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(゚、゚トソンたまねぎのようです
420
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/16(火) 23:57:51 ID:OOx5Cbz20
私は言えないと思う。
個人が一人や二人消えたところで、世の中は滞りなく進んでいるから。
毎日殺人事件や事故のニュースが流れているのに、目の前の社会は表情一つ変えていないからだ。
こういうことを考えているとき、頭の中は意外に冷静だ。
自己を俯瞰的に眺めているせいで、この思考に自分が当てはまることを除外しているからだ。
私が私の中に居ないが故だろう。
俯瞰時には、自己が抜け落ちているのだ。
421
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/16(火) 23:58:44 ID:OOx5Cbz20
夢を現実の如く眺めている私がここにあるとき、意識を手放してベッドに横になっている私は、同一の存在だと断言できるのだろうか。
仮に、ここにいる私の存在が現実の複製品だとすると、夢から覚めた時にこの記憶が現実の私と同期するから、同一だと判断しているのだろうか。
それなら同期できない私の存在が、複数いてもおかしくないような気がする。
私には、確固たる自己が、無いのだから。
422
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/16(火) 23:59:33 ID:OOx5Cbz20
(゚、゚トソン「……精神論、終わり」
見上げる天井は恐らく白色だと思うが、室内が真っ暗なので判別が付かない。
私の眠っているベッドは白いカーテンで包まれていて、周囲が見渡せない作りになっている。
この妙に安心する繭のような空間で、私は自己について逡巡していた。
安心しきっていたから。
423
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:00:37 ID:YyEx8q220
張りと清潔感のある白いシーツのベッドは、慣れ親しんだものとは異なるのに、何故か安まる。
私はこの教室に厄介になったことはないのだ、存外悪いものでもないなと思う。
少なくとも、他人の家よりは落ち着く。
どことなく薬品臭い匂いが部屋を充満している。
おそらくここは学校の保健室なのだろう。
室内に明かりが無いのに周囲が見通せるから、時間帯は夜になる少し手前くらい。
多分、これも夢なのだろう。
最後に見たのはデミタス先輩宅の天井だったのだから。
424
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:02:15 ID:YyEx8q220
ベッドから降りて、状況を確認する。
服装は何故か見慣れない制服に変わっていた。紺の膝下丈スカートに、白い長袖のセーラー服。
自分達が通っている学校の服では勿論無く、ペニサス先輩が着ていた制服とも異なる。
カーテンを開けて見回してみれば、部屋は概ね予想通りの保健室だった。
大きな窓からは、校庭のグラウンドやプールなどが一望できる。
遠く広がる田舎風景には田舎特有の哀愁を覚えるが、見覚えのある景色ではない。
見渡す限り人は誰もいない。
これくらいの時間帯なら、野球部や陸上部辺りがまだ部活動を行っていても不思議ではないのだが、人一人とて見当たらない。
425
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:03:02 ID:YyEx8q220
夢なのだから、そんなものだろう。
現実味があるからといって、私の思い描く現実と全く同じとは限らないのだ。
寂寥感溢れる光景だったが、きっと登場人物のいない夢なのだろうと結論を下した。
鏡台の前でお洒落な作りの制服に見惚れていると、唐突に隣の部屋からくぐもった物音と振動が伝わってきた。
ちょうど二人分の話し声のような音と、何か大きな生物が忙しなく動いているかのような音。
ガサゴソ、ガサゴソ、と。
426
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:03:54 ID:YyEx8q220
不意を突かれ、思わず声を挙げそうになる。
ゆっくりと呼吸を抑えて、音を立てないように慎重に動く。
これが普通の夢ならば、私もこんなに緊張しなかっただろう。
寧ろ好奇心の赴くまま、進んで音のする方向へ飛び出していたかもしれない。
しかし、今見ているこの夢は、普通ではない可能性があるのだ。
巷を騒がしている、傷が付く夢である可能性があるのだ。
427
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:04:59 ID:YyEx8q220
もしそうなら、迂闊な行動は危険だ。
隣部屋にいる人物が誰か不明で、自身に危害を加える存在であるかもしれないから。
生きたいという積極的な感情は無いが、今のところ死ぬ予定も無い。
隣から聞こえる音は、争っているような音では無かった。
口論しているようにも聴こえない。
動物の荒い息使いのような、険しい音。
ゆっくりと部屋を出て、隣の部屋へ移動する。
428
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:05:45 ID:YyEx8q220
『図書室』と書いてある。
扉は二重構造になっており、どちらの扉も僅かに隙間が開いていた。
私は恐らくここに到着したその時点で、声の主が誰と誰であるか、見当が付いていたと思う。
それは、眠る前に何度も聞こえていた声だったのだ。
人の家でいきなり酒盛りを始めた人々の内の、二人の声だった。
429
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:06:16 ID:YyEx8q220
扉の隙間から中を見る。
図書室の大きな本棚の前。
私の目は既に暗順応し、暗闇にすっかり慣れていた。
だからその二人が誰で、何をしているのか、まざまざと双眸に焼き付けることとなった。
430
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:06:55 ID:YyEx8q220
真っ黒い骸のような獣が二匹、互の肢体を歪に絡ませ交わっていた。
押し殺した荒い息遣いと、身の毛も弥立つ嬌声が脳裏に嘶く。
.
431
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:07:41 ID:YyEx8q220
ありえない人物だと思った。
ありえてはいけない人物だと思った。
少なくとも男性に関しては、絶対に違うと思った。
彼であって、良いわけがないと。
だって、そうでなければ、あの彼は、なんだというのか。
番の彼は、なんだったのか。
同性愛者の缺ヒッキーと、その同級生の韶実くるうが、貪るように、補い合うように、そこにいた。
432
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:11:29 ID:YyEx8q220
18.韶実くるう
.
433
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:13:40 ID:YyEx8q220
プルルルルッ
ピッ
『もしもし』
『うん? ヒッキー? どうしたの?』
『いや…着信、あったから』
『無視してくれて良かったのにー』
『…なんか、用?』
『………ううんー、何でもないよー。声が聞きたかっただけー』
『そっか』
『そうだよー』
『…切るぞ』
『うん、まったねー』
ピッ
434
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:15:03 ID:YyEx8q220
「…」
「……」
「…なんでわたし、関係無い彼に電話したんだろ」
「子供堕したこと、ヒッキーと関係無いのに」
「…」
「…」
「…ああ……そういうことね…」
「…痛い」
「…」
435
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:16:07 ID:YyEx8q220
うろ 【空・虚】
中がからになっている所。ほらあな。うつろ。
突然だが君は、全ての物事に意味を感じられず、虚しい気持ちになったことはないだろうか。
自分の心にポッカリと穴が空いてしまったような。
大切な部品が欠けてしまったような。
理由もなく気持ちが虚ろになったことはないだろうか。
私は時々そういう気分に陥る。
でも夜が明けて朝日を浴びれば、その気持ちもどこかに消えてしまっている。
そうやって私は生きてきたんだ。
436
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:16:43 ID:YyEx8q220
彼の横顔を見ていると安心できた。
昨夜会った時、彼は高校生に戻っていた。
私と別れてから加速度的に肥えた彼が、元の姿になって帰ってきた。
ガサついた唇も、考えている時に顎に手を添える癖も、幼さの残る表情も、あの時のままだった。
437
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:17:36 ID:YyEx8q220
自覚は無いけれども、私は高校で周りから浮いていたと思う。
友達にも家族にも恵まれた。何不自由なく生きてこれた。
そんな暮らしに何一つ不満は無かった。
ただなんとなく、どんなに仲の良い人であっても、他人としか捉えられなかった。
友達を友達と思えず、家族を家族と思えなかった。
私は親友や家族ですら、信頼できなかった。
彼らに非は無い。
私の心に問題があった。
438
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:18:32 ID:YyEx8q220
高校に進学した私は、誰も心の底から信頼できない己の性質が問題なのだと自覚していた。
部品が、足りなかったんだ。
だから誰にも恨まれないように、適度に距離を保って生活していた。
決して深く踏み込まないし、本当の意味では会話しない。
誰も私に、入り込ませない。
みんな優しい人達だったから、私も彼らを倣って人と話していたら、交友関係は自然と広まっていた。
同学年男女問わず人気者になっていたし、誰も私を拒絶しなかった。
私にしか見えない心中では、誰も信じていなかったけれども。
439
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:19:24 ID:YyEx8q220
高校生にでもなれば、自分がどういう人間なのかが自ずと分かってくる。
自分が人並み以上の容貌を持っていることも知っていたし、それが起因して告白されたりセクハラされたりすることも理解していた。
私に原因があると分かってからは、不快感は消えていた。
寧ろ私を必要としてくれている彼らのおかげで、虚ろな心は満たされていた。
それがまやかしだと気づかずに、自己の承認欲求に他人との空虚な関係性を充てていた。
440
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:20:23 ID:YyEx8q220
相手を信頼していない事実なんて関係無く、自分が求められていることが単純に嬉しかった。
だから私は、常に相手にとって都合の良い人柄を演じてみせた。
他者の気持ちなんてまるっきり分からないけれど、親切な同級生の素振りを真似するだけで案外上手くいっていた。
色んな人と寝た。色んな人とシた。
現代社会に生きる高校生なんだから限度は知れているが、学校中の同級生や彼らの知り合いなど、その他もろもろと交わった。
私を必要としている人達が沢山いたし、私も彼らに求められたかったから。
441
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:21:18 ID:YyEx8q220
真剣に話を聞いてくれるから、ノリがいいから、物知りでカッコイイから、顔が好きだから、慰めてくれるから、面白いし一緒にいて楽しいから。
彼らの理由なんてどうでもいいけれども、私を求める人を邪険にはできなかった。
特別な人なんて、誰もいなかった。
2年に進学して、とりあえず羽休めできる居場所が欲しかったから、小説サークルに入部した。
図書館は静かで過ごしやすく、落ち着けて都合が良かった。
小説なんて授業以外で読んだこと無いし、無関心だったけれども。
442
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:22:39 ID:YyEx8q220
彼は何の変哲もない男子生徒だった。
特別優れた顔でも体型でも成績でも頭脳でもなかった。
思考回路も極めて凡庸。輪を掛けて普通な人だった。
ただ、目が良かった。
黝くて澱んだ瞳、底の見えない濁った眼球に、文字通り心が奪われた。
私に心なんて無かったけども、胸から何かが吸い込まれていくような感覚があったのだ。
彼の同級生や友人らは素知らぬ顔で話していたのだから、気づいていたのは私だけなんじゃないかな。
私だけが気付ける秘密。
そんな優越感に浸れるのも、彼の魅力だった。
443
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:23:35 ID:YyEx8q220
やはりというか、部活動はただのおべんちゃらだった。
無駄に長くて読む気が失せるから最初と最後の文だけ目を通して、それっぽく取り繕った感想を述べた。
何人かは交わったことのある人達だったから、私の感想にとても喜んでいて、ちょっとだけ申し訳ない気持ちになった気がする。
彼はよく欠伸を噛み殺していて、その素振りを見た私は、しょっちゅうそれを移されていた。
傍迷惑な人だったけど、その眼に似合わず優しい性格で、嫌いじゃなかった。
444
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:24:29 ID:YyEx8q220
彼の書く物語は基本的に短かった。
たまに少し長いものもあるけれど、他生徒のものと比べると全然短い。
つまり、私のように長文に慣れていない人間にも読みやすい文体だったのだ。
答えの用意されていない精神論。
憂鬱を詰め込んだ短編集。
救われない人々の堕落した日常。
空気を重くしすぎず、それでいて決して快適ではない雰囲気を産んでくれる。
程よく思考運動できる彼の小説も、私は好きだった。
それに、彼の小説には自己と言われる心の機微が随所に含まれていたから、共感できる部分も多くて、彼の人柄も自然と好きになっていった。
445
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:25:11 ID:YyEx8q220
ここまでなら、今までの人達と一緒。
違うのは、ここから。
.
