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(゚、゚トソンたまねぎのようです
421
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/16(火) 23:58:44 ID:OOx5Cbz20
夢を現実の如く眺めている私がここにあるとき、意識を手放してベッドに横になっている私は、同一の存在だと断言できるのだろうか。
仮に、ここにいる私の存在が現実の複製品だとすると、夢から覚めた時にこの記憶が現実の私と同期するから、同一だと判断しているのだろうか。
それなら同期できない私の存在が、複数いてもおかしくないような気がする。
私には、確固たる自己が、無いのだから。
422
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/16(火) 23:59:33 ID:OOx5Cbz20
(゚、゚トソン「……精神論、終わり」
見上げる天井は恐らく白色だと思うが、室内が真っ暗なので判別が付かない。
私の眠っているベッドは白いカーテンで包まれていて、周囲が見渡せない作りになっている。
この妙に安心する繭のような空間で、私は自己について逡巡していた。
安心しきっていたから。
423
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:00:37 ID:YyEx8q220
張りと清潔感のある白いシーツのベッドは、慣れ親しんだものとは異なるのに、何故か安まる。
私はこの教室に厄介になったことはないのだ、存外悪いものでもないなと思う。
少なくとも、他人の家よりは落ち着く。
どことなく薬品臭い匂いが部屋を充満している。
おそらくここは学校の保健室なのだろう。
室内に明かりが無いのに周囲が見通せるから、時間帯は夜になる少し手前くらい。
多分、これも夢なのだろう。
最後に見たのはデミタス先輩宅の天井だったのだから。
424
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:02:15 ID:YyEx8q220
ベッドから降りて、状況を確認する。
服装は何故か見慣れない制服に変わっていた。紺の膝下丈スカートに、白い長袖のセーラー服。
自分達が通っている学校の服では勿論無く、ペニサス先輩が着ていた制服とも異なる。
カーテンを開けて見回してみれば、部屋は概ね予想通りの保健室だった。
大きな窓からは、校庭のグラウンドやプールなどが一望できる。
遠く広がる田舎風景には田舎特有の哀愁を覚えるが、見覚えのある景色ではない。
見渡す限り人は誰もいない。
これくらいの時間帯なら、野球部や陸上部辺りがまだ部活動を行っていても不思議ではないのだが、人一人とて見当たらない。
425
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:03:02 ID:YyEx8q220
夢なのだから、そんなものだろう。
現実味があるからといって、私の思い描く現実と全く同じとは限らないのだ。
寂寥感溢れる光景だったが、きっと登場人物のいない夢なのだろうと結論を下した。
鏡台の前でお洒落な作りの制服に見惚れていると、唐突に隣の部屋からくぐもった物音と振動が伝わってきた。
ちょうど二人分の話し声のような音と、何か大きな生物が忙しなく動いているかのような音。
ガサゴソ、ガサゴソ、と。
426
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:03:54 ID:YyEx8q220
不意を突かれ、思わず声を挙げそうになる。
ゆっくりと呼吸を抑えて、音を立てないように慎重に動く。
これが普通の夢ならば、私もこんなに緊張しなかっただろう。
寧ろ好奇心の赴くまま、進んで音のする方向へ飛び出していたかもしれない。
しかし、今見ているこの夢は、普通ではない可能性があるのだ。
巷を騒がしている、傷が付く夢である可能性があるのだ。
427
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:04:59 ID:YyEx8q220
もしそうなら、迂闊な行動は危険だ。
隣部屋にいる人物が誰か不明で、自身に危害を加える存在であるかもしれないから。
生きたいという積極的な感情は無いが、今のところ死ぬ予定も無い。
隣から聞こえる音は、争っているような音では無かった。
口論しているようにも聴こえない。
動物の荒い息使いのような、険しい音。
ゆっくりと部屋を出て、隣の部屋へ移動する。
428
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:05:45 ID:YyEx8q220
『図書室』と書いてある。
扉は二重構造になっており、どちらの扉も僅かに隙間が開いていた。
私は恐らくここに到着したその時点で、声の主が誰と誰であるか、見当が付いていたと思う。
それは、眠る前に何度も聞こえていた声だったのだ。
人の家でいきなり酒盛りを始めた人々の内の、二人の声だった。
429
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:06:16 ID:YyEx8q220
扉の隙間から中を見る。
図書室の大きな本棚の前。
私の目は既に暗順応し、暗闇にすっかり慣れていた。
だからその二人が誰で、何をしているのか、まざまざと双眸に焼き付けることとなった。
430
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:06:55 ID:YyEx8q220
真っ黒い骸のような獣が二匹、互の肢体を歪に絡ませ交わっていた。
押し殺した荒い息遣いと、身の毛も弥立つ嬌声が脳裏に嘶く。
.
431
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:07:41 ID:YyEx8q220
ありえない人物だと思った。
ありえてはいけない人物だと思った。
少なくとも男性に関しては、絶対に違うと思った。
彼であって、良いわけがないと。
だって、そうでなければ、あの彼は、なんだというのか。
番の彼は、なんだったのか。
同性愛者の缺ヒッキーと、その同級生の韶実くるうが、貪るように、補い合うように、そこにいた。
432
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:11:29 ID:YyEx8q220
18.韶実くるう
.
