TcObiKy60

(´・_ゝ・`)「すいません。連絡した盛岡です」

( ´∀`)「うん…?あ、どうもどうも。お待ちしてましたモナ」

温厚そうな男性はペコリとこちらに一礼すると、通常業務だと言わんばかりに私たちを通した。
困惑したままの私を放って、盛岡くんは従業員の男性と共に前へと遠慮なしに歩いていく。
「一体どういうつもりなのか」と口を開こうとするより先に、彼は観覧車のゴンドラ乗り場の前に辿り着く。
そして、彼はゆっくりと私の方を振り向いた。

(´・_ゝ・`)「ほら」

('、`;川「…?」

(´・_ゝ・`)「何色がいいんだ、好きなの選べ」

('、`;川「えっ…?す、好きなのって…」

190名無しさん:2025/01/01(水) 00:06:15 ID:TcObiKy60

「急に選べと言われても」と心中で毒づきつつ、慌てて上空を回る観覧車に目を凝らす。
青や赤、緑に黄色、よく見れば少し淡いライトブルーやお洒落な紫といった色のゴンドラまである。

昔、高校の頃に修学旅行で訪れた遊園地の観覧車を思い出す。
あそこの観覧車も中々壮大ではあったが、ここまでカラフルではなかったし大きくもなかった。

あの日は確か、そうだ。
集合時刻が迫っていたせいで乗れなくて、盛岡くんと一緒に慌てて集合場所まで走って。
それと確か、観覧車を見ている時に、白い雪が降ってきて――。

('、`*川「……あ」

ふと、一台のゴンドラが目に留まった。

他のカラフルなゴンドラとは違い、あの日を思い出させるような、真っ白で綺麗なゴンドラ。
素早く観覧車全体を俯瞰するように眺めても他に白のゴンドラは見つからない。
あれだけはなにか、特別な一台なのだろうか。普段なら特別料金を要求するような、そういうタイプの物だろうか。

不思議な気分のまま、私はじっとこちらにゆっくり降りてくる白のゴンドラを見つめる。
周囲の光を眩く反射するそれは、私の目には一際魅力的に見えた。

191名無しさん:2025/01/01(水) 00:08:04 ID:TcObiKy60

(´・_ゝ・`)「……よし。じゃ、あの白いのでお願いします」

( ´∀`)「畏まりましたモナ。どうぞー」

('、`*川「ちょ、ちょっと!私はまだ何も…!」

(´・_ゝ・`)「さっさと乗れ。この寒い中、また一周待つのは御免だ」

にこやかに手早く開かれたゴンドラの扉に向けてグイグイと背中を押される。
従業員さんの柔和な笑みと盛岡くんからの物理的な圧に負け、抵抗も空しく、私は容易くゴンドラの中へと押し込まれてしまった。

(´・_ゝ・`)「よいしょ…うわ、見た目より狭いな」

( ´∀`)「いってらっしゃいませモナ〜!」

狭い室内で体勢を立て直しているうちに後方からガチャという音がする。
振り向くと既に扉は閉まっており、ゴンドラはゆっくりと地上から離れようとしているところであった。

192名無しさん:2025/01/01(水) 00:10:00 ID:TcObiKy60

('、`;川「えっ!?ほ、本当に乗るの!?何これ、どういうこと!?」

(;´・_ゝ・`)「ちょ…暴れるな。さっさと座れ、危ないだろ」

半ばパニック状態の私に、冷や水のような正論がかかる。
さっきから何なんだこの人は。
いきなり人を車に乗せてどこへ行くのかと思えば、とっくに閉園時間は過ぎている筈の遊園地に連れ込んで。
挙句の果てに既に営業は終わっている筈の観覧車に連れてきて、「さっさと乗れ」だのなんだのと。

彼が突飛なことをするのを見るのは別に珍しいことじゃない。その対象が私であることも含めて。
だが、ここまで意図も目的も見えないのは初めてだった。
「早く座れ」と目で促す彼に私は何も言えないまま対面に腰を落ち着ける。
全くもって意味が分からない。さっきから彼は一体何がしたいのだろうか。

193名無しさん:2025/01/01(水) 00:12:04 ID:TcObiKy60

( 、 *川「………どういうつもり、なの」

腕を組んだままじっと斜め下を見つめる彼に痺れを切らして話しかける。
やけに真剣そうな表情で「話がある」と言われたかと思えば、車中では何も言われず、既に閉園した筈の遊園地へと入れられ、挙句には観覧車に押し込められたのだ。
それ相応の理由があるに違いない。というか、そうでなければ困る。

(;´・_ゝ・`)「……どういうって…言ったろ。話がしたいって」

('、`*川「その話ってなんなのよ」

(;´・_ゝ・`)「だから……その、あの時、なんであんなに怒ったのかって…」

('、`*川「はぁ?…まだ、本気で分かんないの?」

無意識に荒げてしまった声が狭いゴンドラに響く。
目を左右に激しく泳がせる盛岡くんはそれ以上口を開こうとせず、小さく頭を垂れるだけ。

(´ _ゝ `)「……決して、ふざけたつもりはなかったんだ」

追撃しようとしていたその矢先、零れるような呟きが静かに私の鼓膜を揺らす。
彼は顔を上げないまま、雨だれからポツポツと落ちる雫のようにゆっくりと語り始めた。

194名無しさん:2025/01/01(水) 00:15:13 ID:TcObiKy60

(´ _ゝ `)「本気で、僕と婚約することが、お前の為になると思った」

「この国の”婚姻”は、法的にも持つ意味が強いから」と、か細い声がゴンドラ内に転がる。
盛岡くんに相応しくない、ひどく自信のない声色だった。

(;´・_ゝ・`)「万が一何かあってもお前の得になるように、証書まで用意して…。揶揄うとか騙そうとか利用しようとか、本当に、そんな気はなかった」

(´ _ゝ `)「……だから、あんなにお前が拒絶するなんて思ってもみなかった。お前には、メリットしかないと思ってたから」

石像みたいに固まったままの静かな語り。
いつもなら決して見えない彼の後頭部がやけに小さく見える。

(´ _ゝ `)「…理由を考えた。何時間も、何日も、何週間も。僕はまた、お前を傷つけたんだと」

(´ _ゝ `)「それでも、情けないことに何も分からなくて……今、このザマだ」

(´ _ゝ `)「…………すまなかった」

私よりもずっと背の高い筈の彼が、今は一回り小さい子どものように見える。
目を瞬かせても眼前の光景は変わらない。盛岡くんは教会に訪れた罪人みたいな姿で、じっと私に頭を下げたままであった。

