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ジーザス・エヴァーグリーンのようです
1
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:15:01 ID:y0uZxZa.0
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ジーザス・エヴァーグリーンのようです 1/2
地元へと向かう新幹線に乗り
薄く鼠色に濁る東京の梅雨空が徐々に遠ざかっていく様を、窓越しに眺めていた。
向こうは晴れ模様で、気温は三〇度近くまで達する見込みらしかった。
ビル街を抜け、沿線には次第に若葉の萌えた緑が目に付くようになる。
私達が通っていた高校の制服の色に、よく似ている。
あの頃はどうにも野暮ったいんだよなあなどと愚痴りながら着ていたものだったが
今となれば、その垢ぬけなさ、あどけなさは歳相応で決して悪くはなかったなと、微笑ましさすら覚えてしまう。
バッグの内ポケットの底から、封筒を取り出す。
中には、妙に格式張った時候の挨拶から始まる、披露宴の招待状。
あの頃の瀬里、それこそ、若葉色のセーラー服を着た瀬里がこれを読んで、一体何を思うのだろうか、と考える。
喜びはしないだろう、と思った。
眉間に皺を寄せ、肘をつきながら文字を追い、適当なところで放り投げては
こんな月並みな挨拶なんて全然面白くない、と悪態を吐くはずだった。
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2
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:15:31 ID:y0uZxZa.0
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当の瀬里から知らせを受け取ったは、数ヶ月前の話だった。
職場から帰宅し、エントランスのポストを開けると、不動産屋のチラシ、水道会社のマグネット
カード会社の請求書に紛れて、一通の封筒に目が留まる。
薄暗い廊下、僅かに灯る蛍光灯の下で目を凝らすと、瀬里からの便りだった。
封を開けて中の手紙を広げると、何事かが病的なまでにうやうやしい敬語で書き込まれ
周りを取り巻くは、上品な金の縁取り。
知り合いから届くうやうやしい手紙と言えば大抵冠婚葬祭くらいのものだが
縁取りが黒くない時点で、大方の察しは付くものだった。
川 ゚ -゚)「いっ」
思わず、しゃっくりのような情けない驚嘆を漏らす。
いつか来るとは分かっていたが、それにしても、ここまで早く踏み切られるとは、つゆほども思っていなかった。
泥のように鈍く粘ついた、得体の知れない興奮がたちまちに脳裏を侵攻し攪乱するようで
私はそれを振り払うかのように頭を二、三度振り、自分でも信じられないほど低く気障な声で、独り言つ。
川 ゚ -゚)「いや、まさか、そんな早くね」
部屋に入り、改めて手紙の内容を目で追った。
やはりと言うか、彼女の手紙は入籍報告兼、結婚披露宴の招待状だった。
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3
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:15:56 ID:y0uZxZa.0
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「拝啓、桃の花咲く季節を迎え
皆様におかれましてはますますご清栄のこととお慶び申し上げます――」
取って付けたような前文の後に、昨年秋に入籍した旨、披露宴の日程、式場の案内が続く。
昨年秋ということはつまり、結婚を済ませてから半年間
こうして手紙が届く今の今まで、私にそれを伝える気が無かった、ということだ。
そうか、そんなものか、と思いながら、ご出席、ご欠席、どちらに丸を付けるべきか、しばし迷った。
思い返せば、随分の間、彼女の顔を見ていない。
私が上京する前、別れの言葉を交わした時が最後であれば、少なくとも三年と少しは経っているのか。
もしかしたら、その決して短くはない歳月の中で、まったくの別人のようになっているかもしれないし
それとも、あの頃とそのままの瀬里が、ふわふわと笑っているかもしれなかった。
そのままでなくとも良い、せめて、ほんの一片でも面影が残っていれば、それに越したことはない――
ここまで考えたが、やがて意を決した私は、返信ハガキを取り出し
「ご出席」の上に不格好な丸を付け、「ご」に二重線を引っ張ったのだった。
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4
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:16:31 ID:y0uZxZa.0
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長閑で変わり映えのない田園風景に眠気を誘われ、リクライニングのシートを倒し、浅い眠りの中で揺れる。
いつかの朧な記憶を、夢に見た。
あの頃の瀬里が、言った。今の私達には、思い上がる権利がある。
私は他の何物にもなれない、何物にも交わることはない特別な存在、そう思い上がる権利を持っている。
歳を重ね、大人になるにつれ、人は普遍に埋没して、身動きが取れなくなる。
誰かが笑うもので笑い、涙するもので涙し、怒るもので怒る。挙句、それこそが取るべき歳の取り方だとのたまう。
それならば私は、大人になりたくない。
私は私であって、他の誰とも共有できない、崇高で無類な存在であると、勘違いし続けたい。
確か、そのようなことを瀬里は私に捲し立て、一息つくと
ミセ*゚ー゚)リ「まあ、無理だって分かってるんですけどね」
と言い、息混じりに小さく笑ったのだった。
瀬里も、私も若緑色のセーラー服を身に纏っていた、あの頃の記憶だった。
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5
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:16:57 ID:y0uZxZa.0
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私と瀬里は、地元の高校で出会った。
席が隣同士で、互いに知り合いも少なかった。せめて隣の人間とは、と仕方なく会話を続けていくうちに
なし崩し的に、校内ではいつも一緒に行動する間柄になってしまった。
瀬里は特に目を引くような何かしらを持ち合わせているわけでもない、小柄で素朴な少女だったが
一方で、あの「野暮ったい」制服を彼女が着るとどうだろう、明るく抜けた緑が可憐に映えて、仕方がなかった。
小さく華奢で流麗な曲線を持ち合わせた身体つきに、大きく僅かに釣り上がった目
全身から醸し出す印象は何とも幼げだったが、鼻筋はきりと通っており
時折後ろを振り返る時に見せる、鋭さに満ちた面持ちからは、狼狽にも似た感情を覚えるものだった。
そんな瀬里には、幼さと冷ややかさを併せ持つような若葉色の制服が確かにこの上無く似合っており
彼女自身も、それを誇りにしていた節があった。
ミセ*゚ー゚)リ「これが一番似合うのは多分、いや、絶対、絶対私なんだよね」
瀬里はしばしば、私の前に立っては右足の爪先を軸として、器用に一回転をしてみせた。
どうも、この制服を誰よりも巧く着こなしていることに、並々ならぬ優越感を抱いているようだった。
ミセ*゚ー゚)リ「直は何かパッとしないんだよなあ。制服もだけど、やっぱ直そのものがイモなんだよね」
これは瀬里の口癖のようなもので、彼女は事ある毎私を引き合いに出しては
辛辣なファッションチェックを下し、クスクスと涼しく笑うのだった。
今思い出しても中々酷い言われようだが、彼女の言葉に悪気が一切無いことは分かっていたし
何より、得意満面の笑みを零す瀬里を見ると、何故だろう、悪い気がしなかった。
こんな時、私は溜息を一つ吐き、優しく戒めるかのように、はいはいと彼女の頭を二、三度撫でてやれば良かった。
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6
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:17:30 ID:y0uZxZa.0