433
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:13:40 ID:YyEx8q220
プルルルルッ
ピッ
『もしもし』
『うん? ヒッキー? どうしたの?』
『いや…着信、あったから』
『無視してくれて良かったのにー』
『…なんか、用?』
『………ううんー、何でもないよー。声が聞きたかっただけー』
『そっか』
『そうだよー』
『…切るぞ』
『うん、まったねー』
ピッ
434
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:15:03 ID:YyEx8q220
「…」
「……」
「…なんでわたし、関係無い彼に電話したんだろ」
「子供堕したこと、ヒッキーと関係無いのに」
「…」
「…」
「…ああ……そういうことね…」
「…痛い」
「…」
435
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:16:07 ID:YyEx8q220
うろ 【空・虚】
中がからになっている所。ほらあな。うつろ。
突然だが君は、全ての物事に意味を感じられず、虚しい気持ちになったことはないだろうか。
自分の心にポッカリと穴が空いてしまったような。
大切な部品が欠けてしまったような。
理由もなく気持ちが虚ろになったことはないだろうか。
私は時々そういう気分に陥る。
でも夜が明けて朝日を浴びれば、その気持ちもどこかに消えてしまっている。
そうやって私は生きてきたんだ。
436
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:16:43 ID:YyEx8q220
彼の横顔を見ていると安心できた。
昨夜会った時、彼は高校生に戻っていた。
私と別れてから加速度的に肥えた彼が、元の姿になって帰ってきた。
ガサついた唇も、考えている時に顎に手を添える癖も、幼さの残る表情も、あの時のままだった。
437
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:17:36 ID:YyEx8q220
自覚は無いけれども、私は高校で周りから浮いていたと思う。
友達にも家族にも恵まれた。何不自由なく生きてこれた。
そんな暮らしに何一つ不満は無かった。
ただなんとなく、どんなに仲の良い人であっても、他人としか捉えられなかった。
友達を友達と思えず、家族を家族と思えなかった。
私は親友や家族ですら、信頼できなかった。
彼らに非は無い。
私の心に問題があった。
438
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:18:32 ID:YyEx8q220
高校に進学した私は、誰も心の底から信頼できない己の性質が問題なのだと自覚していた。
部品が、足りなかったんだ。
だから誰にも恨まれないように、適度に距離を保って生活していた。
決して深く踏み込まないし、本当の意味では会話しない。
誰も私に、入り込ませない。
みんな優しい人達だったから、私も彼らを倣って人と話していたら、交友関係は自然と広まっていた。
同学年男女問わず人気者になっていたし、誰も私を拒絶しなかった。
私にしか見えない心中では、誰も信じていなかったけれども。
439
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:19:24 ID:YyEx8q220
高校生にでもなれば、自分がどういう人間なのかが自ずと分かってくる。
自分が人並み以上の容貌を持っていることも知っていたし、それが起因して告白されたりセクハラされたりすることも理解していた。
私に原因があると分かってからは、不快感は消えていた。
寧ろ私を必要としてくれている彼らのおかげで、虚ろな心は満たされていた。
それがまやかしだと気づかずに、自己の承認欲求に他人との空虚な関係性を充てていた。
440
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:20:23 ID:YyEx8q220
相手を信頼していない事実なんて関係無く、自分が求められていることが単純に嬉しかった。
だから私は、常に相手にとって都合の良い人柄を演じてみせた。
他者の気持ちなんてまるっきり分からないけれど、親切な同級生の素振りを真似するだけで案外上手くいっていた。
色んな人と寝た。色んな人とシた。
現代社会に生きる高校生なんだから限度は知れているが、学校中の同級生や彼らの知り合いなど、その他もろもろと交わった。
私を必要としている人達が沢山いたし、私も彼らに求められたかったから。
441
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:21:18 ID:YyEx8q220
真剣に話を聞いてくれるから、ノリがいいから、物知りでカッコイイから、顔が好きだから、慰めてくれるから、面白いし一緒にいて楽しいから。
彼らの理由なんてどうでもいいけれども、私を求める人を邪険にはできなかった。
特別な人なんて、誰もいなかった。
2年に進学して、とりあえず羽休めできる居場所が欲しかったから、小説サークルに入部した。
図書館は静かで過ごしやすく、落ち着けて都合が良かった。
小説なんて授業以外で読んだこと無いし、無関心だったけれども。
442
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:22:39 ID:YyEx8q220
彼は何の変哲もない男子生徒だった。
特別優れた顔でも体型でも成績でも頭脳でもなかった。
思考回路も極めて凡庸。輪を掛けて普通な人だった。
ただ、目が良かった。
黝くて澱んだ瞳、底の見えない濁った眼球に、文字通り心が奪われた。
私に心なんて無かったけども、胸から何かが吸い込まれていくような感覚があったのだ。
彼の同級生や友人らは素知らぬ顔で話していたのだから、気づいていたのは私だけなんじゃないかな。
私だけが気付ける秘密。
そんな優越感に浸れるのも、彼の魅力だった。
443
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:23:35 ID:YyEx8q220
やはりというか、部活動はただのおべんちゃらだった。
無駄に長くて読む気が失せるから最初と最後の文だけ目を通して、それっぽく取り繕った感想を述べた。
何人かは交わったことのある人達だったから、私の感想にとても喜んでいて、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになった気がする。
彼はよく欠伸を噛み殺していて、その素振りを見た私は、しょっちゅうそれを移されていた。
傍迷惑な人だったけど、その眼に似合わず優しい性格で、嫌いじゃなかった。
444
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:24:29 ID:YyEx8q220
彼の書く物語は基本的に短かった。
たまに少し長いものもあるけれど、他生徒のものと比べると全然短い。
つまり、私のように長文に慣れていない人間にも読みやすい文体だったのだ。
答えの用意されていない精神論。
憂鬱を詰め込んだ短編集。
救われない人々の堕落した日常。
空気を重くしすぎず、それでいて決して快適ではない雰囲気を産んでくれる。
程よく思考運動できる彼の小説も、私は好きだった。
それに、彼の小説には自己と言われる心の機微が随所に含まれていたから、共感できる部分も多くて、彼の人柄も自然と好きになっていった。
445
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:25:11 ID:YyEx8q220
ここまでなら、今までの人達と一緒。
違うのは、ここから。
.
446
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:27:08 ID:YyEx8q220
自分と何となく似ている感じがした。
根本的な部分が近いような感覚があった。
きっと、鏡面意識まではいかない。そこまで行くと嫌悪してしまうから。
要するに、私と彼は心の形が近かったのだと思う。
自分とは絶対的に違うのに近い感じがする彼に、私は次第に惹かれていった。
たぶん、好き、だったと思う。
447
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:28:52 ID:YyEx8q220
恋愛なんてしたことが無かった。
いや、一方的に好意を寄せられたことは多々ある。
カップルのフリをして他人と一緒に遊んだことは、それこそ数え切れないほど経験している。
恋人同士はどんなことをするのか、という例なら無数に熟知している。
でも、だからこそ、他人を好きになるとはどういうことなのかが分からなかった。
利害関係でしか、他人と接してこなかったから。
仮に彼を好きだったとして、私はどんな関係を望んでいるのか。
相手との間に何を求めているのか。
448
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:29:43 ID:YyEx8q220
彼が他人と楽しげに話している姿を見ると、羨ましくなる。
同時に、その相手を憎らしく感じる。
その程度の一方的な感情しか無いのだが、何故か胸中が騒めく。
虚のはずの胸中が、何故か痛む。
恋愛なんて深く考えたことのない私は、経験から単純に互が気持ち良ければそれで十分なのだと結論付けていた。
安心し合えれば、胸の内を満たせれば、どんなに歪な形であっても愛なのだろうと思っていた。
結果的に私は、その関係が間違っていると思うようになる。
部品が足りない私の心が欠陥品だったと、知らしめられるように。
449
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:30:44 ID:YyEx8q220
うろ 【空・虚】
中がからになっている所。ほらあな。うつろ。
突然だが君は、全ての物事に意味を感じられず、虚しい気持ちになったことはないだろうか。
自分の心にポッカリと穴が空いてしまったような。
大切な部品が欠けてしまったような。
理由もなく気持ちが虚ろになったことはないだろうか。
私は時々そういう気分に陥る。
でも夜が明けて朝日を浴びれば、その気持ちもどこかに消えてしまっている。
そうやって私は生きてきたんだ。
450
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:31:30 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「すっかり暗くなっちゃったねー」
(-_-)「そう、だな」
ここは私の部屋、隣には彼が居る。
表情はよく見えなかったけど、返事の声からは疲労感が滲み出ていた。
私も彼と同じくらい疲れていたから、何となくそう感じたのだと思う。
451
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:32:31 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「ねえ」
(-_-)「何?」
川 ゚ 々゚)「どうしてなの?」
(-_-)「何が?」
川 ゚ 々゚)「どうして、一緒にいてくれるの?」
(-_-)「…そりゃ、好きだから」
川 ゚ 々゚)「嘘だね」
(-_-)「バレたか」
フフッと、嘆息のような、空気の抜ける音のような間の抜けた声が響く。
どちらが出した声か、私たちですら分からない。
静まり返っていないとそれが声だと判断できないほどの、曖昧な音。
452
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:33:45 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「初めて見たときにね、近いなって、思ったんだ。
今まで色んな人と関わってきて、色んな人と交わってきて、私なりに自分の行動原理を考えてきたんだけども…。
…なんでかなー、ヒッキーみたいな人とは、出会えなかったんだよね」
(-_-)「まだ高校生なんだから、あっさりと好きな人と出会える方が、よっぽど不自然だと思うけどな」
川 ゚ 々゚)「うん、分かるよ、私もそう思う。まだ20年も生きていないんだもの。
運命の人って言われる王子様が白馬に跨って私を迎えに来てくれるなんて、ちっとも思ってないの。
でもね、今のうちに気の合う人と会えたことは、運が良かったと思ってるのよ」
(-_-)「嘘だね」
川 ゚ 々゚)「嘘だけどさ」
453
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:34:44 ID:YyEx8q220
(-_-)「…近いっていう感覚は、僕にもあったよ。
くるうが僕の眼を見た時に感じた物とは違うと思うけど…。
君が書いた物語を読んでるとね、その中に、必要以上の自己が混ぜられてるなって、思ったんだ」
川 ゚ 々゚)「そう?」
(-_-)「正直言うと、書き始めて間もない頃の過剰な不幸設定や、目を背けたくなるような生々しい描写は、あまり好きじゃ無かった。
悲しい言い方になるけれども、主人公足り得るための望まれた設定とすら思ってしまった。
いや、勿論設定に恵まれている人物は物語を展開しやすいから、悪くないとは思うんだけどね。
…読者や作者っていうのはさ、話を進めていくために主人公に必要以上の重荷を担がせたがるんだ。
実は勇者の末裔だったとか、任侠一家の一人息子とか、勉強も運動も容姿も完璧な超人とか、そう言う感じにね」
454
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:35:51 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「今言ったヒッキーのキャラ設定の例を聴いてると、比較的陽気で人生の勝ち組みたいな設定が主人公の特権みたいに聞こえるけども、不幸な生い立ちのキャラクターでも恵まれていると言えるの?