446
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:27:08 ID:YyEx8q220
自分と何となく似ている感じがした。
根本的な部分が近いような感覚があった。
きっと、鏡面意識まではいかない。そこまで行くと嫌悪してしまうから。
要するに、私と彼は心の形が近かったのだと思う。
自分とは絶対的に違うのに近い感じがする彼に、私は次第に惹かれていった。
たぶん、好き、だったと思う。
447
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:28:52 ID:YyEx8q220
恋愛なんてしたことが無かった。
いや、一方的に好意を寄せられたことは多々ある。
カップルのフリをして他人と一緒に遊んだことは、それこそ数え切れないほど経験している。
恋人同士はどんなことをするのか、という例なら無数に熟知している。
でも、だからこそ、他人を好きになるとはどういうことなのかが分からなかった。
利害関係でしか、他人と接してこなかったから。
仮に彼を好きだったとして、私はどんな関係を望んでいるのか。
相手との間に何を求めているのか。
448
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:29:43 ID:YyEx8q220
彼が他人と楽しげに話している姿を見ると、羨ましくなる。
同時に、その相手を憎らしく感じる。
その程度の一方的な感情しか無いのだが、何故か胸中が騒めく。
虚のはずの胸中が、何故か痛む。
恋愛なんて深く考えたことのない私は、経験から単純に互が気持ち良ければそれで十分なのだと結論付けていた。
安心し合えれば、胸の内を満たせれば、どんなに歪な形であっても愛なのだろうと思っていた。
結果的に私は、その関係が間違っていると思うようになる。
部品が足りない私の心が欠陥品だったと、知らしめられるように。
449
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:30:44 ID:YyEx8q220
うろ 【空・虚】
中がからになっている所。ほらあな。うつろ。
突然だが君は、全ての物事に意味を感じられず、虚しい気持ちになったことはないだろうか。
自分の心にポッカリと穴が空いてしまったような。
大切な部品が欠けてしまったような。
理由もなく気持ちが虚ろになったことはないだろうか。
私は時々そういう気分に陥る。
でも夜が明けて朝日を浴びれば、その気持ちもどこかに消えてしまっている。
そうやって私は生きてきたんだ。
450
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:31:30 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「すっかり暗くなっちゃったねー」
(-_-)「そう、だな」
ここは私の部屋、隣には彼が居る。
表情はよく見えなかったけど、返事の声からは疲労感が滲み出ていた。
私も彼と同じくらい疲れていたから、何となくそう感じたのだと思う。
451
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:32:31 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「ねえ」
(-_-)「何?」
川 ゚ 々゚)「どうしてなの?」
(-_-)「何が?」
川 ゚ 々゚)「どうして、一緒にいてくれるの?」
(-_-)「…そりゃ、好きだから」
川 ゚ 々゚)「嘘だね」
(-_-)「バレたか」
フフッと、嘆息のような、空気の抜ける音のような間の抜けた声が響く。
どちらが出した声か、私たちですら分からない。
静まり返っていないとそれが声だと判断できないほどの、曖昧な音。
452
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:33:45 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「初めて見たときにね、近いなって、思ったんだ。
今まで色んな人と関わってきて、色んな人と交わってきて、私なりに自分の行動原理を考えてきたんだけども…。
…なんでかなー、ヒッキーみたいな人とは、出会えなかったんだよね」
(-_-)「まだ高校生なんだから、あっさりと好きな人と出会える方が、よっぽど不自然だと思うけどな」
川 ゚ 々゚)「うん、分かるよ、私もそう思う。まだ20年も生きていないんだもの。
運命の人って言われる王子様が白馬に跨って私を迎えに来てくれるなんて、ちっとも思ってないの。
でもね、今のうちに気の合う人と会えたことは、運が良かったと思ってるのよ」
(-_-)「嘘だね」
川 ゚ 々゚)「嘘だけどさ」
453
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:34:44 ID:YyEx8q220
(-_-)「…近いっていう感覚は、僕にもあったよ。
くるうが僕の眼を見た時に感じた物とは違うと思うけど…。
君が書いた物語を読んでるとね、その中に、必要以上の自己が混ぜられてるなって、思ったんだ」
川 ゚ 々゚)「そう?」
(-_-)「正直言うと、書き始めて間もない頃の過剰な不幸設定や、目を背けたくなるような生々しい描写は、あまり好きじゃ無かった。
悲しい言い方になるけれども、主人公足り得るための望まれた設定とすら思ってしまった。
いや、勿論設定に恵まれている人物は物語を展開しやすいから、悪くないとは思うんだけどね。
…読者や作者っていうのはさ、話を進めていくために主人公に必要以上の重荷を担がせたがるんだ。
実は勇者の末裔だったとか、任侠一家の一人息子とか、勉強も運動も容姿も完璧な超人とか、そう言う感じにね」
454
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:35:51 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「今言ったヒッキーのキャラ設定の例を聴いてると、比較的陽気で人生の勝ち組みたいな設定が主人公の特権みたいに聞こえるけども、不幸な生い立ちのキャラクターでも恵まれていると言えるの?
虐待されて育った人が愛に飢えて他人を求めていたり、苛められている人が自分の人生を棒に振って、他人に盲目的な愛を配り続けることも、恵まれていると言えるの?」
(-_-)「それが現実に存在している人物なら、恵まれているなんて口が裂けても言えない。
でもちょっとだけ、羨ましいとも思う。
…恵まれている設定っていうのは、必ずしも他人より優れていることを指すわけではない。
悲壮、哀愁、凄惨溢れる惨い目に遭ったとしても、一般大衆と異なる主人公足り得る理由が付与されていること。
要約すれば、読者に感情移入されやすい設定が、恵まれているって表現したんだ」
455
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:36:59 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「…あの設定は、自分自身のことを客観視して書いてたから、あんまり嬉しくはないんだけども、ヒッキーが言いたいことは分かったよ。
でもそれなら、同じクラブの子達が書いてた小説と大差なかったんじゃないの?」
(-_-)「うん、最初はそう思ってた。だからそんなに好きじゃなかったんだ。
…それでも読んでいた理由は、単純な高校生の絵空事にしては現実味が強すぎたからだよ」
川 ゚ 々゚)「あーうん、まあ、実体験だしね」
(-_-)「君なら勘違いしないだろうけども、僕は別に憐憫の情を覚えたから読み続けていたわけじゃない。
君の事情は僕なんかが下手に介入して解決に導けるほど、浅い内容じゃ無いと分かっていたからね」
456
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:38:28 ID:YyEx8q220
(-_-)「…ただ、くるうが書いてくる小説を読んでいると、その内容が恵まれた設定を披露するだけの安易な物語じゃないことが分かってきた。
読めば読むほど、知れば知るほど深みに嵌っていく感覚があったんだ。
まぁ最初こそは、君の描く陰鬱とした雰囲気に魅せられて、読み耽っていると思っていたけどね」
川 ゚ 々゚)「そんな風に書いたつもりは無かったけどもねー。
自身の体験を赤裸々に綴った物語だから、細かく考察されるのは自分の心情を見透かされてるようで、恥ずかしい感じがするけれども」
川 ゚ 々゚)「…それを言うならヒッキーの小説もさ、先の展開が読めないくらいに暗闇なのに、読み進めるほどに謎が解けていくから、小説に慣れてない私でも読みやすかったし面白かったよ。
決して快い物語じゃないんだけども、淀みが積もっていくような感覚が好きだったし。
そういう意味なら、私も同じ感じで、ヒッキーの物語にハマっていったんだなって思うよ」
457
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:39:42 ID:YyEx8q220
(-_-)「でも、気づいてるだろ? 僕らが似ている理由。
本当に話したい内容は、そんな表面的な事じゃないってことを」
川 ゚ 々゚)「うん、それはお互い様だけどね。
…物語が終わってからの、その先がね………私には、まるっきり見えなかったんだよね。
恵まれた設定の主人公もヒッキーが書く話にはいっぱい登場したけれども、物語が終わると同時に死んでしまったかのように、その後の様子が全然想像できないの。
まるで、存在そのものが否定されてしまったみたいに」
(-_-)「作者から、見放されてしまったみたいにね。
人間という生物は、ハッキリ言ってなかなか死なない。どんなに自分に嫌気が刺しても、自分を取り巻く社会に絶望しても、死なない。死ねないと言った方が正しい。
安直に自殺という選択に逃げる人も中にはいるけれども、彼らは世界は自分を中心に回っていると本気で信じている人達だ」
458
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:40:52 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「自分が死ねば世界は消える。自分が観測しなければ存在していないのと一緒だ、っていう考え方だよね。
自殺志願者の全員が全員、そう思ってるかどうかは知らないけども、世の中に少なからず失望したことがある人なら、その考えは理解できるんじゃないかな」
(-_-)「事実として、僕たちは他人が何を考えているのか正確には分からない。
もしかしたら、この世界は自分の脳が見ている幻想なのかもしれない、或いは自分以外の人間には実は自我が存在しないのかもしれない、って考える人もいるね。
水槽の中の脳だとか、哲学的ゾンビだとか。
実際この命題に真偽はつけられないのだから、机上の空論に過ぎないのだけれども。
彼らは自分が存在しているから世界は存在していると考えている。それだけのことだよ。
…話が脱線したね」
459
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:43:02 ID:YyEx8q220
(-_-)「つまり僕が言いたいことは、実際問題、人っていうのは程度のデカイ失敗をしたところで死ぬことはないし、世界は彼らの些細な問題なんて無関係に進んでいく。
夜になれば太陽は沈むし時間が経てば朝日が出てくる、四季は循環する。
世界は無表情のまま進展していくし、この世界が終焉を迎える事は無い。
終を見ることはない」
川 ゚ 々゚)「自分勝手に自身を終わらせたところで何の意味も無いんだって思えば、人生に変化をつけるようなこと、皆しなくなりそうだね。
一筋縄にはいかないからこそ世界は素晴らしいんだって、誰かが言ってた気がするけれども」
(-_-)「くるうの物語も僕の物語も、たぶん小説としては駄作に分類されてしまうと思うんだよ。
小説で一区切りついただけで、今後も続いていくはずの世界が途切れてしまっているんだからさ。
人気漫画やゲームって、いつまでも話が続くだろ? それを愛している現実の人たちが、キャラクターを自由気ままに操り二次創作を作り出して、いつまでたっても終われないんだ。
作者冥利に尽きるってことなんだろうけれども」
460
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:44:07 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「終わりたい側からすればいい迷惑…なのかな?
