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ラトヴイームの守り手だったようです
83
:
名無しさん
:2023/05/31(水) 22:54:32 ID:eEdvlOHE0
ああ、またここか。
急速に塞がっていく焼け爛れた表面。自らの延長と化した手斧。酷く億劫な肉体。
背を預けた大木。凭れた身体。死臭漂う汚濁の空気。積み重ねられた屍。
武装した屍の群れ。悪を睨む死者の群れ。何もかもが、また、同じ。
「フォーックス!!」
張り上げた声、兜、鎧、剣に、斧に、槍。
屍と同じ格好をした、未だ屍の仲間入りを果たしていない者たち。血走った目。
泡の浮かぶ口角。恐怖心を興奮と憤怒によって上書きしようとする、涙ぐましい努力。
遥かな過去より見続けてきた、戦士の顔。戦士の集団。
「フォックス、フォーックス!!」
戦士が俺に襲いかかる。剣を振り下ろす。大木に背を預けたまま、手斧を振る。
剣が砕けた。兜が砕けた。頭が砕けた。戦士の生命と、その魂が砕けた。
戦士たちが、同時に飛び出してきた。
84
:
名無しさん
:2023/05/31(水) 22:55:00 ID:eEdvlOHE0
屍の仲間入りをした戦士だったものを蹴り飛ばし、足止めする。
一人先行した戦士の首を刈り、そのまま足止めした先の戦士に手斧を投げつける。
顔面を割られたそいつが、膝から崩れ落ちる。
砕けた剣に、転げた戦斧をつかんで、左右から飛びかかってきた者たちを
それぞれ斬り刺し貫く。息をしなくなった。戦える者は、もういない。
剣と戦斧から手を離し、自らの獲物である手斧を回収する。
一人生き残った、真新しい鎧に身を包んだ赤ら顔の目の前で。
赤ら顔は勇敢にも槍を構えていたが、
その先端はがたがたと震えに震え、目元には涙すら浮かんでいる。
赤ら顔の目の前で、手斧を振った。
槍の穂先が地面に落ち、横たわっていた屍のひとつに突き刺さる。
赤ら顔は悲鳴を上げ、腰を抜かし、いよいよぽろぽろ涙を流した。
「行け」
赤ら顔に告げる。
しかし赤ら顔は言葉の意味を理解できないのか震えるばかりで、逃げ出そうともしない。
手斧を振り上げ、足元に投げ下ろす。槍の穂先の刺さった死体が、その穂先ごと砕け散った。
85
:
名無しさん
:2023/05/31(水) 22:55:22 ID:eEdvlOHE0
「知れ、そして喧伝せよ。『バチカルの暁光』が悪徳を」
四つん這いの格好で赤ら顔が、地面を這って逃げ去っていく。
その行く先を見届けることなく彼は獲物を拾い直し、そして、振り返った。
振り返った先には自らが背を預けていた大木。
夥しい量の血液が付着した、禍々しくも物寂しい。
彼は大木を見上げながら、己が手斧を握り直す。
「あーあー……」
そしてさしたる力を込めることもなしに、逆手に握った手斧を振り上げた。
背中に生暖かい感触が付着する。
「死んだらなんにもならないだろうよ。オレにとっても、お前さんにとっても」
背後にいたのは、逃げ出したはずの赤ら顔。
短剣を構えた赤ら顔の、真二つに割かれた成れの果ての姿が、そこには存在していた。
例え駆り出されたばかりの新人であったとしても、彼は確かに戦士であった。
生命のやり取りでしか道を拓くことを知らない、戦士。
86
:
名無しさん
:2023/05/31(水) 22:55:48 ID:eEdvlOHE0
「こんなことで、いつか辿り着けるものかねぇ」
もはや二度と震えることのない戦士の目に、そっとまぶたを下ろしてやる。
まぶたを下ろしもう一度、大木を見上げる。
「なあ、ケテルの使徒王様よ」
大木の葉が、淀んだ風を受けて揺れる。
応えなど、どこからも返ってはこない。
「……ハッ、そうだな」
何もないその空間に向け、手斧を振るった。
手斧を振るったその軌跡に沿って、空間が縦に切り裂かれた。
歪んだ景色を映し出すその裂け目に彼は、身を入れる。
頭、腕、胴、腰、足と、彼の身体が裂け目の向こう側へと移動していく。
そして彼の身体が向こう側へと完全に移行したその直後、空間の裂け目が閉じた。
後にはただ、静寂。
.
87
:
名無しさん
:2023/05/31(水) 22:56:24 ID:eEdvlOHE0
今日はここまで。続きはまた明日に
88
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 01:51:14 ID:/PjL9q/k0
おつ
89
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 06:48:26 ID:4pITeinc0
期待
90
:
◆y7/jBFQ5SY
:2023/06/01(木) 22:05:00 ID:CGiYtP6c0
ג
「いいから来いよ、すげーんだって」
閉鎖されて久しい山中トンネル。
散らばった瓦礫を当たり前のように払って彼は、
光の種すらない暗闇へと足を踏み入れていく。
危ないよと、私は思う。子どもだけでこんなところに入るなんて、
絶対にいけないことだよって。けれど私は、思いを言葉にしなかった。
だから私はおっかなびっくり、すえた臭いの漂う暗闇のトンネルへと踏み込んでいく。
弱々しくて心許ない、いまにも消えてしまいそうな古ぼけたランタンの火を頼りとして。
かすかな明かりに照らされたトンネルの内部は壁も天井もないような有様で、
当然そこはもう道なんて呼べるような道ではなく、大きな瓦礫の上を登ったり、
逆にくぐったりしながら私は、先へ先へと軽快に進む彼の後を追っていった。
待って、待って、お願い待ってと私は思う。
置いていかないで、一人にしないでと私は思う。けれど私は、思いを言葉にしなかった。
それを言葉にするだけの勇気を、私は持ち合わせてはいなかった。
91
:
◆y7/jBFQ5SY
:2023/06/01(木) 22:05:31 ID:CGiYtP6c0
だから私は先へ先へと軽快に進む彼の背を、無言のままに追い続けた。
ただひたすらに、他の何にも目をくれず、ただただ彼を追い続けた。
それで――ランタンを落としてしまった。
本当の暗闇に、視界と皮膚とが包まれる。何も見えない、感じない。
彼の存在を感じられない。怖かった。暗闇に包まれた状況そのものよりも、
在るはずのものを感じられないことが怖かった。
在るかどうか定かでないものに思いを巡らせてしまうことが怖かった。
このまま置いていかれてしまうのではないかって、
怖くて怖くて仕方がなかった。涙が溢れてくるくらいに。
――やっぱり私、嫌われているんじゃないかって。
92
:
◆y7/jBFQ5SY
:2023/06/01(木) 22:06:08 ID:CGiYtP6c0
「手ぇ、放すなよ」
声が聞こえた。手を握られた。姿は見えない。けれど、存在は感じた。
見えない手のその先が、私を引っ張った。私はそのまま、引っ張られるに任せた。
彼が私を呼んだ。私も彼を呼んだ。彼が私を呼んだ。私もまた、彼を呼んだ。
自分がいまどこをどのように動いているのかも判然としないまま、
けれどもわずかな恐れも抱かずに私は、先を進む力に身を任せた。
そうしてそれが、どれだけ続いたことだろうか。遠く、光が見えた。
暗く長いトンネルの、出口を示す光が。一層の力で、先を行く手が私を引っ張る。
握るその手に力を込めて、私も後についていく。走って、走って、一緒に走って。
そうして私たちは、辿り着いた。
そうして、そうして、辿り着いたその先には、光差すその先には――。
.
93
:
◆y7/jBFQ5SY
:2023/06/01(木) 22:06:46 ID:CGiYtP6c0
「リリ、足が止まっているようだが」
「……あ?」
……目の前には、どこどこまでも続く水晶の床と橋。
星の海と、星の空と、興奮気味に橋の上を滑っているシィの姿。
そうだ、オレたちはアドナを助けて、アドナに橋を架けてもらったんだ。
それでオレたちは果て先へ向かうために橋を渡っていて、それで――。
「記憶を取り戻したか」
胸の裡で、ショボンがいう。記憶……あれが、オレの記憶?
判らない。目覚めた直後から靄の向こうへ離れてしまう夢のように、
もはやその輪郭もはっきりしない。
ただ、ただそれでもかろうじて覚えているのは、そこに見えるすべてになんだか、
なんだか無性に、泣き出したくなってしまいたくなるような何かを感じて――。
……いや。いや、いや、いや、いや!
違う、そんなはずはない。だってオレは泣かない。
何があろうと、過去がどうだろうとオレは絶対に泣きはしない。
泣きそうになんかもなったりしない。泣かないんだ、オレは、絶対に。絶対に、絶対に。
94
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:07:36 ID:CGiYtP6c0
「……なあ、なんで判ったんだ」
「質問の意図が不明確だが」
「うっせーな……あの時のことだよ。初めて会った時の。
言ってたろ、やっぱりって。何も思い出せないんだろっての」
「ああ、言ったな」
「なんで判ったんだよ」
「お前の瞳に、過去を厭う暗晦を見た」
大真面目な顔で、ショボンがいう。
こいつは大概、こんな顔しかしないけども。
「なに言ってんのかよくわかんねーんだけど」
「感覚の話だ。言語化するのはむつかしい」
「なんだよ……つまり当てずっぽうってことか?」
「それは違う。私には判るのだ」
95
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:08:03 ID:CGiYtP6c0
ショボンの調子に、変化はない。
「リリよ、過去とは時に残酷だ。
目を背けたくなる過去との対向は、自傷に等しい痛みを生む。
それが自ずから封印してしまうような傷跡であれば、尚更のこと。
だが同時に、秘められた過去にこそ己を象る根源が隠されていることもまた、事実」
その視線は、私にではなく。
「故に私は、紐解くことこそ重要であると考える。暴くのではない。
紐解きながら、受け入れる。畢竟それが、最善への道であると――私はそう、考えている」
あくまでも前を行く、少年へと向けられていて。
「お前の記憶が、正しくお前に紐解かれることを祈る」
「……それは、どーも?」
96
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:08:44 ID:CGiYtP6c0
「リーリー!!」
シィが手を振り、「きーてー!」と声を張り上げていた。
ショボンを見る。ショボンはもう口を閉じ、何も話すつもりはないようだった。
シィがさらに声を上げた。早く早くと、急かすようにして。
オレはあえてゆっくりと、普段以上にのろのろとした足取りで歩を進めてやった。
「リリ、あれ! あれ見て!」
橋の縁から身を乗り出し、全身を伸ばしてシィが指す。
上下を星に囲まれた空の向こう、海を越えたその先へと。
シィの言葉に従い視線を向けたオレは、すぐにもそれを認めた。遥か彼方に聳える、それを。
「あれ、は……」
「リリ、あれはね、ラトヴイームだよ。果て先のラトヴイーム、ボクたちの目的地!」
「ラトヴイーム……?」
「うん!」
シィの声を聞きながら、オレはさらに目を凝らす。
遥か彼方に聳えるそれは、距離感を失いそうになるほどに巨大な樹木だった。
眺めているだけで吸い込まれてしまいそうになる、不思議な威容を感じる樹。
アドナに感じたそれともまた違う。
……それに、なんだろうか。あんなもの、知らないはずなのに。
どこかで見たことがあるような、懐かしいような、なぜだか、そんな気が――。
97
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:09:21 ID:CGiYtP6c0
「あのばかでかい樹が、オレたちの目的地なのか……?」
「そうだよ! 西の果てのその果て先で待つラトヴイーム!