虐待されて育った人が愛に飢えて他人を求めていたり、苛められている人が自分の人生を棒に振って、他人に盲目的な愛を配り続けることも、恵まれていると言えるの?」
(-_-)「それが現実に存在している人物なら、恵まれているなんて口が裂けても言えない。
でもちょっとだけ、羨ましいとも思う。
…恵まれている設定っていうのは、必ずしも他人より優れていることを指すわけではない。
悲壮、哀愁、凄惨溢れる惨い目に遭ったとしても、一般大衆と異なる主人公足り得る理由が付与されていること。
要約すれば、読者に感情移入されやすい設定が、恵まれているって表現したんだ」
455
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:36:59 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「…あの設定は、自分自身のことを客観視して書いてたから、あんまり嬉しくはないんだけども、ヒッキーが言いたいことは分かったよ。
でもそれなら、同じクラブの子達が書いてた小説と大差なかったんじゃないの?」
(-_-)「うん、最初はそう思ってた。だからそんなに好きじゃなかったんだ。
…それでも読んでいた理由は、単純な高校生の絵空事にしては現実味が強すぎたからだよ」
川 ゚ 々゚)「あーうん、まあ、実体験だしね」
(-_-)「君なら勘違いしないだろうけども、僕は別に憐憫の情を覚えたから読み続けていたわけじゃない。
君の事情は僕なんかが下手に介入して解決に導けるほど、浅い内容じゃ無いと分かっていたからね」
456
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:38:28 ID:YyEx8q220
(-_-)「…ただ、くるうが書いてくる小説を読んでいると、その内容が恵まれた設定を披露するだけの安易な物語じゃないことが分かってきた。
読めば読むほど、知れば知るほど深みに嵌っていく感覚があったんだ。
まぁ最初こそは、君の描く陰鬱とした雰囲気に魅せられて、読み耽っていると思っていたけどね」
川 ゚ 々゚)「そんな風に書いたつもりは無かったけどもねー。
自身の体験を赤裸々に綴った物語だから、細かく考察されるのは自分の心情を見透かされてるようで、恥ずかしい感じがするけれども」
川 ゚ 々゚)「…それを言うならヒッキーの小説もさ、先の展開が読めないくらいに暗闇なのに、読み進めるほどに謎が解けていくから、小説に慣れてない私でも読みやすかったし面白かったよ。
決して快い物語じゃないんだけども、淀みが積もっていくような感覚が好きだったし。
そういう意味なら、私も同じ感じで、ヒッキーの物語にハマっていったんだなって思うよ」
457
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:39:42 ID:YyEx8q220
(-_-)「でも、気づいてるだろ? 僕らが似ている理由。
本当に話したい内容は、そんな表面的な事じゃないってことを」
川 ゚ 々゚)「うん、それはお互い様だけどね。
…物語が終わってからの、その先がね………私には、まるっきり見えなかったんだよね。
恵まれた設定の主人公もヒッキーが書く話にはいっぱい登場したけれども、物語が終わると同時に死んでしまったかのように、その後の様子が全然想像できないの。
まるで、存在そのものが否定されてしまったみたいに」
(-_-)「作者から、見放されてしまったみたいにね。
人間という生物は、ハッキリ言ってなかなか死なない。どんなに自分に嫌気が刺しても、自分を取り巻く社会に絶望しても、死なない。死ねないと言った方が正しい。
安直に自殺という選択に逃げる人も中にはいるけれども、彼らは世界は自分を中心に回っていると本気で信じている人達だ」
458
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:40:52 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「自分が死ねば世界は消える。自分が観測しなければ存在していないのと一緒だ、っていう考え方だよね。
自殺志願者の全員が全員、そう思ってるかどうかは知らないけども、世の中に少なからず失望したことがある人なら、その考えは理解できるんじゃないかな」
(-_-)「事実として、僕たちは他人が何を考えているのか正確には分からない。
もしかしたら、この世界は自分の脳が見ている幻想なのかもしれない、或いは自分以外の人間には実は自我が存在しないのかもしれない、って考える人もいるね。
水槽の中の脳だとか、哲学的ゾンビだとか。
実際この命題に真偽はつけられないのだから、机上の空論に過ぎないのだけれども。
彼らは自分が存在しているから世界は存在していると考えている。それだけのことだよ。
…話が脱線したね」
459
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:43:02 ID:YyEx8q220
(-_-)「つまり僕が言いたいことは、実際問題、人っていうのは程度のデカイ失敗をしたところで死ぬことはないし、世界は彼らの些細な問題なんて無関係に進んでいく。
夜になれば太陽は沈むし時間が経てば朝日が出てくる、四季は循環する。
世界は無表情のまま進展していくし、この世界が終焉を迎える事は無い。
終を見ることはない」
川 ゚ 々゚)「自分勝手に自身を終わらせたところで何の意味も無いんだって思えば、人生に変化をつけるようなこと、皆しなくなりそうだね。
一筋縄にはいかないからこそ世界は素晴らしいんだって、誰かが言ってた気がするけれども」
(-_-)「くるうの物語も僕の物語も、たぶん小説としては駄作に分類されてしまうと思うんだよ。
小説で一区切りついただけで、今後も続いていくはずの世界が途切れてしまっているんだからさ。
人気漫画やゲームって、いつまでも話が続くだろ? それを愛している現実の人たちが、キャラクターを自由気ままに操り二次創作を作り出して、いつまでたっても終われないんだ。
作者冥利に尽きるってことなんだろうけれども」
460
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:44:07 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「終わりたい側からすればいい迷惑…なのかな?