…最初は、この先の見えない原因として、私の目の前に澱みが堆く聳え立っていて、それが行く手を阻んでいるんだろうとか思ってたんだよね。
でもね、違うの。よく見ればそこが終着駅だったの。
物語や登場人物の歩んできた道がね、そこでぶっつりと途切れてるの。
立入禁止や通行止めの看板じゃなくて、完全に行き詰まってるの。
こんなんじゃ面白くないし読者に飽きられるって思って、頑張ってキャラの設定を富ませたんだけどね、違うの。
飽きているのは読者ではなく、私であって、ヒッキーであって、作者自身だったの。或いはキャラクター達自身だったの」
461
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:45:52 ID:YyEx8q220
(-_-)「…僕たちが書いているのは、ジャンルで言えば純文学に当たるんだろうね。
純文学の物語には、少なからずの自分が注がれる。
作者の体験談だったり、思考が組み込まれて物語が構想されていく。
だから僕たちが書いている小説には、どうしても自分自身が投影される。
…僕は自分の、これからの未来が一切見えない。
いや、今までもまるっきり先の見えないぶっつりと切れた糸の道を、終われずに生きてきたんだけどね。
くるうの小説を見たときにさ、暗闇で鏡を覗いてしまった時のような、背筋の凍る感覚があったんだ」
川 ゚ 々゚)「お互い様、だよね。私たち、作者に愛想を尽かされちゃったんだよね。
作者というか神様というか、そういう私たちが干渉できない第三者を指してるんだけども。
もう既に私たちは自己を完結させてしまっている気でいるのに、というか、終わっていると思っているのに、世間は私たちを終わらせてくれない。
その潮流に乗って、未だ彷徨っている。暗礁にすら乗り上げず、漂流し続けている。
だからと言って積極的に終了するつもりもないの。
自殺と呼ばれる前向きな感情すらも、持ってないの」
(-_-)「違いない」
462
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:47:02 ID:YyEx8q220
川 々 )「……ごめんなさい」
( _ )「……」
彼がどんな顔をしているのか私には見えない。
部屋は真っ暗で、彼も私と同じ表情をしていればいいな、という思いがあるだけ。
終わったつもりでいるのに、これからの道なんて途切れてしまっているのに、世界は終わることなく廻り続ける。
私や彼らも、見ず知らずの神様に愛想を尽かされているのに、自らの力で終焉を導くことができないんだ。
とても矮小で幼くて、未熟な存在。
463
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:49:07 ID:YyEx8q220
部屋の隅、唯一の出入り口から物音がした。
暗い部屋はよく見れば、高校の図書室だった。
ここが夢で、私たちのいる部屋が図書室であることを忘れていた。
私達は当時の日常を繰り広げていた。
思い出すつもりなんて甚だ無かった過去の幻想に浸っていた。
夢幻に逃避して、眠っていたかった。
視線の先、暗闇に浮かぶ2つの眼球に、白痴の男女が反射して見えた。
そこに映る私の胸は、隣に座る人物とは異なって、ぽっかり大きな空洞が広がっているようだった。
464
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:51:22 ID:YyEx8q220
19.缺ヒッキー
.
465
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:52:17 ID:YyEx8q220
何かが足りないような、何かを求めて生きてきたような、そんな心苦しさに苛まれてきた。
それでも、昔から自分に何が足りないのかが分からなかった。
考えれば考えるほど深みに沈んでしまって、暗澹たる底無し沼に飲まれていく感触があった。
466
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:54:07 ID:YyEx8q220
漠然とした劣等感。
手の届かない程の遠くに見える情景。
林立する複製物の成れの果て。
それが、打ち捨てられた廃墟街。
無知ゆえの知識への渇望。
それが、読むことすら叶わない無限に広がる本の山。
ぼんやりとした不安。
反射されるのは無力な自分。
それが、延命に成功し自己を失くした顔の無い人々。
悪事にも停滞にも染まれない小さな矜持。
鈍く光る憧憬物の明かり。
それが、ぼやけたネオンと堕落した市。
467
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:55:45 ID:YyEx8q220
ここまで打ち込んで、顔を上げる。
暗い部屋、壁一面には、天井まで届きそうなほど高い本棚。
蔵書にジャンルの纏まりは無い。
『哲学・倫理用語辞典』『知覚の呪縛』『入門人体解剖学』『幼年期の終わり』『広辞苑』『脳の彼方へ』
そのどれもが既知の書物だった。
幼少期から現在に至るまでに読み終えてきた書籍群。
読者は嫌いじゃなかったけれども、僕にとって暇つぶし以上の価値は無かった。
だからその莫大な量を前にしても、感慨深さは特に無い。
468
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:56:42 ID:YyEx8q220
事実として、内容を事細かに覚えている本なんて数える程しか置いてなかった。
タイトルを見れば概略を少々思い出せる程度の、希薄な記憶。
きいきいと、天井の梁が風に揺れて軋む。
「予報によると、今季最大の寒波が――」
北風がけたたましく吹き荒び、家全体を揺らす。
僕は大きな窓に面した机の上で、パソコンのワードに文字を打ち込んでいる。
漢字の羅列が何を意味しているのか、僕には分からない。
意味など考慮せずに単語を連ねる。
469
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:57:41 ID:YyEx8q220
机の上には、お気に入りの小説が積み重なり山を成している。
こっちは内容を諳んじられるほど、何度も読み返した物語達。
そのどれもが、僕の根底を形成している。
ここに積み重ねてある小説は、本棚に収まっている本とは異なる。
面白さを味わう段階はとうに過ぎてしまっているが、意識を集中させる時の導入材代わりにはもってこいの書籍だ。
僕は今、自分の為だけに小説を書いている。小説なんて大層な呼び名の物じゃない。
ただのテキストだ。
470
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:58:37 ID:YyEx8q220
僕が書いている文章は、僕の為にしか意味を持たない。
誰の目にも触れないのだから、添削する必要など無い。
ただの自己満足。
本の山から一番好きなシリーズの第2巻を探す。
僅か15冊しか重なっていないのだから、すぐ見つけられると思ったのに、何故か2巻だけ見当たらない。
今、このタイミングでどうしても読みたいのに、何故無いのか。
どうして望んだ時節に、望み通りに事が進まないのか。
471
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 00:59:32 ID:YyEx8q220
仕方が無いので壁際の本棚を探してみる。
目的の書籍は広辞苑の上に鎮座していた。
案外分かりやすい場所に収まっていたので、すぐに見つけることができた。
僕の根底に強く作用した小説なだけあって、やはりその存在感は他と一線を画す。
取ろうとしたらうっかり手が滑ってしまい、本棚の向こう側に落ちてしまった。
まただ、つくづくついてない。
思い通りにならない。
なぜ僕の世界は、こうも順当に物語が進まないのだろう。
思い通りの展開が起きないのだろう。
腹が立つ、苛々する。
472
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:00:23 ID:YyEx8q220
周囲の本を掻き分け、本棚の奥へと腕を伸ばすも、届きそうな気配は無い。
指先すら掠めない暗闇の奥深くに落ちてしまったのだ。
僕は思い切って、体ごと向こうへ押し出してみる。
あと少し、あと数センチ……――。
あ。
.
473
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:01:30 ID:YyEx8q220
体が、落ちてゆく。
本棚の奥へ、落ちてゆく。
それはまるで、誰かの胸の中に吸い込まれていくように。
僕の体は浮遊感に包まれていた。
いずれ地面と衝突する、そう思った僕は両腕で自身の頭を保護するように交差し、両の眼を力強く瞑った。
474
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:02:54 ID:YyEx8q220
※
暫く時が過ぎたような体感があるが、身体が硬いものにぶつかる気配は無かった。
いつの間にか、奇妙な浮遊感も消えていた。
恐る恐る瞼を開くと、僕の両足は罅割れた砂の地面にしっかりと付いていた。
自覚するのとほぼ同時に、身体全体に架かる重力を体感した。
今まで感じていた方向とは真逆に向けて。
地に向けていると思っていた僕の頭部は、厚い雲に覆われた天を指していた。
重力の向きが逆転していた。
475
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:04:18 ID:YyEx8q220
そこはゴミ捨て場だった。
足元には使い古された注射針、薄布のような茶褐色の袋、白濁した液体、赤錆た鉄パイプ。
そのどれもが汚泥と砂に覆われており、気分を害するには十分な要素を兼ね備えている。
周囲はスクラップで構成されたビル群が林立していて、窓のような黒点がポツポツと等間隔に空いている。
ビル群を掻き分けた遥か遠くの世界の果てに、何処までも天高く伸びる土色の壁が聳えていた。
その壁が世界全体を取り囲んでいるのだ。
天を仰いでも、空は分厚い黒色の雲に覆われている。
太陽の明かり一筋ですら漏れていない。
にも関わらず、周囲は彼方まで見通せるほどに大気が澄んでおり、何より明るかった。
476
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:05:22 ID:YyEx8q220
僕は一冊の本を、右腕に抱えていた。
先程本棚の奥に落としてしまった一冊。
腐敗臭が鼻を突く。
肺腑が犯されるようで吐気を催す。
僕は好奇心に心を突き動かされて、ゆっくりとビル群へ向かうことにした。
歩くたびにパキパキと、何かが割れる音が木霊する。
使い捨てられたシリンジの残骸だ。プラスチックは罅割れ、内側はやや風化している。
それら落ちている全ての注射針に、黒色に酸化した血液が付着していた。
477
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:06:37 ID:YyEx8q220
進むにつれ、注射針と剃刀が増えてきた。
表面は不衛生で、薄汚い赤茶の錆が所狭しと付着している。
小汚くて、使い古されたかのような使用感が胸を悪くする。
赤褐色の薄い袋は、内側に何かが詰まっているようだった。
表面は赤色の細かい線が血管のように縦横無尽に枝分かれしていて、蜘蛛の巣状の網目を作り出している。
内側に詰まっている"何か"の正体は、僕には分からない。
袋の破れた箇所からは、白濁した淡黄色の液体が漏れて水溜りを作っている。
所々赤黒い膿の混ざるサラサラとした液体は、海水のような潮臭さを醸している。
その匂いに懐かしさを感じるのは、何故だろうか。
478
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:07:53 ID:YyEx8q220
それに、この奇妙なオブジェクトは、どれもこれもが気分を害するには十全なのに、何故僕は親近感を覚えているのだろうか。
奇抜で残虐で薄汚い、使い捨てられたゴミに人間の痕跡を感じるからだろうか。
それとももっと深い、別の愛着でもあるのだろうか。
既視感と妙な愛着を覚える腐敗した袋を踏まないように避けて進んでゆくと、ビルの前にスーツを着た影が立っていた。
僕と背格好の近い人影は、こちらに向かって左手を差し出している。
まるで僕が手を取るのを待っているかのようで、けれどもそれを強要していない様子から優しさが感じられる。
479
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:09:01 ID:YyEx8q220
正体不明で理解できない存在なのに、僕はその影が誰なのか知っているような気がした。
"彼"は今の僕にとって必要不可欠な人のような気がして、今の僕が大切に守りたいと思っている人のような気がして、他人だと思えなかった。
だから僕は甘んじて、その手に己の身を委ねた。
何も持っていない左手で、彼の差し出された手を掴む。
枯れ枝の如く細いのに、若者のような瑞々しさを感じる掌が心地良い。
その膚から、思わず泣き出したくなるような温かい感情が流れ込んで来る。
懐かしさを思わせる体温。
480
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:09:44 ID:YyEx8q220
( ∀ )
"彼"の顔を見ると、その影は何故か、優しく微笑んでいるような気がした。
481
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:11:07 ID:YyEx8q220
※
僕は影に引っ張られて、建物の奥へと進む。
奥へ伸びる薄暗い進路は先が見えず、何処までも果てなく続いているかのようだ。
いつの間にか、周囲の壁はささくれだった凹凸の激しい様相から、硬質で滑らかな物へと変化していた。
