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ラトヴイームの守り手だったようです

383名無しさん:2023/06/04(日) 20:45:41 ID:esi.ifqo0
「何を悩むふりをする」
「自分の心を騙せはしないゼ」

……そうだ、そうだ。ぼくはすでに答えを得ていた。
ぼくはもう、人を殺した。多くの多くの、本当に多くの人を殺してしまった。

だのにいまここで彼らを見逃すということは、この目の前の彼らがぼくの
殺してきた数多の人々よりも価値があったと、そう判じてしまうことに他ならない。
人間未満のぼくが、手前勝手に生死の価値を選り分けるなど。

すべてぼくの殺めた人は、誰もがぼくより価値ある人だ。
その価値を、その優劣を決めてよいような相手などただの一人たりとて存在しない。
だからぼくは、見つけて殺す。公平に、公正に、自らの職務をただただ機械のように繰り返す。
正義のために、社会のために、国家のために――みんなのために。

384名無しさん:2023/06/04(日) 20:46:15 ID:esi.ifqo0
「おいおい、格好つけるのも大概にしろよ」
「違うだろ? お前が殺す本当の理由は――」

……そんなことはない。ぼくは、みんなのために。それだけのために。

「なあショボン、お前は死にたくないんだろう?」
「なあショボン、お前は死ぬのが怖いんだろう?」

……違う、違う。ぼくはずっと、死んでもいいと思っていたんだ。
ずっと、ずっと、死んでみんなの迷惑にならなくなれればって。

「ああそうだ、そうだともサ」
「シィに会うまでのお前はな」

…………それ、は。

「オレらはちゃんと知ってるぞ。何がお前を変えたのか」
「オレらはちゃんと知ってるぞ。お前が何を求めているか」

……………………違う。違う、違う、違う。

「死んで会えなくなるのが」
「シィに会えなくなるのが」

「なあショボン、お前はずっと、ずっとずうっと、怖かったんだろ?」

385名無しさん:2023/06/04(日) 20:46:41 ID:esi.ifqo0
違う、ぼくは、ぼくはただ、みんなのために……
みんなの“願い”を、叶えるために……。

「そうかいそうかい、それでもいいサ」
「それならそれと、証明してくれ」

真昼の太陽が、地上に墜ちた。星一つなき暗黒の空。
熱狂と叫喚の炎が皮膚と瞳を焦がす中で、赤火に呑まれた光が鉄柵の門をくぐる。
首を落とした影たちが、明けに集う虫が如くに朽ちたその手を踊らせ伸ばす。
かすめた影の一つ一つが、墜ちたる星の表皮を剥がす。星が、星の瞳が。

386名無しさん:2023/06/04(日) 20:47:10 ID:esi.ifqo0
うそだ。

噂は耳にしていた。我先にと国外へ逃亡していった貴族たちの中にあって、
いまなお混迷するこの国に留まり続けている奇矯な人物がいると。

若くして亡くなった父の領地を受け継ぎ、
しかしその大半を解放することで革命の余波を受けて困窮する人々の受け皿となり、
多くの人の飢えと痛みと心の傷とを癒やしている者がいると。

その者は誠実であり、勤勉であり、何よりも他者への奉仕者であった。
故に彼は貴族という出自でありながらその首を切断されることなく、
国家を成立させる人民の一人として多くの者に認められていた。

だが――だが、だが、だが。
彼は何よりも、何よりも償い難い大きな過ちを犯していた。
この地に生きるすべての者が顔をしかめ、嫌悪し、唾棄するに至るまでの罪。
その罪が、彼の罪状が、鉄火の広場となったこの地に集う人民すべての耳へと届く。

387名無しさん:2023/06/04(日) 20:47:41 ID:esi.ifqo0



    罪状は――処刑人と、懇意にしていたこと。


.

388名無しさん:2023/06/04(日) 20:48:10 ID:esi.ifqo0
「処刑人と談じた不浄人!」「処刑人と遊じた極悪人!」「処刑人と誓じた破廉恥漢!」。
半狂乱の罵声が萎れた太陽へとぶつけられる。ぼくのその人へとぶつけられる。
ぼくのその人が引きずられ、舞台の上へと上げられる。処刑人たるぼくの領域へと、
最も似つかわしくないぼくのその人が上げられる。変わらぬ瞳の、その輝き。星。


シィ。


ぼくは――ぼくはずっと、願っていた。
この地獄の中にあってそれだけが、ただそれだけがぼくの希望であり、願いだった。
シィと再会することが、彼との約束を果たすことが、ぼくの希望であり、願いであり――
心の拠り所だった。

そうだ。ぼくはずっと、ずっとずうっと、ずっとずうっと、彼を心に生きてきたのだ。
ぼくを友達だと言ってくれた彼を、その瞬間の幸福を噛み締め、この地獄を耐えてきたのだ。
いつかこの地獄を抜け出たならばその時こそ、その時こそこの幸福の続きを彼と送る。
それだけがぼくの願いだったのだ。

それなのに、なんだ、これは?
ぼくがいったい――シィがいったい、何をした?

389名無しさん:2023/06/04(日) 20:48:49 ID:esi.ifqo0
「これだけの“願い”を奪い続けて」
「どうして自分は無事だと思った」

人民が声を揃える。
すでに首を落とされた者が、いつか首を落とされる者が、声を揃えて訴える。
殺せ殺せと訴え叫ぶ。

……いやだ。これだけは、この処刑だけはいやだ、無理だ、できない、
耐えられない、赦して、頼むから、お願い、お願いします、
謝りますから、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい――。

「いいや、そいつは聞けないナ」
「これはお前の罪なのだから」

身体をつかまれた。双子の道化に――
一つの胴に二つの頭が生えた二人の道化に、まぶたを開かれ、突き出される。

「見ろ聞け感じろ大合唱の人民を!」
「お前が願った、みんなの“願い”を!」

声を揃える人民。声を揃える人民の訴え。殺せという訴え。
その訴えが、その声が、奇妙に和合し変化する。
馴染みのある、幾度も聞いた、幾度も幾度も心待ちにしたその言葉が、
なにより恐れる響きに変じて、五感のすべてを捕らえて潰す。

390名無しさん:2023/06/04(日) 20:49:18 ID:esi.ifqo0


   もーいーかい! もーいーかい! もーいーかい!


首が落ちていく。歓声を上げ、熱狂に酔う者たちの首が、
未だ無事であった者たちの首が次々と落ちていく。
誰彼の別なく公平に、無差別に、人の首が落ちていく。
もーいーかい、もーいーかいと、生者のぼくへと訴えかける。


生きるべきは、ぼくじゃなかった。


ぼくは、死ぬべきだった。死んで奉仕するべきだった。
誰かを不幸にする前に、死んで終わりにするべきだった。

けれどぼくは、生きた。生き延びてしまった。
浅ましくもおぞましく、幸福な夢に焦がれ祈った。
人間未満の畜生が、身の程知らずに祈り願った。
その結果が、このおびただしい生首の河原。

赦されるはずがないと、芯からぼくは理解した。
すべてはぼくの“願い”から出でた地獄なのだと、ようやくぼくは理解した。

そしてそうか、そうなのか。
死にたくないと願ったぼくへの、そうかこれが――“罰”なのか。

391名無しさん:2023/06/04(日) 20:49:45 ID:esi.ifqo0
声が聞こえた。断頭台から、人民の生贄として捧げられた
断頭台と合一した彼から、声が聞こえた。叫ぶ広場のもーいーかい。
破れた耳に音はなく、伝わるものも伝わりはせず。

故にこれが夢か現か、ぼくには一向判らなかった。
夢であろうと現であろうと、そこに差異など感じなかった。

やわらかくあたたかく、うつくしくすら感じるその理で――彼が言った、その言葉に。
原初の響きでさよなら告げる、彼の残したその言葉に。

392名無しさん:2023/06/04(日) 20:50:16 ID:esi.ifqo0










          もーいーかい










.