…最初は、この先の見えない原因として、私の目の前に澱みが堆く聳え立っていて、それが行く手を阻んでいるんだろうとか思ってたんだよね。
でもね、違うの。よく見ればそこが終着駅だったの。
物語や登場人物の歩んできた道がね、そこでぶっつりと途切れてるの。
立入禁止や通行止めの看板じゃなくて、完全に行き詰まってるの。
こんなんじゃ面白くないし読者に飽きられるって思って、頑張ってキャラの設定を富ませたんだけどね、違うの。
飽きているのは読者ではなく、私であって、ヒッキーであって、作者自身だったの。或いはキャラクター達自身だったの」
461
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:45:52 ID:YyEx8q220
(-_-)「…僕たちが書いているのは、ジャンルで言えば純文学に当たるんだろうね。
純文学の物語には、少なからずの自分が注がれる。
作者の体験談だったり、思考が組み込まれて物語が構想されていく。
だから僕たちが書いている小説には、どうしても自分自身が投影される。
…僕は自分の、これからの未来が一切見えない。
いや、今までもまるっきり先の見えないぶっつりと切れた糸の道を、終われずに生きてきたんだけどね。
くるうの小説を見たときにさ、暗闇で鏡を覗いてしまった時のような、背筋の凍る感覚があったんだ」
川 ゚ 々゚)「お互い様、だよね。私たち、作者に愛想を尽かされちゃったんだよね。
作者というか神様というか、そういう私たちが干渉できない第三者を指してるんだけども。
もう既に私たちは自己を完結させてしまっている気でいるのに、というか、終わっていると思っているのに、世間は私たちを終わらせてくれない。
その潮流に乗って、未だ彷徨っている。暗礁にすら乗り上げず、漂流し続けている。
だからと言って積極的に終了するつもりもないの。
自殺と呼ばれる前向きな感情すらも、持ってないの」
(-_-)「違いない」
462
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:47:02 ID:YyEx8q220
川 々 )「……ごめんなさい」
( _ )「……」
彼がどんな顔をしているのか私には見えない。
部屋は真っ暗で、彼も私と同じ表情をしていればいいな、という思いがあるだけ。
終わったつもりでいるのに、これからの道なんて途切れてしまっているのに、世界は終わることなく廻り続ける。
私や彼らも、見ず知らずの神様に愛想を尽かされているのに、自らの力で終焉を導くことができないんだ。
とても矮小で幼くて、未熟な存在。
463
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:49:07 ID:YyEx8q220
部屋の隅、唯一の出入り口から物音がした。
暗い部屋はよく見れば、高校の図書室だった。
ここが夢で、私たちのいる部屋が図書室であることを忘れていた。
私達は当時の日常を繰り広げていた。
思い出すつもりなんて甚だ無かった過去の幻想に浸っていた。
夢幻に逃避して、眠っていたかった。
視線の先、暗闇に浮かぶ2つの眼球に、白痴の男女が反射して見えた。
そこに映る私の胸は、隣に座る人物とは異なって、ぽっかり大きな空洞が広がっているようだった。
464
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:51:22 ID:YyEx8q220
19.缺ヒッキー
.
465
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:52:17 ID:YyEx8q220
何かが足りないような、何かを求めて生きてきたような、そんな心苦しさに苛まれてきた。
それでも、昔から自分に何が足りないのかが分からなかった。
考えれば考えるほど深みに沈んでしまって、暗澹たる底無し沼に飲まれていく感触があった。
466
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:54:07 ID:YyEx8q220
漠然とした劣等感。
手の届かない程の遠くに見える情景。
林立する複製物の成れの果て。
それが、打ち捨てられた廃墟街。
無知ゆえの知識への渇望。
それが、読むことすら叶わない無限に広がる本の山。
ぼんやりとした不安。
反射されるのは無力な自分。
それが、延命に成功し自己を失くした顔の無い人々。
悪事にも停滞にも染まれない小さな矜持。
鈍く光る憧憬物の明かり。
それが、ぼやけたネオンと堕落した市。
467
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:55:45 ID:YyEx8q220
ここまで打ち込んで、顔を上げる。
暗い部屋、壁一面には、天井まで届きそうなほど高い本棚。
蔵書にジャンルの纏まりは無い。
『哲学・倫理用語辞典』『知覚の呪縛』『入門人体解剖学』『幼年期の終わり』『広辞苑』『脳の彼方へ』
そのどれもが既知の書物だった。
幼少期から現在に至るまでに読み終えてきた書籍群。
読者は嫌いじゃなかったけれども、僕にとって暇つぶし以上の価値は無かった。
だからその莫大な量を前にしても、感慨深さは特に無い。
468
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:56:42 ID:YyEx8q220
事実として、内容を事細かに覚えている本なんて数える程しか置いてなかった。
タイトルを見れば概略を少々思い出せる程度の、希薄な記憶。
きいきいと、天井の梁が風に揺れて軋む。
「予報によると、今季最大の寒波が――」
北風がけたたましく吹き荒び、家全体を揺らす。
僕は大きな窓に面した机の上で、パソコンのワードに文字を打ち込んでいる。
漢字の羅列が何を意味しているのか、僕には分からない。
意味など考慮せずに単語を連ねる。
469
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:57:41 ID:YyEx8q220
机の上には、お気に入りの小説が積み重なり山を成している。
こっちは内容を諳んじられるほど、何度も読み返した物語達。
そのどれもが、僕の根底を形成している。
ここに積み重ねてある小説は、本棚に収まっている本とは異なる。
面白さを味わう段階はとうに過ぎてしまっているが、意識を集中させる時の導入材代わりにはもってこいの書籍だ。
僕は今、自分の為だけに小説を書いている。小説なんて大層な呼び名の物じゃない。
ただのテキストだ。
470
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:58:37 ID:YyEx8q220
僕が書いている文章は、僕の為にしか意味を持たない。
誰の目にも触れないのだから、添削する必要など無い。
ただの自己満足。
本の山から一番好きなシリーズの第2巻を探す。
僅か15冊しか重なっていないのだから、すぐ見つけられると思ったのに、何故か2巻だけ見当たらない。
今、このタイミングでどうしても読みたいのに、何故無いのか。
どうして望んだ時節に、望み通りに事が進まないのか。
471
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:59:32 ID:YyEx8q220
仕方が無いので壁際の本棚を探してみる。
目的の書籍は広辞苑の上に鎮座していた。
案外分かりやすい場所に収まっていたので、すぐに見つけることができた。
僕の根底に強く作用した小説なだけあって、やはりその存在感は他と一線を画す。
取ろうとしたらうっかり手が滑ってしまい、本棚の向こう側に落ちてしまった。
まただ、つくづくついてない。
思い通りにならない。
なぜ僕の世界は、こうも順当に物語が進まないのだろう。
思い通りの展開が起きないのだろう。
腹が立つ、苛々する。
472
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:00:23 ID:YyEx8q220
周囲の本を掻き分け、本棚の奥へと腕を伸ばすも、届きそうな気配は無い。
指先すら掠めない暗闇の奥深くに落ちてしまったのだ。
僕は思い切って、体ごと向こうへ押し出してみる。
あと少し、あと数センチ……――。
あ。
.