195名無しさん:2025/01/01(水) 00:17:04 ID:TcObiKy60

質問に質問で返す。口述の試験なら間違いなく落第に値する対応だ。
答えを言ってもいい。彼の望む模範解答は今すぐにでも出せる。
それでも、私の口から出たのは、まるで答えになっていない質問だった。

盛岡くんの顔がゆっくりと上がる。その表情には困惑の色が見て取れる。
彼はその端正な瞳を丸くしながら、数回戸惑うような瞬きをしてみせた。

(;´・_ゝ・`)「…何でって……昔、言ったろ?」

(´・_ゝ・`)「大きい観覧車、乗せてやるって」

「何を言っているのか」。そう言おうとした矢先にピタリと私の唇は動きを止めた。
“昔”という言葉が脳内で何度も反芻する。

今日じゃない。最近でも、先月でもない。
ずっとずっと昔。私と彼が只のクラスメイトだった頃。
修学旅行の終わり際に彼が、私に言った約束。

196名無しさん:2025/01/01(水) 00:18:11 ID:TcObiKy60

('、`;*川「………覚えて、たの?」

(´・_ゝ・`)「…今更になって、申し訳ないが」

記憶力に自信のある私でさえ、今の今まで忘れていた。
正直に言えば忘れていたのではない。諦めていたのだ。
あの頃以上に私とは比肩し得ない成長していた彼が、今更あんな取るに足らない約束を覚えている筈がないと。

話の流れでしただけの、あんな大した意味もない只の口約束。
期待するだけ無駄だと思った。口にしたところで、貴重な彼の時間を奪うだけだと。ただ彼の横に居られるだけで満足するべきなのだからと。
それを彼は、今の今まで覚えていたのか。


覚えてくれていた、のか。

197名無しさん:2025/01/01(水) 00:24:30 ID:TcObiKy60

(´・_ゝ・`)「……あのなぁ、お前に比べれば大したことないだろうが、一応僕も記憶力には自信がある方だぞ」

('、`;川「で、でも君昔から、人の名前とか顔とか、した会話とか、全然……」

(´・_ゝ・`)「それはそうだろ、好きでもない人間のことなんて一々覚えるか。どんなにコストを費やせたとしても顔と名前くらいで精一杯だ」

一瞬だけ合った目が、すぐに景色の外へと向けられる。外から見える景色はまだビルが近く、未だ最高点には到達していない。
どこか罰の悪そうな彼の横顔に、ゴンドラ内の照明が反射していた。

そういうものか、と一人静かに納得して足元を見つめる。
確かに、彼が私を頼る時は大抵、「さっき喋ってたの誰だ?」だの「今日来る人の名字なんだっけ」だの、人間関係についての事柄だった。
それも、あまりに人として最低限弁えるべきことばかりを聞いてくるものだから、すっかり彼はあまり記憶力が良くないと勘違いしてしまっていた。
うっかりしていた。そうだった。そういう人だ。
彼は別に物覚えが悪い方ではなく、ただ特定の人間にしか興味を示さないだけで――。

ぱっと顔を上げる。
普段なら、整っているなぁと感嘆していたであろう、見慣れた横顔。
だが、私が口を数秒噤んだ理由は、そんなことが理由ではなかった。


('、`*川「――君」

('、`*川「  私のこと、好き なの?」

198名無しさん:2025/01/01(水) 00:31:34 ID:TcObiKy60

脳が動くより先に、文章が整理されるよりも前に、言葉という最低限の形だけを繕っただけの感情が口先からぽろりと零れた。

(´・_ゝ・`)「…?」

彼はちらりと、ほんの一瞬だけ私を見る。
そして数秒、自分がさっき何を言ったのか、ゆっくりと思い出すように目を泳がせる。
しばらくして、ピタリと瞳の動きが止まる。
次の瞬間。

(*;´・_ゝ・`)「……………っ!?」

夏に咲く彼岸花みたいに、頬にぱっと赤みが差した。

(*;´ _ゝ `)「違う!!!」

いつも冷静な彼の口から出たとは思えない大声が、ゴンドラを揺らした。

(;´・_ゝ・`)「……あっ、いや、違う!いや、その、違うというのが、違くて」

(;´ _ゝ `)「ええと……なんだ、その、今のは……あれ、だ。二重否定と、いうか」

(;´・_ゝ・`)「つまりだな、俺は  あ、いや…その、僕は… あれ、というか、その……」

全く要領が掴めない言葉が濁流と化す。
一瞬勢いよく立ち上がったかと思えば、目をザバザバと泳がせながら必死に文章未満の何かを羅列している。
女の私ですら羨ましくなるほどの白を纏った頬の肌は、普段とは一転して、一目で分かるほどの濃い朱に染め上がっている。

199名無しさん:2025/01/01(水) 00:33:39 ID:TcObiKy60

どんな相手でも、『盛岡デミタス』は冷静だった。
学生の頃も、ゼロから起業した時も、事業が軌道に乗る前の頃も、ずっと。
大企業の役員だろうが、官公庁のお偉いさんだろうが、彼はその不遜な態度を崩すことなく、自身の要望を通してきた。その姿に、私含め、何百もの人間が憧れたのだ。

だが、今はどうだろう。そんな姿は見る影もない。
私の目の前にいる男は、まるで好きな人をバラされた中学生みたいに、慌ただしく狼狽しているではないか。

( 、 *川「………いいよ、別に」

零れるように、短い言葉が漏れた。
失望の意を含んだものでもなく、宥めるようなものでもなく。
私の口から漏れたのは、まぎれもない“諦観”の声だった。

(;´・_ゝ・`)「…え……な、なにが…?」

('、`*川「だから…変に言い訳しなくたっていいよって」

(;´・_ゝ・`)「い、言い訳というつもりじゃなくてだな…。ちょっと、待ってくれ。今は適切な言葉を探してる途中で…」

( 、 *川「だからさ、もう、いいんだよ」


( 、 *川「別に君、好きじゃないでしょ、私のこと」

200名無しさん:2025/01/01(水) 00:34:53 ID:TcObiKy60

盛岡くんの声がピタリと止まる。
さっきまでは夏の曼珠沙華みたいに紅く染まっていた彼の頬が、一気にその熱を失っていくのが見て取れた。

(;´・_ゝ・`)「……は?」

静かな視線が降り注ぐ。
怒りではない。ただただ困惑の色だけが浮かんだ瞳。
無理しなくていいのに、と、私はどこか他人事のように心中で溜息を零した。

嬉しくない。そう言えば真っ赤な嘘になる。
多少なりとも、長年ずっと片思いしていた異性から特別に想われていたのだ。それが嬉しくない筈がない。
けれど、分かっている。私は既に見てしまっている。
それはあくまで、「他の人と比べれば」程度の特別に過ぎないということに。