393名無しさん:2023/06/04(日) 20:50:41 ID:esi.ifqo0



「よかったナ、“願い”叶って」

燃える。ラトヴイームが燃える。暴徒たちの手によって。
革命のかざす火の手によって。王権の象徴たる悪しき大樹が、公義の炎に焼き尽くされる。
ラトヴイームが、燃え尽きる。永代に守られ続けたラトヴイームが、完全に、焼失する。

みんなは、正しかった。正しいみんなの、願いを叶えた。だからぼくも正しかった。
ぼくの行いは、ぼくの殺人は、公平で平等で平和な社会のために、必要なことだった。
誰かが代行しなければならない、必要な痛みだった。必要な、犠牲だった。

……ねえ、そうだよね?

「二年と経たずに崩壊した」
「革命政権だったのに?」

394名無しさん:2023/06/04(日) 20:51:04 ID:esi.ifqo0
「あれは地獄の時代だった」「一部の狂気に踊らされたのだ」
「人が人を、かように残酷に殺めるなど」「そうだ、間違いだった」「革命は間違いだった」
「革命は批判すべき汚点だ」「革命は絶対に認めるべきではない歴史の汚点なのだ」
「我々は絶対に」「絶対に絶対に」「暴力による正当化を認めはしない」
「我らは彼らを」「赦さない」

……ふひっ。

395名無しさん:2023/06/04(日) 20:51:45 ID:esi.ifqo0
「そうだ、お前は正しくすらない」
「お前は無為に人を殺し、親を殺し」

「唯一の友をも殺したのだ」
「それがお前の罪だ」

革命を批判する者がいる。その者たちの首が落ちる。ぼくの手により落とされる。
それを願う誰かがいるから。誰かの願いを叶えることは、唯一罪を贖う手だから。
そうしてぼくは、罪を重ねる。

「そしてこれは罰だ。“お前自身が願った”罰」
「贖われることのない永劫の罰」

「罪滅ぼしで罪を重ねる、お前が望んだお前の罰」
「お前に課せられた知恵<クリフォト>の罰」

396名無しさん:2023/06/04(日) 20:52:14 ID:esi.ifqo0
繰り返す。繰り返す、繰り返す。贖わえることのない贖罪を繰り返す。
苦しかった。苦しく、けれど足りなかった。もっと苦しまなければならなかった。

二度と幸福など望まぬように、二度と“願い”など抱かぬように、
ぼくはもっと苦しまなければならなかった。
ぼくには“願い”を抱く資格などないと、魂の奥底へと刻み込むために。

存在しない指の先が、燃えた。

397名無しさん:2023/06/04(日) 20:52:42 ID:esi.ifqo0
「セフィロトの七日をお前は既に七度だろうか、七度に七度を掛けた数だろうか」
「燃えてお前は繰り返した。炎の壁に呑まれ焼かれて、罪業の旅を繰り返した」

「だが、足りない。まだまだ足りない。まだまだまだまだまだまだまだまだ」
「さらなる七を、さらなる七にさらなる七を、さらなる七に七と七とを」

まだ足りない。さらに七を、七に七を、繰り返しては苦しまなければ。
存在しない指の先から、火の手が伸びる。小指から薬指へ、中指へ、
てのひらへと、炎の壁が時限を報せる。その手を彼らがつかむ。

双子の道化がぼくをつかむ。二人で一つのその肉体に、ぼくの身体がつながっていく。
彼らは共にぼくと燃えて、溶け合い混ざって、崩れゆく。


果てなき東で、果てることなく。彼らの発したその声に、ぼくは己を忘却し――。

398名無しさん:2023/06/04(日) 20:53:10 ID:esi.ifqo0





    ダメだ!



.

399名無しさん:2023/06/04(日) 20:53:41 ID:esi.ifqo0



白紙のキャンバスをくぐった先で、オレは然とそれを見た。人生を。
つらく、悲しく、余りにも残酷な苦しみに満ちた人生をオレは――“オレと私”は、共に見た。
オレの想像など及びもしない、私では表現することも
敵わない痛ましきその人生を、オレと私は見続けた。

シィの――ショボンの生きた時代を。

「……リリ? どうしてこんなところにいるの?」

オレはいま、立っている。鉄柵の門を越え、オレの時代とは異なる広場にオレは立っている。
山のように折り重なった生首の死骸が、
首の道が連なる場所<ショボンの世界>に、オレは立っている。

「ダメだよ、時間がないんだ。こんなところにいちゃあ、ダメだ」

壇上のショボンが力なさげに声を出す。
その身体はもはや切り落とした首の影の群れと同化しかけ、
彼を彼たらしめるものも曖昧に、それらをまとめて炎に包まれようとしている。

だのにショボンはそんななりで、心からの心配を投げかけてくる。

「そうだ、ぼくが助けてあげるから。だから心配しないで。君のことだけでも、助けるから――」

400名無しさん:2023/06/04(日) 20:54:11 ID:esi.ifqo0
「ばかこらぁ!!」

足を、踏み出した。

「オレがお前に頼んだか。ここから出してと一度でも頼んだか」

足元に、罪悪の感触が広がる。彼の感じてきたそれの、万分の一の感触が。

「なんでお前はそうなんだよ、助ける助ける助けるって、他人のことばっかりで」

こんなものには耐えられない。人が耐えられる痛みじゃない。

「まずは自分を見てくれよ。自分がどれだけぼろぼろなのかちゃんと知ってくれよ!」

一人では。

「だってお前、傷だらけなんだぞ。全身どこも、傷だからなんだぞ!」

だから、言うんだ。

「そんなの、見てられるわけないじゃないか……お前を見ているとオレは……」

言えなかったことを。

「だからオレは、オレは――」

言わなければならなかったことを。

「オレは……オレは、オレは、オレはぁ――!」

401名無しさん:2023/06/04(日) 20:54:43 ID:esi.ifqo0
勇気を。


「助けてほしいさ!」


絞れ。

402名無しさん:2023/06/04(日) 20:55:13 ID:esi.ifqo0
「そうだ、助けてほしい! オレは助けてほしい! オレはオレだけじゃ生きられない!
 オレ一人じゃなんにもできない! フォックスとの! プギャーくんとの約束を叶えられない!
 あんたの! 手を! 借りなきゃ! オレは! 幸せに! なれない!
 でも! でも! でも!! それは!! こんなやり方でじゃ!! ない!!!!」

涙が溢れる。涙に滲む。止めるな。否定するな。
これもオレだ――これも私だ。オレが私を、否定するな――!

「友達が苦しんで……誰が喜ぶんだよぉ……!」

手を伸ばす。ショボンに。罪悪の炎に包まれるショボンに。

「ちゃんと考えてくれよ、お前のシィがほんとは何を思っていたのか――」

泥の中へと埋められたショボンに。

「お前のシィが、どうしてお前に手を差し出したのか――」

シィを求めるショボンに。

「どうしてお前を、見つけたか――!」

……ショボンが、手を――。

403名無しさん:2023/06/04(日) 20:55:44 ID:esi.ifqo0


「そうは」
「いかない」


影が、生首が、一斉に集まった。ショボンを中心として。ショボンが呑まれる。
ショボンが隠される。うねる波の勢いに弾き飛ばされ、ショボンの側から離される。
その間も影は、首は、ひとつに集い、巨大な一個を形成し、やがてそれは確かな姿に、
鱗持つ生命の形へと変じた。それは、蛇の、姿をしていた。

ショボンが蛇に、呑み込まれた。

404名無しさん:2023/06/04(日) 20:56:10 ID:esi.ifqo0
「返せ、ショボンを返せよ!」

蛇に向かって走っていった。全力で、不安も恐れも振り切って。
けれどどういうわけか、蛇のところへ辿り着けない。
走れども走れども蛇との距離は縮まらず、視界の中の蛇の姿は全身を捉えた巨躯のまま。

「オレらの願いは、こいつの願い」
「願いのために、オレらは在る」

瞳が光る。蛇の瞳が。緑の瞳のその中に、小さく人の、姿が見えた。
左右の瞳のそれぞれに、見知ったピエロの首が在る。
ピエロが動くその度に、蛇の口から声が轟く。

「オレらは呑み込み留める者。故に願いに留まらせる」
「オレらは識らしめ拓く者。故にお前に識らしめよう」

「なにを――」

と、言いかけたオレの身体に異変が起こった。それは足元から始まった。
火。炎。始まりの場所で聞かされた、七日を限りとしたセフィロトの壁。
あのおっさんを、フォックスを焼いた、焼いた後に再生し、再び繰り返すことを強要する、あの。
それが、いま、オレの身にも。