473
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:01:30 ID:YyEx8q220
体が、落ちてゆく。
本棚の奥へ、落ちてゆく。
それはまるで、誰かの胸の中に吸い込まれていくように。
僕の体は浮遊感に包まれていた。
いずれ地面と衝突する、そう思った僕は両腕で自身の頭を保護するように交差し、両の眼を力強く瞑った。
474
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:02:54 ID:YyEx8q220
※
暫く時が過ぎたような体感があるが、身体が硬いものにぶつかる気配は無かった。
いつの間にか、奇妙な浮遊感も消えていた。
恐る恐る瞼を開くと、僕の両足は罅割れた砂の地面にしっかりと付いていた。
自覚するのとほぼ同時に、身体全体に架かる重力を体感した。
今まで感じていた方向とは真逆に向けて。
地に向けていると思っていた僕の頭部は、厚い雲に覆われた天を指していた。
重力の向きが逆転していた。
475
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:04:18 ID:YyEx8q220
そこはゴミ捨て場だった。
足元には使い古された注射針、薄布のような茶褐色の袋、白濁した液体、赤錆た鉄パイプ。
そのどれもが汚泥と砂に覆われており、気分を害するには十分な要素を兼ね備えている。
周囲はスクラップで構成されたビル群が林立していて、窓のような黒点がポツポツと等間隔に空いている。
ビル群を掻き分けた遥か遠くの世界の果てに、何処までも天高く伸びる土色の壁が聳えていた。
その壁が世界全体を取り囲んでいるのだ。
天を仰いでも、空は分厚い黒色の雲に覆われている。
太陽の明かり一筋ですら漏れていない。
にも関わらず、周囲は彼方まで見通せるほどに大気が澄んでおり、何より明るかった。
476
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:05:22 ID:YyEx8q220
僕は一冊の本を、右腕に抱えていた。
先程本棚の奥に落としてしまった一冊。
腐敗臭が鼻を突く。
肺腑が犯されるようで吐気を催す。
僕は好奇心に心を突き動かされて、ゆっくりとビル群へ向かうことにした。
歩くたびにパキパキと、何かが割れる音が木霊する。
使い捨てられたシリンジの残骸だ。プラスチックは罅割れ、内側はやや風化している。
それら落ちている全ての注射針に、黒色に酸化した血液が付着していた。
477
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:06:37 ID:YyEx8q220
進むにつれ、注射針と剃刀が増えてきた。
表面は不衛生で、薄汚い赤茶の錆が所狭しと付着している。
小汚くて、使い古されたかのような使用感が胸を悪くする。
赤褐色の薄い袋は、内側に何かが詰まっているようだった。
表面は赤色の細かい線が血管のように縦横無尽に枝分かれしていて、蜘蛛の巣状の網目を作り出している。
内側に詰まっている"何か"の正体は、僕には分からない。
袋の破れた箇所からは、白濁した淡黄色の液体が漏れて水溜りを作っている。
所々赤黒い膿の混ざるサラサラとした液体は、海水のような潮臭さを醸している。
その匂いに懐かしさを感じるのは、何故だろうか。
478
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:07:53 ID:YyEx8q220
それに、この奇妙なオブジェクトは、どれもこれもが気分を害するには十全なのに、何故僕は親近感を覚えているのだろうか。
奇抜で残虐で薄汚い、使い捨てられたゴミに人間の痕跡を感じるからだろうか。
それとももっと深い、別の愛着でもあるのだろうか。
既視感と妙な愛着を覚える腐敗した袋を踏まないように避けて進んでゆくと、ビルの前にスーツを着た影が立っていた。
僕と背格好の近い人影は、こちらに向かって左手を差し出している。
まるで僕が手を取るのを待っているかのようで、けれどもそれを強要していない様子から優しさが感じられる。
479
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:09:01 ID:YyEx8q220
正体不明で理解できない存在なのに、僕はその影が誰なのか知っているような気がした。
"彼"は今の僕にとって必要不可欠な人のような気がして、今の僕が大切に守りたいと思っている人のような気がして、他人だと思えなかった。
だから僕は甘んじて、その手に己の身を委ねた。
何も持っていない左手で、彼の差し出された手を掴む。
枯れ枝の如く細いのに、若者のような瑞々しさを感じる掌が心地良い。
その膚から、思わず泣き出したくなるような温かい感情が流れ込んで来る。
懐かしさを思わせる体温。
480
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:09:44 ID:YyEx8q220
( ∀ )
"彼"の顔を見ると、その影は何故か、優しく微笑んでいるような気がした。
481
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:11:07 ID:YyEx8q220
※
僕は影に引っ張られて、建物の奥へと進む。
奥へ伸びる薄暗い進路は先が見えず、何処までも果てなく続いているかのようだ。
いつの間にか、周囲の壁はささくれだった凹凸の激しい様相から、硬質で滑らかな物へと変化していた。
明かり一つ無い通路にて、いつの間にか僕の左手を掴んでいた温かい感触は消えていて、それでも前に進むことを何かに突き動かされているかのように、僕の両足は無意識に前方へ動いていた。
不自然を感ずる思考は、とうに抜け落ちている。
僕の思惑を埋めるのは、身に覚えのない既視感だけ。
482
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:12:03 ID:YyEx8q220
歩を進めるに連れ、独特の黴臭さが鼻腔に通ってくる。
決して不快ではない。
僕にとってはとても馴染み深いそれは、古びた書籍の匂いだった。
左手の空いた指で探っていた壁は、独特な凹凸と柔らかさを備えた本の背表紙へと変化していた。
耳に入るのは驟雨の音。
閑散とした空間に顕れた音響は、徐々に漣のように増強する。
大きくなっては小さくなってを繰り返す、行ったり来たりの音の波。
483
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:13:29 ID:YyEx8q220
眩いばかりの輝きが、辺りを照らす。
唐突な光量に順応した両目が捉えた風景は、莫大な量の書物が収められている図書館だった。
僕は暗闇を抜けていた。
自室とは異なる新たな既視感が目眩を起こさせる。
不快感は無いが、自分以外の全てが回転しているかのような浮遊感を覚える。
空間全体が振動しているのか。
それとも僕が揺れているのか。
上を仰いで見ると無数の階層構造となっており、その段の全てに、所狭しと書籍が押し込められた本棚がある。
背表紙は色彩豊かだったが、俯瞰的には茶を基調としたモザイク状に映る。
窓は無い。
雨音は空間全体を包み込んでいるかのように鳴り響いている。
484
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:14:33 ID:YyEx8q220
発生源はどこだろうか。
不可思議な図書館に躊躇いながらも周囲を観察してみる。
やはり、というべきか。
猫のように真ん丸な、ダークブラウンの瞳。
朗らかさの中に玲里を含んだ表情。
脳裏まで浸透する、空虚な声。
本棚に囲まれた空間に唯一、ポツンと構える木製机には、女性が座っていた。
前方に構えて開かれた書物の上端から、猫を連想させるまん丸な双眸が、こちらを茫然と捉えている。
僕を品定めしているかのような、見覚えのある眼差し。
485
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:15:38 ID:YyEx8q220
鏡に映る自分に猜疑心を抱いたかのような、奇妙な感覚だった。
僕はその瞳に心当たりがある。
現実で毎日、互いを確かめ合うように見つめた日々を覚えている。
彼女の輪郭が徐々に綻んでゆく。
その影が水鏡に変化していくのを、僕はただ眺めていた。
僕は彼女を助けられなかった。
いや、彼女から逃げようとした。
その細い身体から溢れる地獄に、自分自身を見てしまったから。
486
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:17:10 ID:YyEx8q220