明かり一つ無い通路にて、いつの間にか僕の左手を掴んでいた温かい感触は消えていて、それでも前に進むことを何かに突き動かされているかのように、僕の両足は無意識に前方へ動いていた。
不自然を感ずる思考は、とうに抜け落ちている。
僕の思惑を埋めるのは、身に覚えのない既視感だけ。
482
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:12:03 ID:YyEx8q220
歩を進めるに連れ、独特の黴臭さが鼻腔に通ってくる。
決して不快ではない。
僕にとってはとても馴染み深いそれは、古びた書籍の匂いだった。
左手の空いた指で探っていた壁は、独特な凹凸と柔らかさを備えた本の背表紙へと変化していた。
耳に入るのは驟雨の音。
閑散とした空間に顕れた音響は、徐々に漣のように増強する。
大きくなっては小さくなってを繰り返す、行ったり来たりの音の波。
483
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:13:29 ID:YyEx8q220
眩いばかりの輝きが、辺りを照らす。
唐突な光量に順応した両目が捉えた風景は、莫大な量の書物が収められている図書館だった。
僕は暗闇を抜けていた。
自室とは異なる新たな既視感が目眩を起こさせる。
不快感は無いが、自分以外の全てが回転しているかのような浮遊感を覚える。
空間全体が振動しているのか。
それとも僕が揺れているのか。
上を仰いで見ると無数の階層構造となっており、その段の全てに、所狭しと書籍が押し込められた本棚がある。
背表紙は色彩豊かだったが、俯瞰的には茶を基調としたモザイク状に映る。
窓は無い。
雨音は空間全体を包み込んでいるかのように鳴り響いている。
484
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:14:33 ID:YyEx8q220
発生源はどこだろうか。
不可思議な図書館に躊躇いながらも周囲を観察してみる。
やはり、というべきか。
猫のように真ん丸な、ダークブラウンの瞳。
朗らかさの中に玲里を含んだ表情。
脳裏まで浸透する、空虚な声。
本棚に囲まれた空間に唯一、ポツンと構える木製机には、女性が座っていた。
前方に構えて開かれた書物の上端から、猫を連想させるまん丸な双眸が、こちらを茫然と捉えている。
僕を品定めしているかのような、見覚えのある眼差し。
485
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:15:38 ID:YyEx8q220
鏡に映る自分に猜疑心を抱いたかのような、奇妙な感覚だった。
僕はその瞳に心当たりがある。
現実で毎日、互いを確かめ合うように見つめた日々を覚えている。
彼女の輪郭が徐々に綻んでゆく。
その影が水鏡に変化していくのを、僕はただ眺めていた。
僕は彼女を助けられなかった。
いや、彼女から逃げようとした。
その細い身体から溢れる地獄に、自分自身を見てしまったから。
486
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:17:10 ID:YyEx8q220
図書館が雨水に沈んでゆく。
僕と彼女の全身は水の中にある。
肺が水に満ちているからだろうか、息苦しさは既に無い。
水鏡の彼女が、僕に歩み寄ってくる。
彼女の左手には、僕が右手で持っている本と同じシルエットが浮かんでいた。
先程まで彼女が開いていた、その書物。
彼女の姿が、くるうの水鏡が、僕の目と鼻の先にある。
僕よりずっと背が高いのに、何故か鏡を見ているような気分になる。
彼女の両腕が僕の頭をそっと包み、自らの胸中に抱き寄せる。
ちょうど、あの時と同じように。
487
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:18:37 ID:YyEx8q220
※
彼女の優しさが、怖かった。
彼女の真相から逃亡した僕を、他でもないくるうに責め立てられるのが、何よりも怖かった。
僕は断罪されたかったのに、それと同時に巨大な恐怖心を抱えていた。
相反する二つの感情。
アンビバレンスな鏡面体。
痛みを望んでいるのに、それが自分に直面することを何よりも恐れていた。
情けなかった。
平凡に生きてきて、普通な思考を抱いて、凡庸な思考回路と人間性を抱えた僕が、鏡面として彼女を見つけてしまったことが。
なんて低俗。
なんて下劣。
488
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:20:10 ID:YyEx8q220
僕は彼女と別れた。
互の足りない部分を相手の中に見つけようと、僕たちは毎日身体を重ね毎日会話を重ねた。
そのうちに、気付いてしまった。
相似は合同でないことに気付いてしまった。
いや、僕らはとっくの昔に気付いていたはずだった。
安寧を分かち合うために、見ないふりをし続けていたのだ。
少なくとも僕はそうだった。
僕は彼女に鏡面意識を覚えたが、彼女は似ていると感じただけだと言った。
鏡面だと憎んでしまう、愛せないから、と。
489
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:21:17 ID:YyEx8q220
嘘だと分かっていた。
彼女は何よりも自分を大事にしていた。
あの時の彼女の腕には、無数の切り傷があった。
リストカットかと尋ねたら、そうじゃないと言っていた。
490
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:22:30 ID:YyEx8q220
「こうやって傷を付けるとねー、やっぱりすごく痛いの。
でもね、その強烈な痛みが心を埋めてくれるから、いけない考えをかき消してくれるから、だからこうして傷を付けてるの。
本当は、死にたくなんてないんだよ。
傷付きたくなくて、ただ、逃げていたいだけ」
僕は彼女に、一緒に逃げようとは言えなかった。
彼女は肉体の逃亡を望んでいなかったから。
精神での解放を望んでいたから、現状からの逃避行は無意味だと僕は知っていたから、何も言えなかった。
491
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:22:52 ID:YyEx8q220
くるうは両親に恵まれていると言った。
友達にも恵まれていると言った。
492
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:24:37 ID:YyEx8q220
「お父さんとお母さんはね、互いに深く愛し合っているの。本当の本当に、紛れもないオシドリ夫婦なの。
子供の私から見てもね、それは明らかだったの。
私にも普通にご飯を出してくれるんだけども、目の前で二人は互いに、相手のために用意した厳選された食材と熟考されたレシピを振る舞うの。私が食べてる物よりも美味しそうな物を食べてるの。
互いにあーんってやつをね、毎日飽きもせずやってるの。
私が小学生の頃とかもね、凄かったんだ。
その日は祝日だから家族全員休みだったんだけど、やっぱり休日って学校から宿題が出るでしょ? ちょっと多めに。
両親も勿論それを知ってたからね、私は家で勉強してるように言われたの。結局やらないと困るのは私だからね。
宿題なんて二時間程度ですぐ終っちゃってね、私は一日中暇してたの。遊ぶってどういうことか、知らなかったから。
いつも夕御飯を食べるくらいの時間帯に二人が帰ってきてね、やっぱり満面の笑顔なんだけど、どっか行ってきたの? って聞いたら、
近くの遊園地に二人で行ってデートしてきたって惚気話を聞かせてくれたんだ。
……遊園地って、楽しい場所なんだよね? 今度私たちもさ、一緒に行こうよ。
自分の子供よりも大事なことなんだから、きっとすごい所なんだよね、良い場所なんだよね…
…楽園、なんだよね」
493
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:26:38 ID:YyEx8q220
「C組の猫田君はね、いい人だったよ。
一ヶ月くらい付き合ってたんだけどね、両親が獣医さんらしくて、私が夜眠れない時なんか、よく家から盗み出した麻酔薬とかをくれたんだ。
動物用の注射針でね、慣れない手つきだからやっぱり痛いんだけども、私のためだって言ってくれるから嬉しくてさ、我慢できたの。
一瞬で意識を失っちゃって、気づいたら朝だったの。
でもね、なんかへんな感じがしたの。口の中とか、胸とか、お尻とかに、へんな感じがしたんだけど、薬の副作用でそういう身体所見が出ることもあるんだって教えてくれたの。
一過性のものだから心配無いって言ってくれたんだけどさ…。
…私、そういう日は一日中腹痛に襲われて、大変だったんだよね。
それになんだか、体中に小さい虫が這いずり回ってるみたいな感じがして、すっごいむず痒くて…よく分からない吐き気にも襲われたし、散々だったよ。
ねぇ、こんなこと聞くのは変だと思うけどさ……私、大丈夫…だよね?
両親にも、友達にも……恵まれて、いるんだよね…?」
494
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:28:05 ID:YyEx8q220
僕は、恵まれていると嘘を付いた。
彼女の表情はそう言った瞬間に、ホッとしたかのように明るくなって、それがまた苦しかった。
彼女は決して馬鹿ではない。頭脳明晰な賢人だ。
全ての真相に、気付いているに決まっている。
分かっているからこそ、秘匿しているということも気付いていた。
腕の傷は日増しに刻まれていった。
僕は彼女に嘘が付けなくなり、別れを告げた。
僕は自分の為に彼女を切り離した。
鏡に映る向こう側を、別の物にすり変えた。
保身と利己心ゆえに彼女を見殺しにした。
彼女と別れてから、あからさまに避けるようにした。
逃避し続けた。
自分が放置した現実から、
逃げて、逃げて、逃げ続けた。
495
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:30:19 ID:YyEx8q220
平凡な自己を逸脱して、安易な異常性を装い続けた。
同性愛者を、
虚構を埋めるための過食を、
変身願望ゆえの拒食を、
似合わない道化を演じ続けた。
而木(ニエキ)またんきには、悪いことをした。
罪を償うための贄(ニエ)として、幸福の形と不幸の形をすり替えて、心根の優しい彼を欺き続けた。
利用し尽くした。
名前が良かったという、ただそれだけの理由で。
彼女への償いという形をとって、本当の意味での償いから僕は逃げてきた。
くるうと向き合う事をせずに、虚構へ逃避した。
彼女の事を思考から排除して、「僕は罰せられなければいけない罪人だ」と宣った。
常に主語は「僕」だったのだ。
496
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:31:21 ID:YyEx8q220
逃避行を繰り返す僕を責め立てるように、彼女は僕へ近づいてきた。
同じ大学に進み、同じサークルに所属してきた。
作為的ではないと彼女は発言していたし、過干渉もしてこなかったが、信じられなかった。
僕は、必要最低限の関わり以外の一切を避け続けた。
逃げ続けてきた。
大学二年生の頃に一度だけ、彼女から電話が来た。
僕はそれを、責め立てられるのを恐れて、狸寝入りを決め込んだ。
…朝起きてから電話を折り返したが、
「何でもない」
と彼女は言った。
道が途絶えたと、途絶えていたと、再認識した。
497
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:32:00 ID:YyEx8q220
怖かった。
苦しかった。
裁いて欲しかった。
責めて欲しかった。
糾弾して欲しかった。
…かまって、欲しかった。
でも本当は、そのどれでもなく。
.
498
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:33:18 ID:YyEx8q220
※
金属同士がぶつかりあう時の、小気味良い音が周囲に木霊する。
聞き覚えのある音。ピアスの音。
意識が鮮明としてくる。
目の前に、息遣いの荒い彼女が見える。
499
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:33:50 ID:YyEx8q220
「「好き」」
.
500
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:36:06 ID:YyEx8q220
僕は、本当は、彼女の腕を望んでいた。
僕は、やっと全てに、気付いた。
大学生の彼女の姿が、水鏡の奥から僕を覗いている。
僕も同様に、彼女の姿を眺めている。
優しい笑顔で、包み込むように僕へ抱きついている、彼女。
501
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:36:45 ID:YyEx8q220
僕はただ許されたかった。
本心は彼女に愛されたかった。
ただ、彼女が好きなだけだったのだ。
502
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 01:40:10 ID:YyEx8q220
もし見ている方がいらっしゃるなら、本日はここまでです。
明日でたぶん終わると思います。
503
:
名無しさん
:2020/06/17(水) 01:48:37 ID:NqHd7n1U0
乙。。
504
:
名無しさん
:2020/06/17(水) 05:16:06 ID:v0kxuY/A0
乙です
505
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:55:22 ID:YyEx8q220
なんかタイミングがアレですけども、再開します
506
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:56:39 ID:YyEx8q220
20.厭藤ペニサス
.