……だが、しかし。その炎はけれど、どこか様子がおかしく。

405名無しさん:2023/06/04(日) 20:56:44 ID:esi.ifqo0
「おめでとう、お前は願いの枷から解放された」
「おめでとう、お前はセフィロトから解放された」

炎は、赤くなかった。赤ではなく白く、白色に発光していた。光り輝いていた。
その火はオレを焼きながらも一切の熱を感じさせず、むしろ暖かな安らぎをすら感じさせる。
「どういうことだ」と問うより前に、オレは答えに思い至った。

オレの願い、ここへ来た願い――私を殺すという、あの願い。
オレはもう、あの願いに拘泥してはいなかった。ショボンが、シィが、フォックスが――
フォックスが聞かせてくれたあの声が、オレに教えてくれたから。
私でいいと、教えてくれたから。

でも――。

406名無しさん:2023/06/04(日) 20:57:13 ID:esi.ifqo0
「炎の導にお前は目覚め、お前の現世にもどるだろう」
「願いの墓場のセフィロトを、二度とは訪れもしないだろう」

でも、いまじゃない。まだ早い。まだ消える訳にはいかない。
だってまだ、ショボンがいまもそのままなんだ。
このままではこれからも、ショボンが繰り返してしまうんだ。
あの地獄の体験を。あの苦しみの人生を。そんなことオレは、オレには――。

炎が巡る。オレを祝福する白い炎が。
それは留まることを知らず、とぐろを巻いてオレの身体を昇っていく。
足も、胴も、肩までも、すでにオレの身体は消えかけている。

「さらばだ此方の惑い人、お前にとっての善き再誕を」
「さらばだ彼方の惑い人、お前にとっての善き終焉を」

もはや音も光もなくなって。蛇の声も居場所も感じることはできなくて。
だから、もう、他にはなかった。意識と無意識の狭間でオレは、やぶれかぶれに“それ”を投げた。
届け、届けと祈りを込めて。届け、届けと想いを込めて――。


そしてオレが、焼失する。


.

407名無しさん:2023/06/04(日) 20:57:46 ID:esi.ifqo0
     ז



堕ちる。蛇の内側を、ぼくは堕ちる。
炎に包まれ、半ば消失したままに、この永遠をぼくは堕ち続ける。
四方で無数に降り注ぐ、ぼくの落とした生首たちと共に。女性の顔の、生首と共に。

女性。女性の面。女性の面が並んでいる。おびただしい数の女性の面が、生首となって降り注ぐ。
天より注ぎ、等の速度でぼくを囲う生首たち。生首たちが、ぼくを見る。同じ顔でぼくを見る。
死した骸の生首が、それでもぼくを視線で詰る。
万の言葉に等しき遺志で、ぼくの肺腑を切り裂き刻む。

――母の相貌。ぼくの犯した、原初の罪咎。

リリの言葉。リリの言葉が、頭を巡る。涙とともに訴えた、彼女の想いが頭を揺らす。
彼女は言っていた。ぼくの考えもしないことを言っていた。
それはとても、とても大事なことのように思えた。
いまここを生きるぼくにとって、何よりも見つめ直さなければならないことであると――。

けれど、ぼくはすでに燃えている。
呑み込む蛇と同化しかけ、朦朧とする自己は無量の断片へと砕かれ割られ。
ぼくはぼくを、失い忘れ――。

408名無しさん:2023/06/04(日) 20:58:37 ID:esi.ifqo0
「そうだ、それでいいのだ」
「それだけがお前の願いだ」

ぼくを取り込み、彼らがいう。

「お前は再び生まれ変わり」
「お前は再び地獄を彷徨う」

ぼくの中の、彼らがいう。

「幾度も幾度も友を殺して」
「幾度も幾度も友を模倣し」

ぼくの行いを、物語る。

「己に己の罪を暴かれ」
「己を仇する罰に溺れる」

ぼくの心を、代弁する。

「不変に留まる罰への堕落が」
「安楽伴う自己懲罰が」

ぼくの――願いを。

「お前の願った」
「お前の願い」

……ぼくは、いった。
堕ち続けて、いいのかな。

「いいんだよ」
「いいんだよ」

409名無しさん:2023/06/04(日) 20:59:12 ID:esi.ifqo0
……ああ、そうか。ようやく判った、君たちの正体が。
君たちがなぜ、ぼくを苦しめてきたのか。そうか、そうか、そういうことか。
だったらぼくに、君たちに逆らう理由はない。だって君たちは――ぼくの心の、鏡なのだから。

火が、全身を包んだ。目をつむる。まぶたの裏の赫灼。
開いた時にはぼくはぼくを忘却し、彼の――シィの真似事をしていることだろう。
何も知らぬ無垢なる一人となりて、そうして、また、苦しみの旅へ――。

410名無しさん:2023/06/04(日) 20:59:46 ID:esi.ifqo0



    本当に、それでよいのか。


.

411名無しさん:2023/06/04(日) 21:00:10 ID:esi.ifqo0



目を開いた。蛇の腑の裡、焔の赤。

いまにも消え失せそうな我が身――の前に、落ちるもの。

刃が。回って、浮いていた。これは――。

リリの、ナイフ。

412名無しさん:2023/06/04(日) 21:00:56 ID:esi.ifqo0


    本当の、願いを――!


聞こえた、それ。リリの声。リリの声に、己が呼び覚まされる。
彼女の言葉が、彼女の想いが自身の裡を駆け巡る。
彼女が何を言おうとしたか、ぼくに何を訴えたのか、それらが瞬時に浸透する。

そして、確信した。
自分に足りなかったものは、幾度も繰り返してきたぼくの旅に
足りなかったものは、これであったのだと。

彼女のナイフ――彼女との出会いが、足りていなかったのだと。
これが最後の、鍵なのだと。

回る剣に、手を伸ばす。

413名無しさん:2023/06/04(日) 21:01:32 ID:esi.ifqo0
「ひとつの願いは」
「反する願いを焼き殺す」

伸びかけた手が、止まった。

「それを手にしてしまえば」
「お前は罪業の安らぎを失うだろう」

「そしてその先にあるのは」
「逃れ得ぬ苦しみ」

「生という名の」
「地獄」

「それでもお前は」
「己を焦がす剣を拾うか」

落ち行く母の首と共に、二人の道化がぼくを見る。
白塗りの面に、頬まで伸びた赤い紅。涙を模した三角マークと、
二股に分かれたジェスターハット。おどけた姿の道化師たちは、嘲る様子はまるでなく。

414名無しさん:2023/06/04(日) 21:01:58 ID:esi.ifqo0
「ぼくは――」

固く真剣に、ぼくを見て。

「ぼくはずっと、勘違いしていた」

それを見て、ぼくは余計に確信する。

「彼が悲しいとぼくも悲しい。彼が苦しいとぼくも苦しい。ぼくはそれを知っていた。
 だから彼には幸せでいてほしかった。彼が幸せであることが、ぼくにとっても幸せだった。
 彼の安らぎになれることが、ぼくにとっての歓びだった。でも――」

かつてぼくを憎んだ彼ら。

「ぼくが悲しいことが、ぼくが苦しいことが彼を苦しめていただなんて――
 彼を不幸せにしていただなんてそんなこと、ぼくは一度も考えたことはなかった」

ぼくを憎んだ彼らの似姿。

「ぼくは多くの人の生命を奪った。赦されないことをした。
 だから償い続けるしか、苦しむしかないと思っていた。唯一それが、ぼくにできることなんだって。
 でも、でも、ぼくが本当に大切な人を想うのであれば――」

ぼくを罰する、敵意の象徴。

415名無しさん:2023/06/04(日) 21:02:30 ID:esi.ifqo0
「ぼく自身が幸せにならなければならなかったんだ」

セフィロトに写した、罰を求める心の反映。

「そのためにぼくは――」

二つの願いの、裡の一つの。

「本当の願いを、取り戻さなければならない」

それを、いま、捨てる。

416名無しさん:2023/06/04(日) 21:03:03 ID:esi.ifqo0
ナイフを、取った。リリのナイフを。リリのナイフが、ぼくのまとう炎を吸い込む。
螺旋を描き、回る炎の剣となりて、小指なきぼくのてのひらへと収まった。