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私と瀬里は、俗に言う凹凸コンビなるものに近しい存在だった。
小柄で色白な瀬里、背ばかり伸びて地黒でそばかすがまぶされた私
地元の名家に生まれた瀬里、とりたてて何の特徴も無い家に育った私
自尊心が人並み以上に強い瀬里、付和雷同を描いたような私――
何もかもが真反対で、共通の友人からも度々指摘された。性格がまるっきり違うのに、そんなに仲がいいなんて不思議だね。
私とて、その理由は分からなかった。
お互い無いものを持ち合わせているから、それに惹かれ合っているかもしれないね、と
月並みな言い訳に逃げることが常だったが、自分で口に出しておきながら、どうにも釈然としなかった。
ミセ*゚ー゚)リ「でも私と直って仲良しとか、そういう括りじゃないし」
と、瀬里は言う。
ミセ*゚ー゚)リ「自分で言うのもなんだけどさ、私が我儘を言う役で、直はそれをはいはいって言いながら受け入れる人って言うか
そういう図式が友情の前に成り立つ、っていうの?」
例え思っていたとしても、それを自分から言わないだろう。
私は思ったが、それを何のやましさも無く口に出してしまうところは、彼女の愛嬌でもあった。
川 ゚ -゚)「じゃあ、何だと思う?」
私が問うと、瀬里はしばらく頬に手を当てて考えた後
ミセ*゚ー゚)リ「私っていうメインがあって、直はそれを引き立てる添え物、副菜、調味料、まあ、何でもいいや、そんな感じ」
と、平然と言ってのけた。
こればかりは流石に私も面食らい、それ、他の子の前では言わない方がいいよと諫めると
ミセ*゚ー゚)リ「こんなこと、直にしか言わないから」
と返され、何の意図なのだろうか、べえと舌を出された。
私はいつものように彼女の頭を撫で
調味料も調味料なりに重宝されているのだなと考えると、妙におかしかった。
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7
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:18:08 ID:y0uZxZa.0
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瀬里は、自分が他の誰とも異なる、一つと無い無類の存在であることを、誰よりも強く意識していた。
だから、彼女は若葉色のセーラー服が似合うことを常に誇りに思っていたし
自分がこれと決めた主張は、最後の最後まで覆すことを許さなかった。
更に持ち前の気の強さもあり、交友関係は、あまり広い部類ではなかったはずだった。
そして彼女は、心を許した相手――私のことだが――に対してはとんでもなく我儘で、甘えたがりだった。
彼女の我儘と言えば大体がこまごまとしたもので
やれそのジュース飲ませて、やれノート写させて、やれ暇潰しに付き合って――
私も私で、瀬里の我儘が発動される度、その内容やその日の気分如何に問わず
川 ゚ -゚)「はいはい」
と空返事をし、言われるがまま、彼女が望む通りにことを運ばせた。
都合の良い女が都合良くこき使われていると言われればそれまでだが、私は別段それを苦に思わず
瀬里にならば、それくらいの世話ならば、焼いても損にはならないだろうと思っていた。
ミセ*゚ー゚)リ「直さん! 頼りになる! 大恩人! 歩く神!」
時折彼女は私の肩を叩き、あどけなさが残る顔をぐいと私の方へ寄せながら
心にも無い雑な誉め言葉を何回か繰り返した後、屈託なく笑った。
それを見る毎に、何と調子が良い奴か、と私は思いながらも、これも悪くないかと、気を許してしまうのだった。
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8
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:19:03 ID:y0uZxZa.0
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何駅過ぎただろう。田園の退屈は続く。既に目は冴えていた。
シートの網ポケットに挟まっている雑誌を読んだり
怒涛の勢いで迫っては遠ざかる架線柱の本数を数えたりしているうちに心底虚しくなってしまい
思考が最後に辿り着くは、瀬里のことばかりだった。
今思えば、いつか私が苦し紛れに言った「互いが持っていないものを持ち合わせていて、それに惹かれ合う」
という図式は、正しくはないが、恐らく、間違ってもいないはずだった。
例え瀬里が私の何にも惹かれていなくとも、彼女が持つ自己意識、虚勢とも捉えかねないような
張りぼてのように大袈裟な自己顕示は
まるで大した個を持ち合わせていない私にとっては、十二分に魅力的だった。
ただ、私は何も、それだけの理由で瀬里の我儘を引き受けていたわけではなかった。
私が彼女に真に求めていたものは、もう少しだけ、違う場所に存在していたようだった、恐らくは。
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9
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:19:29 ID:y0uZxZa.0
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思い出すは、先程夢に出たあの記憶を少し巻き戻した一場面
今日と同じような六月初めの、ある日の夕暮れだった。
その日、瀬里が、今日は家まで一緒に帰ってと言った。いつもの我儘の範疇だった。
私は特に異を唱えることもなく、わざわざ、自宅とは真反対の瀬里の家まで、彼女を送ることにした。
彼女の家は、学校の裏口から続く、細い用水路を十数分歩いた先にある。
夏至が近くなるにつれて日は長くなり、私たちの影は濃い橙の陽光に引き伸ばされ、用水路の対岸まで届いていた。
ミセ*゚ー゚)リ「帰りたくないんだよな」
瀬里が両手を頭の後ろで組み、独り言のように投げかける。
傍を歩く私も辛うじて聞き取れたくらいの小さな声だったが
私は、恐らくその理由を聞かなければいけないのだろうなと思った。
川 ゚ -゚)「何で?」
ミセ*゚ー゚)リ「いや、まあ、あんまり直には関係無くて、無いんだけど、うん」
口籠る。
川 ゚ -゚)「けど?」
ミセ*゚ー゚)リ「関係無いんだけど、まあ」
彼女の大きく丸い瞳に映る夕陽が、僅かに潤いをたたえて揺れ動いた。
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10
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:20:22 ID:y0uZxZa.0
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ミセ*゚ー゚)リ「直、進路って、決めてる?」
川 ゚ -゚)「進路?」
ミセ*゚ー゚)リ「卒業したら、どこ行く?」
唐突な質問に、言葉に詰まった。
しばらく考えた後、東京の大学に出る気力も頭も無いし、地元の短大にでも行くのかな、と言った。
ミセ*゚ー゚)リ「短大かあ、いいな」
瀬里はすっと目を細め、ローファーの踵を、地面へ乱雑に擦りつける。
ミセ*゚ー゚)リ「昨日言われたんだけどさ、親に」
彼女の足取りが、急に早くなる。
ミセ*゚ー゚)リ「卒業したら、とりあえず父さんの会社に入ってもらうって
何となくそうなんでしょって思ってたけど。でも私、何にも言ってないのに」
川 ゚ -゚)「会社?」
ミセ*゚ー゚)リ「あっちの都合で、全部決められてた。全然そんな気無いのに」
道端の小石を、瀬里が力任せに蹴る。
小石は思いの外跳ばず、黄土色に濁った川面に、音も立てず落ちていく。
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11
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:20:50 ID:y0uZxZa.0
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ミセ*゚ ゚)リ「私だって色々考えたいし、って言うかまだそんなこと決めるには早い時期なのに
そうやって全部いつの間に全部縛られちゃうの、本当、何なんだろうね? 意味分かんない」