201名無しさん:2025/01/01(水) 00:37:10 ID:TcObiKy60

('、`*川「……他に、大事な人、いるんでしょ?」

一月と二週間余り前の映像が頭に浮かぶ。
記憶することだけに特化した無駄な脳が、視界の隅の街灯ですら鮮明に脳裏に映し出す。


   (*;´・_ゝ・`)ζ(^―^*ζ


深夜。嫉妬すら浮かばないほどに可愛らしい女の子と、その近くで照れたようにしていた盛岡くんの姿。
碌に恋愛経験を積んでない私でも、あの場面を目にすれば流石に察せられる。

見たことのない顔だった。
彼の後ろを必死について来たこの10年の間で、一度も見たことのないような。
どんなに綺麗な女性の前でも、ましてや私の前でなど見せてくれたことのない表情。

記憶力だけが取り柄だった。そして、この10年間ずっと、たった一人のことだけを見ていた。
だから、分かってしまった。理解してしまった。ただの腐れ縁には決して見せない、見れない表情だったから。
そういう顔を見せられる女の子がいたんだ、と。

202名無しさん:2025/01/01(水) 00:41:16 ID:TcObiKy60

(;´・_ゝ・`)「…ま、待ってくれ、何の話……」

('、`*川「見ちゃったんだ。前に、一回だけ」

重力に負けないよう、やや斜め下に顔を逸らす。
直接彼の顔を見れば、若しくは真下を向けば、すぐにでも涙が溢れてしまいそうだった。

('、`*川「……綺麗な人と、楽しそうにしてたの。先月の、真夜中」

出来るだけ無感情を装おうとした言葉を吐き出す。
暖かな空調が効いているのに、なぜだか急に寒く感じる。 
それでも冬の夜に回るゴンドラの中はひどく静かで、自分でも震えが隠しきれていないのが分かった。

203名無しさん:2025/01/01(水) 00:44:01 ID:TcObiKy60

(;´・_ゝ・`)「……先月…?」

('、`*川「流石にさ、あんな風にしてる君見たら、いくら私でも察するよ」

(;´・_ゝ・`)「…い、いや待て。それは…」

分かりやすいくらいに狼狽し始めた彼の言葉に、被せるように口を動かす。
こんな惨めなこと、口にしたくなんてない。それでも冷静さを失った私の口は止まるという選択肢を選んではくれなかった。

('、`*川「私のことを君なりに気遣ってくれたのは、嬉しい。でも さ」

(;´・_ゝ・`)「待て、待ってくれ、たぶん違う。おそらく勘違いだ」

('、`*川「やっぱり、そういうのはダメだよ。きちんとしないとさ」

204名無しさん:2025/01/01(水) 00:49:21 ID:TcObiKy60

目の前に座る彼にじゃなく、自分に言い聞かせるように言葉を吐き出していく。
分かってる。これでいい。人にはやっぱり身分というものがある。
私みたいな地味な女が選ばれる訳も道理もない。こうして一緒に観覧車に乗るという約束を守ってくれた。それだけでもう充分だと笑って満足すればそれでいいのだと。

(;´・_ゝ・`)「聞いてくれ、まずは落ち着け。いいか、おそらくお前が言ってるのは」

( 、 #川「落ち着いてる!分かってるよ!私、勘違いとかしないから…!」

(;´・_ゝ・`)っ□「だからっ…違う!お前が言ってるのは、この子だろ!」

ヒステリックな私の声と、珍しく焦燥の色を浮かべた彼の声がゴンドラ内で反響する。
クラシックにはほど遠い余韻がゴンドラ内を巡ったのは、私も彼もピタリと声を止めたから。
言い争いが止まったのは、とある一枚の写真が私の目に留まったから。

盛岡くんが見せつけてきたスマホを見て数秒フリーズし、おずおずとそれを受け取る。
渡された液晶画面の中に映し出されていたのは、楽し気に笑っている二人の男女。


  『(*;^ν^)ζ(^ワ^*ζ』


片方は見覚えのある、以前、盛岡くんの隣にいた可愛らしい女性。
そしてその彼女の隣には、女性とは比べ物にならない程に見覚えがありすぎる後輩が映っていた。

205名無しさん:2025/01/01(水) 00:53:21 ID:TcObiKy60

('、`;川「……新塚くん?」

大学が同じだった、一学年下の後輩。
この世の全てが気に食わないみたいな仏頂面をいつもしていた彼が、見たことのない腑抜けた顔をしている。

昔、デルタくんの悪ふざけに嵌り酔った新塚くんからされた話が、頭の中で鮮明に再生されていく。
パティシエをしている幼馴染がいること、彼女に褒められたくて弁護士になったこと、時間はかかったがようやく恋人という関係になれたこと。
大量の日本酒に負けて珍しくふにゃふにゃになりながら、幸せそうに語る後輩の姿は私じゃなくてもしっかりと覚えている。それくらいあの姿は衝撃的だったし面白かった。なんならナベちゃんのスマホには映像証拠だって残っているはずだ。

('、`;川(……え、待って)

(;´・_ゝ・`)「流石に、これで分かったろ」

呆れたような盛岡くんの声が鼓膜を揺らすと同時に、バラバラに散らばっていたピースが高速で一人でに完成していく。
見せられた写真の中で、無愛想な後輩は見たことがないくらいに締まりのない顔をしている。そして、その横にいる女性はこれ以上ないくらいに幸せそうな笑顔を浮かべている。
まさか。というか、ほぼ間違いなく、これは。
私はずっと。一人で。勝手に。

206名無しさん:2025/01/01(水) 00:54:50 ID:TcObiKy60

('、`;川「………この、人って、まさか…」

(´・_ゝ・`)「こいつの恋人だ。…いや、もうすぐ奧さんになるんだったか」

(;´-_ゝ・`)「先月のあの日は、挙式の予定日について聞いてて…そもそも、離れていただけで他に人もいたんだ。お前がどの瞬間を見かけたのかは知らないが」

最後のピースがかちりと頭の中で嵌った音がした。

頭の中が一瞬、雪原のように真っ白になる。
あぁそうか。あの人は、新塚くんの彼女さんだったのか。
そういえば確かに私は、新塚くんから偶に惚気話を聞くことはあれど、彼女さんの写真などは一度も拝見したことがなかった。いくら記憶力に自信があると言えど、一度も見たことのない人の顔は思い出しようがない。
盛岡くんは、後輩の彼女さんと話していただけなのか。なるほど、親しい後輩の恋人で既に面識もあるのなら、話の内容如何によっては遠目からだと親し気に見えても不思議じゃない。