それを、ぼくは、挿す。何もない、目の前の空間に向かって。
空間が割れる。割れた空間を、切り開く。縦に大きく、大きく、大きく。

役目を終えた炎の剣が、塵となって消えていく。
後に残るは、開いた空間。その内側へ、ぼくは両手を差し込んだ。
そこにあるものを、そこにあると確信しているものを取り戻すために。

――本当の願いを、思い出すために。

417名無しさん:2023/06/04(日) 21:03:27 ID:esi.ifqo0
「言っただろう、私はいると」

遠きその場の、それをつかんだ。それを、引きずり出す。
長い、長い、長い、道のりを。ずっと、ずっと、ずっと、共に在り続けた、“友人”を。
彷徨うぼくと同じ顔をした、導き続けたぼく自身を。

「ずっと側に。お前の最も近い場所に」

ショボン――ショボンと呼んだ生首。
生きるべきはシィであり、首を落とされるべきはショボンであるという
ぼくの幻想を投影した対象――“切り落としたぼくの小指”。
“指環を嵌めた、願いそのもの”。

418名無しさん:2023/06/04(日) 21:03:56 ID:esi.ifqo0
「……ごめん、遅くなった」

「謝る相手は、私ではない」

「うん……そうだね。でも、言わせて。君にも――叡智の蛇の、二人にも」

抱きしめた“ショボン<契りを結んだ小指>”を中心に、世界の光景が変わっていく。
蛇を構成する影が消え去り、外の世界が現れていく。

「ここまで導いてくれて、ありがとう」

道化師たちが、薄れていた。
曖昧にぼやけたその姿はぼくが投影した元のイメージとはかけ離れ、
ぼく自身であるようにも、セフィロトに元々存在する何かのようにも見える。
その何かが、雑音混じりに語りかけた。

「忘れるな、罪悪感はいつでもお前の背後にいると」
「我らが消え去ることはなく、終生背負い続けると」

「うん、判ってる」

「ならば」
「よい」

419名無しさん:2023/06/04(日) 21:04:18 ID:esi.ifqo0
「ショボン」

胸の内の、ぼくがつぶやく。
ぼくであってぼくでない、本来の姿にもどりつつあるぼくの一部が。
共に旅した時と同じく、変わらぬトーンで、こういった。

「――約束を、どうか」

「……うん!」

そして遂にぼくたちは、一人のショボンへ統合し――。


.

420名無しさん:2023/06/04(日) 21:04:51 ID:esi.ifqo0
     ח



「長い、本当に長い旅をしてきました」

音のない波。揺らぐ表に飛沫を上げて、小舟が白い線を描く。

「星の飛沫の流れしアッシャーにも行きました。
 幾何対黄金のイェツィラにも。
 果てなき東のクリフォトも旅したんです」

シィと一緒に空想した、使徒王さまが旅した場所。
星の川、対の世界、そして悪徳の――己と向き合う、クリフォトの地。
誰の心にも潜在する、知恵<善悪>なる罪を映し出す。

「一人ではとても越えられない旅でした。アドナが、叡智の蛇が、“ショボン”が――
 それにリリがいなければ、ここへ来ることは叶いませんでした。……それに、もう一人」

そのクリフォトを越えたこの場所を、ぼくは知らない。
おとぎ話にも、伝記にも記載のなかった不明の場所。

「蛇の中を落ちるぼくに、誰かが呼びかけてくれたんです。
 あの声がなければ、いまのぼくはありません」

不明の場所で、渡し守が櫂を漕ぐ。

「あれは、父さんですよね」

421名無しさん:2023/06/04(日) 21:05:12 ID:esi.ifqo0
渡し守は答えない。それでもぼくは、話を続ける。

「みんなのおかげで鋭利に尖った最果てへの道を通ることができたのです。
 西の果てのセフィロトの、その果ての最果てにまで。けれど――」

かつて恐れたその人へ。

「けれどそれでもぼくの願いは、いまも叶わぬままなのです」

かつて尊じた、その人へ。

「父さん」

その死のときまで聞くことのできなかった問いを、我が父へ。

「どうして母さんの首を刎ねたのですか」

確認することが恐ろしく、目を背け続けたその問いを。
確認するまでもなく、判りきっていたその答えを。

422名無しさん:2023/06/04(日) 21:05:42 ID:esi.ifqo0
「ぼくを、死なせないためですよね」

母は、罪を犯した。それが何の罪かは判らない。
それは斬首に値する罪で、けれどもそれは、多分な猶予を与えられた罪でもあった。
逃げようと思えば、逃げられたはずだった。父と母、二人だけであれば。

しかし、二人の間には子どもがいた。
まだまだ幼い、ようやく歩き始めたばかりの子どもが。
一粒種の息子であるこのぼく、ショボンが。

ぼくを捨てて二人で逃げるか。母の処刑を断り、家族三人首を落とすか。あるいは――。
そうしてぼくは生き残り、母は、父の手に掛かって、死んだ。

423名無しさん:2023/06/04(日) 21:06:15 ID:esi.ifqo0
「……父さんは、無口ですね」

ぼくは父が恐ろしかった。
父がぼくをどう思っているのか、憎んでいるのか、疎んでいるのか、それすらも判らなくて。
父は何も言わなかったから。だからぼくはいつも、父に怯えていた。
父と向き合うことを、避けていた。

でも。

「ぼくは……ぼくは、話すのが好きです。話すのが、好きになりました。
 だってそれは、相手がいなきゃできないことだから。相手がいることは、幸せだから。
 彼がそれを、教えてくれたから……。だから……だからぼくは、願いを叶えないといけないんです。
 ……いえ。叶え、たいんです」

いまだからこそ、思う。もしかしたら、逆だったのかも知れないと。
ぼくの痛みが友人を苦しめているとは知らなかったように。
もしかしたら父の方こそ、ぼくのことを――。

「約束の、願いを」

424名無しさん:2023/06/04(日) 21:06:39 ID:esi.ifqo0
「ショボン」

小舟を中心に、波紋が立つ。

「どこへ行きたい」

どこへ行きたい。いつかも聞かれた、父の問い。てのひらに視線を落とす。
指を見る。いまは確かに存在する、喪われていた右の小指。
小指に嵌めた、ラトヴイームの誓いの指環。かさかさとした、樹の感触。

口を閉じ、何を答えることもできなかったあの時。答えがなかったわけではなかった。
答え<願い>はもう、決まっていたのだ。あの時から、変わらずに。

ぼくは、答えた。

425名無しさん:2023/06/04(日) 21:07:03 ID:esi.ifqo0





     「シィに、会いたい」





.

426名無しさん:2023/06/04(日) 21:07:32 ID:esi.ifqo0
小舟が、音一つない表の上で静止した。

「――お前の母を、殺めた時」

その中でその声が、父の声だけが、世界を渡る。

「お前の母に会いたいと、私は願った。だがそれが赦されるはずのない願いであると、
 私はそうも理解していた。故に私は職務に殉じた。神の代理人である王に従い、
 王の剣として国家への奉仕に心血を注いだ。我が王の首を自ら刎ねた、あの時でさえも」

初めてかも、しれなかった。
父の声を、こうして聞くのは。父とこうして、相対するのは。

「私は処刑具だった。父にそう教わったように。父が父の父にそう教わってきたように。
 故に私も、同じ道をお前に教えた。お前をここへ連れてきたのは、他ならぬ私であるのだから。
 だが……私の道は、ここで途切れている。この先を、願う者の道を、私は知らない。だから――」

父がこうして、ぼくを見るのは。

427名無しさん:2023/06/04(日) 21:07:59 ID:esi.ifqo0


「ここから先は、お前の道だ」


ぼくの前へと差し出された櫂。使い古され、いまにも折れてしまいそうな。
それをぼくは、受け取った。直後――父の身体が、炎に燃えた。
白く、眩く、輝くような炎に。燃える父が、口を開いた。

けれども父は何も言わず、口を閉じ、まぶたを閉じて、焼かれるままに身を任せた。
そして――そうして、父の姿は、そこから消えた。

父は、何も言わなかった。最後まで父は、無口であった。

父の立っていた場所に、立つ。父の立っていた場所で、櫂を表に突き入れる。
そしてぼくは、漕ぎ出した。西の果ての、その果て先へと。

父の先へと、漕ぎ出した――。


.