堰を切ったように、いつに無く刺々しい口調で捲し立てていく。
ミセ*゚ ゚)リ「もっと遊びたいのもそうだし、って言うかそれよりもさ、もっと自分で考えて、自分で動きたいのに
子供思いなのかメンツがあるのか知んないけど、全然なってないじゃん」
用水路脇に連なるアルミ製の欄干を、掌で何度となく叩く。
乾いた打撃音が、湿気で緩み切った空気を、ほんの少しだけ震わせた。
ミセ*゚ ゚)リ「このまま会社入ってさ、どうせ適当に縁談とか来てさ、子供作ったりしてさ
今の内から適当に歳取る準備しろってことでしょ、最悪」
ここまで負の感情を前面に出す彼女は、そうそう見たことがなかった。
川 ゚ -゚)「そんなに怒ってるの、初めて見たかも」
言うと
ミセ*゚ ゚)リ「当たり前じゃん、あと何年もしないで青春取り上げられて、がんじがらめなんだよ?」
激しい剣幕で突かれる。
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12
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:21:13 ID:y0uZxZa.0
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私は正直なところ、彼女の境遇を聞く限りは、怒りを剥き出しにするどころか
それほど悪くないのでは、とすら思ってしまった。
裕福な家に生まれ、進路に悩みあぐねる必要も無く、恐らく高い水準で安定した生活が、これからも約束されている。
私が同じ条件の下に立たされていたならば、恐らく、喜んで受け入れていたはずだった。
それら全てを拒絶してまで彼女が求める青春とは、何なのだろう。
川 ゚ -゚)「青春って、そんな大切なもんなの」
私の言葉を聞いた瀬里は、身振り手振りをぴたりと止め
信じられないとでも言いたげな、呆けた表情で私をまじまじと見つめた。
ミセ*゚ ゚)リ「本気で言ってんの? それとも分かんないのか」
やがて瀬里は俯くと、まるで私に悪いあそびを指南するかのような
いかにも悪戯っぽい笑みを口元に浮かべ、妙に畏まった口調で、こう切り出した。
ミセ*゚ー゚)リ「直さん、教えてあげましょう」
その時、瀬里の小さな身体が逆光を受け、焼け付くような橙を背に
鮮烈な輪郭を以て浮き上がり、何ともマジェスティックな感覚を拝んだような、気がした。
ミセ*゚ー゚)リ「青春ってのはさ、人生で一番思い上がれる時間なの」
私もそう、直だってそう――今の私達には、思い上がる権利がある。
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13
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:21:49 ID:y0uZxZa.0
.
あの日、用水路の縁で瀬里が突如として放った「青春宣言」だが
それ以降も彼女は、自分自身を他の何人とも異なる、単な存在だと「思い上がり」続けた。
むしろ、よりエスカレートしたと形容した方が正しいかもしれない。
何かにつけ自信があるような、不敵な発言も増していった。
増長する尊大ぶりに違和感を覚え始めたのか、ただでさえ少ない瀬里の友人達も
徐々に彼女から距離を取り始めた。
私はそれを、彼女から最も近しい者なりに憂いてもいたが、一方で
あの日、彼女が最後にぽつと呟いた言葉を、いつまでも気にかけていた。
瀬里は言った。
敷かれたレールの上を歩くなんてまっぴら、私は自分で考えて、自分で動く――
だが、彼女は確かに、こうも言っていた。
ミセ*゚ー゚)リ「まあ、無理だって分かってるんですけどね」
俯きがちに、自嘲するかのように置き去った言葉を、私は聞き逃さなかった。
これが本心ならば、いくら勘違いを続けたところで、彼女の言う特別などにはなれやしない
それは恐らく、瀬里が最もよく分かっているはずだった。
.
14
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:22:23 ID:y0uZxZa.0
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地元が近付くにつれ、鼓動がより強く、より速く高鳴っていく。
あの頃の瀬里を思い出せば思い出すほど、今現在の彼女の姿を見ることに
恐怖を覚えてしまい、仕方ない。
あれから時が経った。瀬里は周囲の大人達に言われるがまま、父親の会社で勤め
遂には、どこぞの男と籍を入れてしまった。
私は新郎のことを存じ上げなかったが、招待状を読むに、地元ローカルの食品メーカーの跡継ぎのようだった。
そうだよな、と思った。恐らくこの結婚の裏に、彼女や新郎の周囲が繕った
何かしらの政治的な縁談があったのだろう。
あの頃の瀬里があれほど拒絶していた未来設計図は、寸分の狂いも無く実現された。
あの頃の私が気にかけていたことは、どうも何一つ間違っていなかったらしい。
瀬里という少女は、青春期の自意識に並々ならぬ執着心を持つ一方で
その後の自分の将来像を、どの道そうなっていくものとして、哀しいまでに静観していたようだった。
瀬里の思い上がりは、あくまでも青春の中にしか生を見出せない、極めて有限的なもので
だからこそ、彼女はあの言葉を口にしたのだろう、私はここに来て、やっと腑に落ちたような気分を覚えた。
.
15
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:23:11 ID:y0uZxZa.0
.
瀬里が持つ、ある種のニヒリズム的諦観を私が薄々察し始めてから、また一つ、気付いたことがあった。
彼女はいつものように我儘やからかいを私に繰り出し、けらけらと無邪気に笑った後
ほんの一瞬だけ、潤んだ大きな目を細め、口を一文字に固く閉じ、さっと俯く。
その翳りを帯びた表情はほんの瞬間的なもので、数秒も経たずにいつもの笑顔に戻るのだが
私はいつしか、その面持ちに魅せられていたようだった。
瀬里が私に見せるどの顔よりも、飛び抜けて魅力的だと思ってしまった。
以来、若緑色の制服を身にまとい、いつものように私の前で一回転し
得意げに胸を張る、その最中の一瞬
彼女が不用意に見せてくる憂いの情を、私は一度たりとも見逃すことはなかった。
それからと言うもの、私は、大いなる哀れみを以て、瀬里の我儘に接した。
有限付きのか弱き自尊心、どうせ数年も経てば、就職し結婚し、有象無象の大人の中へと溶けていく
なりたくない、いや、ならざるを得ない――拒絶と諦観の合間で揺れながら、彼女は生きている。
ただただ可哀想、と思った。
追い詰められて尚、気丈に若葉色の自意識を主張し続ける、その痛々しさに、哀れみを禁じ得なかった。
そして、そんな瀬里を、私は何よりも美しいとも思い、深く愛せずにいられなかった。
思わず抱き着きたくなるような愛くるしさと、これ以上縛り上げてはひしげてしまうような脆さを
あの頃の彼女は持ち合わせていたのだった。
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16
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:23:57 ID:y0uZxZa.0
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新幹線は滑るようにホームへと入線し、時間をかけてゆっくりと停まった。
ドアの向こうの粘るような湿気に辟易しつつ、私はようやく、地元の最寄駅に降り立った。
昼下がりのローカル駅、人影は疎ら、改札を出て、駅前のロータリーのベンチに腰を下ろす。
招待状が届いたあの日、私は返信ハガキを彼女の元に送り返したついでに、久々に彼女と連絡を取った。
電話越しに聞こえる瀬里の声は、僅かに上ずっていた。
直なら来てくれると思った、こっちに帰ってきたら迎えに行くからね、と彼女は言った。
瀬里の喜びように私はまごつき、ろくに言葉も返せないまま、話はいつしか
彼女が新幹線の駅まで迎えに来る、という段階に進んでいた――
こうして私は今、駅前のロータリーで、瀬里を待っている。
しばらくして、瀬里はやって来た。
果たして、何年かぶりに私の前に現れた彼女は一見あの頃のそのままで、少々拍子抜けしてしまった。
灰色のサマーニットを着た瀬里は、相変わらず小柄で線の細い身体つきで
大きく艶めく瞳を、私に向けて瞬かせていた。
.