つまり、ようするに、今の今までずっと。
ただ私が1人で、勝手に盛大な勘違いをしていた、だけで。

207名無しさん:2025/01/01(水) 00:56:36 ID:TcObiKy60

(;´-_ゝ-`)「まったく…これでいいか?まさかこんな甘ったるい写真が役に立つとは思わなかった。とにかく、これで改めて話を…」

( 、 *川「……………さ」

(´・_ゝ・`)「ん?なんだ」

( 、 *川「……さっさと」

(´・_ゝ・`)「だからなんだ?もう少しはっきり――」


( Д #川「――さっさと!!言ってくれればよかったじゃないのよーー!!」


真っ白なゴンドラの中で、真っ赤な顔をした女の怒号が爆音で響き渡った。

208名無しさん:2025/01/01(水) 01:02:21 ID:TcObiKy60

('、`#川「なん…っっで何も言わないの!?誰にいつ、何の要件で会うか!スケジュールの報告は漏れなく伝えてってあれほど口酸っぱく言ってるのに!!」

(;´・_ゝ・`)「は、はぁ!?なんだ急に!なんで僕が逆ギレされなきゃいけない…」

('、`#川「昔っから何も変わってないじゃない!いつもずっとそう!君の気紛れとうっかりに苦労する人間の気持ち考えたことある!?」

(#´・_ゝ・`)「それを言うなら、いきなり長年の付き合いがある部下から退職届持ってこられた上司の気持ちを考えたことがあるのか!?僕がそれでどれだけの時間を無駄にしたと思ってる!時価総額3500億の会社が、一瞬とはいえお前一人のせいで止まったんだぞ!!」

('、`#川「死ぬほどあるベンチャー企業の一つや二つ止まったってこの国には何の影響もないわよ!本っっ当に人の言うことなんにも聞かない…そうよ、4600円とかいう強気すぎる価格で上場した時だって、無名の大学生が描いた絵を一億出して買おうとした時だって!」

(#;´・_ゝ・`)「あ、あれは、その…というか、お前に言われた通り最終的には買わなかっただろうが!」

('、`#川「京都のご令嬢に競り負けただけでしょ!ていうかもし競り勝っちゃってたらどうしてたのよ!ばか!!」

209名無しさん:2025/01/20(月) 23:33:46 ID:o.436vFo0
その酸っぱい口でレモン味のチッスをだな

210名無しさん:2025/05/08(木) 00:34:15 ID:/V6cX1oM0

『侃侃諤諤』という、試験以外の日常では一度も使ったことのない四字熟語が脳裏をよぎる。

学生の頃、数えるのも馬鹿らしくなるほど日常的に彼から挑まれた勝負。その中でも特にポピュラーだったのが知識対決。
四字熟語や諺、果ては国旗など無為としか思えない勝負に幾度も付き合わされた。
お陰で随分と語彙は増えたが、大人になった今でも用途は変わらず口喧嘩という事実に我ながら情けなくなってくる。

(#;´・_ゝ・`)「そもそも僕は負けてない!アレは落札者が元々あの画家のことを知っていて……」

そこらの政治家の口より回る彼の舌が、どうしてかゆっくりと減速していった。
私が発した理屈に納得したのかと思いたくはあったが、今までの経験が違うと告げる。
では何故彼は急に口ごもったのだろう。疑問に思いながら伺うように彼を見た。

一瞬私のことを見ているのかと思ったが違う。彼の視線は私の僅か上を通り過ぎて、窓の外へと向けられている。
後ろを振り返り、背中側からの景色を見る。
するとそこには、満天の星空と見紛うような、美しい夜景の街並みが広がっていた。

211名無しさん:2025/05/08(木) 00:37:14 ID:/V6cX1oM0

('ワ`*川「わぁ……!!」

口から勝手に、感嘆の息が漏れた。

普段自分たちが働いているオフィスからでも見られない高度からの景色。私たち二人がみっともない口論を交わしている間に、ゴンドラはほぼ頂点にまで動いていたらしい。
既に日付は変わっているはず。それでもこの港町に並ぶビルや建物は未だ力強い輝きを煌々と保っている。
まるで、星空をカーペットにしたみたいだった。

('、`*川「綺麗……観覧車って、こんな景色が見られるのね」

あれほど学んだ語彙もまるで役には立たず、言語化できたのは陳腐で平凡な感想のみ。それでも、ずっと憧れていた以上の光景が眼下にあった。
この感動を共有しようと誘ってくれた本人に声をかける。しかし、先ほどからずっと彼は石化したが如く何も言おうとしない。
どうしたのか。そう聞こうとしたその瞬間だった。

(;´・_ゝ・`)「………ミスった」

('、`*川「へ?」

(;´・_ゝ・`)「失敗だ!失敗してる!!」

('、`;川「きゃっ……ちょ、ちょっと揺らさないでよ!危ないでしょ!?」

手すりを掴んだまま激しく狼狽し始めた盛岡くんを慌てて制止する。
一体彼は何に慌てているのだろう。これほどの夜景を見て感動して静止するのなら分かる。網膜を焼く光の一つ一つに興奮して表情が明るくなるのも分かる。
だが、憤慨して暴れ出すというのは全くこれっぽっちも分からない。彼が感情的になるシーンを見るのは別に初めてではないが、その表情には怒りというよりも、後悔の色が強く出ていた。

212名無しさん:2025/05/08(木) 01:19:53 ID:/V6cX1oM0

('、`;川「し、失敗って何?これだけ綺麗に見えてるのって寧ろ珍しいんじゃ……」

(;´・_ゝ・`)「過ぎてるんだよ!僕としたことが……乗ってからの時間も計るべきだったのに!」

('、`;川「過ぎてるって……ちょうど今てっぺんなんじゃないの?」

(;´・_ゝ・`)「違う! 本当に頂点なら、僕らの会社のビルが下に見えるはずなんだ!」

悔しそうな顔をしながら、彼は座らずにピンと立てた手のひらを外の景色に向ける。
自身の長くがっしりとした指を指標にしながらじっと景色を睨むこと数秒、黙ったまま続けていたらしい何かしらの計算が終了したのか、彼はがっくりと項垂れて倒れ込むように椅子へと凭れた。

('、`;川「ちょっと……だ、大丈夫?」

(;´ _ゝ `)「……大丈夫じゃない。こうなったら、また降りてもう一周……」

('、`;川「はぁ?無理でしょそんなの!いくら何でも我儘が過ぎるわよ!」

本来ならこの時間に観覧車が回っているなどあり得ない。十中八九、盛岡くんが色んな関係各所に手と金を回して無理やり動かしてもらったのだろう。
この街の景観や条例などを加味すれば、おそらく一度動かしてもらえただけで相当破格な待遇に違いない。それを更にもう一回など、無茶を言うにも程がある。