428名無しさん:2023/06/04(日) 21:08:36 ID:esi.ifqo0
     ט



舟を漕ぐ。

手探りに探り出す航路。汎ゆる物事が未知であり、羅針盤などあるはずもなく。
すべては己の裁量と、願いを抱く気持ちの強さに。

そう、願い。願いと、約束。
二人で交わした、二人だけの約束。ラトヴイームを、通じた誓い。

シィはぼくを探すだろう。泥の底から、沈むぼくを見つけたように。
どれだけぼくが隠れようとも、彼は探し続けるだろう。
それがどれだけ掛かろうとも、それが例え永遠に等しかろうとも、シィはぼくを探すだろう。

シィは必ず、いまもぼくを探してる。

シィを助けられるのはきっと、ぼくだけだ。
ぼくを探すシィを助けられるのは。
そしてシィを想うぼくを助けてくれるのもまた、シィだけ。

助けることと助けられることはきっと、同じなのだと思う。
幸せも不幸せも、共有し分かち合うものなのだから。
そのために備えられた声であり、言葉であり、心なのだから。


ぼくらは人間なのだから。

.

429名無しさん:2023/06/04(日) 21:09:11 ID:esi.ifqo0
舟を漕ぐ。果てなき道を探り探りに、けれども櫂は止めずに進む。
やがてぼくは――私は年老い、父の死んだ年もとうに過ぎ、潰れた目には何も映らず、
櫂持つその手も皺に塗れた。己を支える力を失い、膝をついて倒れかけた。

それでも私は漕いだ。

漕いで。
漕いで。
漕いで。

彼の下へ。
果て先へ。
彼の待つ果て先へ。

430名無しさん:2023/06/04(日) 21:09:43 ID:esi.ifqo0
いつからか、音が聞こえなくなった。
感覚が失せ、己が立っているのか横たわっているのかも判らなくなった。

それでも私は漕いだ。櫂を動かす感覚が、水を掻く感覚が伝わらなくなった。
それでも私は漕いだ。生きているのか死んでいるのか、それすらも判らなくなった。
それでも私は漕いだ。右の小指の指環だけは、確かにそこに在ったから。だから、私は、漕いだ。

そして――遥か彼方に、何かが見えた。
光を失した瞼の裏に、映るはずのないそれらの光が。
三重光輝の楕円の輪。きらきらと星のように輝く、その――。

漕ぐ。漕いでいるのか判らなくとも、漕ぐ。光が近づく。
光の輪へと少しずつ、少しずつ、けれど着実に、近づいていく。
そして私はそれを――第一の輪を、くぐる。


声が、聞こえた。

.

431名無しさん:2023/06/04(日) 21:10:08 ID:esi.ifqo0
喪われた視界が、音が、甦った。
皺は消え去り、力がもどり、私がぼくへと還っていく。
いつかのぼくらのあの頃へ、彼と生きたあの頃へ。第二の輪を、くぐる。


声が、聞こえた。

.

432名無しさん:2023/06/04(日) 21:10:47 ID:esi.ifqo0
初めに言葉があった。言葉は光と共にあり、言葉は光であった。
己を灯す、小さな光。彼と我とをつなぎて結び、そこに在ると教え報せる。

言葉があった。ぼくたちの間にはいつも、言葉があった。彼はいつでも、言葉とあった。
故にぼくも――ぼくらの結びも、また、言葉。

最後の輪を、くぐった。



    声が、聞こえた――。
    ――声を、返した。


.

433名無しさん:2023/06/04(日) 21:11:16 ID:esi.ifqo0










          もーいーよ










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434名無しさん:2023/06/04(日) 21:11:44 ID:esi.ifqo0
   ―― אור ――



――なぜあの男を処刑台に送ってくださらなかったのですか。


.

435名無しさん:2023/06/04(日) 21:12:14 ID:esi.ifqo0



「ええ、そうです。これが創始者ショボンの、その墓になります」

街外れの森林。木漏れ日の差し込むその場所に、並び建てられたいくつもの墓石。
居並ぶそれらとさしたる違いもなく、その墓は葉々の影に佇んでいた。ショボン。
かつて処刑人として数多の生命を奪い、後に医師として多くの生命を救った男。
そして――『ホーム』を創始した、歴史上の人物。

「生前彼は、こう言っていたそうです。誰一人、一人にはさせたくない、と」

革命の時代。いまを生きる私にとっては、ただの記録に過ぎない過去の出来事。
けれど当時を生きた彼らにとっては、現実として直面した凄惨な出来事。
私の垣間見た、あの光景。

三二〇〇と一人。ショボンが殺めた、人の数。

436名無しさん:2023/06/04(日) 21:12:44 ID:esi.ifqo0
「そこには大変な困難があったと伝わっています。
 彼に恨みを持つ者の手によって、両目を潰されたとも」

二年足らずの間に奪われたにしては、余りにも多すぎるその生命。
けれど被害を受けたのは処刑された人だけでなく、大切な人を奪われてしまった人たちも。
家族、恋人、あるいは、友人。失意のまま残されてしまった人々。
父を、母を殺され、行き場を失った子どもたち。

ショボンの『ホーム』は、そうした行き場を失った人たちの
居場所となるために設立されたのだと聞いている。
生前、盲目となった彼の目は、保護した少年に奪われたのだとも。
彼の殺めた罪人の、その息子に奪われたのだと。

「処刑人であった彼は、やはり簡単には受け入れてもらえなかった。
 時代が変わろうとも、すぐには変えられないものもある。
 彼への嫌悪や、侮蔑や――それに、恨みも」

彼は受け入れられなかった。受け入れられないままそれでも、光を失ってなお、
彼は立ち止まらなかった。晩年は重い病を患い、四肢の麻痺に苦しめられたそうであるが、
それでもその死の間際まで彼は『ホーム』に、孤独な人を助ける仕事に尽力し続けていたと聞く。

六〇回目の誕生日を一ヶ月後に控えたその時まで。
そしてその死の後にまで、心無い言葉をぶつける人は存在していたと。

437名無しさん:2023/06/04(日) 21:13:07 ID:esi.ifqo0
「ショボンが人を殺めたこと、それは事実です。 それ自体を肯定することは、
 やはりできないのかもしれない。時代の犠牲などと、軽々しく片付けてはならない問題であると。
 ですがあの革命が、後の世に大きな影響をもたらしたこともまた事実。
 あの革命がなければ人はその生まれや家から逃れられず、
 ショボンが処刑人を辞すこともできなかった訳ですから」

その生の終わりまで他者の苦しみを拭い去り、その幸せを後押ししようとし続けたショボン。
彼はそれで、何を得たのだろうか。

「すべて正しき行いなどありはせず、また同時に、拾うべきものの
 何一つない事象も存在しないのかもしれません。我々にできるのはそれをどう受け取り、
 何を残していくか――。停滞したままでは、何が変わることもないのですから」

私は彼に、何を――。

「彼の建てた『ホーム』の、私もその恩恵を受けた一人ですから」

438名無しさん:2023/06/04(日) 21:13:36 ID:esi.ifqo0
「せーんせー!」

愛くるしい声をした女の子が、すぐ側の屋敷――彼らの『ホーム』から頭を出した。
声と同じく可愛らしい、清潔そうな衣服を身にまとった女の子だ。

「ギコとフサが、またけんかー!」

女の子が、私を案内してくれた男性に向かって叫ぶ。
男性も女の子に向かってすぐ行くと声を張り上げた。その後に彼は、私の方へと向き直る。

「代議士。あなたがいま苦境に立たされていることは存じております。しかし――」

彼の目が、目の前の墓へと向けられた。

「ショボンの理念を継ぐ者として、私はあなたを応援します」

催促を繰り返す女の子が響いていた。彼は会釈をし、屋敷の方へともどっていく。
そうして墓場には私だけが残される。私と、目の前の、墓。ショボンの。
樹環をあしらったレリーフの刻まれた。