図書館が雨水に沈んでゆく。
僕と彼女の全身は水の中にある。
肺が水に満ちているからだろうか、息苦しさは既に無い。
水鏡の彼女が、僕に歩み寄ってくる。
彼女の左手には、僕が右手で持っている本と同じシルエットが浮かんでいた。
先程まで彼女が開いていた、その書物。
彼女の姿が、くるうの水鏡が、僕の目と鼻の先にある。
僕よりずっと背が高いのに、何故か鏡を見ているような気分になる。
彼女の両腕が僕の頭をそっと包み、自らの胸中に抱き寄せる。
ちょうど、あの時と同じように。
487
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:18:37 ID:YyEx8q220
※
彼女の優しさが、怖かった。
彼女の真相から逃亡した僕を、他でもないくるうに責め立てられるのが、何よりも怖かった。
僕は断罪されたかったのに、それと同時に巨大な恐怖心を抱えていた。
相反する二つの感情。
アンビバレンスな鏡面体。
痛みを望んでいるのに、それが自分に直面することを何よりも恐れていた。
情けなかった。
平凡に生きてきて、普通な思考を抱いて、凡庸な思考回路と人間性を抱えた僕が、鏡面として彼女を見つけてしまったことが。
なんて低俗。
なんて下劣。
488
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:20:10 ID:YyEx8q220
僕は彼女と別れた。
互の足りない部分を相手の中に見つけようと、僕たちは毎日身体を重ね毎日会話を重ねた。
そのうちに、気付いてしまった。
相似は合同でないことに気付いてしまった。
いや、僕らはとっくの昔に気付いていたはずだった。
安寧を分かち合うために、見ないふりをし続けていたのだ。
少なくとも僕はそうだった。
僕は彼女に鏡面意識を覚えたが、彼女は似ていると感じただけだと言った。
鏡面だと憎んでしまう、愛せないから、と。
489
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:21:17 ID:YyEx8q220
嘘だと分かっていた。
彼女は何よりも自分を大事にしていた。
あの時の彼女の腕には、無数の切り傷があった。
リストカットかと尋ねたら、そうじゃないと言っていた。
490
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:22:30 ID:YyEx8q220
「こうやって傷を付けるとねー、やっぱりすごく痛いの。
でもね、その強烈な痛みが心を埋めてくれるから、いけない考えをかき消してくれるから、だからこうして傷を付けてるの。
本当は、死にたくなんてないんだよ。
傷付きたくなくて、ただ、逃げていたいだけ」
僕は彼女に、一緒に逃げようとは言えなかった。
彼女は肉体の逃亡を望んでいなかったから。
精神での解放を望んでいたから、現状からの逃避行は無意味だと僕は知っていたから、何も言えなかった。
491
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:22:52 ID:YyEx8q220
くるうは両親に恵まれていると言った。
友達にも恵まれていると言った。
492
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:24:37 ID:YyEx8q220
「お父さんとお母さんはね、互いに深く愛し合っているの。本当の本当に、紛れもないオシドリ夫婦なの。
子供の私から見てもね、それは明らかだったの。
私にも普通にご飯を出してくれるんだけども、目の前で二人は互いに、相手のために用意した厳選された食材と熟考されたレシピを振る舞うの。私が食べてる物よりも美味しそうな物を食べてるの。
互いにあーんってやつをね、毎日飽きもせずやってるの。
私が小学生の頃とかもね、凄かったんだ。
その日は祝日だから家族全員休みだったんだけど、やっぱり休日って学校から宿題が出るでしょ? ちょっと多めに。
両親も勿論それを知ってたからね、私は家で勉強してるように言われたの。結局やらないと困るのは私だからね。
宿題なんて二時間程度ですぐ終っちゃってね、私は一日中暇してたの。遊ぶってどういうことか、知らなかったから。
いつも夕御飯を食べるくらいの時間帯に二人が帰ってきてね、やっぱり満面の笑顔なんだけど、どっか行ってきたの? って聞いたら、
近くの遊園地に二人で行ってデートしてきたって惚気話を聞かせてくれたんだ。
……遊園地って、楽しい場所なんだよね? 今度私たちもさ、一緒に行こうよ。
自分の子供よりも大事なことなんだから、きっとすごい所なんだよね、良い場所なんだよね…
…楽園、なんだよね」
493
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:26:38 ID:YyEx8q220
「C組の猫田君はね、いい人だったよ。
一ヶ月くらい付き合ってたんだけどね、両親が獣医さんらしくて、私が夜眠れない時なんか、よく家から盗み出した麻酔薬とかをくれたんだ。
動物用の注射針でね、慣れない手つきだからやっぱり痛いんだけども、私のためだって言ってくれるから嬉しくてさ、我慢できたの。
一瞬で意識を失っちゃって、気づいたら朝だったの。
でもね、なんかへんな感じがしたの。口の中とか、胸とか、お尻とかに、へんな感じがしたんだけど、薬の副作用でそういう身体所見が出ることもあるんだって教えてくれたの。
一過性のものだから心配無いって言ってくれたんだけどさ…。
…私、そういう日は一日中腹痛に襲われて、大変だったんだよね。
それになんだか、体中に小さい虫が這いずり回ってるみたいな感じがして、すっごいむず痒くて…よく分からない吐き気にも襲われたし、散々だったよ。
ねぇ、こんなこと聞くのは変だと思うけどさ……私、大丈夫…だよね?
両親にも、友達にも……恵まれて、いるんだよね…?」
494
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:28:05 ID:YyEx8q220
僕は、恵まれていると嘘を付いた。
彼女の表情はそう言った瞬間に、ホッとしたかのように明るくなって、それがまた苦しかった。
彼女は決して馬鹿ではない。頭脳明晰な賢人だ。
全ての真相に、気付いているに決まっている。
分かっているからこそ、秘匿しているということも気付いていた。
腕の傷は日増しに刻まれていった。
僕は彼女に嘘が付けなくなり、別れを告げた。
僕は自分の為に彼女を切り離した。
鏡に映る向こう側を、別の物にすり変えた。
保身と利己心ゆえに彼女を見殺しにした。
彼女と別れてから、あからさまに避けるようにした。
逃避し続けた。
自分が放置した現実から、
逃げて、逃げて、逃げ続けた。
495
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:30:19 ID:YyEx8q220
平凡な自己を逸脱して、安易な異常性を装い続けた。
同性愛者を、
虚構を埋めるための過食を、
変身願望ゆえの拒食を、
似合わない道化を演じ続けた。
而木(ニエキ)またんきには、悪いことをした。
罪を償うための贄(ニエ)として、幸福の形と不幸の形をすり替えて、心根の優しい彼を欺き続けた。
利用し尽くした。
名前が良かったという、ただそれだけの理由で。
彼女への償いという形をとって、本当の意味での償いから僕は逃げてきた。
くるうと向き合う事をせずに、虚構へ逃避した。
彼女の事を思考から排除して、「僕は罰せられなければいけない罪人だ」と宣った。
常に主語は「僕」だったのだ。
496
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:31:21 ID:YyEx8q220
逃避行を繰り返す僕を責め立てるように、彼女は僕へ近づいてきた。
同じ大学に進み、同じサークルに所属してきた。
作為的ではないと彼女は発言していたし、過干渉もしてこなかったが、信じられなかった。
僕は、必要最低限の関わり以外の一切を避け続けた。
逃げ続けてきた。
大学二年生の頃に一度だけ、彼女から電話が来た。
僕はそれを、責め立てられるのを恐れて、狸寝入りを決め込んだ。
…朝起きてから電話を折り返したが、
「何でもない」
と彼女は言った。
道が途絶えたと、途絶えていたと、再認識した。
497
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:32:00 ID:YyEx8q220
怖かった。
苦しかった。
裁いて欲しかった。
責めて欲しかった。
糾弾して欲しかった。
…かまって、欲しかった。
でも本当は、そのどれでもなく。
.