213名無しさん:2025/05/08(木) 01:21:33 ID:/V6cX1oM0

('、`*川「ほら、外見なさいよ。まだこんなに綺麗な夜景が見えてるんだし別に失敗なんかじゃ……」

下を向いて落ち込む盛岡くんへの言葉を途中で切ったのは、彼の足元で何かがキラリと光ったのが見えたからだった。
なんだろうかと思い、ゆっくりと手を伸ばす。

ゴンドラの床に転がっていたのは、細やかかつ、瀟洒な意匠がなされた白い小箱だった。

□⊂('、`*川「……なに、これ」

手に取って見ると、見た目よりもずっしりとした重さが指先から伝わってきた。

中は空洞じゃない。間違いなく何かしらが入っている。
箱自体がそもそも随分と手が込んだ代物であろうから、もしかしたら中身も相応な物なのではないだろうか。

□⊂('、`*川「ねぇ、これ君のじゃない?」

今まで見たことがない程に落ち込んでいる盛岡くんの肩を叩き、そっと手に持っていた小箱を差し出した。
私の手に握られたままの小箱を見た瞬間、彼は慌てて服のポケットを探り始める。

そして、奪うように私の手から白い小箱を取り上げた。

214名無しさん:2025/05/08(木) 01:22:03 ID:/V6cX1oM0

(;´・_ゝ・`)っ□「も、もう中見たのか!?」

('、`*川「は?まだ見てないけど」

私の正直な返答に、彼は再び俯いて長い溜息を吐いた。
安堵の表情を浮かべる彼と裏腹に、私の胸中では再び怒りの炎が揺らぐ。
この小箱が彼の物だということは分かった。だが、それを渡したというのにお礼の言葉の一つもないのかと。

('、`#川「……『ありがとう』くらい言ったらどうなの」

(;´・_ゝ・`)「あ、あぁ、すまん」

('、`#川「謝れなんて言ってないでしょ。いつになったら普通にお礼の言葉が言えるようになるのよ」

そっぽを向きながら、嫌味たっぷりにそう告げる。
窓の外は未だ輝かしい夜景が広がっているが、先ほどと比べるとどこか見劣りするように思えた。
記憶の中に残っている景色と比べれば、その理由はすぐにでも分かる。さっきよりも高度が下がっているのだ。現在私たちが搭乗中のゴンドラは既に頂点を通過し、今はゆっくりと下に降りているのだろう。

つまり、あともう少しで、この遊覧はおしまいだということだ。

('、`*川「……?」

なんとなく違和感を覚えて、ぼんやりと外を見ていた視線を眼前に戻す。
どうせ間を置かず放たれるだろうと思っていた口撃がいつまで経っても来ない。
不思議に思って前を見ると、盛岡くんは随分と悲痛な面持ちで小箱をじっと見つめていた。

215名無しさん:2025/05/08(木) 01:22:49 ID:/V6cX1oM0

(;´-_ゝ-`)「……すまなかった」

('、`;川「……えっ?」

(;´∩_ゝ-`)「あぁいや、違う。『ありがとう』か……また間違えた、すまん」

('、`;川「い、いや別に……どうも……」

今までの彼からはとても想像がつかないような、か細くて小さい声。
その姿があまりに見覚えのないものだったから、私もどう声をかけていいのか分からず、曖昧な返事だけを発する。

ここまで落ち込んでいるところは見たことがない。
株主によって事業計画を変更せざるを得なかった時も、二年かけて獲得しかけた土地を結局、別の大手に取られた時も。今まで一度だって彼は、下を向いて落ち込むなんてことはしなかったのに。

('、`*川「……ねぇ」

('、`*川「君、なにを失敗したの?」

秘書として、友人として、声をかけなくてはならない。
何かしらの鼓舞や慈雨の言葉を発しなくてはならない。
それでも、こういう時に自慢の記憶力は何も役には立ってくれず、喉に力を込めてようやく出たのは単なる質問だった。

(´ _ゝ `)「……こんなハズじゃなかったんだ」

小箱を握っている大きな両の手が、細かく震えたのが見て取れた。

216名無しさん:2025/05/08(木) 01:24:16 ID:/V6cX1oM0

(´ _ゝ `)「十年以上かけた。考えて、行動して……ここまで来るのに十年もかかった」

目はこっちを向いていない。それどころか、今彼が発している言葉すら私に向いているのかも分からない。
けれど、絞り出すようにポツポツと零れる言葉があまりにも真剣で、私は何も言葉を挟めないでいた。

(´ _ゝ `)「家を出て、事業を始めて、親友を巻き込んで……理由を作ってお前を傍に置いて」

(´ _ゝ `)「あの日の観覧車より大きなビルを建てた。一生どころか三生くらいは遊んで暮らせるくらい金も儲けた。これでやっと……やっと、堂々とお前の横に立てると思った」

(´ _ゝ `)「でも、駄目だなやっぱり。お前が絡むと、どうにも俺は駄目になる」

いつの間にか一人称まで戻っている。
大学に入ると同時期に、彼がなぜか突然変えた呼称。

(;´-_ゝ-`)っ□「……本当は、一番高い所で、渡す予定だったんだ」

盛岡くんの手のひらに、白い小箱が乗っている。さっき床を転がったそれが、ゆっくりと開かれる。



中から現れたのは、小さなダイヤモンドが付いた指輪だった。



.

217名無しさん:2025/05/08(木) 01:24:52 ID:/V6cX1oM0

('、`;川「……え」

自分が発したとは思いたくない程に間抜けな声が漏れる。
指輪に付いたダイヤモンドにゴンドラ内の照明が反射して、目が眩む。

それでも私の視線は、煌めきを放つ指輪を捉えて動かなかった。

('、`;川「…………なに、コレ」

続けて出た声も、ひどく気の抜けたもの。
いや、指輪なのは分かっている。付いている宝石と、収められていた小箱の意匠からも、どういう用途に使われるものなのかも察しがついている。

私が絞り出した声に、盛岡くんはひどく戸惑った表情を浮かべた。

(;´・_ゝ・`)「……もしかして。結婚に指輪っていらないのか?」

('、`;*川「いやいるけど!!い、いるけど……ちょ、ちょっと待って!!」

慌てて両手を前に出して拒絶する。
いや別に嫌という訳ではないが、こちらにも心の準備というものが必要なのであって。いきなりそんな物を出されても困るというか。

差し出された指輪を見る。
アクセサリーや宝石などに関する格別な知識はないが、指輪に施された細やかな意匠や、付いている宝石の光の反射具合、なにより、用意したのが他の誰でもない盛岡くんということから、偽物の類でないことは分かる。