「……ショボン」

そのレリーフに、触れる。

439名無しさん:2023/06/04(日) 21:14:06 ID:esi.ifqo0
「覚えていますか、ショボン。リリです。あなたと一緒にセフィロトを旅した、あのリリ」

しばらくそうして、墓石に触れる。硬い、無機質な感触。
いくら待っても、墓から返事が訪れるはずもなく。

「……本当に、亡くなっているのですね」

当たり前のことを、私は口にする。
その当たり前の響きが、不可思議に感じられる。

「いまも信じられません。あんな大冒険をしたあなたが、一〇〇年も昔の人だなんて」

思い描くショボンはいつだって、子どもの姿であるのだから。

「私は……リリは覚えています。一日だって忘れたことはありませんでした。
 だってあれは夢や幻ではなく、現実に起こった出来事でしたもの」

一緒に旅したショボンであり、シィなのだから。

440名無しさん:2023/06/04(日) 21:14:42 ID:esi.ifqo0
「ねえショボン、あなたはすごいですね。
 あそこをもどってからもずっと、戦い続けていたんですね」

声が聞こえた。風に乗って。だってギコが、だってフサが。
泣いて、怒って、のびのびと感情を顕にする、そんな声が。

「本当はね、もっと早く会いに来るつもりだったんです。
 あなたがあれからどうなったか、心配、だったから。でも……」

先生を呼びに来た女の子の愛らしい声が。他にも響き渡る、何人もの声が。

「……でも、そんな心配、いらなかったかな」

かつて彼が生まれ、育ち、暮らした屋敷から。

「お前のせいでずいぶんやきもきさせられたんだからな、ばかこら!
 ……なーんて」

それらの声に、私は耳を済ませた。彼が興し、彼が育んだ声。
彼の残した誰かの幸せ。それは紛れもなく素晴らしいことで、
彼は紛れもなく生きていて、その意思は紛れもなく受け継がれていて。でも……。

屋敷から響く声を聞いて、聞いて――自分の声を出すまでに、
ずいぶんと長い時間がかかった。かすれる声を震わせて、墓石の彼に、私は尋ねる。

「ねえショボン。あなたは願いを――あなたが望んだ本当の願いを叶えられたのですか?」

441名無しさん:2023/06/04(日) 21:15:07 ID:esi.ifqo0
――墓石は、やはり応えることはなく。

「私……私もね、私なりにがんばったんです。がんばった、つもりです」

あの後。セフィロトの旅を終え、現実に目を覚ました後。
父の差し向けた警官隊によって私は無事に保護され、
あの人は――私を誘拐し、プギャーくんを殺したパトリックは捕まった。

私は修道院に送られることもなく、咎められることもなかった。
おそらくは父も、それどころではなかったのだと思う。
あんなに取り乱した父を見たのは、初めてのことだったから。

パトリックについての議論は法廷を越え、国家的ニュースとして取り沙汰された。
それはこの裁判が、ある大きな争点を巡る論戦に発展していたから。
その争点とは――この男を死刑にするべきか、否か。

一〇〇年前の革命の反省からかこの国ではもう数十年もの間、
死刑という罰を判決に用いては来なかった。法が人を殺めるということに、
この国の司法は慎重になっていたのだ。

けれどそれは死刑の廃止を、条文として死刑の廃止を明文化しているわけではない。
悪質な犯罪に対する選択肢として、死刑という可能性は常に残されたままとされていた。

442名無しさん:2023/06/04(日) 21:15:28 ID:esi.ifqo0
身代金を目的とした児童誘拐、及び児童殺害。
後に発覚した、三件の誘拐未遂。剣水晶勲章を授与された、元軍人が犯した罪。

そのセンセーショナルなニュースは国中を駆け巡り、
世論はむしろ死刑求刑論者の方が優勢であった。その船頭に立っていたのは他ならぬ父であり、
父は署名活動を行うほど熱心に、パトリックの死刑を訴えた。

秩序と安寧を維持するには、
悪を排除する他にない――殺す他に、ないのだと。

――私の想いは、父とは違った。

443名無しさん:2023/06/04(日) 21:15:55 ID:esi.ifqo0
「あの人のこと、赦せたわけじゃないんです。それはやっぱり、できなくて。
 でも、だけどでも……死なせてしまうのは、違うって。
 それは、させたく、ないって……」

フォックスのこと、ショボンのこと。頭に浮かんだ、セフィロトでの光景。
殺す他になかった時代。殺したい訳では、なかった人たち。
彼らとの出会いを、その想いを、すべて咀嚼できたわけではない。

けれども私は、とにかくそれらを無駄にしたくなかった。
二人の痛みを、苦しみを――犠牲を無駄に、したくなかった。

444名無しさん:2023/06/04(日) 21:16:17 ID:esi.ifqo0
私は訴えた。彼を殺さないでくださいと。
殺す以外の方法で罪を償わせてあげてくださいと。
手当たり次第に、声を上げられるところすべてで声を上げて。
あの広場で、紙芝居が開かれ、一〇〇年の昔には見世物としての処刑が行われていた、あの広場で。

多くの人から罵倒され、父からも強く非難された。それでも私は訴え続けた。
すると次第に、私の言葉に耳を傾けてくれる人が現れ始めた。

初めはぱらぱらと数人の人が、次には支援すると舞台を用意してくれる人が、
やがては地方紙に載り、全国紙にも取り上げられ、大々的に報道された。

気づかぬうちに私は死刑廃止論者の旗手として、時の人となっていた。
そしてパトリックは――無期懲役を言い渡された。

445名無しさん:2023/06/04(日) 21:16:39 ID:esi.ifqo0
「それで私ね、いま、代議士なんて呼ばれてるんです。びっくりしてしまいますよね。
 自分でもそう思います。あんなに口下手で泣き虫だった私が先生なんて
 呼ばれる立場になるだなんて、あの頃からは絶対に、想像つきませんもの。でもね――」

二〇年。セフィロトから目覚め、あの広場で初めて人の前に立った時から二〇年。
人前に出ることに怯えていた私はいまや、それを自らの職務としている。
政治家として、フォックスやショボンが願った世界を作り出そうと尽力してきた。

もちろんそれは一筋縄ではいかない道のりだったけれど、幸いなことに理解者には恵まれた。
こんな私を支援し、応援し、その背中を後押ししてくれる人を私は得た。
だから私はこれで間違っていないと思っていた。

これが私にできる、“白紙のキャンバスに色を塗る”方法であると、そう信じて。
けれど――。

446名無しさん:2023/06/04(日) 21:17:09 ID:esi.ifqo0
「パトリックがね、殺してしまったんです。仮出所中に、また、子どもを」

奪われた人生を取り返したかった。
逮捕されたパトリックは取り調べた刑事に向かって、そう供述したらしい。

この発言は、この国に生きる人々すべての怒りを買った。
二〇年の間に固まりかけていた死刑制度の廃止案は白紙に戻され、
今度こそパトリックを殺すべきだと人々は沸き立った。

彼らの怒りはパトリックだけに留まらず、当時の人々にも向けられた。
即ち死刑に反対し、パトリックという悪魔を野に放つその片棒を担いだ人々へ。
そしてその怒りは当然の帰結として、当時の世論を牽引したその火付け人に対しても向けられて。

私、リリに対しても。

447名無しさん:2023/06/04(日) 21:17:35 ID:esi.ifqo0
「責められるのはね、やっぱりつらいです。二〇年経っても私はやっぱり、弱虫なリリだから。
 だから、とても、つらい。つらくて、苦しい。
 でも、本当につらかったのは。何より心に来たのは――」

目を閉じると、思い出す。その人は、怒ってはいなかった。泣いてすらいなかった。
ただ無表情に、あらゆる感情が抜け落ちてしまったかのように、ぼうっとした顔で私を見ていた。
ぼうっとした顔でその人は、責めるでもなく、咎めるでもなくその人は――
殺された男の子のお母さんは、ただただ私に問いかけてきた。


――なぜあの男を処刑台に送ってくださらなかったのですか。


「……私ね、判らなくなってしまったんです。本当にこれで良かったのか。
 私がしてきたこと、正しかったのか。もしかしたら、もしかしたらだけど私――」

私は何も答えられなかった。かつてのように。
二〇年前の、叱る父の前でなにを言うこともできずに泣きじゃくっていた子どもの頃のように。
私は何も、答えられなかった。私には、私には彼女の問いに応えるだけの確信が、答えが――。