498
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:33:18 ID:YyEx8q220
※
金属同士がぶつかりあう時の、小気味良い音が周囲に木霊する。
聞き覚えのある音。ピアスの音。
意識が鮮明としてくる。
目の前に、息遣いの荒い彼女が見える。
499
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:33:50 ID:YyEx8q220
「「好き」」
.
500
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:36:06 ID:YyEx8q220
僕は、本当は、彼女の腕を望んでいた。
僕は、やっと全てに、気付いた。
大学生の彼女の姿が、水鏡の奥から僕を覗いている。
僕も同様に、彼女の姿を眺めている。
優しい笑顔で、包み込むように僕へ抱きついている、彼女。
501
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:36:45 ID:YyEx8q220
僕はただ許されたかった。
本心は彼女に愛されたかった。
ただ、彼女が好きなだけだったのだ。
502
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:40:10 ID:YyEx8q220
もし見ている方がいらっしゃるなら、本日はここまでです。
明日でたぶん終わると思います。
503
:
名無しさん
:2020/06/17(水) 01:48:37 ID:NqHd7n1U0
乙。。
504
:
名無しさん
:2020/06/17(水) 05:16:06 ID:v0kxuY/A0
乙です
505
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:55:22 ID:YyEx8q220
なんかタイミングがアレですけども、再開します
506
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:56:39 ID:YyEx8q220
20.厭藤ペニサス
.
507
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:58:01 ID:YyEx8q220
一時の快楽が人をダメにする。
一瞬の気の迷いが、今後の人生を左右する。
そんな文言が世間に流布しているが、私は決して諸手を挙げて賛成しようとは思わない。
寧ろ反対の意見を持っているとも言える。
というよりも、正確には両価感情である。
六人でお泊まり会もとい夢の共有を行ってから、既に一週間経過している。
今日は8月1日の土曜日。特にやることも無く外は暑いため、デミタスと一緒にさっきまで映画鑑賞して時間を潰していた。
日本のホラー映画で、コラムの執筆家とその仲間達が一連の心霊現象を調査していく内に、その根深い縁に巻き込まれていく話。
短編小説を元にしたタイプの作品で、淡々と物語が進んでいく様子と、心霊描写を過度に誇張しない作風が、見ていて心地良い作品だった。
今はそれも見終わって、件の夢について二人で考えていた。
508
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:59:16 ID:YyEx8q220
最近頻繋に見る夢のおかげでもあるのだが、やっぱり私はアルコールが嫌いだ。
何度も見るので、夢が覚めれば冷静に考えることもできるようになってきているのだが、あの情景自体は恐怖の対象でしかない。
だから、情景ではなく事物を再評価し直すことで、夢の実態を解明していきたいと思う。
いや、解明といっても、そこまで詳らかにできるとは思わない。
ただ自分の気持ちに、それなりの決着を付けたいだけ。
これ以上、彼が疲弊していく姿は見たくないから。
509
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:00:22 ID:YyEx8q220
話を戻すが、アルコール飲料や煙草、セックスや食餌、睡眠などには共通項があると思う。
非合法のものになるが違法薬物や電子ドラッグ、ある人にとっては殺人なども、当て嵌まる内容だ。
私はそれらに、一時的な快楽が共通して付与されていると考えている。
夢というものにも、ある種の悦楽が付与していると思う。
空想の世界、幻想の中で気儘に行動できる自由。
新たな世界に眈溺することだったり、想像の羽を広げることができるから。
あの夢を思い出してみる。
最後の情景以外なら、別に平気。
血生臭い情景には、慣れてるし。
あの夢に似たような現実の場所を、デミタスに手伝ってもらいながら調べてみた。
読めない漢学や薄汚く複雑に入り組んだ風景。
過去に存在していた九龍城という場所と、台湾の夜市にそっくりだった。
510
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:01:05 ID:YyEx8q220
正式名称は九龍城砦。
詳細な説明はここでは避けるが、一言で言えばスラム街だ。
違法建築に違法建築を重ね、原型が行方不明になった、肥大化した欲望の権化のような地区。
ある一部の人間からは、その混沌とした世界観が崇拝され持て囃され続けており、解体され跡形もなくなった今現在、なおも熱狂的な人気を保ち続けている。
ちょっと前にも九龍をモチーフにしたテレビゲームやゲームセンターなどが日本でも作られていたし、漫画家やイラストレーターの中にも世界感を継承している人々が少なくない数存在している。
要するに、その場所は多くの人々の信仰対象なのだ。
大量の人間の意識が向けられた、無秩序が蟠る地獄めいた聖地。
511
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◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:02:55 ID:YyEx8q220
写真を彼に見せてもらった時に、夢以外の部分でも既視感があった。
本当に私が幼い頃、生まれて間もない頃だろうと思うが、その時に両親が遊んでいたテレ
ビゲームの世界に酷似していたのだ。
正直言って、全く嬉しくない原風景だった。
ただ、あの夢が人の意識を根底に形付けられているとするなら、九龍が私の夢に出てきたことも頷ける。
この街は、人間の持つ大量の欲望がなだれ込んでいた場所でもあったのだ。
違法薬物や性風俗、ジャンクフードの屋台や酒、煙草などの、一時の快楽に溢れた街だったのだ。
一時の快楽は、自らが現在直面している問題を忘れさせてくれる。
どんなに逼迫した状況だろうと、どれほど大きな困難であろうと、それを上から覆い被せてくれる。
その場しのぎな現実逃避に過ぎない事は重々承知しているのだが、私もよく、これに逃避している。
酒や煙草などでは無いが、デミタスとの身体の交わりがそうだ。
最近は彼がまるっきり求めてこなかったこともあり、私個人は別なことに現を抜かしてたが、本質的な部分では、私達は互いに必要不可欠な関係だということは理解しているつもりだ。
私が夢を見始め、いつ襲いかかってくるか不明な悪夢に苛まれ続けている間、彼は彼なり夢について調査してくれていた。
512
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:03:47 ID:YyEx8q220
それに私を慰めるために、彼は一時の体の交わりとは違う代償行動をしてくれた。
自らの疲弊や疲労を蔑ろにしてまで、私と会話してくれた。
単純にそれが嬉しかった。
自分が大切にされていることを、改めて感じることができたから。
彼の元来の性格は、無口なわけではない。
寧ろ毎日気さくに話しかけてくれるし、話していて楽しい。
純粋に優しい彼の性格が、私は好きだった。
だからこそ、私は悪夢についての愚痴や苦心や悩みも全部気兼ねなく彼に相談できたのだ。
彼がそれを聞いて何を感じるかも考えずに、ただ己の苦しみを吐き散らしてしまったのだ。
513