507
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:58:01 ID:YyEx8q220
一時の快楽が人をダメにする。
一瞬の気の迷いが、今後の人生を左右する。
そんな文言が世間に流布しているが、私は決して諸手を挙げて賛成しようとは思わない。
寧ろ反対の意見を持っているとも言える。
というよりも、正確には両価感情である。
六人でお泊まり会もとい夢の共有を行ってから、既に一週間経過している。
今日は8月1日の土曜日。特にやることも無く外は暑いため、デミタスと一緒にさっきまで映画鑑賞して時間を潰していた。
日本のホラー映画で、コラムの執筆家とその仲間達が一連の心霊現象を調査していく内に、その根深い縁に巻き込まれていく話。
短編小説を元にしたタイプの作品で、淡々と物語が進んでいく様子と、心霊描写を過度に誇張しない作風が、見ていて心地良い作品だった。
今はそれも見終わって、件の夢について二人で考えていた。
508
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 21:59:16 ID:YyEx8q220
最近頻繋に見る夢のおかげでもあるのだが、やっぱり私はアルコールが嫌いだ。
何度も見るので、夢が覚めれば冷静に考えることもできるようになってきているのだが、あの情景自体は恐怖の対象でしかない。
だから、情景ではなく事物を再評価し直すことで、夢の実態を解明していきたいと思う。
いや、解明といっても、そこまで詳らかにできるとは思わない。
ただ自分の気持ちに、それなりの決着を付けたいだけ。
これ以上、彼が疲弊していく姿は見たくないから。
509
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:00:22 ID:YyEx8q220
話を戻すが、アルコール飲料や煙草、セックスや食餌、睡眠などには共通項があると思う。
非合法のものになるが違法薬物や電子ドラッグ、ある人にとっては殺人なども、当て嵌まる内容だ。
私はそれらに、一時的な快楽が共通して付与されていると考えている。
夢というものにも、ある種の悦楽が付与していると思う。
空想の世界、幻想の中で気儘に行動できる自由。
新たな世界に眈溺することだったり、想像の羽を広げることができるから。
あの夢を思い出してみる。
最後の情景以外なら、別に平気。
血生臭い情景には、慣れてるし。
あの夢に似たような現実の場所を、デミタスに手伝ってもらいながら調べてみた。
読めない漢学や薄汚く複雑に入り組んだ風景。
過去に存在していた九龍城という場所と、台湾の夜市にそっくりだった。
510
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:01:05 ID:YyEx8q220
正式名称は九龍城砦。
詳細な説明はここでは避けるが、一言で言えばスラム街だ。
違法建築に違法建築を重ね、原型が行方不明になった、肥大化した欲望の権化のような地区。
ある一部の人間からは、その混沌とした世界観が崇拝され持て囃され続けており、解体され跡形もなくなった今現在、なおも熱狂的な人気を保ち続けている。
ちょっと前にも九龍をモチーフにしたテレビゲームやゲームセンターなどが日本でも作られていたし、漫画家やイラストレーターの中にも世界感を継承している人々が少なくない数存在している。
要するに、その場所は多くの人々の信仰対象なのだ。
大量の人間の意識が向けられた、無秩序が蟠る地獄めいた聖地。
511
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:02:55 ID:YyEx8q220
写真を彼に見せてもらった時に、夢以外の部分でも既視感があった。
本当に私が幼い頃、生まれて間もない頃だろうと思うが、その時に両親が遊んでいたテレ
ビゲームの世界に酷似していたのだ。
正直言って、全く嬉しくない原風景だった。
ただ、あの夢が人の意識を根底に形付けられているとするなら、九龍が私の夢に出てきたことも頷ける。
この街は、人間の持つ大量の欲望がなだれ込んでいた場所でもあったのだ。
違法薬物や性風俗、ジャンクフードの屋台や酒、煙草などの、一時の快楽に溢れた街だったのだ。
一時の快楽は、自らが現在直面している問題を忘れさせてくれる。
どんなに逼迫した状況だろうと、どれほど大きな困難であろうと、それを上から覆い被せてくれる。
その場しのぎな現実逃避に過ぎない事は重々承知しているのだが、私もよく、これに逃避している。
酒や煙草などでは無いが、デミタスとの身体の交わりがそうだ。
最近は彼がまるっきり求めてこなかったこともあり、私個人は別なことに現を抜かしてたが、本質的な部分では、私達は互いに必要不可欠な関係だということは理解しているつもりだ。
私が夢を見始め、いつ襲いかかってくるか不明な悪夢に苛まれ続けている間、彼は彼なり夢について調査してくれていた。
512
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:03:47 ID:YyEx8q220
それに私を慰めるために、彼は一時の体の交わりとは違う代償行動をしてくれた。
自らの疲弊や疲労を蔑ろにしてまで、私と会話してくれた。
単純にそれが嬉しかった。
自分が大切にされていることを、改めて感じることができたから。
彼の元来の性格は、無口なわけではない。
寧ろ毎日気さくに話しかけてくれるし、話していて楽しい。
純粋に優しい彼の性格が、私は好きだった。
だからこそ、私は悪夢についての愚痴や苦心や悩みも全部気兼ねなく彼に相談できたのだ。
彼がそれを聞いて何を感じるかも考えずに、ただ己の苦しみを吐き散らしてしまったのだ。
513
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:04:34 ID:YyEx8q220
彼の変貌は私の責任だ。
時期もタイミングも、私が夢を見始めた時と一致する。
私が彼に、話し始めた時期と一致する。
私が悪夢に苛まれるようになってから、彼の身体は大きく変化したが、毎日の仕草や私への態度は以前と変わらない。
彼の見せるぎこちない笑顔も、溌刺とした挨拶も、料理への声かけも、まるっきり変わらない。
変わらずに接してくれる彼の態度が、より一層苦しかった。
514
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:05:16 ID:YyEx8q220
一週間前、ヒッキーさん達が泊まりに来た日。
私たちは約一ヶ月ぶりに身体を重ねた。
彼が私を求めてきたのか、私が我慢できずに彼を求めたのかは分からない。
ただ、彼に強く抱きしめられただけだ。
あの学校の夢は、三人で合流して間もなく覚めた。
起きてからヒッキーさんに話を訊いてみると、やはり彼らの高校だったらしい。
二人は同じ図書館で気が付いたかと思うと、あっという間に夢から覚めていたと言う。
トソンさんはどうやら保健室らしき教室で目が覚めたらしい。
ベッドで独り逡巡している内に夢から覚めたと話していた。
515
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:06:51 ID:YyEx8q220
彼女だけは唯一、夢の中で誰とも出会わなかった。
(゚、゚トソン「色々と考え事をしていたら、いつの間にか現実の天井に戻っていました」
そう話す彼女の口調は、平生と特に変わった様子は無かった。
声の調子が平坦すぎて、逆に違和感を覚えるくらいだった。
あの日、余りにもすんなりと夢が共有できてしまったので、安易に同床で寝るべきではないとヒッキーさんが述べ、それ以降は個人でそれぞれ調査しているところだった。
それと、くるうさんがデミタスにしっかり眠るように念を押していた。
その時彼女が何か耳打ちしていたが、その内容を私は知らない。
ただ、それ以降彼は私となるべく一緒にいてくれるようになったし、性生活も元通りになった。
体型も比較的、以前に近いものになってきた。
それに、何よりも大きな変化は、彼も同じ夢を見るようになったことだろう。
あれから毎夜飽きもせずに繁華街の夢を見るが、隣には必ず彼が出てくるようになった。
とても大きな進歩だと思う。
彼が近くに感じられることが、素直に嬉しかった。
存在感は希薄だが、確かな彼を夢でも感じられることが、非常に心強かった。
夢も、最後の情景になる前に覚めることができるようになった。
516
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:07:41 ID:YyEx8q220
彼は今、台所で昼食を作ってくれている。
二人共料理はそれなりにできるので、日にちごとに交代制で作っている。
(´・_ゝ・`)「おまたせ〜」
エプロン姿の彼が皿を二つ持って来て、テレビの前にある卓袱台に置く。
食器類は既に私が用意して置いてある。
昼食は、カレーライスとワカメの味噌汁。
和洋折衷とはよく言ったものだが、私はこのメニューがたまらないくらいに好きだ。
特に彼が作る料理は絶品で、正直言って私は、食べ合わせなんてあまり気にしていない。
517
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:09:31 ID:YyEx8q220
('、`*川「……」
(´・_ゝ・`)「うん? どうかしたの?」
('、`*川「…ううん、何でもないよ。
いつもどおりで美味しそうだなって、思ってただけ」
(´・_ゝ・`)「そ、そうかい? いやぁ、嬉しいなぁ。
ペニサスが褒めてくれることなんて、あんまりないから」
('、`*川「……」
(´・_ゝ・`)「…さ! 冷めないうちに食べちゃおうよ。……ゆっくり話、聞くからさ」
('、`*川「え?」
(´・_ゝ・`)「顔を見れば、それくらい分かるよ。具体的な内容までは、流石にエスパーじゃないから分からないけどもね。
もう何年の付き合いだと思ってるのさ」
('、`*川「……ウフフッ、何年だっけ?」
(´・_ゝ・`)「物心着いた時からだから、14年くらいだと思うけども⋯」
('、`*川「そういうちょっぴり細かい性格は、相変わらずだよね」
(´・_ゝ・`)「三つ子の魂百まで、だからね。ってか、僕のことはいいよ!
それよりも、どうしたの?
なんか、思い詰めた顔してるけども……話くらいなら、いくらでも聞くから、さ」
('、`*川「……うん、ありがと」
(´・_ゝ・`)「話したくないなら、無理しないでよ。傷をほじくるみたいに無理やり聞き出そうとしてるんじゃ、ないんだからさ」
('、`*川「夢のことよ」
518
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:10:28 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「あぁ……」
('、`*川「大丈夫よ。最後の情景さえ細かく想像しなければ、別にあんな夢、怖くもなんともないんだから」
(´・_ゝ・`)「……」
('、`*川「それに、いい加減このへんちくりんな出来事にも、決着つけたいのよ。
だから、ね。私なりの解釈というか、考えというか……そういうよく分からない部分を、デミタスと話しながら探っていきたいなって、思っててね」
(´・_ゝ・`)「うん」
('、`*川「あっ」
(´・_ゝ・`)「うん?」
('、`*川「そういえば気になってたんだけど、一週間前のあの日、くるうさんに何か耳打ちされてたよね。何を言われたの?」
(´・_ゝ・`)「ああ、そのことね。えーっとね……」
519
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:12:03 ID:YyEx8q220
('、`*川「何よ、言いづらいことなの?」
(´・_ゝ・`)「い、いや! 全然そんなことないよ! …ただ、そんな心配しないで欲しかっただけさ。
ええとね………夜はゆっくり休むように、って言われただけだよ」
(´・_ゝ・`)(本当は、夜ぐっすり眠ることで、彼女と同じ夢が見られるって言われたんだけども)
('、`*川「…ああ、そういうことね。……なんていうか、ごめん」
(´・_ゝ・`)「ペニサスのせいじゃないよ、断じて違う。この夢が全ての元凶なんだ、誰が悪いわけじゃない。
だから、気にしないで。僕だってこのとおり、元気になったんだからさ!」
('、`*川「そう、ね。一週間前までに比べれば、だいぶ顔色も良いし、今度彼女にお礼をしないとね。
…じゃあ、今度こそ、話を戻すね」
(´・_ゝ・`)「うん」
520
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:13:07 ID:YyEx8q220
('、`*川「夢って、人の深層心理を表現してるって言われてるらしいの。だから、このへンな夢は私の心情を表してるのかもしれないって思ったの。…デミタスも見たと思うけどもね。
だからその情景一つ一つの意味を解析できたら、なにか解決というか、糸口が見つけれるかもって、考えてたの」
(´・_ゝ・`)「…あの夢は、本当にペニサスの深層心理が見せてるものなのかな?