「私、間違っちゃったのかなあって……」

なかった。

448名無しさん:2023/06/04(日) 21:17:59 ID:esi.ifqo0
「……ごめんなさい、暗い話をしてしまって。大丈夫です。
 私、がんばりますから。最後まで、がんばりますから」

立ち上がる。がんばるために。何をかは判らない。でも、そうする。
そうしなければ、ならないから。みんなのために、そうしなければ。

償う、ためにも。

「話を聞いてくれてありがとう、ショボン。また、来ますね」

そう言ってからもしばらく私は、ショボンの墓の前で立ち尽くしていた。
差し込んでいた陽光はすでに朱に染まり、地平の彼方へいまにも落ちんとしている。
風が吹いた。葉々のそよぎが、墓に刻まれたレリーフに朱の色を落とした。

私はそこから目を逸らすようにして、ショボンの墓に背を向ける。
そして一歩、一歩、歩を進める。明日がもう、そこまで迫っているのを感じながら。
私は一人で、行く――はずだった。

何かの割れる、音が聞こえた。

449名無しさん:2023/06/04(日) 21:18:21 ID:esi.ifqo0
振り返る。ショボンの墓。変わらずそこに、鎮座した。
――いや、違和感があった。何かが違っていた。
墓の一部が、一点が、先程までと違っていた。

朱に染まったレリーフ。墓に刻まれた樹環。その中心が、割れていた。
縦に走った亀裂。それは小さな、塵のように小さな小さな
亀裂であったけれど、私はそこから目を離せなかった。

まさか――まさか、まさか。

頭に浮かぶ想像を否定しながら、けれども身体は動いていた。
私は再びショボンの墓の前に立ち、彼の墓へと、刻まれたレリーフへと、
樹環のその中心へと指を伸ばしていた。

混乱する頭を他所に、静かに、けれど確かな意思でその場所へと向かい、
そして私はその亀裂に――極彩色のその場所に、触れた。


光が、視界を覆った――。


.

450名無しさん:2023/06/04(日) 21:18:47 ID:esi.ifqo0



「――私」

声が、幼かった。手も小さく、身体も軽く、見える視界も非常に低い。
胸に触れる。鼓動を感じる。とくとくと鳴らされる、生命の律動。

これは、私だ。あの頃の私。幼く、小心で、泣き虫であった頃の私。
彼――と、過ごしていた、あの頃の。

いや、それよりも。
周囲を見回す。見覚えのある光景。
現実として見たことのある、現実でも見たことのある、その場所、その風景。
間違いなかった。未熟な魂を映し出す、願いへと続く心の反映――。

西の果ての、セフィロト。

451名無しさん:2023/06/04(日) 21:19:12 ID:esi.ifqo0
目の前には、暗い穴が開いていた。
暗い、どこまでも続く暗い穴が。
山をくり抜くような形で。

山中トンネル。整然と、整えられた。

私の時代のものではない。これは、過去のもの。
一〇〇年前のもの。彼らの生きた時代のもの。大樹の聳える、あの時代の。
胸に当てたその手が、鼓動の早まりを然と認める。

452名無しさん:2023/06/04(日) 21:19:38 ID:esi.ifqo0


確かめなければ。


心臓が、痛いほど胸を打ち付ける。呼吸が浅くなる。
この暗闇の先にあるもの――あるか、どうか、未だ不鮮明なものを思って。
……怖い。確かめる、ことが。彼の旅の結末を。私の行いの、その結果を。
確かめることが、怖い。でも、いかなければ。だっていかなければ、私は、もう、どこにも――。

足を、踏み入れた。

衣擦れの音すら反響する光なき暗黒。その中を、私は歩き続けた。
道は真っすぐ、迷いはしない。ただただ私は、歩くだけ。
一歩一歩、一歩一歩、足の裏に伝わる感触を確かめながら、光の出口を目指して進む。

453名無しさん:2023/06/04(日) 21:20:00 ID:esi.ifqo0
ふいに、声が聞こえた。
暗闇の裡から、小さく小さくささやく声が。

何を言っているかは聞き取れない。
聞き取れないけれど、それが心地の良いものでないことは感じる。
心地の良くないそれが、私に向けられたものであることは感じる。
けれども私はそれらを無視し、更に先へと歩を進めた。

次第に声が大きくなった。
ささやき声は罵声となり、間違えようもなくそれらは私を批難していた。
私の弱さを、私の無知を、私の過ちを彼らは批難していた。

心臓の痛みが強まった。呼吸が浅く、苦しくなった。
それでも私はそれらを無視し、更に先へと歩を進めた。

呼び声が聞こえた。
全身に緊張が走った。姿は見えない。けれど、そこにいるのが誰かは判る。
その人が、再び私を呼んだ。なぜお前はこんなにも勝手なのだと、悲しむような声で。

その人は――父は、私を叱った。足が止まりかけた。
止まりかけた足に力を込め、私は更に歩を進めた。

454名無しさん:2023/06/04(日) 21:20:28 ID:esi.ifqo0
「あっ」

足が、止まった。人を、感じて。姿は見えない。
ただ、そこにいるのを、感じて。それが誰かを、察知して。

「あ、わた、わた、し……」

呼吸が止まる。舌が回らず、言葉がうまく発せなくなる。
何かを言わなければならない。でも、なにを。

私には、答えがなかった。
この人に返す答えが、確信が、私にはなかった。
だから私は何も、この人に何も言えずに――。

“彼女”が、口を開いた。

455名無しさん:2023/06/04(日) 21:20:53 ID:esi.ifqo0



――なぜあの男を処刑台に送ってくださらなかったのですか。


.

456名無しさん:2023/06/04(日) 21:21:18 ID:esi.ifqo0
足が、下がっていた。後ろに。その下がった足が、燃えた。
炎の壁が、迫っていた。赤い、炎が。それでも私は、前へと踏み出せなかった。
このままではいけない、なにか言わなきゃ、なんとかしなきゃと思いながらも、
自分が自分を離れたように、身体は指一つ自由にならず。

炎が昇る。私を焼いて。それでも私は動けない。
怒る父を前にした時のように。パトリックに誘拐された時のように。
彼に……助けに来てくれた彼に、来いと呼ばれた時のように。恐れる私は、動けない。
何も成長していない私は。あの頃のままの私は。臆病で弱虫で、泣き虫な私は。

そうして私は、炎に包まれ――。


.

457名無しさん:2023/06/04(日) 21:21:40 ID:esi.ifqo0



手を、握られた。

炎のゆらぎのその向こう、暗闇に同化したその誰か。
影も形も見えないその子。私と同じ、小さな小さな女の子。

私と、同じ。

その子のその手が、私のその手をぎゅうと握った。
握られ私も、ぎゅうと返した。

身体が、動いた。

458名無しさん:2023/06/04(日) 21:22:12 ID:esi.ifqo0
「……ごめんなさい」

前へと足を、踏み出した。

「これから私が何をしようとあなたにとっては手遅れで、
 きっと心を晴らすことはできないのかもしれない……」

炎が身体から、遠ざかる。

「自己満足なのかもしれない。償うことなんてできないのかもしれない。
 喪われたものは、二度とはもどってこないのだから……でも」

炎を払いて歩く。前へ、前へ。

「でも、ここで何もしなかったらこれまでのことが、この、事件のことが、
 本当に意味のないことになってしまう。それだけは耐えられない、赦せないから――だから!」

握った手の先のこの子と共に。

「いまのままでは曖昧な答えを確かなものとするために、どうか、どうか私を――」

“彼女”の、目の前へ――。


「果て先へ、行かせてください」

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459名無しさん:2023/06/04(日) 21:22:43 ID:esi.ifqo0
――光が、差し込んだ。暗闇を割って。トンネルの出口。
“彼女”を越えて、出口に向かって歩く、歩く。そうして抜けた、その先には――
見渡す限りの、緑の世界。おとぎ話に、出てくるような。楽園。光り溢れる神様の。
そんな言葉が、自然と浮かぶ。そして――。

そしてその先には――聳える大樹の、ラトヴイーム。

手を握る。強く強く握りしめる。隣のその子と、同じくらいの強さの力で。
握って私は、私たちは、ラトヴイームの聳える丘を登っていった。確かめるために。

「あ」

彼の、彼らの――。

「あぁ……」

物語の――。

「ああ――!」

結末を。



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460名無しさん:2023/06/04(日) 21:23:16 ID:esi.ifqo0










          (*-ー-)(-ω-`)










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461名無しさん:2023/06/04(日) 21:23:46 ID:esi.ifqo0



――会えたんだ。会えたんだ、会えたんだ!