大きな大きなあの樹の下で、ボクたちは誓いを立てるんだ!」
「誓い?」
シィが、オレの手をつかんできた。
「ラトヴイームはね、ケテルの使徒王さまが持ち帰った誓いの樹なんだ。
大切な人を失った使徒王さまが、お別れをした大切な人との間に平和を誓った誓いの樹。
この世にたった一本しかない孤独な樹で、仲間のいない悲しみの樹なの。
だからねリリ、ボクはラトヴイームを守ってあげなきゃいけない」
「……なに言ってんだ?」
シィを見る。シィの鉄仮面は、彼方に聳えるラトヴイームに向いている。
「リリ、ボクはラトヴイームの守り手なんだ。ずっとずっと、そうだったの。
ずっとずっとずっと昔から、そう決まっているの。だからねリリ、
ボクはラトヴイームを守りに行く。果て先に行く。だって、だってだってそれが――」
ぎゅうと、握るその手に、力がこもった。
「ボクの願いなんだから」
98
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:09:48 ID:CGiYtP6c0
鉄仮面に阻まれて、シィの顔は見えない。
どんな顔で、どんな目で話しているのか、鉄仮面に阻まれて伺えない。
シィが何を考えているのか、オレには見えない。
「いや、いや待てよ。お前、確か、父親の為って――」
「待て」
ショボンがオレの言葉を遮った。同時、異音が耳へと飛び込んできた。
背後で、どろどろとした何かが立ち上がりかけていた。
不定形などろどろとした何かは徐々に徐々に輪郭を固め、確かな形を象っていく。
それは人の形をしていた。黒一色に塗りつぶされた、輪郭だけの人の形。
ただ一点だけ、明確な欠落を感じさせるその姿。――首のない、影。
「こいつ……!」
間違いない。こいつはあの時、シィからショボンを奪おうとしたやつだ……!
オレはシィにショボンを押し付けると懐から頼りの獲物を取り出し、両手でそれを構えた。
99
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:10:28 ID:CGiYtP6c0
「来るなら来いよ! 今度もまた! オレが! めちゃくちゃにしてやるからな!」
自身を奮い立たせるように気炎を吐く。ばか、こらと、さらに付け足して。
しかしその声も、次に起こった出来事によって消沈してしまう。
首のない影の周りには、他にもどろどろとした何かが蠢いていた。
それらがまた、人の形を象っていく。次々と、次々と首のない影が増えていく。
一〇では足りず、あるいは一〇〇をも越えるような数の影が、
来た道を塞ぐようにして橋を埋め尽くしていく。
「……シィ!」
シィの手を取り、駆け出した。
それが合図となったかのように、影たちも一斉に動き出す。
ひしめきあう影たちが追いかけてくる。影はその姿に相応しく人のように駆ける者もいれば、
獣のように四足で移動する者、関節の動きが明らかに人のそれとは異なる嫌悪感を催す者もいた。
影たちは協力している訳ではないらしく、目の前の影が転げればそれを踏み潰し、
呑み込み、我先にとこちらへ手を伸ばしている。そしてその手は明らかに、ある一点へ。
100
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:10:57 ID:CGiYtP6c0
「ふむ。どうやら狙いは私のようだ」
「なにそんな落ち着いてんだよ!」
「性分だ」
影たちの足はそこまで早いわけではなく、全力で走り続ければそうそう追いつかれることもない。
しかし――こちらは影ではなく、人間。無限に走ることなどできはしない。
こいつらはどこまで追いかけてくるのか。どこまで走れば逃げ切れるのか。
ゴールの確証を持てない行為は身体の重みを倍加させる。
過剰に吐き出される酸素に、脳が萎縮する。
苦しい。痛い。走るのがつらい。捕まったらどうなる。
そもそもオレは捕まるのか。狙いはショボンだけなんじゃないのか。
ショボンを渡せば済む話なんじゃないのか。案外なんてこともなく、
すぐに返してもらえるんじゃないか。後ろ向きに都合の良い考えが脳裏をよぎる。
だが。
101
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:11:22 ID:CGiYtP6c0
「オレが! 助けて! やるから!!」
鉄仮面を揺らして走るシィに向かって、掠れた声で叫びあげる。
シィ。先程の発言――ラトヴイームとかいうばかでかい樹を守ることが自分の願いだという、
シィの発言。あの発言の真意は判らない。
父親と母親を会わせてやる。それが願いだと、シィは言っていたはずだった。
うそを吐いていたのか。判らない。うそなんて吐けるようには思えないが、
だとしてもあり得ないと言い切れるほどにシィのことを理解しているわけでもない。
もしかしたら全部がうそなのかもしれない。
こいつらは詐欺師かあるいはただの虚言癖の持ち主で、
もしかしたらオレは騙されているだけなのかもしれない。
だってオレは、きらきらと輝く星のような瞳以外、シィの顔を見てすらいないのだから。
信じる方がばかなのかもしれない。
だが、関係ない。オレは決めたのだ、こいつを助けてやると。
“今度こそ助ける”と、そう決めたのだ。血反吐を吐いて、足が千切れても、助けてやる。
シィも、ショボンも、オレが。オレが、オレが、オレが――。橋の、終わりが見えた。
102
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:12:00 ID:CGiYtP6c0
「渡りきれ、あれがゴールだ!」
ショボンが吠える。なんでそう言い切れるんだよ。
そんな思いが去来する。しかし――。
「……信じるぞ、こらぁ!」
シィの手を、一層強く握りしめる。どちらにせよ、橋を渡る必要はあるのだ。
それなら根拠があろうとなかろうと、乗っかってやったほうが力に変わる。
信じたほうが、力に変わる。だから走る。無心に、シィの手を握って、走る。
ゴールはもうすぐそこだ。もうすぐ渡りきる。もうすぐ、もうすぐ――。
「あ」
シィが、小さく声を上げた。影が一体、すぐ側にまで迫っていた。
影の伸ばした手が、ショボンに触れていた。シィの腕の中から、ショボンがこぼれた。
こぼれたショボンが、空中に舞った。ショボンを追って、シィが飛んだ。
無数の黒い影が手を伸ばす場所に向かい、シィが飛んだ。
その、次の瞬間。水晶の橋が、砕け散った。
巨大な何かが海を割り、水晶の橋にぶつかり、眼の前のそれを砕き割った。
――王鯨アドナが、自ら作り出したその橋を砕き割った。
103
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:12:22 ID:CGiYtP6c0
足場を失った影たちが海へと落下する。一人残らず、落ちていく。
オレは――オレは、無事だった。
橋を渡りきり、岸へと辿り着いたオレは、驚くべきことに無事でいられた。
シィも、無事だった。
あの時、空中へ放り出されたショボンをつかもうと飛び出したシィ。
そのシィの手を、オレは離さなかった。つかんだまま、引っ張った。
力の限りに引っ張った。だからシィも、無事だった。
いま目の前で無事に、その背をオレに晒していた。
しかし、シィは動かなかった。
背を丸め、何かを抱えるような格好のまま、その場に固まっていた。
まるでそこにあるはずのものを、抱えているはずのものの残滓を見つめてでもいるかのように。
まさか。そんなはず、あるか。オレたちは渡りきったんだ、無事に逃げ切ったんだ。
だったら、そんなことあるわけない。でも、まさか、まさか――。
104
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:12:52 ID:CGiYtP6c0
「海中を泳ぐアドナの姿が見えた。
彼女ならば我々を助けてくれると思ったが、間一髪だったな」
「び…………っくりしたー!!」
シィがひっくり返った。ひっくり返ったシィの手には――ショボン。
頭だけのショボンが、しっかとシィにつかまれていた。
仰向けになったシィは足をばたばたと上下させながら、びっくりしたね、
アドナすごかったねと興奮気味にしゃべくりまくっている。
その受け手となったショボンも、ひとつひとつ律儀に相槌を返している。
日常のような平生っぷりで。
……はあ? …………はあ〜?