17
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:24:29 ID:y0uZxZa.0
.
まるで時が止まったかのような不変ぶりを目にし
ある程度の覚悟を以て再会に臨んだこちらの調子も、勝手に狂いそうになる。
川 ゚ -゚)「ちゃんと歳取ってる?」
私が聞くと、瀬里は声を上げて笑い
ミセ*゚ー゚)リ「これでも一八歳と五年なんです、着実に老けてるから」
と、冗談めかして言う。
ミセ*゚ー゚)リ「直、化粧覚えたね。そばかすは誤魔化せてないっぽいけど」
川 ゚ -゚)「やめてよ、もう諦めかけてんだから」
私がそう返すと、彼女はあの頃のように涼しげな笑みを浮かべ
でも、昔よりもすらっとしてカッコ良くなったね、と呟く。
カッコ良いという言葉が妙齢の女に相応しいかどうかはともかくとして
私は久々に瀬里の軽妙な調子に触れることができ、それが嬉しくも、こそばゆくもあった。
.
18
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:25:06 ID:y0uZxZa.0
.
地元へと向かう古い路線バスに乗り、駅を出る。
乗客は私達を含めても五、六人ほどしかおらず、年代物のエンジンだけが
無音の隙間を埋めるかのように、虚しくもけたたましい音を上げている。
流れ行く車窓を横目に、本当は車で迎えに行きたかったんだけど、と瀬里が言う。
ミセ*゚ー゚)リ「旦那が私の車、車検に出しちゃって。もうその時期だからって」
旦那という言葉に、はっとした。
彼女からすれば所帯を持って半年余り、既に慣れ切った呼び方なのだろうが
私がそれを聞くには、多少の心構えが必要だった。
ミセ*゚ー゚)リ「友達を迎えに行くって言っても、バス使えばいいじゃんって、そういうことじゃないんだよね」
迎えに来てくれたことだけでも十分嬉しい、と言うと、彼女は
ミセ*゚ー゚)リ「そう? そうだったらいいけど、不便だし悪いかなあって」
と、言う。いつ、どこでそのような素直な気遣いを覚えたのだろう。昔の彼女ならばあり得ない。
私の表情を横目でちらと窺う彼女はあくまでも澄まし顔で
あの頃の無邪気な幼さ、あどけなさは見受けられず、変わらないとは言っておきながら
やはり、何かが着実に違っているのだろう。しかも、とても不可逆的な何かが――と、私は思ってしまった。
.
19
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:25:43 ID:y0uZxZa.0
.
駅周辺に申し訳程度に造成された新興住宅街を抜けると
平野一面に広がる田園地帯へと抜ける。
集落はその隙間にぽつぽつと点在しており、バス停に停まる度
ただでさえ少ない乗客が一人、二人と降りていき、数十分後にはがらんどうのバスの中に
私達二人だけが残されていた。
ミセ*゚ー゚)リ「これ、懐かしいね」
瀬里が、目を細めながら言う。
ミセ*゚ー゚)リ「二人でどっか行こうってなると、絶対バス乗ってたじゃん」
川 ゚ -゚)「バスしか無かったもんね、車は無理だし」
「で、帰りのバス、こんな感じで二人っきりになるんだよ、最後。いっつも。ぜーんぜん人乗らないって」
川 ゚ -゚)「覚えてるよ」
エンジンの音にかき消されれば良いと思いつつ呟いたが
どうもその声はしっかりと、瀬里に届いてしまっていたようだった。
ミセ*゚ー゚)リ「私も」
幾分か間を置いて、彼女が続ける。
ミセ*゚ ゚)リ「もう、随分経っちゃったけどね」
続
.
20
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:26:30 ID:y0uZxZa.0
.
過去書いたもの
( ・∀・)ワンダリング・ジャックに捧ぐようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1544363311/
ミ,,゚Д゚彡東京者のようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1560001539/
( ・-・)('、`*川マーチのようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1585463214/
(・∀ ・)(,,^Д^)グラン・ギニョル・ザギンのようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1618656837/
(´・ω・`)( ・∀・)性鉄のようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1620128938/
今書いているもの
( ・∀・)ハイパー・レプリゼントのようです
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/internet/21864/1624181098/
.
21
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:26:51 ID:y0uZxZa.0
.
前後編で完結です
後編はまた明日
.
22
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 20:38:27 ID:QYY.qH6M0
おつ
23
:
名無しさん
:2021/06/26(土) 21:20:31 ID:uAvyHqxo0
乙! 直の目からみた瀬里が魅力的すぎてとてもしんどい
続きが楽しみ!
24
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:47:22 ID:ew15qPZ60
.
ジーザス・エヴァーグリーンのようです 2/2
二年生の一学期、終業式の日の、午後だった。
私が通っていた予備校の夏期講習はその翌日からで、瀬里も特に予定が無く
折角の夏休みの始まりだからと、バスに数十分乗った先にあるショッピングモールへ出掛けることにした。
先生に見つかると後々面倒なことになるからと、私達は高校最寄りのバス停を使わず
わざわざ隣町まで歩いては、やはり古く錆び付いた路線バスに乗り込んだのだった。
今考えれば一度家に帰って、着替えてから合流すれば済む話だったが
その辺り、私も瀬里も大分浅はかなところがあった。
バスに揺られ、平日午後のショッピングモールは昼のピークを過ぎ、閑散としている。
冷房がやけに強く、汗ばんだ身体をじわりと蝕むように冷やしていく。
制服の袖が肌にじっとりと張り付いて気持ち悪いと、瀬里はしきりに言った。
ミセ*゚ー゚)リ「適当に買っちゃって、それ着て帰ろ」
モール内のセレクトショップを片端から漁り始める。
気の向くままに店に入っては服を眺め、何か違うんだよなと独り言ち、ものの数分でそこを離れる。
今に始まったことではなかった。彼女と一緒にどこかへ出掛ければ、大抵がその繰り返しだった。
移り気なのかせっかちなのか、ただ、振り回される私も私で
次から次へと店を移ろう彼女を後ろから眺めていると、ああ、らしいなと
不思議と心が休まるような気分になるのだった。
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25
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:47:55 ID:ew15qPZ60
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最後に訪れた店で、彼女は淡いグレーのワンピースを選んだ。
試着室からそれを纏って私の前に立った彼女は、純真無垢という言葉に相応しい、愛らしい姿だった。
だが、思った。彼女の脆くも凛とした青い自意識には
この淡白で薄ぼんやりとした灰色が、到底敵うはずもない。
妙な時機で確信するものだ、やはり、瀬里に最も似合う色は、若葉萌ゆる緑だ。
スカートの裾を掴んでは左右にふわふわと揺れる彼女を前に、より一層、強く思うのだった。
ミセ*゚ー゚)リ「どう?」
彼女は、満更でもない様子だった。
川 ゚ -゚)「悪くないよ、全然悪くない」
「悪くない?」
憮然とした表情を浮かべる。
ミセ*゚ ゚)リ「その言い方、引っ掛かる。別に良くもない?」
瀬里は、この手の反応には極めて敏感だった。