ラトヴイームの大樹を背にして、二人の少年が並んでいる。
並んで座ったその二人は、穏やかな寝顔を互いに寄せて、指を結んで眠っていた。
誓いの指環を、重ね合わせて。

涙が止まらなかった。子どもの姿で、子どものように、子どものままの私は泣いた。
手の先にいる隣のその子も、私と同じように泣いていた。
二人でえんえん泣きながら、並んで座る少年たちを、私と彼女は見続けた。

泣いて、泣いて、泣きながら、こんなに泣いたのはいつぶりだろうと私は思った。
もうずっと、本当に長いこと、涙を流していなかった気がした。
泣いてもいいと言われた私。けれども私は、いつしか泣くのを封印していた。

泣いてもいいと、私は思えた。

二人のために泣いていいと、私は思った。

泣いた自分を、泣いた自分が、赦していた――。


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462名無しさん:2023/06/04(日) 21:24:23 ID:esi.ifqo0



気づけば、墓の前にいた。ショボンの墓。樹環のレリーフの刻まれた。
そこには当然亀裂などなく、触れてもなにも起こりはしない。
きっとそれで、よいのだと思う。

目元が涙に濡れていた。指先でそれを拭う。
拭ったその手を、胸へと当てる。手を、つなぐようにして。
確かにそこに存在した、私の中のもう一人の“オレ”と手をつなぐようにして。
――手をつないで私は、密やかに誓いの言葉をささやいた。



行こう――“リリ”。



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463名無しさん:2023/06/04(日) 21:24:52 ID:esi.ifqo0



 強くて、弱くて、優しくて、怖がりな、いまここを生きる、罪深いあなたへ――


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464名無しさん:2023/06/04(日) 21:25:18 ID:esi.ifqo0
     י



バチカルのハインリッヒ・リリ・オーンズ。享年八二歳。
その生涯は決して、恵まれたものとは言えなかった。

第二パトリック事件の後、求心力を失った彼女は落選、
政界での立ち位置を失うも慈善家としての活動を始める。

それは急進する資本主義社会の煽りを食らって生活に
困窮する人々を支援するためのものだったが、しかし時代は激動の世紀。
帝国主義の限界を露呈した至上二度目の世界大戦に、東西を二分した冷戦が連続して起こる時代。
後ろ盾を持たない彼女の活動はすぐにも頓挫することとなる。

465名無しさん:2023/06/04(日) 21:25:51 ID:esi.ifqo0
「もしかしたらあなたはいま、失意の底にいるのかもしれません。
 自らの弱さを憎み、自らの犯した罪を悔いているのかもしれません」

それでも彼女は私財をなげうち、自らの活動を推進させた。
脇目を振らず、身を削って。そうした彼女の活動に対する理解者はむしろ少数であり、
余りにも理想主義的であるとして批判に晒されることも少なくはなかった。
彼女の庇護対象に前科者が含まれていたことも、そうした世論に拍車を掛けた。

「人から離れ、暗闇に閉じこもり、たった一人で自らを責めているのかもしれません。
 自分には助けを求める資格などないと、そう信じ込んで」

それらの批判に、彼女は反論しなかった。反論も、自身を正当化することもなかった。
彼女は生前、こう語っていた。自分は多くの間違いを犯している。
けれど間違いでない何かも行っている。それは私には判らない。

だからあなたに、みなさんに、受け取ってほしい。
次代に残すべき何かを、みなさんに見つけ出して欲しい。そのように、彼女は語っていた。

466名無しさん:2023/06/04(日) 21:26:31 ID:esi.ifqo0
「私には、あなたの罪を肩代わりすることはできない。
 あなたの悩みを解決し、あなたの代わりを生きることはできない。
 ……けれど、あなたの声を聞くことならできる。その手を握ることなら、できる」

そうして彼女はその死の時まで、歩みを止めることをしなかった。
名誉や名声とは無縁のままに、彼女は息を引き取った。

しかし、それから二〇年後。
冷戦が終結し、国家と国家、人と人との融和が国際社会における課題とされる時代。
彼女の思想や行いが、表舞台に取り沙汰される。

467名無しさん:2023/06/04(日) 21:26:58 ID:esi.ifqo0
「一人で苦しみ、一人であることに苦しむあなたを、一人にさせないことならできる。
 泣き虫で臆病で、逃げてばかりだった私だけれど、そうできるだけの社会を、
 実現したいと思うから。実現して、みせるから。だから、だから――」

彼女の構築したシステムを取り入れそれは、
超国家主義的な機能を持って国際的に運用されていった。
時と共にそれは生物のようにその形を変化させ、
あるいは彼女の想定とは異なる姿へと変じていたかもしれない。

それでも彼女の言葉は理念の一部として書き残され、
揺らぐことのない憲章の一文として語り継がれた。彼女のその、呼び名と共に。

「だからどうか、過去から未来へつながるあなたに――」

結び重なる二つの樹環。肌見放さず身につけていた、生前の彼女を象徴するバッジの絵柄。
人を孤独から救い、守り続けたハインリッヒ・リリ・オーンズ。人は彼女を、こう呼んだ。



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468名無しさん:2023/06/04(日) 21:27:25 ID:esi.ifqo0






「“助けて”と言えるだけの、勇気を――!」

   ラトヴイームの守り手と――――。




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469名無しさん:2023/06/04(日) 21:27:50 ID:esi.ifqo0



















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470名無しさん:2023/06/04(日) 21:28:14 ID:esi.ifqo0




















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471名無しさん:2023/06/04(日) 21:28:42 ID:esi.ifqo0



















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472名無しさん:2023/06/04(日) 21:29:15 ID:esi.ifqo0














          待ちくたびれてたんだからな、バカコラ













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473名無しさん:2023/06/04(日) 21:29:47 ID:esi.ifqo0
            יא







  ラトヴイームの守り手だったようです おわり




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474 ◆y7/jBFQ5SY:2023/06/04(日) 21:30:39 ID:esi.ifqo0
ラトヴイームの守り手だったようですはこれにて完結となります
ここまでお読みいただきありがとうございました

475名無しさん:2023/06/04(日) 21:39:59 ID:X/eWGKL60
おつでした〜〜〜〜!!!
もう一度読み返します!!!

476名無しさん:2023/06/05(月) 17:21:38 ID:lolRxdYY0
乙乙乙

477名無しさん:2023/06/05(月) 20:02:20 ID:lyVEcv1s0

今までとちょっと違う雰囲気
まだ感想を書くほど飲み込めてないけど、さすがの読み応え面白かった
じっくり読み直すよ

478名無しさん:2023/06/05(月) 20:05:21 ID:gdA6SAIM0
乙!

479名無しさん:2023/06/11(日) 07:08:27 ID:7BYA6zd20
>>1
全然読み込み足りてなくて理解度いいとこ50%なんですが、気付いたら支援曲作ってました
お納めください

約束の果て先
https://piapro.jp/t/wZw9

480名無しさん:2023/06/11(日) 19:44:32 ID:7BYA6zd20
>>1
>>93-95のボイスピ朗読も作ったので併せてどぞん
https://www.nicovideo.jp/watch/sm42341500

481 ◆y7/jBFQ5SY:2023/06/12(月) 22:07:34 ID:ZvLFhCL60
>>479-480
素敵な曲に朗読!
聴いていて作中の彼や彼女に思いを馳せて、うるっとしてしまいました。本当にありがとう

482名無しさん:2023/06/19(月) 15:58:46 ID:4rZgjzWc0
なんでAAがないんだ?とか、あまりにも台詞と上辺だけ付けられたみたいなAAの名前の上滑り感がキツくて100レス読んで一旦最後まで飛んできたとこ
なんか仕掛けがありそうだな
読み通してみるわ


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