「どうしたリリ、そんなに口を開いて」
「…………あー!!!! もー!!!!」
叫び声を挙げ、オレもひっくり返った。疲労がどっと、襲いかかってきた。
もう一ミリだって動きたくない。腹立ちとともに、そんな思いが全身を包む。
「リリー!」と呼ぶシィの声にも、「知らん!」とそっけなく返す。
けれど同時にオレは、心地の良い充実感を覚えてもいた。
それは涼やかな外気と共に、身体の内側を駆け巡っていく。
オレは、噛み締めていた。オレはやったんだ。守ったんだ。オレはこいつらを守りきったんだ。
オレがこいつらを、助けたんだ。
105
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:13:33 ID:CGiYtP6c0
「まるでカモシカのような走りっぷり、見事だったナ、なあアニジャ」
「バタバタとみっともない逃げっぷり、滑稽だったナ、なあオトジャ」
身体を起こし、ナイフを構えた。
この人を喰ったような、癇に障る声色。聞き間違えるはずもない。こいつらは――。
「御一行様さっきぶり、縁があったなとアニジャが言ってるゼ」
「御一行様ひさしぶり、ただの偶然だとオトジャが言ってるゼ」
「ピエロども!」
ピエロたちの前でナイフを振るう。
しかしピエロたちは怖い怖いと言いながらおどけた調子で難なく翻り、声を揃えて笑い出す。
「お前らの仕業か、さっきのは!」
「ひどいなアニジャ、濡れ衣着せられちまったゼ」
「笑えるなオトジャ、いまさら気づいたみたいだゼ」
「あっははははははは!!」
「あっははははははは!!」
「ふっざけんな――」
「待て、リリ」
いつの間にか、シィが隣に立っていた。シィと、それからシィの抱えるショボンが。
常に変わらぬ態度のままに、ショボンが口を開いた。
106
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:13:56 ID:CGiYtP6c0
「ここはセフィロト。魂の在り方を反映する場所。
そこで起こる出会いに無意味なものはなく、すべては必然の上に成り立っている。然るに――」
淡々と、変わらぬトーンで告げる。
「お前たちがここの案内人だな?」
道化師たちが、ショボンを見ていた。冷めたような、白けたような、これまでにない態度で。
「……つまんねえ野郎だな、お前」
「……くだらねえ野郎だな、お前」
「好きに評すればいい。私にとって重要なのは果て先へ辿り着くこと、
その一事であるのだから。それで、如何か。お前たちは何故、ここに在る」
ショボンと道化師がにらみ合う。静かに、しかし有無を言わさぬ対立を顕としながら。
――先に音を上げたのは、道化師たちの方だった。
107
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:14:29 ID:CGiYtP6c0
「いいサ、案内してやるよ」
「案内するまでもないけどナ」
へらへらと薄笑いを浮かべた普段の態度で、道化師たちが指を鳴らす。
すると道化師たちの背後の空間に、カラフルな色彩が浮かびだした。
色合いなどまるで考慮しない様子で並べられた無数の色が立体的に、
パーツごとに組み合わさっていく。そうしてそこに、ひとつの家が現れた。
目に痛い原色をでたらめに並べた、らくがきのような家が。
「さっさと来いよ、待ってるゼ」
「待っててやるから、慌てんなヨ」
重々しく開いた扉の中へと、道化師たちが滑り込む。
その先は暗く、ひとつの明かりも見受けられない。
そこに何が待ち受けているのか、外からでは何一つ見て取れない。
「……どうするよ」
「無論、進む」
「でもよ……」
あの道化師たちのこと、何をしでかしてくることか。碌な出迎えなんて期待できない。
水晶の橋の時のように、あの首のない影をけしかけられる可能性だってある。
そうした危険性を考慮するに、おいそれと足を踏み入れていいものか。
オレはそう、ショボンに告げる。しかしそれでも、ショボンは断言する。
108
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:14:55 ID:CGiYtP6c0
「先にも述べた通りだ。このセフィロトに、無意味な出会いは一つもない。
やつらの態度に思うところがあるのは理解するが、
だとしても、進まないという選択肢は存在しない」
「ボクもそう思うよ!」
ショボンを抱えてシィが一歩、ぴょんと跳ね跳び前へ出た。
「だってここ、すっごく楽しそう!」
そうして能天気に、行ってみようと誘ってくる。天を仰ぐ。ため息を吐く。
……判ったよ。なにがあっても、やることは同じだ。
「手、貸せ」
「うん!」
シィの手を取る。きらきらと輝く星のような瞳がこちらを見る。
うなずくと、瞳も同じようにうなずいた。そうしてオレたちは
このらくがきみたいな家へと、暗闇の中へと入っていった。
109
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:15:22 ID:CGiYtP6c0
何も見えない。何も、足元も、隣りにいるはずのシィの姿も見えない。
つないだその手だけを頼りに、シィの存在を感じ取る。
響き渡る足音だけを頼りに、自分が歩を進めていることを確かめる。
「シィ」
「うん、リリ」
「シィ」
「うん、リリ」
声を掛け合って、お互いを認め合って。
同じ歩調で、同じペースで、オレたちは先へ進んだ。
先に進んで、出口に向かって。
……出口?
オレは、オレたちは、家の中へ入っていったはずだ。
出口を目指していた訳ではなかった……そのはずだ。
なんでオレは、そんなことを思ったのだろう。
なんでオレは――懐かしいような、さみしいような、そんな気持ちになっているのだろう。
何かを思い出しそうだった。何か、大切な何か。シィの名を呼ぶ。
しかし、オレが呼んでいたのは、本当にシィだったろうか。
オレが呼んでいたのはシィではなく、なにか、別の、誰か、別の――。
名前。
110
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:16:28 ID:CGiYtP6c0
「あ」
唐突な、明かり。目がくらむ。ついで、破裂音。何かが爆発するような。
シィを引き寄せる。眩しい。くそ。なんだ、何が起こってる。シィ。
呼びかける。返事が来る。ショボン。呼びかける。返事が来る。
問題なく、二人はいる。少しだけ、安堵する。
そうしているうちに、目が慣れてきた。
白の目くらましが剥がれ、周囲に存在するものを見て取れるようになった。
子どもたちが、周りを取り囲んでいた。
「おめでとう!」「おめでとう!」「おめでとう!」「おめでとう!」
拍手の渦が、巻き起こっていた。
おもちゃの太鼓や笛が鳴らされ、破裂音が再びとどろき渡った。
三角錐のクラッカーから破裂音と、色とりどりの紙切れが噴射されていた。
拍手の渦と、おめでとうの波が鳴り止まなかった。オレは――シィを抱いて、固まっていた。
111
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:17:09 ID:CGiYtP6c0
「やあやあみなさんおめでとう、ようやくここまで辿り着けたナ!」
「やあやあみなさんおめでとう、ついに辿り着いてしまったナ!」
道化師たちがいた。子どもたちの輪の中に、あの二人の道化師たちがいた。
その存在を認めたことで逆に、呆気に取られていたリリが我に返る。
「……なんの悪ふざけだよ、これはよ」
「悪ふざけ? 悪ふざけなんてことあるものか」
「本心から俺たちは、お前ら三人を祝ってやってるんだゼ」
「祝ってる? なにを祝うってんだよ」
「なにをって、そんなことは決まっている」
「目的地に着いたことをサ」
それだけ言うと道化師たちは「さあみんな」と、周囲の子どもたちに号令を送った。
手を叩きおもちゃの楽器を鳴らしていた子どもたちが、一斉に拡散していく。
子どもたちの壁に囲われて見えなかった周囲の光景が目に入ってくる。
112
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:17:40 ID:CGiYtP6c0
「遊び場もある」
子どもたちが、思い思いに遊んでいた。砂場、ブランコ、鉄棒に回転遊具。
お絵かき帳に積み木のブロックなど、様々なおもちゃが好き放題に転がっている。
「暖かい寝床もある」
真っ白なシーツ。ふかふかな羽毛の布団。
ぎしぎしとスプリングが軋むベッドは、三人の子どもが同時に跳ねてもまるで壊れる気配はなく。
「お菓子だっていくらでもある」
板のままのチョコレートを口いっぱいに頬張る子どもの隣で、
生クリームで口ひげを作っている子どももいる。
青や緑や黄色などの、おもちゃのように伸び縮みする
カラフルなお菓子を遊びながら食べている子もいる。
「他にも欲しけりゃ、なんだって用意してやる」
道化師たちが絡めた腕を掲げ、その先端で指を鳴らす。
するとその場に、動物たちが湧き出てきた。鳩が、うさぎが、猫が、犬が。
ライオンが、クマが、カバが、象が。動物たちは節操なく湧き出して、
そしてそれらの動物もまた、子どものおもちゃと化している。
外観と同じく節操のない色使いの、ここは大きな子供部屋のようだった。
外も内も無関係な、とにかく楽しいを詰め込んだような、そんな。
113
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:18:00 ID:CGiYtP6c0
「な、これで判ったろう?」
「ここはユートピアなのサ」
「誰もが望む楽しい世界」
「楽しい以外はない世界」
「つらいことも、かなしいことも」
「いやなことも、むかつくことも」
「ここには何も」
「存在しない」
「お前のための、安寧空間」
「お前のための、平穏領域」
「……それで、なんだってんだよ。オレたちには関係ねーだろ。だってよ――」
言ってオレは、シィの背中を叩く。
「オレたちは果て先のラトヴイームへ行く。なあ、そうだろシィ」
――しかし。
114
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:18:37 ID:CGiYtP6c0
「シィ……?」
シィは、応えなかった。応えることなく、オレの側から離れていく。
離れて、それで――道化師たちの前へと歩み出ていく。
「おいばか、なにやってんだよシィ!」
「当然さ、これが当然の反応なのサ」
「なぜならここは永劫郷愁のネツァフ」
「お前らの幸福はいつまでも」
「いついつまでも、このままで」
「いまここのこの時に、留まり続けることなのだから」
道化師たちの腕が伸びた。シィに向かって。
奇妙にうねって、まるで別の生き物みたいな動きで。
「だってそれが、お前の願った願いだろう?」
二人の道化師の二本の腕が、シィの方へと乗せられる。
それはさらに奇妙に伸びて、まるで絡みつくようにシィの身体を捕らえていく。
シィは、動かない。どうして、動かない。
なんでだよ。だってお前、果て先へ、ラトヴイームへ行くんじゃなかったのか?
本当のところ、お前の願いがなんなのかは判らないけども、
こんなところに留まるのがお前の本当の願いだったのか?
なあシィ、お前本当は、何を望んでここに来たんだ?
115
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:19:06 ID:CGiYtP6c0
「シィ」
道化師たちの腕が、止まった。
「約束を、しただろう」
シィが、自分の裡を見つめていた。抱えたそれを見下ろして――
わずかに頭が、上下に動いた。
「……うん。わかってるよ、ショボン」
ささやくような、声。
「ピエロさんたち、ありがとう。お誘いしてくれたことはうれしいよ。
でもごめんね。ボクの願いは、ここにはないみたいだから」
「そうかいそうかい」
「そいつは残念」
言葉の中身とは裏腹に陽気な声を上げる道化師たちがへらへらと、
降参するように両手を上げた。異様な長さに伸びていたはずの腕は、
いつの間にか元のそれへともどっている。まるでいま目の前で起こったことなど、
ただの錯覚であったかのように。
……ともかく。
116
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:19:41 ID:CGiYtP6c0
「これで判っただろ、てめーらなんかお呼びじゃねーんだ!
どこへ行けばいいかをさっさと教えて、そしたらとっとと消えちまえ!」
シィの肩へと腕を回して、道化師たちに指を差す。
道化師たちはくすくすと、顔を寄せ合い小さく笑う。
「いいゼいいゼ、いますぐにでも教えてやるよ」
「いいやいいや、ただじゃ教えてやれないナ」
「あぁ?」
「さてさてアニジャ、どうしようか。どうすりゃ一番楽しくなるかネ」
「はてさてオトジャ、これでどうだ。シロクロ勝負で決めてやるのサ」
「おい、なに勝手に進めてんだよ、おい」
「そういうわけで、決まりだナ」
「もしも勝てたら、教えてやるよ」
「確実安全徹底的な、進むべき道筋を」
「ここと言わず、西の果てまで」
「果てを越えた、果ての先まで」
「ラトヴイームの、ところまで」
「さあさあどうかナ、御一行さま」
「オレらの勝負、受け手くれるナ?」
117
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:20:18 ID:CGiYtP6c0
「……バッカらしい!」
人を食った笑みを浮かべる道化師に向かって、怒りをぶつける。
本当に、腹の底から、いけ好かない。人をばかにして喜んでいるこいつらだけは、
なにがあっても受け入れられない。もう一秒だって視界の中に留めたくない。
「行こうぜシィ、ショボン。
やっぱりこいつらふざけてるだけだ、相手することなんてねーよ!」
シィの手をつかみ、強引に引っ張る。シィも、抵抗はしなかった。
だからオレは腹立ち任せにシィを引っ張り、行き先も判らぬままに
ここから遠ざかろうと地面を踏んだ。背後から、あいつらの声が聞こえた。
「言っておくが」
「ここの先には鍵がある」
「ダイヤル式のパッドロック」
「粗末で簡素な四桁パス」
「解錠番号を知っているのは」
「オトジャとオレの二人だけ」
「知りたくなけりゃそれでもいいがナ」
「虱潰しに回せばいいサ」
「案外カチンと開けれるかもナ」
「そんな時間があればだけどナ」
118
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:20:48 ID:CGiYtP6c0
道化師たちが笑う。まるでこちらの心の内を見透かすかのように。
そうだ、こいつらは理解しているのだ。オレたちの時間が限られているってこと。
七日の制約、炎の壁。いまあの猛る焔がどこまで迫ってきているのか――
それを確かめる術が、オレたちにない。もうすぐそこまで来ているかもしれないと、
そう想定して警戒する以外に、オレたちに持ちうる手段はない。
その不自由さを、こいつらは理解して笑っているのだ。
なんて、こいつら、腹の立つ。
前へ進むために踏み出した足を、真下に向けて打ち付けた。
「道化師たちよ、何を企んでいる」
シィの胸から、ショボンがしゃべった。
道化師たちの顔が、目に見えて不快に歪む。
119
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:21:19 ID:CGiYtP6c0
「なにももかにもありゃしやしないサ」
「これがオレらの願いなだけサ」
「本当にそれだけか」
「口やかましい生首だな、くどくどのたまうやつは嫌いなんだ」
「受けるか受けないか、聞きたいのはそれだけなんだよ」
「で、さあ、どうするのサ」
「やるのか? やらないのか?」
「……どうする、シィ」
ショボンがシィに問いかける。道化師たちが、シィを見る。
自然オレも、シィを見た。八つの視線がシィに集まる。
視線を集め、注目の中心に立たされたシィは――。
.