だからこそ困惑する。まさかそんな代物を、本当に用意してくるだなんて。

218名無しさん:2025/05/08(木) 01:25:48 ID:/V6cX1oM0

( 、 ;*川「い、いきなりそんな凄いの出されても、信じられないというか、色々通り過ぎてちょっと怖いというか……」

('、`:*川「…………正気?」

何かを誤魔化すように髪をいじりながら、ちらりと眼前に座る彼の様子を伺う。
慌てる私の顔を真直ぐ見ながら、盛岡くんは至って真面目な顔をしていた。

(;´-_ゝ-`)「……正気かどうか問われるとあまり自信はないな。観覧車まで貸切るなんて、行き過ぎた行動だというのは流石に自覚してる。相談したデルタにも言われた」

視線が一瞬、手元の指輪に注がれる。
純白の光を放つプラチナの輪と、小さいながら立派な光沢を有したダイヤモンド。

(´ _ゝ `)「でも、本気なんだ。冗談でも、揶揄いでもない」

(´・_ゝ・`)「俺は……僕は本気で、お前のことが欲しいと思った」

(´・_ゝ・`)「……いや、違うな。『欲しい』っていうのは、ちょっと違う」
 
少し震えた真摯な声が、私の鼓膜を揺らしている。
今まで聞いたどんな声よりも、真直ぐな声。

(´・_ゝ・`)「僕が、お前の隣にいたいんだ」

(´・_ゝ・`)「金よりも、地位よりも名声よりも何よりも、お前の隣を堂々と歩ける、その権利が何よりも欲しいんだ」

「だから」という小さな呟きと共に、指輪が入った箱が少しだけ前に出る。

219名無しさん:2025/05/08(木) 01:26:44 ID:/V6cX1oM0



(´・_ゝ・`)っ□「――僕と、結婚してくれないか」



私の薬指にピッタリと合うように調整された白銀の指輪が、満月のように光って見えた。

220名無しさん:2025/05/08(木) 01:27:18 ID:/V6cX1oM0

*


('ワ`*川「……あ、見てみて!雪ちょっと積もってる!」

(´-_ゝ-`)「走るな。転んでも助けないぞ」

('、`*川「なによケチ。その長い腕は飾り?」

(´・_ゝ・`)「少なくとも酔っぱらいを支えるために長くなった訳じゃない」

桜の花びらみたいにゆっくりと宙を舞う雪の中、子どものようにはしゃぐ伊藤の後ろを歩く。
足元を見れば、ところどころに穢れのない真っ白な雪の塊が点在していた。

221名無しさん:2025/05/08(木) 01:27:49 ID:/V6cX1oM0

('、`*川「マイナス5点。世間一般の彼氏はこういう時、嘘でも支えるって言うものよ」

伊藤の口から出た『彼氏』という言葉に、ほんの一瞬だけ足が止まりそうになった。

動揺したことを一々悟られるのも嫌で、「いいから前見て歩け」とだけ返した一方、頭の中で『恋人』という新たな関係の名前を復唱する。
長い時間をかけた上、あれこれと面倒な根回しと準備をした結果得られた地位と関係性は、当初予定していたものより少しグレードは下がるも、まぁ、どこか悪くない響きに思えた。

222名無しさん:2025/05/08(木) 01:28:25 ID:/V6cX1oM0

一世一代の覚悟を持って挑んだプロポーズは、結論から言うと、ものの見事に失敗した。

シチュエーションが問題だったのではない。
場所も時刻も、理想とまでは言えないものの彼女が好みそうな状況には限りなく近づけられた。
用意した指輪が問題だったのでもない。
あまり高価すぎるのも文句を言われるだろうから、世間一般の基準らしい、自分の年齢の平均月収三か月分の物を用意した。個人的には随分質素になってしまったと物足りなさを感じていたが、彼女にとってはその方がいい筈だ。

にもかかわらず失敗した。
至極業腹ではあるが、プロポーズについては玉砕という形で見事に終結した。この僕が考えたプロポーズが、である。

理由は彼女曰く

('、`*川『……いや、交際すっ飛ばしていきなり結婚とかありえないでしょ』

とのことだ。
今更僕らにそんな期間が必要なのかは正直よく分からないが、彼女が言うなら世間的にはそういうものなんだろう。納得こそしていないが、とりあえずは飲み込むことにした。

金、容姿、社会的地位。世の人間が交際相手に求めるらしいトップスリーの要素を全て満たしているこの僕のプロポーズは、呆気ない言葉で儚く失敗した。
だがまぁ、そんなにショックかと問われると別にそうでもないというのが本音だ。
彼女が僕の想定通りに動かないことなど昔からだし、今こうして雪の中を楽しそうに跳ねる姿を見ていると、失敗ではあったが、無駄ではなかったと感じる。

223名無しさん:2025/05/08(木) 01:29:39 ID:/V6cX1oM0

(´・_ゝ・`)「……ん」

視界の先、彼女の足元付近で何かが煌めいたのが見えた。
歩く速度を少しだけ早め、コートのポケットに突っ込んでいた手を出す。

('、`;川「きゃっ…!?」

案の定、地面で固まり始めていた雪に足を滑らせて転びかけた彼女をギリギリ腕で支える。
覗き込んだ彼女の顔は、月光しか光源がないこの暗闇でも分かるほどの紅で染まっていた。
酒か、それともこの寒さのせいか。どちらにせよ、あまり他の男に見せたいような顔ではない。

('、`;*川「あ、ありがと……」

(´・_ゝ・`)「だから言ったろう。間抜け」

しっかりと両方の脚で立たせ、腕を放して、手を繋ぐ。
ただでさえ足元が暗い上にこの雪だ。慎重に歩いていたって転ぶ可能性は十二分にある。

だからまぁ、五指を絡めて手を繋ぐということは、安全配慮という観点からしても妥当な筈だ。

('、`;*川「……へっ!? ちょ、ちょっと、手……!」

(´-_ゝ・`)「なんだ。彼氏が彼女と手を繋いで歩くのも、非常識なことなのか」

僕の言葉に、伊藤はしばらく水族館の魚のように口をパクパクと動かしたが、結局なんの言葉も発さないまま下を向く。
そして、手は繋がったまま何も言わずに、ただゆっくりと歩くのみであった。