私が俯きがちに目を逸らすと、彼女は悟ったように小さく首を捻り
ミセ*゚ ゚)リ「分かった分かった、これはダメ」
と呟くと、試着室のカーテンを勢い良く閉めた。
再び私の前に立った瀬里は、他のどの服にも着替えることなく、いつもの若葉色の制服に戻っていた。
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26
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:48:15 ID:ew15qPZ60
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ミセ*゚ー゚)リ「でも、確かにあんま似合ってなかったかもしんない」
瀬里は、続けて言う。
ミセ*゚ー゚)リ「って言うか鏡見て思ったんだけど、やっぱり私、この制服めっちゃ似合ってるよね?」
その言葉に、思わず吹き出してしまった。
ミセ*゚ー゚)リ「思わない?」
ダメ押しだ。
川 ゚ -゚)「分かった分かった。似合ってる、めっちゃ似合ってる」
ミセ*゚ ゚)リ「思ってる?」
瀬里はあくまで懐疑的だった。
川 ゚ -゚)「思ってる思ってる、これは本当。何て言うか、瀬里の色って感じ」
ミセ*゚ ゚)リ「絶対思ってないじゃん」
私を一瞥すると、横をすり抜け、そそくさと店を出た。
川 ゚ -゚)「ちょっと、そんなんじゃないって」
残された私も慌てて店を出て、瀬里の元へと駆け寄った。
速足でフロアを歩く彼女の手を掴もうとしたところ、勢い余って、つい制服の裾をぐいと引っ張り上げてしまう。
身体が右に傾くと同時に、瀬里が咄嗟に私を振り返っては、驚嘆の眼差しを向けてくる。
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27
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:48:42 ID:ew15qPZ60
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飛び出さんばかりに大きく、フロア中の光を集めては鮮烈に色付く瞳が
野性の仔猫のような勝ち気でか弱い瞳が、ほんの一瞬だけ瞬き、私を掴んでは離さない。
思わず、その小さな身体を強引に手繰り寄せ、折れそうなほど華奢な腰に手を回す。
ミセ*゚ ゚)リ「えっ、ちょっ、あっ」
頭に血が昇る。鼓動の高鳴りが全身をしたたかに打ち廻る。
私を見上げる彼女は、私ではない、得体の知れない獣に恐れ戦いているようでもあった。
可愛い。
自分でも、何を口走ったのか、気付くまで大分時間が掛かった。
彼女の熱く荒い息遣いが、私の胸から肩にかけて、緩やかに広がる。
私の腕が、より強くきつく、細くくびれた腰を締め上げる。
その温かさを一身に受けた私は、どうだろう。何事にも形容し難い悦びだった。
ミセ*゚ ゚)リ「ちょっと、何それ!」
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28
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:49:08 ID:ew15qPZ60
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瀬里が腕を振り上げ、私の腕は強引に引き離された。
両の眼に涙の粒を浮かべ、肩を震わせて絶え絶えの息を吐く彼女の姿を見て、途端に、我に帰る。
誰が見ても分かってしまうくらいには、一気に血の気が引いた。
慌てて弁解の言葉を探しては
川 ゚ -゚)「ごめん、違う違う違う、似合ってるし可愛いよってこと、そういうこと!」
と、それらしき言葉を並べてはみたが、瀬里が納得するはずもない。
彼女は二、三回ほど深呼吸をすると、黙って下を向き、それきり何も言うことはなかった。
私はその後もしばらく釈明と謝罪を何回か投げかけてはみたが
俯き続ける瀬里を見るに、額面通りに受け取ってもらえることは無いのだろうなと悟り、諦めた。
その節は、申し訳ない。ただ、あの時の貴方を前にしては、仕方がなかった。
必要以上に意地を張り続ける瀬里、自分は自分と豪語して憚らない瀬里
そのくせ将来をあまりにも諦観し、残された僅かな青春に、自己承認欲求を溶かし尽くすことに躍起になる瀬里――
彼女を、どうして愛せずにいられるだろうか。
咄嗟のことではあった。ただ、過失ではない。ましてや偶然でもない。
私は確かにあの時、ありったけの力を込めて、貴方に抱き着きたかったのだ。
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29
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:49:36 ID:ew15qPZ60
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ショッピングモールを出ても尚、瀬里は俯いたままだった。
夕方の、モール前のバス停を定刻発車したバスは、ある程度のまとまった乗客を乗せてはいたが
途中の大きな集落で大多数が降り、その後もバス停に停まっては動き出しを繰り返しつつ
気が付けば、車内には初老の運転手と、後部の目立たない位置に座る私達二人だけが残った。
瀬里は窓に身体を預け、田園の遥か向こうへと沈み込む夕陽を睨み続けていた。
膨れっ面が窓越しに反射し、雰囲気的に笑ってはいけないのだろうと思いつつも、無性におかしかった。
笑うな。まるで何事も無かったかのように
いつものように、宥めるように言うのだ。私は努めて平静な声を作っては、彼女に呼びかける。
川 ゚ -゚)「ごめんね、さっきは」
不意を突かれたのか、瀬里の肩が一瞬跳ね上がる。
慌てて目を擦り、振り向いた彼女は、わざとらしいまでに澄まし顔だった。
ミセ*゚ー゚)リ「何が?」
その声は、不自然に上ずっている。あからさまに無理をしている、私には分かる。
伊達に、毎日のように一緒に過ごしているわけではない。
川 ゚ -゚)「さっきのこと、無視しちゃってね」
と、彼女の艶がかった黒髪を梳くように撫でる。が、その言葉はまずかった。
憮然とした面持ちを若干緩ませつつあった瀬里は、途端に先程の膨れっ面に返ってしまった。
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30
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:50:10 ID:ew15qPZ60
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ミセ*゚ ゚)リ「無視って、どういうこと?」
川 ゚ -゚)「どういうことって、いや、そのまま、そういうことだけど」
予想外の反応に狼狽する私を見て、彼女は眉をきっと吊り上げ、睨みつける。
ミセ*゚ ゚)リ「責任持たないんだ、自分のしたことには」
責任とは――私には、その言葉の真意がまるで分からず
声を絞り上げ、エンジンの轟音に消されぬよう、辛うじて聞き返すくらいが精一杯だった。
川 ゚ -゚)「責任って、何の責任」
ミセ*゚ ゚)リ「分かんないの?」
今度は瀬里が、私の制服の袖元をぐいと掴む。
彼女の小さく白い顔が、一気に近付く。頬が紅色に染まり、
瑞々しく潤んだ瞳は大きく瞬きを繰り返し、口元が小刻みに震えている。
その時、私はショッピングモールで抱いた彼女への情が
その場の紛い物ではなかったことを、とうとう受け入れなければならなかった。
責任、責任責任責任、繰り返し、反芻した。
憮然の先、向こうに潜んでいるだろう瀬里の真の思いどころは、私には未だに分かりそうにもないが
私が「責任」を果たすべきだと言うならば、今こそ、包み隠さずに話すべきなのだろう。
ずっと想っていた。瀬里、貴方は本当に、どこまでも――
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31
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:50:35 ID:ew15qPZ60
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川, ゚ ゚)「分かった」