120
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:21:46 ID:CGiYtP6c0
「そうだそうだ、いい忘れてた。罰ゲームについてだが」
「そうだな、ここはかるーく……指一本って、とこにしようか」
.
121
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:22:24 ID:CGiYtP6c0
「それじゃ、種目は『1・2・3の太陽!』だ」
「“太陽”の時に動いているのを見られたら負けって、単純なゲームサ」
身振り手振りを交え、道化師たちがゲームの説明を行う。
言葉通りに、ルールは単純なものだった。
“太陽”の側は1・2・3と数えているあいだは目を隠し、
「太陽!」と宣言すると同時に振り向き“追い手”を観察する。
その時追い手が動いているのを目撃したら、“太陽”の勝ち。
逆に“追い手”側は動いているところを見られずに“太陽”まで接近し、
気づかれることなくタッチできたらその時点で勝利。
肝となるのは「1・2・3」のカウントをどれだけ読みづらくするか、
あるいは読み切るかという点にあるといえる。
勝負は一対一。道化師側が“太陽”で、こちらが“追い手”の役と決まる。
後は誰が代表として勝負に出るかだが――。
122
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:22:55 ID:CGiYtP6c0
「オレがやる。こんなばかげた勝負、オレがすぐに終わらせてやる!」
ボクがと言いかけたシィを押しのけ、前に出る。
ショボンにシィの、宥めを任せて。正直に言えば、いまも納得している訳ではない。
「いいよ、やろうよ」と安請け合いしたシィを責めたい気持ちもある。
なぜって、相手はこのふざけた道化師。
どこまで本気か定かでないにしても、指一本を要求してくるような輩だ。
どんな卑怯をしてくるかも判らないし、仮に勝てたとして約束を守るかも明確でない。
葉っぱの先の露ほども、あいつらのことなんか信用できない。
しかし、だからこそオレが行くんだ。
シィを危ない目に合わせないためにも、時間を無駄にしないためにも。
シィはきっと、遊び始める。相手の策に、楽しいからと乗ってしまう。
だから、オレが行くんだ。オレが行って、勝ってやる。
……勝って、このムカつくピエロどもの鼻を明かしてやる。
へらへらしたその面を情けなく歪ませてやるからな。
123
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:23:47 ID:CGiYtP6c0
「ひとつだけ注意だ。何があっても、プレイヤー以外の第三者が手を貸したら反則負け」
「その時点で勝負はおしまい。まあ、わざわざ言うまでもないことだがナ」
「……あ?」
説明しながら道化師たちが、子どもの一人を招き寄せる。
招かれた子どもは道化師の言葉に幾度か相槌を打つとこちらへと近づき、
「よろしくね、対戦者さん」と手を差し出してきた。
眼の前の子どもと、道化師たちを見比べる。
「お前らが勝負すんじゃねーのか?」
まるで想定外のことでも言われたかのように、
白塗りメイクの二人は顔を見合わせ、それからとつぜん、笑い出した。
「いくらアニジャが意地悪でも、そこまで無慈悲にゃできないサ」
「オトジャとお嬢さんが競い合ったら、それこそ勝負にならないからナ」
言うだけ言って道化師たちは、腹を抱えて笑い続ける。
……ムカつく、ムカつく、ムカつく! 差し出された手を無視してオレは、
すぐにもスタートラインへと向かう。向かって、振り返って、念を押す。
124
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:24:09 ID:CGiYtP6c0
「いいか、約束だからな! オレが勝ったら全部吐けよ!」
「いいともいいとも、約束は守るサ」
「もしも君らが勝てたらだけどナ」
言ってろよ、ばか。そう言い返そうとする。
しかしそれよりも早く、ホイッスルが鳴り響いた。
岩の形をしたクッションに身体を預ける子どもが「いーちぃ、にーいぃ」と、
ゆっくりとしたペースでカウントする。その声に集中しながら、足を踏み出そうとして――。
「――さん太陽!」
片足が、空中で静止した。不安定なバランス。
わずかにでも衝撃を受けたら、このまま転んでしまいそうな。
対戦相手がこちらを見ている。なんだよ、さっさとあっちを向けよ。
いつまでこっち見てんだよ。そう思いはするものの、当然口は動かせず。
それから、たっぷり一〇秒ほども経ってからだろうか。
ようやく相手が、向こうを向いた。
125
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:24:54 ID:CGiYtP6c0
「おいおいどんだけのんびりなのサ!」
「これじゃ太陽も沈んじまうゼ!」
うるせえ、これが一番確実なんだよ!
心の中で反論しながら、軸をぶらさぬ摺り足歩行で前へと進む。
だいたいこのゲームは慌てさえしなければ、“追い手”の方が圧倒的に有利なんだ。
時間を掛けて着実に、相手の呼吸を読みながら前進する。
そうすればいずれ間違いなく、あの無防備な背中まで辿り着く。
事実、最初に振り向かれた時以外は危なげなく進むことに成功している。
とつぜんにリズムを変えるカウントも、意識を切らさなければ問題にならない。
一歩、一歩、地道に近づいていく。そして、ほら――もう目の前だ。
腕を伸ばす。まだわずかに届かない。ゆっくり、ゆっくり、歩を進める。
ゆっくり、ゆっくり、手を伸ばす。ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり、ゆっくり――。
「バン、バン、バーン!」
瞬間、身体が強張った。声、背後から、聞こえた。
首が、視線が、意図せずそちらへ向かう。そこには一人の子どもがいた。
おもちゃの銃を持った子どもが、おもちゃの銃を上下に揺らし、歌っていた。
126
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:25:28 ID:CGiYtP6c0
「死んだ、死んだ、死んじゃった〜!」
歌い、そして、ケタケタ笑う。ケタケタ笑って、銃を揺らす。
銃を揺らしてバンバンバンと、口から発射の音を吹く。「やめ――」と、口走りかけた。
身体が、口が、動いた。
はっと、我に返った。身体の向きをそのままに、目だけでそれを、
岩のクッションにもたれた子どもを、勝負の相手を視界に捉えた。
「太陽!」
血の気が、引いた。
127
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:26:01 ID:CGiYtP6c0
「はーい残念!」
「君の負けー!」
腕を、つかまれた。腕を、足を、胴を、無数の手につかまれた。
周囲で遊んでいた子どもたちがいつの間にやらオレのことを取り囲み、
四方八方からその手を伸ばしていた。身体をよじり、逃れようとする。
しかし無遠慮につかみかかるその手の群れは、見た目以上の力でこちらの動きを封じてくる。
「い、いや! おかしいだろ! だっていまの、妨害じゃねーのかよ! そっちの反則負けだろ!」
「何を喚いているのやら、あの子は遊んでいただけサ」
「勝手に気を散らして動いたのは、お嬢さんの落ち度だろう?」
カラカラと、重く硬い何かを引きずる音が聞こえた。
音の先を、横目に見る。そこには少年がいた。目の下から赤い、三本の線が引かれている少年。
片頬を縦断する赤い線の特徴的なその少年が、
身の丈に合わないそれを引きずり、こちらへと近づいてきていた。
それは、剣であった。分厚く、重く、先端が丸みを帯びた、異様な剣。
あの、暴徒たちの一人の、なぜだか靄がかかったようにおぼろげで、
輪郭すら定かでなかった男の所持していた剣。
少年の持つ剣は、あの時みたものに酷似していた。
128
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:26:24 ID:CGiYtP6c0
「お、おい、まさか本気じゃねーだろ? それもおもちゃなんだよな?」
「いーや、オトジャはいつだって本気の本気サ」
「アニジャは本気で、誰であろうと公平なのサ」
おもちゃでないことなど、一目で判っていた。
しかし、まさか、本当に? 本当にこいつら、オレの、指を……? ……ふっざけんな!
「ふざけんなばか! 待てってこら!!」
「待ちませーん」
「待てませーん」
赤三本の少年がふらつきながら、身の丈に合わないその剣を上段に構えて目をつむる。
身を捩る。蹴り飛ばそうとする。しかし自由はもどらない。
腕は伸ばされ固定され、指の先までつかまれて、自分の意志では動かせない。
ただ小指、小指だけが動かせる。縦に、横に、動かせる。しかし、それももうすぐ――。
くそ、なんで、こんな、くそ、くそ、くそ。
赤三本の少年がいよいよといった様子でゆらぎを止め――まぶたを開いた。
129
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:27:10 ID:CGiYtP6c0
「いや、お前たちは待たなければならない」
振り下ろされかけた剣が、空中で止まった。
「……なんだよ水差し生首野郎、またお前かよ」
「オレらのジャッジに、何か文句でもあんのかよ」
「無論、文句しかない。――少年よ」
ショボンの声が、一人の子どもに投げかけられる。
その子どもとは、“太陽”の少年。オレと勝負をした、あの子ども。
「振り向いた瞬間、リリの手に触れた。そうだな?」
“太陽”の少年に視線が集まる。少年はにこやかに笑みを浮かべた表情のまま、
自分に向けられた視線すべてを確認するように首を回して――そうしてその首を、縦に振った。
「うん、ぼく、タッチされてたよ」
.
130
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:27:39 ID:CGiYtP6c0
「離せ、離せよこらぁ!」
身体を振り回して群がっていた子どもらを振りほどく。
さしたる抵抗もなく拘束を解いた子どもらは、
わーわーきゃーきゃーといたずらでも見つかったかのように叫び声を上げ、
思い思いに散っていった。
あの赤三本の少年も、その手に握られていた剣も、いつの間にか消えていた。
全身が脱力する。
それにしても。無事に残った腕と、その先の手を、指先を見る。
ショボンの発言によって一命を取り留めたオレの小指。
タッチされていたという子どもの証言。
確かに触れていたというオレの指先。……覚えは、なかった。
感触も。意識を逸らされていたために、気づかなかっただけだろうか。
確信が持てない。……本当にオレは、勝っていたのか?