224名無しさん:2025/05/08(木) 01:30:14 ID:/V6cX1oM0

(´・_ゝ・`)「……どうした。何も言わないのか。気持ち悪いな」

('、`;*川「き、気持ち悪いってなに」

(´・_ゝ・`)「いつもなら僕の発言1つに、10や20で応戦してくるだろう。それが突然いやにしおらしくもなれば、この季節じゃなくても悪寒で体が震える」

(-、-#川「……ちょっとはマシになったと思った私が間抜けだったわよ!」

「怒っていても手は離さないのか」、なんて言葉は口にせず、腹中に戻す。
ここで何か追加で物申したところで穏便な流れには繋がらないし、何より、初めて得た口喧嘩での勝利だ。それも言い訳の余地なく、紛うことなき、こちらの勝ち。
下手に問答を続けて辛酸を舐めるより、余裕ある大人の対応をした方が遥かに良い。朱に染まった彼女の頬を横目に歩きながらなら、猶更だ。

黙ったまま遊園地内を歩いていると、ふと、ペニサスの視線が忙しなく動いているのに気が付く。
一体何をチラチラ見ているのかと様子を伺うと、その疑問をすぐに氷塊した。

繋がれていない方の彼女の左手。その薬指。
観覧車のゴンドラ内で渡した指輪が、彼女の左手薬指でキラリと光っているのが見えた。

225名無しさん:2025/05/08(木) 01:30:58 ID:/V6cX1oM0

(´・_ゝ・`)「……一応言っておくが、無くすなよ」

指輪を気にしていることがバレたのが恥ずかしいのか、彼女は勢いよくこちらを向いて睨みつけてきた。

('、`#川「無くす訳ないでしょ。ちゃんと家で大事に仕舞うわよ」

(;´∩_ゝ-`)「……昔から、変なところで察しが悪いな。お前は」

握っている手にやや力を込め、彼女の両目をしっかりと見つめ返す。こちらがどういう意図で言ったのか本当に理解していなさそうなその様子に、少し頭が痛くなる。
テストで彼女に一度も勝ったことのない自分が述べられる所見ではないのだろうが、出来の悪い生徒を持った教師というのはこんな心持ちなのだろうか。

(´・_ゝ・`)「いいか。それは結婚指輪ではなく、婚約指輪になったんだ。どこぞの頭カチカチ女が僕のプロポーズを拒否したお陰でな」

('、`#川「嫌味ったらしい言い方しなくても分かってるわよ。めちゃくちゃ高価な指輪なのも分かってるし、だから、家でちゃんと……」

(´-_ゝ-`)「分かってない。自分があげた指輪を家に飾る女を見て、喜ぶ男がどこにいる」

('、`*川「……?」

('、`*川「なんでよ。大事にしてるんだから、少なくとも嫌ではないんじゃないの?」

ここまで言ってもまだ分からないかと視線で訴えるも、彼女は未だ首を傾げたまま。
現代文でも古文でも漢文でも満点続きだった女が、今更なにを無知ぶっているのか。

226名無しさん:2025/05/08(木) 01:31:30 ID:/V6cX1oM0

(;´-_ゝ-`)「……お前、指輪をつけた女を会社で見て、どう思う」

('、`*川「えっ?そりゃあ……既婚者なんだな〜って」

(´-_ゝ・`)「他には」

('、`*川「他って言われても…お洒落だなぁとか……恋人からのプレゼントなのかな、とか?」

(´・_ゝ・`)「それだ」

端的に答えを示す。
数秒遅れて、伊藤の頬が更に赤くなる。
鈍い彼女でもようやく理解してくれたようで、僕は顔に感情を出さないまま、ホッと胸を撫で下ろした。
『虫除け』という効果など、一々口に出したくはない。

227名無しさん:2025/05/08(木) 01:32:30 ID:/V6cX1oM0

(´・_ゝ・`)「……なぁ」

黙ったまま、園内の出口に向かって歩くこと数分。改めて沈黙を破ったのは僕の方からであった。
何かを期待したような顔がこちらに向く。関係性が新しくなったからか、もう十年以上見慣れた筈の彼女の表情が、いつもと何処か違って見えた。

(´・_ゝ・`)「今日の僕は、何点だった」

伊藤と過ごした日の終わりに、いつも尋ねている決まり事。何もかもに点数を付ける彼女の癖を基にした、自分への評価。
いつからか、彼女から告げられる点数が人生の指標になっていた。

('ー`*川「うーん……80点?今日なら、それくらいはあげてもいいかもね」

上機嫌そうな彼女の横顔を見ながら、告げられた点数を心中で復唱する。
80点。今まで聞いた点数を更新する、最高得点。

普段なら飛び上がるほどに喜んでいただろう。家に帰って、祝いと称して秘蔵のワインを開けていたことだろう。
だが今の自分は、そんな点数では満足できなかった。

(´ _ゝ `)「……いい加減、減点方式はやめてくれないか」

僕の声に、伊藤は困惑したようにこちらを向いた。
握ったままの手に少し力が入る。以前にも歎願した、採点方式の変更願い。

228名無しさん:2025/05/08(木) 01:33:18 ID:/V6cX1oM0

(´・_ゝ・`)「加点方式なら、何点つけてくれるんだ」

歩みを進めていた足が、二人同時にピタリと止まる。
伊藤は空いていた左手を口元に当て、何かを考える素振りを見せた。

左手に輝く指輪を見る。さっき自分があげた、婚約指輪の代わりとなった円輪。
道に積もった雪に反射した光がダイヤに当たって、その存在が一際目立っている。

('、`*川「……加点で………?」

('、`*川「……」

(-、-*川「………」ウーン

(;´・_ゝ・`)「………」ハラハラ

裁判官からの判決を待つ被告人の気分とは、こんな気持ちになるのだろうか。

空いている方の手が顎に当てられ、目を閉じ、真剣に何かを考えている伊藤の顔をじっと見る。
自分も彼女も無言のまま。雪が降る深夜、他に何の音も聞こえてこない閑静とした空間。

229名無しさん:2025/05/08(木) 01:33:46 ID:/V6cX1oM0

数分か、それとも数十分は待っただろうか。

('、`*川「………99点、かな」

口元に寄せられていた左手が下げられ、判然とした声で、点数を告げられた。

思わず耳を疑ってしまった程の高得点。
そして、それを告げた張本人は慈愛のような優しさを含んだ目で、微笑を湛えたまま僕を見つめていた。

('ー`*川「……うん。加点方式なら、それくらいあげてもいいかも」

楽し気な歩幅でこちらとの距離が詰められた。

改めて、彼女の小柄さを意識する。自分とは比べ物にならない程に細くて、華奢な身体。
こんな、少し自分が力を込めて抱きしめてしまえば忽ち折れてしまいそうな体躯で、ずっと自分を支えてくれていたのかと今更思った。