袖元を掴む彼女の手が、僅かに緩む。
川, ゚ ゚)「この言葉が、それの代わりになるかは、よく分かんないけど」
瀬里がどこの誰よりも特別だってことは、私が一番よく分かってるから。
誰よりも、瀬里以上に、分かってるから。
ミセ*゚ ゚)リ「は?」
今度は、彼女があからさまに狼狽している。
川, ゚ ゚)「とにかく自分自分で、大分自意識過剰なところがあって、でも全然自信が無くて
それを隠したくてまた自分自分になっちゃって」
ミセ*゚ ゚)リ「ちょっと、何それ、いきなり何?」
川, ゚ ゚)「でも本当は特別でもなんでもないって、多分、誰よりも分かってる。
それが凄く可哀想で、でも凄く可愛くて、だからずっと一緒にいたくて」
最早私の意思とは関係無いところで、言葉が矢継ぎ早に飛び出していく。
ここから先は、理性で抑えが効く領域ではなかった。
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32
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:51:23 ID:ew15qPZ60
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我を忘れ、平静を失っては熱を帯び始める脳髄の向こう、とろけた思考の向こうには
今までに見た、あらゆる光景に佇む瀬里の姿。
席が隣同士、私より早く声をかけてくれた瀬里。
次第に打ち解け合い、小さな我儘を繰り出し始める瀬里。
頭を撫でると、鬱陶しそうに手を払うような仕草をしつつ、満更でもない顔の瀬里。
太刀打ちする術も無い未来が時折頭をよぎり、屈託無く笑う裏で、憂いの影を偲ばせる瀬里。
突然の抱擁に吃驚と怖気を隠し切れず、眼に涙を浮かべては私を睨みつける瀬里。
そして、今、私の目の前に、誰も見たことがない、瀬里がいる。
そんなに怖がらないで。私は大丈夫だから。心配しないで。
川, ゚ ゚)「――だから、心配しないで。分かってるから。
本当に、私、瀬里のこと、誰よりも分かってるから」
シートからなだれ落ち、小刻みに震える彼女に覆い被さるようにして、私は今、瀬里を見ている。
瀬里は何も言わず、小さく縮こまりながら、上目遣いで私を見つめている。
ああ、こうなってしまえば、貴方も本当にか弱い女の子だ。
川, ゚ ゚)「聞こえる? 聞こえなくても、言うけど」
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33
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:52:01 ID:ew15qPZ60
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エンジンが吠える向こうで、瀬里は私の言葉を、どこまで飲み込んでいるのだろう。
彼女のセーラー服の襟、若葉色のストライプが入った襟を、そっと掴んだ。
川, ゚ ゚)「瀬里は誰よりもこれが似合う女の子で、もう、それだけで全部全部特別で」
でも、そうじゃないとしても、何も特別なんかじゃないとしても
私はずっと思い続けるから。瀬里のこと、ずっとずっと特別だって、思い続けるから。
川, ゚ ゚)「だから、大丈夫だから、心配しないで」
瀬里の頬に、静かに手を触れる。
熱し達した暖炉のように赤く火照り、それを冷まさんとばかりに
涙の粒が彼女の目元を越え、私の手元に伝う。
頬の涙の跡を拭っては、口元に指を当てる。柔らかく、芯から潤った唇。
怒涛の勢いで、脈がこめかみを通過する。このまま熱でいかれてしまいそうで、眩む。
ここまで来て、引き返す術は無い。もう、どうにでもなってしまいたい。
果たして、この唇を私のものにした時
一体私は何を得られて、その代償として何が壊れて
何が始まって、何が終わるのだろう、答えはその向こうにしか存在しない。
瀬里の両目を手で覆い、徐々に彼女の口元へと近付いていく。
掌の先で、彼女の瞼がかつてないほど忙しなく瞬かせているのが分かったが
やがて、何もかもを覚悟したかのように、固く閉じ――
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34
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:52:29 ID:ew15qPZ60
.
たところで、俄かにバスが停まり、金切声のようなブザーの音と共に、ドアが開く。
まるで「正気に戻れ」と、私達に怒鳴り散らしているようだった。
私はここで素面に返り、すっかり腑抜けのようになってしまった瀬里を脇で抱え、慌ててバスを出た。
運転手に、さっきまでのくだりを聞かれていやしないかと戦々恐々だったが
喧しいエンジン音が幸いしたのだろう、何も聞こえなかったようで
ぎくしゃくとした足取りでステップを降りる私達には目もくれず、やがてドアが乱暴に閉まり
激しい土埃を立てながら、路線バスは夕景の向こうへと消えて行った。
高校前のバス停のベンチに腰を下ろし、しばらく放心していた。
幕切れは突然だった。こうして一度区切りが下ろされてしまえば、風船が萎むように熱を忘れ、平静に戻っていく。
並々ならぬ後悔が襲い掛かる。何やら、とんでもないことをしでかしてしまったのではないか。
瀬里の胸懐をつゆほども気にせず、自分の思うままに情欲をぶちまけて、私は一体、何者だ?
ベンチに背をもたれ、長い間、鬱々としていた。とうに日は沈んでいた。
すると、いつの間に我を取り戻した瀬里が、掌を私の手の甲にそっと重ね合わせ
ミセ*゚ ゚)リ「送ってってよ、家まで」
と、小さく呟いた。
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35
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:53:15 ID:ew15qPZ60
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二人、会話も無く、暗がりの用水路を歩く。
時折彼女の顔を覗くも、その表情は宵闇に溶け込むようにして隠れ、いまひとつ様子が掴めない。
これ以上、余計なことを言っては彼女を撹乱させたくない。押し黙って、彼女の家まで一歩、また一歩。
二人の足音と、鈴虫の鳴き声だけが、暗がりの果てまで続いた。
彼女の家の玄関まで来たところで、私はじゃあ、またと一言だけ、そそくさと場を離れようとした。
その時、ただならぬ視線を覚え、後ろを振り返ると
玄関前の蛍光灯に照らされた瀬里が、じっと私を見つけている。
その目力にたじろいでしまい、つい、見つめ返して、しばらく動けなかった。
全身、余すことなく照らされ、セーラー服に包まれた瀬里。
どこまでも透き通るように青く、あどけなく、それでいて凛と研ぎ澄まされたような
どこをどのようにして切り取っても、このまま抱き締めて
二度と逃がしたくないと思ってしまうくらいには、あまりにも可憐な姿。
ミセ*゚ ゚)リ「直!」
私の名を呼び、べえと小さく舌を見せたかと思うと
瀬里は玄関のドアを開け、逃げるようにして家の中へと入っていった。
そして、取り残された私は、何かに憑りつかれたようにその場を離れられず
ただただ、彼女の「べえ」の意味について、思索を巡らせるばかりだった。
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36
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:53:46 ID:ew15qPZ60
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その日と同じように、二人だけを乗せたがらんどうのバスが、高校前のバス停に停まる。
数年経ったところで景色は変わらず、振り向けばおんぼろ校舎
田園と畦道の隙間を縫うようにして流れる用水路、後は青く広く空ばかりが広がり、思わず眩暈を覚える。
用水路に辿り着いた時点で、また明日と別れた。
彼女はもう、昔のように、私の家まで送ってよと言い出すことはなかった。
川 ゚ -゚)「楽しみにしてる」
と私が言うと、瀬里は満面の笑みを見せ
ミセ*゚ー゚)リ「良かった。最後まで、招待しようか迷ってたから」