……いや、とにかく。とにもかくにもだ。
131
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:28:11 ID:CGiYtP6c0
「……どうだこのばかピエロども! オレの勝ちだ、オレの勝ちだぞ!」
「見事だ見事、まさか勝つとは思わなかった」
「見苦しく拾った結果でも、勝ちは勝ちだナおめでとう」
「うるせえ! 御託はいいからさっさと案内でもなんでもしやがれよ!」
「何を言ってるお嬢さん?」
「だれが一度で終わりと言った?」
「……は?」
道化師たちが指を鳴らす。すると二人の足元から、土の丘が盛り上がり始めた。
土の丘は二人のひざほどの高さにまで登り上がるとその頂点に、
細い枝をそのまま折ったような木の棒が生えてきた。
「さあてそれじゃ、楽しい楽しい二回戦」
「新たなゲーム、始めていこうか」
「いや、待てよ……待てよ、話がちげーだろ!」
抗議の声をオレは上げる。だってオレは、勝ったはずだ。
判定に疑問が残るところはあるものの、とにかく勝ちと認められたはずだ。
だのに二回戦? そんな話、聞いていない。しかし道化師たちは両手を上げて首を振り、
あからさまに呆れているとでもいったジェスチャーを披露してくる。
132
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:28:51 ID:CGiYtP6c0
「三人分の案内するんだ」
「せめて三度は勝ってくれなきゃ」
「それからそうそう、勝負は一人に一度だけ」
「同一プレイヤーの連続出場は認めません」
「三人みんなで進みたいなら」
「三人みんなが勝ってみナ」
「なんだそれ、なんだそれ! 聞いてねえぞ!」
「いま言った。なあアニジャ」
「ああオトジャ。いま言ったナ」
「こんの……!」
「リリ、構わない」
視線が、ショボンへと集まった。
「次は私が出る」
133
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:29:27 ID:CGiYtP6c0
そう言ってショボンは、自分を抱えるシィにその場へ下ろすよう頼む。
シィはショボンの言葉に素直に従い、土の丘の前へとショボンを置いた。
ショボンが視線で、土の丘のてっぺんを見る。
眼の前の丘よりもショボンの全長の方が、いくぶんか低いようだった。
「出るってお前、でも……」
そもそも自力で動けもしないんじゃ……。
そう危惧するオレの言葉をしかし、ショボンは問題ないと一蹴する。
「おそらくは一瞬で終わる」、と。
「そうかいそうかい、それじゃ種目だが――」
「丘崩しだろう、判っている。私は後攻を選ぶ」
「丘崩しってのは土の丘に棒を立てて順番に土を掻き出し、棒を倒した方が負けってゲームで――」
「説明は必要ない。始めてくれ」
「……つまんねえやつ」
「……くだらねえやつ」
134
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:29:57 ID:CGiYtP6c0
不快さを隠しもしない様子で道化師たちが、ショボンの対戦相手となる子どもを呼ぶ。
子どもは道化師の言葉にうなずいて丘の前、丘を挟んだ生首のショボンと相対した。
先行は、相手側。相手の子どもは両手を鈎にして丘の山へと指を突っ込み、
大量の土を手前へと掻き出して――その一手で丘は崩れ、棒も倒れた。
「私の勝ちだな」
「ああそうネ」
「おめでとさん」
……え、終わり? これで?
ショボンの言っていた通り本当に、あっという間に終わってしまった。
勝ったのか、これで。実感も沸かない。だってショボンは、何もしてないじゃないか。
「リリ」と、ショボンに呼ばれる。拾い上げる。ショボンに尋ねる。
どうして勝つってわかったんだよと。なんとなく、周りに聞こえないようなひそひそ声で。
135
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:30:26 ID:CGiYtP6c0
「やつらは私が生首であると知った上で、指一本をペナルティとした。
つまりやつらは私のことなど、端から眼中にないのだ」
「どういうことだよ。だってそれじゃ、どうして三本勝負だなんて」
「これが必要な儀式だからだ」
「儀式?」
「そう、儀式だ。やつらの狙いはお前でも私でもない。
すべてはある目的のために仕組まれたこと。やつらは初めから――」
「今度こそボクの番だね!」
密やかに語るショボンの声をかき消すように、ぴょんっとシィが、飛び跳ねた。
.
136
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:31:08 ID:CGiYtP6c0
「最後の種目は」
「かくれんぼだ」
「かくれんぼ?」
「ザイニンくん」
「こっちへ」
道化師たちに呼ばれ、一人の子どもがやってくる。
その子どもには見覚えがあった。目元から片頬に向けて引かれた三本の赤い線。
あの、先端が丸い異様な剣を引きずっていた子ども。
赤三本の子――ザイニンくんが、シィの目の前に立つ。
その手には、いまは何も握られてはいない。
「さあシィくん、君はこれから憲兵さまだ」
「正しくお国を守るため」
「逃げたザイニンを探し出し」
「裁きを与えてやらなきゃいけない」
「それがボクのお仕事?」
「そうそれが、君のお仕事」
「大事な大事な、君のお仕事」
137
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:31:40 ID:CGiYtP6c0
お仕事……。そう繰り返したシィが一歩、前へと出た。
眼の前の少年――ザイニンくんへと歩幅の分だけ距離が縮まる。
相対して並んだ二人。ザイニンくんの方が背は高く、年齢も幾分か上のように見えた。
先程は幼さの残る少年のように見えたが、
あるいは一四、一五歳ほどの青年なのかもしれない。
子どもだらけのこの場所には、どうも不似合いな異物と感じられた。
「よろしくね、ザイニンくん!」
シィが手を差し出す。しかしザイニンくんは応えなかった。
空虚さを感じさせる目で、シィのことを見下ろしている。
シィの、鉄仮面の奥を覗くようにして。ザイニンくんが、わずかに口を開いた。
「……偽りの星」
.
138
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:32:05 ID:CGiYtP6c0
それは、時間にして二、三秒のことだったろうか。
すべての明かりが一斉に消え失せ――そして、何事もなかったかのように灯り直した。
シィを見る。特段変化は見られない。ショボンを確認する。問題なく腕の中に収まっている。
辺りを見回す。大きな変化は認められなかった。
――ただ一点、ザンニンくんの姿が消失したことを除いて。
「さあ大変だ、ザイニンくんがどこかに隠れてしまった!」
「大変だ大変だ、このままでは悪が野放しになってしまう!」
「これまでひとりも逃さずに、悪は捕まえ裁いてきたのに!」
「ここで逃してしまったら、それはとっても公平じゃない!」
「憲兵さま、お願いです! どうかあいつを見つけ出して!」
「あいつに裁きの鉄槌を! 厳正にして平等なる制裁を!」
「あいつが逃げ切るその前に!」
「三分間の制限以内に!」
139
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:32:27 ID:CGiYtP6c0
芝居がかった調子で謳い上げる二人の道化。
腕を伸ばして足を振って、子どもらを指揮して踊っている。
ふざけた態度だった。腹立たしかった。
しかしそれよりも、その言葉の中に引っかかる部分があった。
三分間の、制限以内? そんな説明、まったく受けちゃいない。
まただ。またこいつら、後から条件を付け足してきやがった。
怒りのままに、道化師たちに食ってかかろうとする。
しかしそれを止めたのは――当事者であるシィ、本人だった。
「だいじょうぶだよ、リリ。だってこんなの、簡単だもの」
言ってシィは迷いなく、大広間の一点に向けて歩きだした。
その先にあったのは、砂場。砂場の中央で、シィが腰を下ろす。
腰を下ろして砂のその表面を撫でたかと思うと、そのまま勢いよく砂を掻き出し始めた。
掘り出された砂が、砂の下の土が、山となって堆積していく。
そこにはもはやシィ一人分以上の体積が積み重なっていたが、
それでもシィは留まることなく掘り続け、掘り続け、そして――。
「ザイニンくん、みーつけた!」
そう、宣言したのだった。
.
140
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:33:09 ID:CGiYtP6c0
そうだ、ボクには判っていた。
彼がここにいることを、ここに埋められているってことを。
だってボクは、ボクだから。だってボクはボクだから、ボクはボクのことを知っている。
ボクのすること、ボクのしたこと、それらすべてを知っている。ボクはボクを知っている。
ボクの願いを、知っている。
「さすがださすが、さすがシィくん!」
「見事にザイニンを見つけてくれたナ!」
ピエロな二人の道化師さんが、声を揃えて称えてくれた。
周りで見守る子どものみんなも、おもちゃを鳴らして喜んでいる。
それでボクはうれしくなって、抑えきれずにジャンプした。
ぴょいんぴょいんと跳ね跳んでると、うれしい気持ちがさらに増す。
周りのみんなも跳んでいた。周りのみんなも、笑ってた。
141
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:33:39 ID:CGiYtP6c0
「さあてそれじゃ、最後の仕上げだ」
「偉大なる憲兵さま、こちらをお手に」
恭しく畏まった様子でピエロな二人の道化師さんが、
四つのてのひらで支えたそれを、ボクの前へと掲げてきた。
鈍い光が、視界に映る。
その光を見ているとどうしたことか、
あんなに楽しかったはずの気持ちがしょんぼり沈んでいってしまう。
「ボク、指なんていらないよ」
「指? そんなものは必要ない、必要ないのサ」
「あなたが斬るのは、こちらじゃないか」
砂場に掘った穴の中から、ザイニンくんが頭を出した。
ザイニンくんが、ちらりとこちらを見上げてくる。目元から伸びた三本の赤い線。
片頬を伝うその緩やかなカーブが、視界の中心に捉えられた。
けれどもザイニンくんはすぐにも首の角度を変えて、投げ出すように頭を下げた。
赤三本のカーブが隠れて、代わりとばかりに白いうなじが顕となった。
白いうなじに浮かぶ頸骨が、いやに目立ってそこに見えた。
うなじに浮かぶ頸骨が、ボクを見てと主張していた。
「さあ憲兵さま」
「お裁きを」
142
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:34:05 ID:CGiYtP6c0
ピエロな二人の道化師さんが、鈍い光のその刀身をさらにぐぐっと持ち上げる。
ボクの方へと突き出しあげる。それを、ボクは、欲しくなかった。
受け取りたく、なかった。だってそれは、ボクのものじゃなかったから。
こんな危なくて恐ろしいもの、触れたことなどボクにはなかったから。
けれど。
もーいーかい! もーいーかい! もーいーかい!