グロテスクな情景とか、殺伐とした人々が、心の深くにある感情なんて…なんか、悲しいというか」
('、`*川「私だって、自分の心があんなふうに汚れきったものだなんて、思いたくないのよ。
だからこそ、比喩表現の世界観だとしても、自己の夢に落とし前を付けて、納得した上でゆっくり眠りたいのよ。
それに……」
(´・_ゝ・`)「?」
('、`*川「……まぁ、あとで話すわ」
521
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:14:10 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「…わかった。じゃあまずは、どこから分析していく?
僕がこんなこと言うのは変かも知れないけども…あの夢、それっぽい意味を持ってそうな情景って、限られていると思うんだよね」
('、`*川「そうねぇ…。
最後のは怖いから置いといて、時系列順に見ていこうかしら」
(´・_ゝ・`)「まずは、豚の屠殺場、かな」
('、`*川「確か飯店裏らしきところで、豚の内臓が分別されていた場所よね。
その奥で、お腹の部分を縦に切り開かれた豚が吊されてて、……眼から蛆虫が湧いてたんだっけ?」
(´・_ゝ・`)「そう、思い出すと気味が悪くて……正直言って、食事中に言うような情景じゃないんだけどさ……あの光景を見てる時、どんなことを思った?」
522
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:15:20 ID:YyEx8q220
【動物の内臓のような見た目の、赤黒色や乳白色や黄土色の肉塊が半透明のビニール袋に分別されている。
それぞれの前面には、元は白かった厚紙に象形文字のような複雑な漢字で単語が記載されている。
雨水で掠れ所々判読不能なその文字は水の滲みに従い赤褐色のインクを糞便のように垂れ流している。
その奥の調理台の近くには、正中線に沿って切り開かれた体長ニメートル程の豚が腹腔を空にした状態で天井に設置された錆び塗れの鈎に吊るされている。
保存状態が悪いのか、頭部のくり抜かれた眼窩から白黄色の蛆が無数に蠢いているのが見えた。
その光景を見て食欲を無くした私は飯店裏を後にして前方へ進み続ける。】
523
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:16:05 ID:YyEx8q220
('、`*川「うーん…なんていうか、確かに思い出す限りじゃ気持ち悪い場面なんだけども、その時胸に浮かんだ感情は『食欲を無くした』くらいかな」
(´・_ゝ・`)「…ペニサスも、やっぱりそれしか感じなかったんだね。なんていうか、僕だけじゃなくて少し安心したよ」
('、`*川「デミタスも同じことを思ったの?」
(´・_ゝ・`)「…うん。ただ食欲が失せただけ。最初は自分がおかしいんだって、夢が覚めてから思ったけども……夢を見るたびに、あの場所だとそれしか感じていない自分に気づいたんだ」
('、`*川「夢の中だと、感性も共有してるっていうの?」
(´・_ゝ・`)「僕はそうだと思う。僕自身は、血生臭い光景とか、グロイ情景とかには……慣れてないし。
ただ、感性の共有って言っても、その基盤にあるのは僕の感情じゃなくて、ペニサスのものだ
と思うよ」
524
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:17:32 ID:YyEx8q220
('、`*川「…やっぱり、私の感情が、あの夢の根底にある……?」
(´・_ゝ・`)「夢は見る個人の深層心理を表しているって、さっき言ってたよね。
人の感情を形作っているのは、結局のところ個人が現在まで生きてきた記憶が元になってると思うんだ。
その人がどこで、どんな人と出会って、どんな感情を抱いてきたか、とかね」
('、`*川「つまり夢が比喩している情景は、私が持っている記憶が鍵になってるって言いたいの?」
(´・_ゝ・`)「そう。勘違いして欲しくないから重ね重ね言うけども、ペニサスに責任があるわけじゃない。
……実はあのお泊まり会の後、またんき君の解釈を訊いてみたんだ。あの夢が、どういうものなんだろうかってことを、彼なりの解釈でいいから教えてほしいって」
('、`*川「う、ん」
(´・_ゝ・`)「彼日く、『この夢は、人が仕舞いこんだ秘密を白日の下に晒す』」
('、`*川「秘密?」
(´・_ゝ・`)「そう、秘密。彼自身は、隠している記憶に心当たりが無いらしんだけどもね。僕らと合流して色々と考えている時に、なんか閃いたらしいよ。
自身の記憶を遡って思い出そうとした時に、妙な感じがしたんだってさ。
…根拠に乏しいから、あんまり本気にして欲しくないらしいけども、そんな予感じみた胸騒ぎがしたんだってさ」
('、`*川「自分の記憶ってこと…だよね? 夢を作り出している原因らしきものは。
……私の過去に、何かがあったってこと?
秘匿して、ひた隠しにしてまで忌避した……あんな夢を見せる要因が?」
525
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:18:54 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「詳しくは分かんないけどもね。ただ、事実僕たちは、彼らよりも一ヶ月近く悪夢に苛まれ続けてきた。そしてその期間中、ずっとそれに頭を悩ましてきた。
色々な解釈や可能性を考えて、解決策を模索してきた。
その結果、行き詰まってたところに彼らが現れたんだ。
そんな彼らが、僕たちが思い浮かばなかった新たな解釈を齋してくれた」
('、`*川「負け惜しみじゃないけど、記憶とか感情とか意識とかは、思いついてものね。
……そんな、自身が思い出せない記憶なんて、気付きようが無かったもの」
(´・_ゝ・`)「僕自身も頭を悩ませただけで、一緒の夢を見れるようになったのは、つい最近のことだったしね……」
('、`*川「謝らないでよね。デミタスに謝られたら、こっちこそ申し訳なくなっちゃうんだから。
これ以上私に、辛い思いをして欲しくないんでしょ?
そう思うなら、ごめんって言わないで、私と一緒に話して。ね?」
526
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:20:17 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「うん……う、ん。話そ…っか。
ええと、とりあえず、夢のエピソードに戻ろっか……どこまで話したっけ」
('、`*川「屠殺場かな? でもこのシーン、大した感情篭ってないから、そんな重要じゃない気がするの」
(´・_ゝ・`)「…多分だけども、ペニサスが重要だと感じた部分が大事な情報源なんだと思う。
さっきも言ったとおり、根底に有るのはペニサスの意識なんだから」
('、`*川「…やっぱり最重要なのは、最後の部分だとは思うんだけども……。
他に重要だと思うのは、『青緑色の扉』、『煙草を吸う下着姿の女性』、『双子の老婆』、辺りかなぁ」
(´・_ゝ・`)「じゃあまずは、『青縁色の扉』から、考えていこうか。
ペニサスは何か、思い当たることとか、あったりする?」
527
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:20:42 ID:YyEx8q220
【小奇麗な鉄製の、青緑色をした扉が左前方の壁に付いている。
取っ手も鍵穴も蝶番も無い奇妙なドアだったが、私の力では押してもビクともしない。
所々安っぽいペンキの塗料が経年劣化で剥がれ落ちており、赤橙色と暗褐色の錆び付いた下地が剥き出しになっている。
近づいてみると思った以上に大きくて、私の背の倍くらいの高さがある。
上方に格子状の小窓が付いているが、残念ながら下から伺っても黒い天井しか見えなかった。中に明かりは点ってないらしい。
…全然似てない。
あのドアには、似ても似つかない。
なのに、なんで懐かしいの…?
…青緑の扉を後にする。】
528
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:21:42 ID:YyEx8q220
('、`*川「……ううん、覚えてない」
(´・_ゝ・`)「えっと………何も?」
('、`*川「うん」
(´・_ゝ・`)「本当に?」
('、`*川「本当に」
(´・_ゝ・`)「あぁ…………そっか。
『煙草を吸う下着姿の女性』は?」
529
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:22:14 ID:YyEx8q220
【住宅地の一部、バルコニーのように外側に(私がいる空間側に)突き出た部分の落下防止用の柵に背中を預け、鬱々とタバコを吸っている痩身の女性が目に映る。
彼女は下着しか身につけていない。特に意味も無く彼女の浮き出た肋骨を眺めていたら、目が合ってしまった。
私は冷や水を浴びせられたように硬直してしまったが、彼女はただバツが悪そうに笑っただけだった。
渇ききった、寂しい嗤いだった。
とても馴染みのある骨格。
話したこと無いのに、親近感を覚える彼女。
奇妙な既視感を頭の隅に押しやり、前に進む。】
530
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:22:37 ID:YyEx8q220
('、`*川「その人も…見たこと、ない」
(´・_ゝ・`)「……『双子の老婆』も?」
531
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:23:18 ID:YyEx8q220
【轟々と騒音を響かせる室外機。その上には蜘蛛の巣状に大きく罅割れた、煤で灰色に濁ったガラス窓が設置されている。
近くの窓から擦れ違いざまに室内を覗き見ると、双子の老婆が黄色い正方形のプラスチックテーブルでテレビを見ながら、向かい合うように食事をしていた。
どこからどう見ても一人用の大きさしかないのに、まるで一心同体とでも言いたいのかのように身体を寄せ合う二人が何故か微笑ましかった。】
532
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:24:34 ID:YyEx8q220
('、`*川「………分から、ない、よ…」
(´・_ゝ・`)「……」
('、`*川「……ねぇ、どうしてそんなに寂しそうな顔をするの?
どうしてそんなに⋯悲しそうなの?
分からないよ、私には、何も。
どうしてそんなにデミタスが、遠い目をしてるかなんて……」
(´・_ゝ・`)「ペニサス……」
彼の表情も素振りも話し方も、何一つ変化は無い。
眉毛の角度もカレーを食べるペースも声色でさえも、いつも全く変わらない。
なのに、彼が纏っている空気は、彼が今まで見せたどの雰囲気よりも淋しそうだった。
533
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:25:28 ID:YyEx8q220
ポンッと、頭に軽く温かい体温を感じた。
どこかで感じたことのあるような、高揚感を伴った、フワフワする感情。
優しくて大きな掌が、私の頭に乗せられる。
デミタスの、元通りになった腕。
筋骨隆々とした、大きな男性の腕。
なぜか、無性に、懐かしい感触。
彼の腕は無闇に髪の毛を乱そうとする動きではなく、優しく包み込むように私の頭を撫でる。
まるで、あの人のような…あいつにそっくりな、硬い腕。
534
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:26:38 ID:YyEx8q220
――あの人。
――あいつ。
――デミタス。
不意に、彼らの姿が重なる。
私を覆う影と、その存在感が、あいつと重なる。
どうして?
どうして、なの?
誰かも分からない重なった眼光が、私を不安げに見下ろす。
535
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:27:18 ID:YyEx8q220
「―? ――ゆ―、? ――、だ―ょ――――ぶ?」
声が間延びして聞こえてくる。
遥か遠くから響いてくるように、延々とした木霊。
まぶたに映る情景が、白く塗りつぶされていく。
536
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:28:11 ID:YyEx8q220
ああ、ここはとても温かい。
安心する温度。
なのになんで、こんなに心細いの?
お父さん……?
誰?
最後に見えたその情景は、奇しくも夢で見た、あの筋骨隆々とした太い腕。
537
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:29:36 ID:YyEx8q220
21.仆盛デミタス
.