と、返す。
最後まで、招待しようか迷ってたとは、何だろう。あらゆる疑念が、私の脳裏を駆け巡る。
どのような顔で、何を返せば正解なのか分からず、ぎこちない笑みを浮かべては
迷わないでよお、友達なんだからと、絞り出すように声を上げるだけで、精一杯だった。
ミセ*゚ー゚)リ「友達ね」
彼女は俯きがちに呟くが、やがて意を決したように上を向き、はにかみながら
ミセ*゚ー゚)リ「言えてなかったけど、あの時、嬉しかったんだよ。本当」
と、言う。
ミセ*゚ー゚)リ「何て言えばいいのか分からなくて、ずっと黙ったまんまだったけど、でも、嬉しかった。私」
そう続けると、瀬里は踵を返し、用水路の向こうへと消えて行った。
嬉しかったんだよ。その面持ちには一点の曇りもなく、今日の空のように晴れやかで
まるで、私は彼女にどこかへ置いて行かれてしまったような気分になってしまい
砂利を靴で擦りながら、つい足元ばかりに目線を向けてしまう。
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37
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:54:08 ID:ew15qPZ60
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かくして彼女の披露宴は晴れやかな初夏の日差しの下、地元で最も大きな式場で開催された。
来賓には地元の大方の実業家が名を連ねているようで、どうも、私の思惑に間違いは無さそうだった。
白いドレスに包まれる瀬里は、決して悪くはなかった。
恐らく、この会場にいる誰もが彼女のことを美しいと思っていることだろう。
ただ、そこにあるのは、瀬里の中だけにある、瀬里だけが元来持っている美しさではない。
若葉色の制服を着て、些細な我儘を口にしては屈託無く笑う
あの頃の彼女の、どこに及ぶものがあるだろうか、そう思うと、どうにも落ち着かなくて仕方が無い。
彼女の友人代表として壇上に立った女は職場の同僚らしく
瀬里さんは仕事ができるだけじゃなくて、誰に対しても気遣いができる存在だの
旦那さんとどうか末永くお幸せにだの、当たり障りも無いことを何十分と喋り倒していた。
何やら上等そうな白ワインを空け、少しだけ酔いが回った頭で
私が友人代表として壇上に立ったら、果たして何を言うだろうかを、考えた。
よもや、貴方に純白のドレスは似合いません、あのセーラー服を着なさい、今すぐ着なさいは言うまい。
きっと、あの頃の彼女は我儘で手を焼いていたけれど、今では素敵な大人の女性に――
と、どうでも良いことばかりで取り繕うのがオチだろう。
考えれば考えるほど、面白くも何ともなかった。
式はお色直し、再入場へと進み、そのうち、私が着くテーブルに新郎新婦が回ってくる。
新郎は面長で目元が垂れ下がり、柔和な笑みを絶やさない。
いかにもな温室育ちの坊ちゃんといった風体、実害は特に無さそうだが、大した魅力も無さそうな男。
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38
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:54:36 ID:ew15qPZ60
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ミセ*゚ー゚)リ「どう?」
深紅のカラードレスに着替えた瀬里が問う。
その「どう」は一体何に掛かっているのか定かではなかったが、私はとりあえず
川 ゚ -゚)「綺麗だよ」
と応えた。
それで良かったのか、彼女は静かに微笑むと、こう言った。
ミセ*゚ー゚)リ「明日には帰るの?」
川 ゚ -゚)「明後日、仕事だしね。もうちょいいたいんだけど」
ミセ*゚ー゚)リ「何時頃?」
川 ゚ -゚)「まあ、午前中に支度して、午後イチくらい?」
瀬里は少しばかり考える仕草をしたが、やがて、こう切り出した。
ミセ*゚ー゚)リ「じゃあさ、見せたいものがあって。バス停まで見送りに行くから」
彼女が何を目論んでいるかは分からなかったが、ありがとうと、私は頷いた。
瀬里は俯きがちに笑みをこぼし、それ以上は何も言わず、やがて旦那と共に私の席を離れた。
私は目の前の食事に手を付ける気にもなれず
同じテーブルに座っていた同級生達とよそよそしい会話を繰り返しながら
たまにワインを流し込み、ただただお開きの時間を待った。
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39
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:55:11 ID:ew15qPZ60
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いつ式場を出たのはさっぱり覚えていなかったが
前後不覚で実家に帰った私は、ただ飲んだくれていただけの割には心身共に疲れ果てており
ドレスを脱ぎ散らかしてベッドに倒れ込むと、そのまま動けなくなった。
目を覚ました頃には、既に日が遥か南を目指しており
私はベッドから跳ね起きるなり、慌てて荷造りに取り掛かろうとしたのだが
大して荷物も持って来ていないことに気付くと、どうでも良くなってしまい
再び、ベッドに横たわる。
机の上の、写真立てに目が留まる。高校の卒業式で撮った写真が入っていた。
瀬里が私の肩に手を置き、勝ち気な笑顔でピースサイン。
私に目をやれば、居心地の悪そうな顔で、何故だろう、明後日の方向を見つめている。
バスの一件以降も、私達は特によそよそしくなることは無く
少なくとも私は、今まで通りの仲を、今まで通りに続けられている自負はあった。
ただ、やはりあの日が切欠となったのだろうか
瀬里があれほど声高々に叫んだ思い上がりは、いつしか彼女から消え失せ始めた。
我の強さは鳴りを潜め、私に我儘を吐く回数も日に日に減り
彼女を敬遠していたいつかの友人達とも、いつの間にかよりを戻していた。
制服をはためかせ、私の前で得意になることも、格段に少なくなった。
私はそんな瀬里を見て、もどかしさを覚えていた。
私が好きだった瀬里が、日を追うごとに私のもとから遠く離れていくような感覚に苛まれた。
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40
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:55:55 ID:ew15qPZ60
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高校卒業後、私はぼんやりと思い描いていた通り、地元の短大に進学した。
瀬里は筋書き通りに、父親の経営する会社に入り、経理に就いた。
私達はその後も定期的に顔を合わせていたが、月一回から四半期に一回へ、やがて半年に一回へと
頻度は減っていき、私が短大を卒業して都内の企業へと就職する為に上京したその日から
昨日に至るまでの三年と少しばかりは、会うどころか、ろくに連絡も取り合っていなかった。
ミセ*゚ー゚)リ「私、もう大丈夫だよ」
あの日、私が東京へと発つあの日に、瀬里が放った言葉を聞いて、私は堪らなかった。
その言葉は、いつかの瀬里があれほど拒絶していた
誰が誰とも区別が付かないような、無機質な社会の渦に溶け込み切る、その証左でもあったからだ。
そのうち、三年が矢の如く過ぎた。地元にも何度か帰省したが、瀬里に会おうとは思えなかった。
私が愛した瀬里が、年を経るにつれ姿形を失いつつある、それも自分の意志で。
私は、その事実に怯えてしまっていたのだろうと思う。
そう考えると、私はあの日の用水路で、あの日の彼女が叫んでいた「青春」なる
如何とも形容し難い幻影に、今の今まで囚われ続けているのかもしれなかった。
行く河の流れは絶えずして、しかも、元の水にあらず――誰の言葉だったか。
そんな当たり前を、どこかで受け止めきれない私がいる。
もう二度と戻って来ないあの日の色、あの日の音、あの日触れたもの、あの日の意識
全てが尊くも、取り返しようが無い感覚。
それらと決別する意志も勇気も無いままに成人を迎え、町を飛び出し
まさに今こうして、一気に対峙せざるを得ない状況に陥った私の浅はかさよ。