230名無しさん:2025/05/08(木) 01:34:43 ID:/V6cX1oM0

(;´・_ゝ・`)「……なら、あと1点は何が足りないんだ」

ふと鼻腔を甘い香りが擽って、ハッと意識を引き戻される。

(;´・_ゝ・`)「自分で言うのもなんだが、今日の僕は結構頑張っただろう」

(;´・_ゝ・`)「これだけやって一体、何がまだ足りないって言うんだ?」

百点満点を目指して今まで頑張ってきた人生なのだし、この際だ。採点基準を聞いたって別に試験官の、彼女からの心象は悪くなったりしないだろう。

クラスメイト、友人、仕事仲間ときて、恋人になった彼女を見下ろす。
すると伊藤は、少し俯き気味のままゆっくりと口を開いた。

('、`*川「そうね。助けてくれたし、観覧車の約束も守ってくれたし……ちょっと非常識だったけど、ムードの良いプロポーズだってしてくれたし」

('ー`*川ドキドキして、凄く嬉しかった。心臓がプラスチックみたいに、溶けそうになったくらい」

(´・_ゝ・`)「なら、別に百点くれたって……」

( 、 *川「でも、さ」

また一歩、伊藤がこちらに詰め寄る。二人の間にあった距離がほとんどゼロになる。
そして、彼女はひどく紅くなった顔をこちらに上げてみせた。

( 、 *川「……恋人らしいことが、まだ、足りません」

未だに空からは雪が降っていて、少しでも言葉を発すると、空気が白く濁るほどに寒い。
それほどまでに冷えているからか、伊藤の囁くような言葉はスッと耳に響き、彼女の頬は林檎のように紅く染まっていた。

231名無しさん:2025/05/08(木) 01:35:36 ID:/V6cX1oM0

数秒、互いに見つめ合う。すると、伊藤の目がゆっくりと閉じられる。
いくら人の感情の機微に疎い僕でも、彼女が何を望んでいるのかは流石に理解出来ていた。

(;´・_ゝ・`)「い、いや……ここでか?」

(-、-*川シーン

僕の戸惑いにも伊藤は反応することなく、地蔵のように目を瞑ったまま動こうとはしなかった。

いくら人がいない深夜で、貸切り状態だといっても、ここは遊園地。公共の場だ。
そんな所でするなどと、それこそ伊藤が昔から嫌う非常識な行動ではないだろうか。

(;´-_ゝ・ `)「………あとで、文句言うなよ」

数十秒ほど固まってから、僕はようやく、彼女の後頭部に手を沿えた。

絹のような髪が手に触れてくすぐったい。改めてまじまじと彼女の顔を見ると、記憶の中よりずっと長い睫毛や、薄く小さい唇に驚く。
少しだけ腰を屈める。彼女の髪に少し積もった雪を手で払う。
一度の深呼吸をした後、ゆっくりと、彼女の唇に顔を寄せた。

232名無しさん:2025/05/08(木) 01:36:42 ID:/V6cX1oM0



⊂( 、 *川「――あぁもう、じれったい」



ぎゅっと、抱きしめられるように顔を引き寄せられる。
突然、重力が強くなったみたいに首を引っ張られる。


唇に触れたのは、唇であった。


.

233名無しさん:2025/05/08(木) 01:37:27 ID:/V6cX1oM0


( ー *川「……これで、一点追加ね」


ゆっくりと唇が離される。冬の夜とは思えないほどに、顔全体が火照っている。
すぐ目の前には、蕩けたように笑う恋人の顔があった。

(*´・_ゝ・`)「……………は」

( 、 *川「………えへへ」

('ー`*川「また、私の勝ちだ」

悪戯っぽく、それでいてどこか妖艶な笑みが浮かんでいる。

舌の先を少しだけ出して笑う彼女を、呆けたまま見る。
間抜け面をしたままの僕を見て満足したのか、彼女は子どもみたいにくるっと回り、また、僕の先を歩きだした。

234名無しさん:2025/05/08(木) 01:38:46 ID:/V6cX1oM0

――あぁ。きっと、最後まで僕はこれだ。

どれだけ努力しようと、頭を捻ろうと、計画を企てようと、ちょっとした触れ合い一つで盤面を一気にひっくり返される。
何度も彼女に挑んだ。一度でも勝てることが出来たのなら、きっとその時、彼女に認めてもらえると。褒めてもらえるのではないかと思ったから。
試験でも、小テストでも、口喧嘩でも、ちょっとした知恵比べでも、その全てを僕から挑んで、今の今まで負け続けてきた。
きっと、この関係はこのまま変わらないのだろう。

クラスメイトから友人になった。
友人から同僚になった。
同僚からようやく、恋人になった。

季節が巡る度に道端で咲いている花の色が変わるように、コロコロと変わっていく関係性。もしかしたら今の関係だって、遥か未来にはまた変わっているのかもしれない。
当然だ。ずっと変わらないものなんてない。生きている限り、この世界に存在している限り、不変なんてものはありえない。ずっとそのままなんて、映画や小説の中にしか存在しない。

それでも、例外というものはある。その最たるものが、きっとこれだ。
僕はずっと彼女に勝てない。どれだけ高いビルを建てようが、どれだけ恵まれようが、何年経とうがきっと、僕は彼女に負け続ける。

そして、そんな日々に悪態をつきながら、僕はずっとこれからも、君の隣で笑うのだろう。

月に住むウサギみたいに、跳ねるように先を歩き出した彼女の後を追う。
フラフラと揺れていた彼女の左手に月光が差し込み、街を覆う純白の雪みたいな光が一瞬だけキラリと光る。

僕は駆け足気味に彼女に近寄り、その右手をぎゅっと握った。

235名無しさん:2025/05/08(木) 01:39:46 ID:/V6cX1oM0


(*´・_ゝ・`)「――帰るぞ。ペニサス」

('、`*川「………」

('ー`*川「――うん。デミタスくん」


愛しい人の名前を呼び、愛しい人から名前を呼ばれる。
再び手を繋ぎ直し、指を絡ませる。
雪が積もった道の上を、二人でゆっくり歩き出す。



左手から伝わってくる体温が、火傷しそうに熱く感じた。

236名無しさん:2025/05/08(木) 01:40:09 ID:/V6cX1oM0
終わりです。
読んでいただき、ありがとうございました。

237名無しさん:2025/05/08(木) 03:33:04 ID:5cpWK4ZQ0
おつ!

238名無しさん:2025/05/14(水) 13:48:46 ID:HhbaojF.0
おつです!
待ってました!
やっぱりデミペニは最高!!

239名無しさん:2025/05/15(木) 14:48:58 ID:b1euYwaM0
完結してたのね、おつ
こんなに砂糖入ったデミペニは1週まわって新鮮でよき

240名無しさん:2025/06/11(水) 09:33:54 ID:FNQNs.CI0
乙!


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板