538
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:30:40 ID:YyEx8q220
僕とペニサスは幼馴染だ。しかも血縁関係のある従姉妹同士。
その上家は近所で、幼い頃から家族ぐるみの付き合いがある。
僕の父の弟が、ペニサスのお父さん。
体格に恵まれていて筋肉質、弟であるペニサスの父は少し気弱な性格。
そんな弟を良い意味でサポートしていたのが、兄である僕の父だ。
家族の話は、今は置いておこう。
この話は、彼女に話してこそ意味があると思うから。
539
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:31:10 ID:YyEx8q220
彼女の記憶が閉ざされていることは。
あのことをきっかけで、彼女が閉ざしていることは。
薄々気づいていた。
またんき君の助言で、確信に変わった。
『こんなことになるなら、もっと前に話すべきだった』
にゃあ。
うん、うん。
分かってる。
540
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:32:00 ID:YyEx8q220
勿論後悔している。
だが秘密を打ち明けることが、何かの解決になるとは思わなかった。
実際、彼女は過去に蓋をして記憶を曇らせることで、現在まで笑顔で生きてこれた。
偽りにも装いにも見えない、純真な笑顔を浮かべてこれた。
幼いままの自己を享受してこれた。
たぶん、ツケが回ってきたんだろう。
きっかけが何だったのか、何故この時期だったのか、僕には到底分からない。
巡り合わされた人々が何故彼らだったのかも、僕には理解できない。
541
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:32:54 ID:YyEx8q220
表面的には、彼女の支援を続けてきた。
僕の全てが、虚構と偽善であるわけじゃない。
彼女を愛する気持ちに嘘偽りは無いし、他人に尽くす自分に酔いしれていたい、なんて感情が基盤にあるわけではない。
ただ、僕は彼女に呪いをかけてしまったのだろう。
今の彼女を全面的に是認することで、変わらずに逃避行を繰り返すことの手助けをしてきたのだろう。
僕は嘘に敏感だ。
相手が吐く言葉と感情の齟齬が、手に取るように分かる。
自身の境涯を鑑みれば、理由は自明なんだけども。
にゃあ。
へぇ。
542
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:34:18 ID:YyEx8q220
一説に、非常に優秀なサイコパスとエンパスは客観的には全く同じ言動をすると言われている。
この場合でのサイコパスは、『他人の気持ちが全く分からない人』の意。
対立するエンパスは、『他人の気持ちが完全に理解できる人』の意。
エンパスを持つ人については、超能力者のようだと捉えてもらって構わない。
僕はこのどちらかに近いんだと思う。
可能なことなら、人の気持ちが分かることで悩んでいたほうが、心が楽だ。
もしかすると、そう感じること自体がエンパスの証明になるかもしれない。
人の気持ちが分からないってことは、つまりは自分自身の感情すら理解でないことになるのだから。
僕は自分が、どちらに近いか分からない。
必死に表層を塗り固めて出来上がった形骸が、人間らしい振る舞いを演じているのかもしれないし、対義的に心の底から他人の気持ちが理解できるが故に、自己が破綻して壊れてしまっているのかも知れない。
結論を出せないで、僕はいつもここで躓く。
自我に結論を下せなかったところで、困惑しないのだから全くの無問題なんだけども。
にゃあ。
ふーん、そうなんだ。
543
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:35:09 ID:YyEx8q220
こういう些細な躓きが、今の現状を生んでいることに、やっと気付けた。
僕自身が自己も他人も一緒くたにまとめあげて是認し続けたせいで、ペニサスは身悶えているのだから。
厳密には、この清濁併せ呑む性格で、苦悶に悶えることになると予想はできていた。
それが誰で、いつ起こるのかが分からなかった。
僕の観測し得ない所で勃発するかもしれないし、目の前で巻き起こるかもしれない。
対象がペニサスで、いつが今だったという話だ。
本当に、最悪なタイミングだ。
心の底から自分を呪う。
544
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:35:55 ID:YyEx8q220
ただ、自己を苛む罪業は、今は後回しだ。
何よりも誰よりも優先して思考し解決すべき差異に、見舞われたのだから。
僕が犯した罪は、過去の隠匿。
正確には、それに気が付かないふりをし続け、彼女を是認したこと。
その呪詛が、彼女に夢を見させた。
悪夢が彼女の心を蝕み、引き裂いた。
過去の想起に限界を迎えた彼女の意識が事切れた。
変わる事のない過去を嘘で覆い、悪夢の表層へ逃げた。
545
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:37:37 ID:YyEx8q220
(-_-)「彼女は今、夢を見ている。
自らの本性が自己防衛本能として作り上げた夢。
恐らく彼女は、このままでは自然に目覚めることはないだろう」
彼はそう告げる。
今日は8月4日火曜日。彼女が昏睡状態に陥ってから3日経っている。
病院に行かなかったのは、僕の些細な反抗心ゆえだ。
約一か月前、悪夢を見始めてから彼女は徐々に衰弱していった。
夢に悩まされる原因として、ストレスや心的疲労など、様々な外的因子、内的因子が作用して引き起こされている可能性が高いと診断された。
その時に処方されたいくつかの錠剤は、まるっきり解決に結びつかなかった。
いや、幾つかの睡眠薬や精神安定剤は、一助にはなっただろうと思う。
言語的な助言やアドバイスも回復には必要な要素だが、確かな知識と経験を持った医師から処方される薬剤というものは、精神的安定と共に原因に直接作用する効果を持っているからだ。
ただ、それは一般例に於いての話。
この夢の事件と同様に、薬剤や不安の傾聴だけでは彼女は回復しなかった。
それどころか、処方薬の副作用にばかり悩まされていた。
医師という仮面に対して、僕は以前以上に信用できなくなったのだ。
誰が悪いわけではないのが余計辛い。
誰しもが善意で行動しているが故に、僕は誰も責められず拒絶も出来ずに、右往左往するしか無かった。
546
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:38:33 ID:YyEx8q220
だからこの現状も、ある意味では予定調和だったのではないかと思う。
分かりきっていた結末。
僕は約一週間前に一緒の夢を見た彼らを頼った。
友達が少ないわけではなく、同じ夢に煩悶し行動を共にした彼らくらいにしか、こんな数奇な問題を相談できなかったのだ。
彼らは彼ら個々人の解釈を持っていた。
夢を共有する理由、傷付いているのは何か、何故鮮烈な夢を見てしまうのか。
明確な言葉としての形質を得ている人は少ない。
僕らが共有している解釈は、銘々の思考が夢の形質を象っているということ。
今まで共有してきた夢が、誰かの性質を反映したものだということ。
547
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:39:47 ID:YyEx8q220
どの夢が誰の持ち物なのかは、然程重要ではない。
悩みの根に指針を示せれば、その夢が誰のものであったとしても、瓦解し自然消滅してゆくはずだからだ。
川 ゚ 々゚)「二人はさー、そういえば幼馴染なんだっけ?」
(´・_ゝ・`)「そうです。近所に住んでいて、従姉妹で、家族絡みで昔から仲が良かったんです」
ベッドで臥せっているペニサスを見る。
3日も寝たきりでいることもあり、僅かな期間にも関わらず頬は痩せこけている。
元々痩身で幼い体躯には、もはや皮と骨と、少しばかりの脂肪しか残っていない。
排泄も食事も自力では行えなくなり、排泄に関してはオムツを着用、栄養に関してはくるうさんが点滴を用意してくれた。
548
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:40:58 ID:YyEx8q220
彼女が看護学生でも医学生でも無いのに、慣れた手つきで翼状針を腕に刺入したときは驚いたが、今はその不自然な技術が、感謝してもしきれないほどにありがたかった。
くるうさんにもあまり明るみに出せない苦悩が数多にあるのだろうが、申し訳ないが今の僕には、ペニサスの事情だけで手一杯だった。
川 ゚ 々゚)「……そっか…」
彼女はそれだけ言うと、静かに黙り込んでしまった。
一体何を察したのか分からなかったが、彼女なりの気遣いの印なのだろう。
しかし事態は一刻を争うので、ただ歯痒いばかりだった。
549
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:43:30 ID:YyEx8q220
(゚、゚トソン「…フモリ先輩は、イトウ先輩が夢を見る原因が過去にあると思ったんですよね?
それは、どうしてですか?」
くるうさんに変わって、トソンさんが言葉を紡ぐ。
僕は少し躊躇ってから、口を開く。
(´・_ゝ・`)「…数日間、ペニサスと同じ夢を見たんだ。
その中で、毎回登場する上に、妙な既視感のある人が何人か登場してね。
昔どこかで見たことがある人だなぁなんて、その時は思ってたんだけど…。
気になってアルバムを整理してたら、その中に、彼女らにとても似ている人たちを見つけたんだ」
(゚、゚トソン「アルバムといいますと…フモリ先輩のものですよね?
イトウ先輩のではなく、フモリ先輩のアルバムから、その人々が見つかったのですか?」
(´・_ゝ・`)「うん。たぶんペニサスのアルバムがあれば、確実に出てくる人たちだったんだけどね。
従兄弟家族や祖父母を含んだ大人数の集台写真と、僕達仆盛家と隣家の厭藤家との、それぞれの写真から」
(゚、゚トソン「……」
(´・_ゝ・`)「…下着姿で煙草を吸っていた女性はペニサスの母に、双子の老婆はペニサスの母方の母…つまりは祖母に瓜二つだったんだ。
…と言っても、正直夢の中だったから、彼女らが本人かどうかの確証は持てないんだけどもね。
ペニサスの母は夢の中だと、写真よりかなり若かったし、祖母に関しては、そもそも双子じゃ無かったからね」
(゚、゚トソン「そうだったんですか……」
(・∀ ・)「…やっぱ、その辺が妙に引っかかるっスね…」
550
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:44:37 ID:YyEx8q220
トソンさんが顎に手を当てて考え込んでいると、今まで口を挟まず、似合わない難儀な表情を浮かべていたまたんき君が会話に混ざってきた。
僕が評価を下すのも変だと思うが、彼は余り物事を深く考え込む性質では無い。
どちらかというと刹那主義的な性格で、大概の決定権を持ち前の直感と好奇心に委ねている節がある。
享楽的で、ある意味楽観的。
原因や理由を深く追求したところで、納得に足り得る理解が齋されるとは思っていないタイプの性格。
だからこそ、彼の考え方は真理を穿つように捉える部分があるのだが、逡巡している姿が何よりも不釣り合いに映った。
551
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:45:42 ID:YyEx8q220
(・∀ ・)「夢だからやっぱ、現実との齟語は、そりゃ沢山あるんだろうけども。
な〜んていうのかな……その三人って、比喩表現っぽい感じがするんですよね。
イトウ先輩の深層心理を人の形で象っているような、そんな感じっていうか…なんか、変なんですよね…」
(´・_ゝ・`)「……たぶん、またんき君の指摘は正しいと思うよ。
僕もペニサスも、本当に小さい頃しか彼女らと接することが出来なかったんだから、ね……」
(-_-)「それはどういう意味?」
(´・_ゝ・`)「言葉の通りです。ペニサスの母は彼女が幼い頃、精神病院に入院して以来会っていません。
祖母はかなり遠方に住んでいたので、そもそもあまり顔を合わせる機会が無かったんです。
それに既に故人ですし…彼女の母親も、父が亡くなってからまるっきり音沙汰無いのですから、おそらくもうこの世にはいないでしょう。
例え生きていたとしても、ペニサスに会わせることはできないと思います」
552
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:46:25 ID:YyEx8q220
(-_-)「そうか……申し訳ない」
(´・_ゝ・`)「いえ、お気になさらず」
ヒッキーさんはあの日以来、妙にスッキリとした表情になっている。
彼の本心が何処にあるのか一層読めなくなったが、何とか生きているらしい。
約一週間前のあの日、起きたばかりの彼の表情は、極めて複雑だった。
無表情なのに、彼の目の奥から、あらゆる戸惑いの色が流れ出していた。
本人のアイデンティティである仄暗い瞳に、今まで無かったどどめ色が宿っていた。
553
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:47:05 ID:YyEx8q220
率直に、誰にも言えない僕一人の意見なのだが、彼は今日ここに来ないと思っていた。
亡くなっているかとさえ思っていた。
あの日、夢の中で何があったのか、僕たちは知らない。
トソンさんは起きた直後、かなり思いつめた表情を浮かべていた。
ヒッキーさんからは、今までとは異なる雰囲気が漂っていた。
何かがあったのだろう。僕たちが容易に察せられないような、何かが。
554
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:48:07 ID:YyEx8q220
川 ゚ 々゚)「デミタスくん、ペニちゃんが目覚めなくなってから、ちゃんと眠れてないよね?