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41
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:56:44 ID:ew15qPZ60
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川 ゚ -゚)「あほらし」
ベッドから起き上がり、荷物をまとめると、両親への挨拶も程々に、実家を出た。
高校前のバス停は、家から畦道をひたすらに歩いて、二〇分程度で着く。
そこで十数分も待っていれば、新幹線の駅へと向かうバスが来るはずだった。
バス停のベンチには、先客がいた。
若緑色のセーラー服を着て、ベンチの隅に身を畳むようにして座っている、小柄な少女。
それこそ、目の前の高校、私達が通っていた高校の制服だった。
まだ、この制服のままなんだ――私は少女からなるべく遠い位置を選んで腰を下ろし、瀬里の到着を待った。
見せたいものがあると、瀬里は確かに言った。だが、待てども彼女は来ない。
バスが到着する予定の時間までは、とうに一〇分を切っていた。
小さく、溜息を吐く。別に、何を期待してもいなかった。それでも、言ったからには来てほしかった。それは、そうだろう。
ふと、視線を感じた。隣向こうに座っている、少女からの視線。
まさか、と思い、訝しみつつもそちらへ振り向くと、そこには制服を着た瀬里が私に手を振りつつ
「してやったり」とでも言いたげな、何とも悪い笑みを浮かべていた。
ミセ*゚ー゚)リ「やほ」
驚愕した。思わずベンチから立ち上がり、その勢いのまま二、三歩後退りしてしまった。
制服を着て、長い髪を束ね、そのまま下ろすと、見た目だけは、まさにあの頃の瀬里のままだった。
川 ゚ -゚)「見せたいものって、これ?」
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42
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:57:15 ID:ew15qPZ60
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弾む息を抑え付けながら聞くと、彼女も立ち上がり
ご名答と言わんばかりに、私の目の前に近寄っては、大きく手を広げる。
ミセ*゚ー゚)リ「意外と何とかなるもんだね。でも、これが最後かな」
瀬里は言う。
ミセ*゚ー゚)リ「でもまあ、これが一番似合ってたのは私だったよね。これは本当、間違いないもん」
そしてあの頃のように、右足のローファーの爪先を軸にし、一回転をした。
セーラー服の裾が重力に逆らうかのようにふわりと舞い上がり
その瞬間、一瞬、確かに、全てが止まって見えた。
全てが不可逆的に取り返せない世界の中で、瀬里の緑は、刹那の中で、ただ一つだけの常しえだった。
ああ、貴方だけの緑は、貴方だけの消え行く緑は
この世界の何よりも鮮烈で、この世界の何よりも瑞々しく
この世界の、何よりも、美しい。
ミセ*゚ー゚)リ「どう?」
似合ってるよ。
ミセ*゚ー゚)リ「その空返事、悪い癖だよ」
似合ってるよ、似合ってる。
本当に似合ってる。多分、誰よりも、世界一、貴方だけが。
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43
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:57:43 ID:ew15qPZ60
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これ以上、何も言葉が浮かばなかった。このまま、バスが来ないでほしいと思った。
瀬里が私だけに見せた最後の制服姿
私を今の今まで突き刺しては離れなかった、青春とやらの鋭くも脆い欠片に
このままずっと、貫き通されたままでいたかった。
鈍くも騒々しいエンジン音を立て、バスが道の向こうからやって来る。
甲高いブレーキ音を上げながらぎこちない動作で停車し、ドアは開かされた。
ミセ*゚ー゚)リ「バス、来たね」
瀬里が言った。ドアステップを上りながら、後ろを振り向いた。
彼女は穏やかな微笑みをたたえ、私を掴んでは、一向に離さない。
川, ゚ ゚)「今度帰って来る時は、ちゃんと教えるから」
言いながら、もう、教えることは無いだろうと思った。
瀬里がとうの昔に決別した、青春と言う名の思い上がった情念に
私もようやく別れを告げる時が、やって来た。
今まで騙し騙し、ぼんやりと抱え続けてきたそれを、いよいよ手放すその時が、来てしまった。
ミセ*゚ー゚)リ「絶対ね」
瀬里が言う。
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44
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名無しさん
:2021/06/28(月) 00:58:13 ID:ew15qPZ60
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ミセ*゚ー゚)リ「直が来てくれて良かった。なんとなく、モヤモヤが晴れた感じ」
あっけらかんと笑う彼女を横目に、私はぎこちない微笑を返し
最後のステップを踏み締めて、バスに乗り込んだ。
バスは豪快な唸りを上げ、年代物にあるまじき急加速を付け、出発する。
窓越しに、遠ざかって行く瀬里を見た。バス停、ベンチの横、いつまでもそこに立っていた。
瀬里は、とうとう大人になるのだろう。
最後の制服を、最後まで残っていた自意識の切れ端を脱ぎ捨てることで
いつしか受け入れた、諦観の日々へと帰って行く――
それで良かったのだろう。それで良かったに、違いない。そうだろう。
川 )「ありがとう」
エンジン音に紛れるよう、息混じりに呟いた。
川 )「それと、さよなら」
もう二度と会わないのだろうな。
私が愛した瀬里に会える日は。二度とやって来ないのだろうな。
そう思うと、たちまちに膝が震え、込み上げる涙の粒を、抑えきれなくなった。
シートからなだれ落ち、私は声を上げて泣いた。
その声は唸り続けるエンジンの音にかき消され、誰にも聞こえない。
了
.
45
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 00:59:48 ID:ew15qPZ60
.
おしまいでございます
お読み頂きまして有難うございました、ついでに
>>20
もよろしくどうぞ
ご感想頂けると凄く嬉しいので、ご感想頂けると凄く嬉しいです
.
46
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 06:18:33 ID:LLVIWdFI0
めちゃくちゃ良いわ
ショッピングモールのシーン、描写がとても丁寧でスローモーションになった直の視界を覗いてるみたいな気分になれる
面白かった!! 乙
47
:
名無しさん
:2021/06/28(月) 11:56:00 ID:GuTUqoKU0
乙です
48
:
名無しさん
:2021/06/30(水) 13:38:35 ID:oZfsmmV20
美しすぎる
49
:
名無しさん
:2021/06/30(水) 22:10:02 ID:cQkBGUD.0
乙
せつねぇ…
50
:
名無しさん
:2021/06/30(水) 23:11:24 ID:kVXe4Zmc0
言及するまでもない百合力の高さといい
回想のクライマックスである
>>33
近辺と、現在のクライマックスである
>>42
近辺でバス(停)を舞台装置として使う小説力の巧さといい
若葉色の制服が似合うキャラとしてミセリを採用し、そのペアとして安直にトソンを置きにくるのではなく過去を引きずってしまうキャラとして使用されがちなクールを選ぶAAのチョイスセンスの良さいい
何一つとっても最高なブーン系小説を読んでしまった、ありがとう。
51
:
名無しさん
:2021/07/03(土) 02:39:48 ID:0VReMoBw0
とてもよかったです
https://dotup.org/uploda/dotup.org2523753.jpg.html
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