周りを囲む笑うみんなが、声を揃えて唱え笑った。
もーいーかい、もーいーかいの大合唱。手を打ち鳴らしては飛び跳ねて、
ボクを見つめて唱えている。もーいーかい、もーいーかい、まーだだよとは言わせない。
その声その目、その全身で、ボクに向かって告げている。誰かがボクを呼んでいる。
もーいーかいに掻き消される。もーいーかい、もーいーかい。
143
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:34:33 ID:CGiYtP6c0
「そうサ、お前が先に言ってたとおりサ」
「お前の願いは惰眠を貪ることじゃない」
「自分のための願いなど」
「願い下げなお前だろ?」
押し付けられたその剣を、ボクはいつしか握っていた。
ふらりと身体が大きくゆれる。大きな歓声が沸き上がる。
もーいーかいと湧き上がる。巨大な鉄の塊を、両手でボクは握りしめる。
吸い付くような馴染みを感じるその剣の、緩やかに膨らんだそのグリップを、
も一度ぐぃっと握り直す。みんなの視線を肌に感じる。みんなの声を肩に負う。
「さあシィくん、シィくん、シィくんよ。みんながお前に期待している」
「願いを抱いてお前を見ている。さあシィくん、シィくん、シィくんよ」
みんなの声が――みんなの願いが、重たいはずの剣から重みを、一切合切取り払う。
自分の意思ではないように、二本の腕が高々上がった。
先の丸い異様の剣が、ぴたりと空の頂点で、振り下ろされるのを待っていた。
みんながボクを待っていた。
もーいーかい! もーいーかい! もーいーかい!
うなじに浮かぶ頸骨が、ここにいるよと囁いた。
144
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:35:03 ID:CGiYtP6c0
「お前の願いは、なんだった?」
ボクの願い? ボクの願いは決まっている。
ボクの願いを、ボクはもちろん知っている。だってボクは、ボクだから。
だれかがボクを呼んでいる。幾度も幾度も呼んでいる。
けれどそれらはもーいーかいに、もーいーかいの大合唱に、
阻まれ呑まれて届きはしなくて。耳へと届くは、感じるものは、
ぼくを取り巻くみんなのみんな、ただそれだけに包まれて。
叶えよ願いと、仰いだみんなで。
さあ、もーいーかい?
そうだ。そうだった。ボクの願いは、そうだ――。
.
145
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:35:28 ID:CGiYtP6c0
ばっっっっかじゃねえのかこらぁ!!!!
.
146
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:36:09 ID:CGiYtP6c0
「……リリ?」
リリがいた。目の前にリリがいた。
ボクに抱きつくような格好で、リリがボクのすぐ側にいた。
なんでリリがここに? そもそもここはいったい?
ボクはいったい、何をしていたんだっけ?
そうだ、ボクはシィ。
友達のショボンと一緒に、願いを叶えに西の果てのセフィロトへ、
果ての先の果て先目指して旅していたんだ。ラトヴイームを、目指していたんだ。
「リリ、ねえリリ……?」
ボクはボク。ボクはボクを知っているボク。
だからボクは、ボクの願いを知っている。
でもじゃあなんで、いまボクは、こんな剣なんて振り回していたのだろう。
どうしてこんな剣なんかに、赤くて赤い、赤色が染み付いているのだろう。
ボクに抱きつくリリの身体のその肩に、どうして赤が塗れてるのだろう。
147
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:36:37 ID:CGiYtP6c0
「リリ、血が……」
「うっさいばか! この、この……このばか、ばかばかばかばか!」
怒られた。怒ってた。リリは、おこりんぼだ。
ボクに向かって、リリが怒る。みんなに向かって、リリが怒る。
「だってこんなの、こんなのおかしいだろ! こんな、こんな寄ってたかって、
く、首を、なんて……ばか、ばかだ! こんなのみんなばかじゃないか!!」
どうしてだろう。どうしてリリは、こんなに怒っているのだろう。
リリは何が、許せないのだろう。どうして、どうしてリリは、こんなにも――。
「リリ、泣いてるの……?」
「泣いてない!!」
泣いてないって、泣いてるリリが否定する。
目尻いっぱいに涙を湛えて、けれど決して溢さないで。泣いてないって、また言った。
148
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:37:10 ID:CGiYtP6c0
「泣き虫だ」
誰かが囁いた。
「泣き虫」
別の誰かがつぶやいた。
「泣き虫だね」
重ねて誰かが続ける。
「泣き虫、泣き虫」止まらない「泣き虫め」声は続く「泣き虫はいらない」
吐き捨てて「泣き虫は嫌い」蔑んで「泣き虫は死んじゃえ」嘲笑って
「泣き虫死んじゃえ」笑って「死んじゃえ。死ね」うれしそうに
「死ね、死ね」楽しそうに「死んでしまえ」。
誰かのみんなが、声を揃えた。
「死んで償え、泣き虫め」
.
149
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:37:40 ID:CGiYtP6c0
そして、首が落ちた。
笑って鑑賞していた子どもたちが次々に、次々にぽろぽろと、その首を落としていった。
ボクに抱きついたリリが、周りを見回し「なんだ」と繰り返している。
「なんだもなにもないだろう?」
「だって君らは違反を犯した」
ピエロな二人の道化師さんが、落ちた頭を蹴り飛ばした。
放物線を描いた頭は地面に落ちて、ぐちゃりと面を半壊させる。
「い、違反……? なにが違反だよ、なんのことだよ!」
いや、違う。違った。地面にぶつかったから崩れたのではなかった。
落ちた頭はもれなく全部、ぐにゃりぐにゃりと溶け出していた。
ぐにゃりぐにゃりと溶け出したのは、落ちた頭だけでもまるでなかった。
「オレらは確かに言ったはずだゼ」
「第三者の介入は、その時点で反則負けサ」
首を失ったみんなの身体も、ぐにゃりぐにゃりと溶けていた。
ぐにゃりぐにゃりと溶けゆくごとに、色を失い、黒ずんで、不定形のまま固まっていく。
人の姿を象っていく。見覚えのある姿を形作っていく
首のない影に、なっていく。
150
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:38:02 ID:CGiYtP6c0
「それではみなさんお待ちかね!」
「罰ゲームの執行だ!」
ショボンが叫び、ボクたちを呼んだ。ボクとリリが、同時に走り出した。
ボクの友達を奪おうとする影たちの手から身をかわし、ショボンをつかんで、
そのまま走った。ショボンはこっちだと言った。ボクはそれを信じた。
ショボンはボクの友達で、いつも正しいから、ショボンの言葉をボクは信じた。
リリも信じてくれたようで、ボクたちは三人一緒に走り続けた。
走って、走って、走っていった。やがてボクたちは、扉を見つけた。
扉を見つけ、押し出すように、ボクらは扉を破って外へと飛び出た――。
.
151
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:38:34 ID:CGiYtP6c0
「こっちだ!」
オレは走った。オレたちは走った。
あのばかピエロたちの家から飛び出てからも、オレたちは走り続けていた。
背後からはあの影たちが、いまなおこちらを追いかけている。
頭のないその姿からは、なにを考えているのか、
そもそもなんらかの意思があるのかも読み取れない。
だからオレたちは、オレは走った――
先導者となって、シィとショボンを誘導しながら。
「こっち!」
どういうわけか、オレには判った。
どこをどう進めば目的地に辿り着けるのかが。
複雑な裏路地がどのように交差しているのか、オレにはなぜかそれが判った。
――この道に、オレは、見覚えがあった。
152
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:39:12 ID:CGiYtP6c0
「そこを右だ!」
そう、ここを右に曲がる。
ハニエル亭から漂う焼きたてのパンの匂いを嗅ぎながら、十字路を右に曲がる。
いつか口にしたいと思いつつなんとなく機会を得られないでいる
そのパンの香りに後ろ髪を引かれながら、右に曲がって先へと進む。
「下るぞ!」
エメラルドの装飾が綺羅びやかな宝飾店の前で、坂を下る。
ウインドウに並べられた宝石が陽の光を反射した、
まるで灯台のビームみたいな光の束を背に負い下っていく。
「そうだ、このまま! このまままっすぐ行けば――」
そう、後はまっすぐ、まっすぐ走っていく。
大通り、細い路地、猫の通り道をまっすぐ走る。
そうすると右手に、何を宣伝しているのかいまいち内容の判らない、
無造作に落書きされた金星の看板が飾られている。
そうすればもうすぐ。もうすぐ目的の場所に辿り着く。
このまままっすぐ、直進すれば――。
153
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:39:44 ID:CGiYtP6c0
『行っちゃダメ!』
足が、止まった。
「リリ?」
目の前には、すぐ目の前には、目的地。判っている。
オレは理解している。この先へ進み、次の場所へと渡れば、
影たちは追ってこれないということをオレは理解している。
それなのに、なぜ。どうして、足が。
“あの鉄柵の門を見た瞬間、これ以上ダメだ、と”。
触れる。懐に。懐にしまった、ナイフに。
「リリ、早く!」
影が迫ってきている。もうすぐそこまでに。
……そうだ、何をやっている。助けるんだ、助けるんだろう。
オレが、シィを、ショボンを、助けるんだって、そう決めたんだろう。
なら、行け。行けよ。行けるはずだろ、お前がお前であるのなら。
“だってオレは、違うんだから”。
154
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:40:16 ID:CGiYtP6c0
「リリ!」
足が、動いた。走り出す。滑り込む。鉄柵の門を、くぐる。
くぐって、阿吽の呼吸で、シィと共に門を閉める。閂を差して、鍵にする。
影の群れがぶつかってくる。鉄柵がぎしぎし軋んで前後に揺れる。
もみあいへしあい影たちは、次々門へとぶつかってくる。
「長くは保たないな」と、ショボンが冷静に状況を解説する。
早々に、次の場所へと渡らなければならない。
次の場所へ渡るための道を、見つけ出さなければならない。
「これ、なにかな」
シィが、言った。広場の中心で。
広場の中心に置かれた、小さく、簡素な、木組みの舞台のその前で。
幾枚の紙をその裡に収めた、小さな小さな小宇宙のその前で。
――ああ、これだ。これが、“道”だ。
155
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:40:46 ID:CGiYtP6c0
「かみ、しばい……」
「紙芝居?」
繰り返してシィが言う。三枚重ねに閉じられた、板と板と板の扉に触れながら。
心臓が早鐘を打つ。知らない。オレは、こんなものは知らない。
見たことも聞いたことも、絶対にない。
ただの、みすぼらしい、木製の、組み立てられた、よく判らない、
判るはずもない、何か。ただそれだけ。それだけに過ぎないものだ。
そのはずなんだ。でも、でも……いやだ、怖い。怖い。
「……これか、道化師たちが言っていたのは」
ショボンが言う。三枚重ねの扉を見つめてショボンが言う。
どうやらそこには、鍵がかけられていた。ダイヤル式に四桁数字を入力する、
おもちゃみたいなパッドロック。聞き出すことのできなかったパスワード。閉ざされた先への道。
しかし。
156
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:41:08 ID:CGiYtP6c0
「シィ、お前なら判るはずだ」
鍵に触れる、シィの手が止まる。
シィがショボンを見つめる。