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◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:04:34 ID:YyEx8q220
彼の変貌は私の責任だ。
時期もタイミングも、私が夢を見始めた時と一致する。
私が彼に、話し始めた時期と一致する。
私が悪夢に苛まれるようになってから、彼の身体は大きく変化したが、毎日の仕草や私への態度は以前と変わらない。
彼の見せるぎこちない笑顔も、溌刺とした挨拶も、料理への声かけも、まるっきり変わらない。
変わらずに接してくれる彼の態度が、より一層苦しかった。
514
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:05:16 ID:YyEx8q220
一週間前、ヒッキーさん達が泊まりに来た日。
私たちは約一ヶ月ぶりに身体を重ねた。
彼が私を求めてきたのか、私が我慢できずに彼を求めたのかは分からない。
ただ、彼に強く抱きしめられただけだ。
あの学校の夢は、三人で合流して間もなく覚めた。
起きてからヒッキーさんに話を訊いてみると、やはり彼らの高校だったらしい。
二人は同じ図書館で気が付いたかと思うと、あっという間に夢から覚めていたと言う。
トソンさんはどうやら保健室らしき教室で目が覚めたらしい。
ベッドで独り逡巡している内に夢から覚めたと話していた。
515
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◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:06:51 ID:YyEx8q220
彼女だけは唯一、夢の中で誰とも出会わなかった。
(゚、゚トソン「色々と考え事をしていたら、いつの間にか現実の天井に戻っていました」
そう話す彼女の口調は、平生と特に変わった様子は無かった。
声の調子が平坦すぎて、逆に違和感を覚えるくらいだった。
あの日、余りにもすんなりと夢が共有できてしまったので、安易に同床で寝るべきではないとヒッキーさんが述べ、それ以降は個人でそれぞれ調査しているところだった。
それと、くるうさんがデミタスにしっかり眠るように念を押していた。
その時彼女が何か耳打ちしていたが、その内容を私は知らない。
ただ、それ以降彼は私となるべく一緒にいてくれるようになったし、性生活も元通りになった。
体型も比較的、以前に近いものになってきた。
それに、何よりも大きな変化は、彼も同じ夢を見るようになったことだろう。
あれから毎夜飽きもせずに繁華街の夢を見るが、隣には必ず彼が出てくるようになった。
とても大きな進歩だと思う。
彼が近くに感じられることが、素直に嬉しかった。
存在感は希薄だが、確かな彼を夢でも感じられることが、非常に心強かった。
夢も、最後の情景になる前に覚めることができるようになった。
516
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:07:41 ID:YyEx8q220
彼は今、台所で昼食を作ってくれている。
二人共料理はそれなりにできるので、日にちごとに交代制で作っている。
(´・_ゝ・`)「おまたせ〜」
エプロン姿の彼が皿を二つ持って来て、テレビの前にある卓袱台に置く。
食器類は既に私が用意して置いてある。
昼食は、カレーライスとワカメの味噌汁。
和洋折衷とはよく言ったものだが、私はこのメニューがたまらないくらいに好きだ。
特に彼が作る料理は絶品で、正直言って私は、食べ合わせなんてあまり気にしていない。
517
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:09:31 ID:YyEx8q220
('、`*川「……」
(´・_ゝ・`)「うん? どうかしたの?」
('、`*川「…ううん、何でもないよ。
いつもどおりで美味しそうだなって、思ってただけ」
(´・_ゝ・`)「そ、そうかい? いやぁ、嬉しいなぁ。
ペニサスが褒めてくれることなんて、あんまりないから」
('、`*川「……」
(´・_ゝ・`)「…さ! 冷めないうちに食べちゃおうよ。……ゆっくり話、聞くからさ」
('、`*川「え?」
(´・_ゝ・`)「顔を見れば、それくらい分かるよ。具体的な内容までは、流石にエスパーじゃないから分からないけどもね。
もう何年の付き合いだと思ってるのさ」
('、`*川「……ウフフッ、何年だっけ?」
(´・_ゝ・`)「物心着いた時からだから、14年くらいだと思うけども⋯」
('、`*川「そういうちょっぴり細かい性格は、相変わらずだよね」
(´・_ゝ・`)「三つ子の魂百まで、だからね。ってか、僕のことはいいよ!
それよりも、どうしたの?
なんか、思い詰めた顔してるけども……話くらいなら、いくらでも聞くから、さ」
('、`*川「……うん、ありがと」
(´・_ゝ・`)「話したくないなら、無理しないでよ。傷をほじくるみたいに無理やり聞き出そうとしてるんじゃ、ないんだからさ」
('、`*川「夢のことよ」
518
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:10:28 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「あぁ……」
('、`*川「大丈夫よ。最後の情景さえ細かく想像しなければ、別にあんな夢、怖くもなんともないんだから」
(´・_ゝ・`)「……」
('、`*川「それに、いい加減このへんちくりんな出来事にも、決着つけたいのよ。
だから、ね。私なりの解釈というか、考えというか……そういうよく分からない部分を、デミタスと話しながら探っていきたいなって、思っててね」
(´・_ゝ・`)「うん」
('、`*川「あっ」
(´・_ゝ・`)「うん?」
('、`*川「そういえば気になってたんだけど、一週間前のあの日、くるうさんに何か耳打ちされてたよね。何を言われたの?」
(´・_ゝ・`)「ああ、そのことね。えーっとね……」
519
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:12:03 ID:YyEx8q220
('、`*川「何よ、言いづらいことなの?」
(´・_ゝ・`)「い、いや! 全然そんなことないよ! …ただ、そんな心配しないで欲しかっただけさ。
ええとね………夜はゆっくり休むように、って言われただけだよ」
(´・_ゝ・`)(本当は、夜ぐっすり眠ることで、彼女と同じ夢が見られるって言われたんだけども)
('、`*川「…ああ、そういうことね。……なんていうか、ごめん」
(´・_ゝ・`)「ペニサスのせいじゃないよ、断じて違う。この夢が全ての元凶なんだ、誰が悪いわけじゃない。
だから、気にしないで。僕だってこのとおり、元気になったんだからさ!」
('、`*川「そう、ね。一週間前までに比べれば、だいぶ顔色も良いし、今度彼女にお礼をしないとね。
…じゃあ、今度こそ、話を戻すね」
(´・_ゝ・`)「うん」
520
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◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:13:07 ID:YyEx8q220
('、`*川「夢って、人の深層心理を表現してるって言われてるらしいの。だから、このへンな夢は私の心情を表してるのかもしれないって思ったの。…デミタスも見たと思うけどもね。
だからその情景一つ一つの意味を解析できたら、なにか解決というか、糸口が見つけれるかもって、考えてたの」
(´・_ゝ・`)「…あの夢は、本当にペニサスの深層心理が見せてるものなのかな?
グロテスクな情景とか、殺伐とした人々が、心の深くにある感情なんて…なんか、悲しいというか」
('、`*川「私だって、自分の心があんなふうに汚れきったものだなんて、思いたくないのよ。
だからこそ、比喩表現の世界観だとしても、自己の夢に落とし前を付けて、納得した上でゆっくり眠りたいのよ。
それに……」
(´・_ゝ・`)「?」
('、`*川「……まぁ、あとで話すわ」
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