「……ショボン、どうしてそんなことをいうの? なんで? ボク、わからないよ」
「いや、お前には判る。判るはずだ。これはむしろ、お前にしか判らない数字なのだから」
「なにを言っているの? ショボンが何を言っているのか、ボクにはぜんぜんわからない」
大きな音が、背後から聞こえた。鉄柵の方から。ひしめきあった影。
影に押された扉。その圧力を受け、折れかかっている門の閂。
「シィ、よく聞け。順番だ、ひとつずつだ。
慌てることはない。ひとつ、ひとつ、向き合っていけばいい」
「でも、ショボン……」
「リリがいる。私も付いている。ラトヴイームも、お前を待っている」
「けど、けど……」
「シィよ」
淡々と、けれど冷たさは感じない、声色。
「約束を、しただろう?」
157
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:41:36 ID:CGiYtP6c0
震える手。その手が鍵を、確かにつかんだ。
確かにつかみ、ひとつ、ひとつ、ダイヤルを回した。
かちり、かちりと、金属と金属が嵌まる音が、微かに響き渡る。
かちり、かちりと断続的に、けれど確かにその手は指は、確かな正解へと向かっていた。
その一部始終を、オレは見ていた。
背後に轟く影の音と、目の前の少年が拓こうとする音とを聴き比べながら、
オレはそれを見続けていた。けれど、でも、オレは――。
鍵が、落ちた。扉が、開いた。
158
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:42:05 ID:CGiYtP6c0
「急げ!」
白紙の紙束が収まった、舞台の中。
小窓のように開かれたその場所めがけ、シィが勢い手を伸ばした。
伸ばしたその手は弾かれることなく、紙の向こうへ潜っていく。
指先、手首、ひじから肩へ、シィの身体が潜っていく。
シィの抱えるショボンも共に、向こうの側へと移っていく。
その姿が、見えなくなっていく。
でも、オレは。
背後からの音が、さらに大きくなっていた。
鉄柵が、大きく歪んでいた。
159
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:42:34 ID:CGiYtP6c0
「リリ!」
手が、伸びていた。差し出されていた。
身体の向きを反転させたシィが、頭を出して、肩を出して、
腕を伸ばして、その手の先を差し出していた。眼の前まで、鼻の先まで。
その空疎が、その断絶が、果てしもなく遠かった。閂が、さらに折れ曲がっていた。
動かなければいけない。逃げなければいけない。そんなことは判っていた。
でも、動かない。身体が動かない。足が動かない。動け、動けと念じても、
脳と遮断された肉体はより根源的な命令に従って。――いやだ、怖いに、従って。
違う、泣いていない。泣いてなんかいない。
オレは泣かない。泣いたりなんか、しない。しないんだ。
160
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:43:10 ID:CGiYtP6c0
「あ……」
かろうじて、動いた。手だけが、腕だけが、動いた。動かせた。
鉛でも詰められたかのように異様に重くて、痛くて、苦しいけれど、
それでもなんとか、腕を伸ばせた。
「あ、あ……」
騒がしかった。周囲の空気が膨張して、歪んで、
耳の奥が圧迫されて、小さな音まで騒がしかった。
自分の内側も、外側も、世界は音と振動に満たされていた。
閂が破られた。鉄柵がひしゃげて開いた。影の群れがなだれこんできた。
シィが叫んだ。声を限りに叫んで呼んで、指の先をぴりぴり揺らした。
それが、遠い。まだ遠い、まだ重い。
ばか、こら、ばか、こら、ばか、こら、ばか、こら!
浮かぶ二語を、繰り返す。言葉の槌で己を叩く。
まだ遠い、まだ重い。開いた舞台の木枠の小窓、
白紙の束のその先が未だに遠く、未だに遠い。
でも、でも、でもでもだ――“オレはでも、私じゃない”。
シィの手に、触れた。
161
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:43:42 ID:CGiYtP6c0
いいや、どこまで行こうとお前はお前だ。
.
162
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:44:16 ID:CGiYtP6c0
それは、一瞬の出来事だった。永遠に等しい一瞬。
音はすべて、後から訪れた。
地面が割れる音。舞台が砕ける音。巨大な何かが、空を裂く音。
そして、そして――それが、千切れる音。
音は、後からだった。感触は、すぐにも訪れた。
指の先から伝わるその感触は、すぐにも、判った。
シィの腕が、飛んでいた。
目の前を、地面を割って現れた巨大な何かが目の前を、
シィも舞台も巻き込んで、通過した。
目の前が、それいっぱいになって、全容も、なにも、まるで、見えない、
それは、早く、早く、高速で、移動して、表面は、鱗で、ぬめりのある鱗で、
びっしりと、びっしり、覆われていて。
緑の瞳の、蛇。に。シィが。呑まれた。
.
163
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:44:43 ID:CGiYtP6c0
絶叫を――上げる間もなかった。
地面は砕けて、地面はなかったから。そこにはもう、思考の入り込む余地などなかった。
ただ、腕を伸ばしていた。無数の影と共に崩落する空間を落下しながら、
シィのいたはずの場所に――“彼”のいたはずの場所に、手を伸ばしていた。
落ち行く最中、オレはつぶやいていた。
つぶやいたことも気づかぬままに、ただ一言、その名をつぶやき、
呼びかけて、後は、意識を、閉じる――。
.
164
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:45:18 ID:CGiYtP6c0
プギャーくん。
.
165
:
名無しさん
:2023/06/01(木) 22:45:57 ID:CGiYtP6c0
今日はここまで。続きは明日に
166
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 10:34:40 ID:gSpJDbpw0
乙
167
:
◆y7/jBFQ5SY
:2023/06/02(金) 21:06:13 ID:zFxhySAs0
ד
――これは、昔々の英雄譚。
多くの国がばらばらに、多くの争いを繰り広げていた時代のお話。
ばらばらだった多くの国を、ひとつにまとめた偉大な王様の物語。
世界の端の見捨てられた村に、一人の少年が暮らしていました。
親には先立たれ、親代わりである叔父夫婦にこき使われる毎日は
とてもつらく悲しいものでしたが、けれども彼は自身の境遇を嘆くことはせず、
いつでも高潔で誇り高く、弱く恵まれない者への慈愛を忘れずにいました。
そんなある日、彼はいと高きお方によってケテルの地へと招かれます。
ケテルの地に招かれた彼は、いと高きお方に命じられました。
この争い多き人の世を治め、恒久なる平和を実現せよと。
そうして彼はいと高きお方から、霊の光に満ちた宝冠を授かりました。
遍く人の上に立ち、正しき世界へ導く王であることを証明する、その宝冠を。
しかし彼は、まだ何も知らない少年でした。
ですから彼は王と王国という在り方を人に授けた賢者、
黄水晶の王鯨アドナの下へと赴きます。
時には父のように厳しく、時には母のように慈しみに溢れた
アドナの教えを受けた少年は王としての自覚を抱き、
いつしか立派な青年へと成長していました。
そうしてアドナからすべてを教わった彼はついに、
世界をまとめる旅に出ます。
168
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:06:53 ID:zFxhySAs0
それは、長く苦しい旅でした。
無理解と、拒絶と、嫌悪。策謀と、裏切り、そして、戦争との戦いでした。
多くの出会いと多くの別れが、彼の心を傷つけました。
人の世に溢れる苦しみに、心を傷めぬ日はありませんでした。
それでも彼は、立ち止まりませんでした。
この苦しみを取り払わなければならない。すべての人に安らぎと幸福を。
それが自分の使命であると、彼は理解していました。
高邁な使命に邁進する彼の姿は多くの人を惹きつけ、多くの人が我が王と彼を慕いました。
そうしていつしか、彼はこう呼ばれるようになったのです。
神に選ばれし王の中の王、ケテルの使徒王と。
そして彼は、ついに成し遂げました。
使徒王との戦いに最後まで抵抗していた大陸で最も強大な力を持っていた王国が、
使徒王との和平に応じたのです。使徒王の下に恭順し、神に仕えことを誓ったのです。
使徒王はついに、人の世の統一を実現したのです。
ですが、戦いはそこで終わりませんでした。
使徒王との和平を認めない一人の戦士が、使徒王の宝冠を奪ってしまったのです。
神より授かった、霊の光に満ちた宝冠。
王の中の王であることを証明するその冠を失えば、人々は使徒王を王と認めず、
世界は再びばらばらに分断されてしまいます。
使徒王は冠を取り戻すため、逃げた戦士を追いました。
169
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:07:17 ID:zFxhySAs0
果てなき東のクリフォト。それが使徒王の、最後の戦いの地となりました。
独冠王を名乗る宝冠を奪った戦士の力はすさまじく、
たった一人で使徒王の軍隊を壊滅させてしまいます。
勝負は使徒王と独冠王、二人の一騎打ちで決められました。
その戦いは、刃と刃のぶつかる剣戟が空と大地を揺さぶる激しいものでした。
誰一人として入り込む余地のないその戦いを彼らは一日、二日と続けます。
それでも二人の戦いに勝敗はつかず、さらに三日、四日と戦い続け――
七日もの間刃を交わした二人は、ついに決着の時を迎えます。
最後に立っていたのは、使徒王でした。
独冠王から宝冠を取り戻した使徒王はクリフォトから一本の樹を持ち帰り、
その樹を象徴として誓いました。この平和を、恒久に守り続けると。
もう二度と、悪意と暴力に脅かされる世の中にはもどさないと。
人々は、新たな時代の到来に歓喜しました。
170
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:07:37 ID:zFxhySAs0
ですが使徒王は程なくして、自ら玉座を降りました。
人の世を治め導く権利と責務を三人の腹心に分け与えて。
そうして彼は、たった一人で旅に出ます。
いままで辿ってきたどの道程よりも厳しく険しい、最後の旅に。
クリフォトの対極に位置する西の果て、セフィロトという名の聖地に向かって。
西の果てのセフィロトの、その果ての先の光を目指して――。
……あん? 使徒王さまはどうしてセフィロトに向かったかだって?
ああそれはな、それはだな――。
.
171
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:08:10 ID:zFxhySAs0
「待って……!」
腕を、伸ばしていた。空に向かって。倒れ、横になっている。自分。
背中には、土。緑色。木々、生い茂る。遠く差し込む陽の光。
薄暗い空間。たくさんの木。木と木。森。森のなか。森のなかに、いる。
オレは、いる。……なぜ?
「……シィ」
そうだ、シィだ。シィを助けないと。助けるんだって、オレはそう決めたんだから。
シィ、どこだ。どこに行った。また何か見つけたのか? まったく、あいつは。
勝手に動くなって何度も言っただろうが。
ショボンもショボンだ。
ショボンがシィを叱らないから、シィが言うこと聞かないんだぞ。
おい、聞いてるのか。聞いてるのかって聞いてんだよ、おいショボン。
172
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:08:45 ID:zFxhySAs0
「……ショボン?」
なんだよ、ショボンまでどこ行ったんだよ。シィと一緒か?
なんだよ、一言くらい言い残しとけっての。
お前だってそんな格好なんだ、一人じゃなんにもできないだろ。
オレがいなきゃ何もできないくせに。なにやってんだよ二人とも。
どうしてこんな――こんな森のなかに、オレは一人でどうしてここに一人でいるんだ?
「……あ?」
何かが落ちていた。土と葉のコントラストの中に、異彩を放つある物体。
オレは、なんの警戒もなしに、その落ちているものに近寄った。
だってそれはただの落とし物で、オレにはなんら関わりのない、ただの落とし物のはずだから。
オレにとっては特段気にする必要もない、ただほんのちょっとした好奇心で、
それが何か確かめるための、それだけのものだったから。
……それだけのものの、はずだったから。
173
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:09:24 ID:zFxhySAs0
「……あ」
後ずさっていた。後ずさって、バランスを崩して、尻餅をついた。
そこに落ちているものが何かを認めた瞬間、足から力が抜けていた。
拳を握る。握った拳で、胸を叩く。機械的に、何度も、何度も、拳で胸を打ち付ける。
そこに落ちていたのは――腕だった。人の腕。子どもの、手と、指の、ついた、腕。
シィの。
「……うそだ」
思い出した。全部、思い出した。空を見上げる。
遥か遠く、高い空。あの空から、落ちてきたんだ。
あの空にあった地面が割れて、それでオレは、ここへ。
あの、蛇――巨大すぎて確信は持てないものの、おそらくは蛇であった、何か。
あれのせいで、オレはここへ。それで、それから……シィは、ショボンは。
なんで、なんでだ。なんでオレは、すぐにもシィの手を取らなかった。
なんでオレは、先に行けと叫ばなかった。なんでオレは、あいつを助けてやらなかった。
なんで、なんで。なんでオレは、“また”……!
胸を叩く。叩く。痛みも、衝撃も、感じない。感じなくとも、叩く。
叩いて、叩いて、叩く。なぜそうするのか、判らなくとも、叩く。
止められなかった。止めたいとも思わなかった。
止めることができないままに、オレは、自分を、叩いて、叩いて、叩いて、叩いて――。
174
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:09:46 ID:zFxhySAs0
「なあ、ほんとにこっちであってんのか?」
「間違いない。確かにこちらから聞こえた」
「はてさて、どんな美女が待ち受けてくれているのかね」
「冗談言ってる場合か。気を引き締めろ、奴かもしれないぞ」
森の奥から、声が聞こえた。聞き覚えのない大人の声が、二人分。
二人の大人はなにやら会話をしながら森の中を進んでいる様子で、
その声は次第次第に、こちらの方へと近づいてきていた。
拳の動きが止まる。服をつかみ、自然と息を殺していた。
目の前の木々が、扉のように開かれた。
175
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:10:13 ID:zFxhySAs0
「おいおいたまげたね、こんなところにガキンチョがいるぜ」
そこには、男性がいた。顔の下半分がもじゃもじゃのひげに覆われた男性。
ごつごつと岩のような印象を受ける、荒々し気な男が。
角の生えた兜を被り、鎖の鎧をまとった格好で。
値踏みするような目つきで男がじろじろとこちらを見る。思わず身を引く。
すると男は、何が楽しいのか口角をわずかに上げた。いやな、態度だった。
ひげの男の背後から、また別の男が現れた。
先の男に比べてやや線の細い、額に斜めの傷が入った男。
傷の男がひげを押しのけ、オレのすぐ目の前まで近づいてきた。呼吸が、更に浅くなる。
「おい、野郎の仲間かもしれないぜ」
「まさか、まだ子どもだぞ」
「そう油断させておいて背中からブスリ! ……なーんてな」
「お前はまたそうやって……」
二人の男が言い合っている。
その光景をオレは、何もせずにただ見ている。呼吸が浅い。息が苦しい。
176
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:10:38 ID:zFxhySAs0
「きみ、なぜここにいる。ここで何があった」
傷の男が問いかけてきた。何か、応えなければ。
そう思いながらも、声がでない。いまさらながらに走った痛みが胸の奥を圧迫して、
呼吸がうまく整わない。傷の男が、手を差し出してきた。
「この森はいま、とても危険なんだ。
こんなところに一人でいるべきではない。我々に付いてきてくれるね?」
「ったく、かったりぃな」
手を差し出した傷の男を押しのけ、ひげの男が前に出る。
「さっさと連れてっちまえばいいんだよこんなガキはよ」
そしてその手で無遠慮に、オレの胸ぐらをつかんできた。
「あ」と、思った。“以前にも”こんなことがあった。
その時のオレは、どうしただろうか。
その時のオレになく、いまのオレにあるものは。
オレに、できることは――。それは、意識による行動ではなかった。
177
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:11:48 ID:zFxhySAs0
「……てめえ!」
男の手から、赤い雫が垂れている。
ぽたぽたと、ぽたぽたぽたと、垂れた雫が地面を赤く染めている。
その血の赤と同じ色が、オレの手元にも付着していた。
オレは、ナイフを握っていた。
握ったナイフで、男の手を、知らぬ間に斬りつけていた。
ナイフを構えて、立ち上がっていた。呼吸が浅く、荒く、痛い。
「おい、なにをするつもりだ!」
「うるせえ!」
ひげの男が、腰の獲物を引き抜いた。
オレの持つナイフなんかとは比べ物にならない長さの、
刀身の所々が欠けている鉄の剣。血濡れた手を握り、男がその暴力の塊を構える。
178
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:12:24 ID:zFxhySAs0
「よせ、まだ子どもだぞ!」
「年齢なんざ関係ねえ、こいつはてめえの都合で斬りかかってきやがったんだ。
だったらこいつは戦士だ。相手が戦士なら、こいつは生命の奪い合いだ」
「馬鹿を言うな、それはもはや古き掟だ。我々は兵士になったのだぞ!」
「魂は戦士のままだ!」
ひげの男がにじり寄ってくる。呼吸が更に早くなる。
剣の切先が、目のすぐ前まで迫ってくる。殺す気だ。
殺す気だと感じた。男はオレを殺す気だと。
なら、迎え撃たなければ。迎え撃たなければ、すべてを奪われる。
一方的に、全部、奪われてしまう。なくなってしまう。だから、迎え撃て。
その手に握ったナイフは、そのためのものだろう。
だというのに、頭では判っているのに、どうしても身体が動かない。
身体は震えて、前に進み出せない。このナイフの鈍い光が、
相手の中へと収まる光景を想像すると、それだけでもう、動くことが――。
ひげは違った。ひげはそれが日常であるかのように剣を構え、
迷いのない眼光でこちらを見据えていた。オレには、なにもできなかった。
ひげが、剣を振りかぶった。
――その時だった。何かが、高速で、飛来したのは。
179
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:12:46 ID:zFxhySAs0
「これは――」
「野郎の!」
何かが、目の前をかすめた。オレとひげの間を割るように、すさまじい速度で。
それが何かを確かめる暇はなかった。暇もなかったし、意識もそこには向かなかった。
視界が捉えていたのは、空中に浮かんだ奇妙な裂け目。
歪んだ光景の映るその裂け目から、「飛び込め!」という声が聞こえてきた。
考えることはなかった。
オレはすぐに、その裂け目に飛び込んだ。
飛び込み、完全に裂け目の内側へと身体を移したその時オレは、
地面に転げた友達の腕を視界の端に捉えた。
だがしかし、裂け目はすぐにも閉じ塞がり、後はただ、
極彩色にうねり回る光景に目を回しながらオレは、
不可思議なその道をどこどこまでも転げていった――。
.
180
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:13:25 ID:zFxhySAs0
また、空を見ていた。木々と葉とによって細かに裁断された空。
陽の光はなく、辺りはすでに夜の帳が落ちている。
どれだけの間、あの不可思議な空間を転がっていたのか。
一瞬であったようにも、数日間転げ続けていたようにも感じる。
ともあれいまは、転がっていない。いまは地面に倒れ、空を、見ている。
「よう、災難だったなお前さん」
全身に緊張が走った。
腰を捩り、身体を回して、声の聞こえた方向に向けて構える。
「そう警戒しなさんな――と言っても、むつかしいかね。
こんなおじさんを前にしちゃ」
ぱちぱちと火の粉の爆ぜる焚き火の側に、一人の男がいた。
火の光を浴びたその顔には不揃いな無精髭が、まばらに生えている。
男はこちらを見るでもなく、ぱちぱちと爆ぜ続ける焚き火に薪をくべていた。
181
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:13:53 ID:zFxhySAs0
それでもオレは警戒を解くことはせず、男と男の周囲を入念に観察する。
何よりも目に付いたのは、男の腰に備えられた斧。
さして大きなものではなく、大人の男性であれば片手で優に振るえそうに見える。
けれど使い込まれていることが一目で判るその雰囲気からは、
大きさや見た目だけでは測れない、空恐ろしいものが感じられた。
「生ぬるい水と数日前まで新鮮だった乾燥肉さ。口にしたけりゃ好きにやりな」
焚き火の側に置かれている袋。
その袋に視線を向けていると、男がやはりこちらを見ないままにそう言った。
そして男は焚き火をいじるために握っていた細い枝を火の中に放り込むと、
そのまま寝転がってしまった。無防備な格好で、背中を向けて。
よく判らなかった。おそらくあの時、あの二人組の男たちに襲われた時、
「飛び込め」と言ったのはこの無精髭の男だろう。であればあの空間の亀裂、
どのような方法でかは判らないけれど逃げ道を作ってくれたのも、
おそらくはこの男の仕業なのだと思う。
でも、なんのために? その理由が、まるで判らなかった。
この男は、一体、何者なのか。ただ、それよりも――。
182
:
名無しさん
:2023/06/02(金) 21:14:19 ID:zFxhySAs0
水と、食料。袋のなかに入っているという、それ。
ここまでずっと感じることのなかった飢えと乾き。
それがいまは、強い衝動となって己自身に訴えかけてきた。
ゆっくりと、近づく。そろそろと、音を立てずに、焚き火の側へ。
男は動かなかった。もう一歩、近づく。男に反応はない。袋を手に取り、開ける。
そこには確かに男の言った通り、乾燥肉と動物の革を用いた水筒が入っていた。
男の方に意識を集中しながら、それらに手を付ける。
肉は、硬かった。本当に硬くて、噛みちぎれないかと思った。
口に入れてからも硬くて硬くて、顎が痛くなる程だった。水も、確かにぬるかった。
水筒のせいかそもそもの水のせいか獣臭のえぐみが気になり、飲んでいると度々むせそうになった。
それをリリは、夢中になって噛み、飲んだ。幾度も噛んで、幾度も飲んだ。
「ごめん、ごめんなさい……」
いつしかオレは、謝っていた。謝りながら噛み、謝りながら飲んでいた。
謝るという意識も、噛むという意識も、飲むという意識もなく、一連の動作を繰り返していた。
ただひたすらに、そうしていた。ごめんなさい、ごめんなさい。そうオレは、謝り続けた。
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