隈、凄いよ」
不意にくるうさんが話しかける。
彼女の声色は僕を心配してくれている様子だったが、他にも若千含みのある言い方だった。
…何となく、言いたいことは分かる。
(´・_ゝ・`)「…ペニサスが心配で眠れないんです。
僕じゃ役不足なのは分かってるんですけど…起きた時に、彼女には安心して欲しいんです。
大丈夫だよって、もう怖くないからねって…根拠なんてなくても、そう言いたいんです。
例えそれが、独りよがりなエゴであったとしても」
にゃあ。
にゃあ。
555
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:49:46 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「…………、いえ、僕の自分勝手な事情です。
ただ、元気な彼女を抱きしめたいんです。
…起き上がった彼女に、抱きしめてもらいたいんです。
こんなことを訊いているのではないことくらい分かっていますが…懺悔として、誰かに本音を言いたかったんです。すいません。
…夢は、見ていません」
川 ゚ 々゚)「…彼女を救えるのは、君だけだよ。具体的にも、抽象的にも、君以外はいないと思う。
真実を告げるのが恐ろしいことは、私も経験がある。
だからって、君たちの気持ちが分かるだなんて身勝手な発言、微塵も言うつもりは無いけどもね。
…ペニちゃんが過去を見ないふりして生きてきたことを、そしてその事実を彼女に告げることを、デミタス君は何よりも恐れているんでしょう?
それで彼女が、破綻してしまうかもしれないことに」
556
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:50:53 ID:YyEx8q220
真実を射ている彼女の言葉が胸に刺さる。
苦しい。痛い。
違う、違う。
目の前に困っている人がいる時と同じように、彼女を常識に則って助けるんだ。
にゃあ。
にゃあ。
(´・_ゝ・`)「………きっと、誰かに、誰でもいいから、指摘して欲しかったんだと思います」
僕は絶対に心を晒さないから。
例えペニサスであっても、全て直隠しに生きてきたから。
557
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:52:21 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「夢の中でなら、彼女と直接コンタクトを取れることは気づいていました。
それを実行できずにいたことも、認めます」
全て押し殺して、取り繕って形作った僕が、他人にとっての"仆盛デミタス"だから。
狡賢く過去を排して生きてきた僕がペニサスに事実を告げるなんて、詭弁でしかないから。
川 ゚ 々゚)「…どこまでが君で、どこからが君なのか、他人の私たちには判断できない。
たぶんペニちゃんも、恐らくは君ですら、明確な区切りを見つけることは叶わないんだろうけども。
非礼を、不躾を承知で言うのなら……眠るべきだよ。
夢で、しっかりと、その気持ちと決別するべきだと、私は思うよ。
他人の勝手な意見だから、君に殴られても、罵声を浴びせられても、たどえ殺されたとしても文句は言えない。
でもね、私は例えそれが偽善であったとしても、デミタス君からペニちゃんにだけは、本当のことを伝えて欲しいんだよね。
……決めるのは、デミタス君だよ」
558
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:53:55 ID:YyEx8q220
分かっている。
間違っているのは自分だと、理解はできている。
最良の選択が、ただの防衝機制に過ぎないのだとしても、一時の責任逃れに過ぎないのだとしても。
にゃあ。
僕は彼女に会いたいんだ。
自由になりたい。
彼女のように、猫のように、自由になりたい。
だから、僕は――
559
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:54:49 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「………寝ます。朝になったら、起こしてください」
僕は、眠ることにした。
自由になるために。
彼女のようになるために。
猫になるために。
彼女に真実を、本当の過去を告げると決めた。
560
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 22:57:49 ID:YyEx8q220
22.厭藤ペニサス
.
561
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:00:42 ID:YyEx8q220
薄汚れた大きな窓から見えるのは、ネオンに光る雑踏街。
窓下彼方に黒色の傘を構えた人々が、雨に隠れて犇めきあっている。
忙しなく歩く人々の間を縫って、色とりどりの自動車が複数台、道路を走り行く。
ここは場末のバー。
薄暗い店内に反比例する明るい黄色のテーブルで、浅いカクテルグラスに注がれた青緑色に発光している液体を眺めている。
アブサント。
アルコール度数70度、フランスのお酒。
似合わない背広を拵えた、影靄のバーテンダーが運んできた。
男性の平均身長よりやや高め、骨と皮ばかりの窶れた肢体は、最近会ったある男性を連想させる。
その人に似てるけども、全く別な人。
曇天の空から赤錆色の雨が窓に打ち付ける。
いつからここにいるのか、いつまでここにいるのか、私には分からない。
思考が呆然と濁っている。
そぐわない陽気なBGMが店内を奇妙に彩る。
遊園地で流れていた元気な曲。
みんな笑顔、楽しそうな団欒、張り付いた微笑のマスコット。
562
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:01:25 ID:YyEx8q220
バーテンダーは人ではない。
ただの人影。
店内の人間は、私とデミタスだけ。
目の前の席を見ると、柔和な笑みを浮かべた精悍な出で立ちの男性が座っていた。
猫のように柔らかい、朗らかな表情。
異様なまでの巨体と希薄な存在感。
力んでいる様子は皆無だが、逞しい筋肉が服の上からでも分かるほどに隆起している。
仆盛デミタス。
幼馴染の彼。番の彼。
563
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:02:15 ID:YyEx8q220
彼の前には、ビールジョッキに零れんばかりの真っ赤な液体。
鼻を刺すアルコール臭の代わりに、懐かしさを感じる鉄の香り。
その匂いに、私は自然と食欲を失う。
あの時と同じように、豚の死体を見た時と同じように。
(´・_ゝ・`)「久しぶり、だね」
彼が口を開く。
私達は、双子の老婆と同じ位置関係で話す。
('、`*川「そう? ついさっきぶりじゃない。
あなたの作る料理、美味しかったわよ」
(´・_ゝ・`)「ペニサスの作るご飯も、優しい味がして好きだよ」
564
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:03:15 ID:YyEx8q220
('、`*川「なんか…久しぶりな感じ、やっぱりするかも」
(´・_ゝ・`)「たった今、ついさっきぶりって言ってたのに」
('、`*川「顔を合わせたのは、ついさっきぶりよ。
本当に話したのは、久しぶりな感じなの」
(´・_ゝ・`)「ああ、確かにそうかもね。
いつ以来だろ」
('、`*川「小学校の低学年とか、かな。
昔のこと、あんまり覚えてないのよね」
(´・_ゝ・`)「……」
('、`*川「よく一緒に遊んだよね。砂場でおままごとしたり、給本を読んだり、鬼ごっこやかけっこだって、してたよね」
(´・_ゝ・`)「僕はガタイばかり良かったから、かくれんぼだといっつも最初に見つかっちゃってたけどね」
565
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:04:11 ID:YyEx8q220
('、`*川「あら、鬼ごっこやかけっこなら、負けたことなんてなかったじゃない」
(´・_ゝ・`)「そうだっけ?」
('、`*川「そうよ、負け無しだったわ。
いつの間にか、外を走り回って遊ぶことも、少なくなっちゃったけどもね。
デミタスは運動神経なら、誰にも負けないわ」
(´・_ゝ・`)「運動神経は良くなかったよ。サッカーとか、バスケとか、野球とか、そういうスポーツは、てんでからっきしだったもん。
体格に恵まれてただけだよ、父譲りでね」
('、`*川「デミタスのお父さんって、そんなに筋肉質な人だったっけ?」
(´・_ゝ・`)「ボディビルダー並みにムキムキだったよ、忘れた?」
('、`*川「忘れてたわ。言われた今でも、あまりピンとこないもの」
566
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:05:29 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「保育園の先生でさ、ペニサスが不意に寂しそうな顔した時とか、持ち前のおっきい手で、よく頭を撫でてたよ。
良い子、良い子って、我が子にするみたいに。
それこそ、息子の僕以上にね」
('、`*川「フフフッ」
(´・_ゝ・`)「なにさ」
('、`*川「デミタスがあからさまに妬いてるの、初めて見たかも」
(´・_ゝ・`)「…嫉妬の一つや二つくらい、するさ。
それに、僕は他のどんな人たちよりも、ペニサスのことが羨ましかったからね」
('、`*川「あら、そうなの? なんか照れるわね」
567
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:06:26 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「羨ましかったさ、誰よりも。
心の底から笑えて、色んな人に好かれて、それなのに自分の芯を曲げない。
素直で、誰にでも優しくて、笑顔が素敵で、羨ましかったよ。
そんな自由な君のことが、好きだったんだから」
('、`*川「……」
(´・_ゝ・`)「…何か言ってよ。
赤裸々に好きだって言うの、結構恥ずかしいんだからさ」
('、`*川「私、も」
(´・_ゝ・`)「うん? よく聞こえないなぁ」
('、`*川「私も、デミタスのこと、ほんっとうに好き。
あなたの照らすような笑顔で、優しい言葉で、何回救われたか分からない。
いつもいつも、変に思うくらいに優しくて、温かくて、懐のおっきいあなたが、誰よりも、何よりも、好き」
568
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:07:44 ID:YyEx8q220
ああ、恥ずかしい。
私たち付き合ってるのに、互が好きだって分かってる安心感のせいで、ちゃんとに好きだってあんまり言ってこなかったから。
ううん、安心してるからじゃない。
改めて確かめることが怖かったから、言えなかっただけ。
それに言葉にすると、なんだか嘘っぽい気がするから。
(´・_ゝ・`)「⋯⋯」
('、`*川「そんなあなたにいっつも憧れてて…デミタスみたいな純粋な優しさを、私も欲しかった。
デミタスみたいに、なりたかった」
人って本当に不便。
私は頭が悪いから、あなたの全部を愛してるってことを、薄い言葉でしか伝えられない。
ロづけや体を重ねることでしか愛情を表現できないのがもどかしい。
569
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:08:46 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「僕は、ペニサスみたいになりたかった。自由になりたかった」
('、`*川「…うん」
(´・_ゝ・`)「僕はこれから、ペニサスの前では自由になろうと思う。今度こそ本当に、昔みたいに自由になろうと決めたんだ。
ペニサスは、どうしたい?」
幾つかの虚像が脳裏に浮かぶ。
それは、煙草を吸う痩せこけた女だったり。
それは、一つの物が二つに分離したかのような老婆だったり。
それは、内臓が抜け落ちた赤い肉塊だったり。
それは、筋骨隆々とした巨体を持つ儚げに笑う青年だったり。
570
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:11:33 ID:YyEx8q220
('、`*川「私、は――」
(´・_ゝ・`)「でも決める前に、必要なことがある。
僕はそのために、ここへ来た」
('、`*川「?」
(´・_ゝ・`)「僕は選択から逃げてきた。真実を直視せずに、虚言に隠れて生きてきた。
だから現実逃避を選んで生きてきたペニサスに、この選択肢を与えることを避けてきた。
僕が選べなかった道を、ペニサスに差し出すことを忌避してきた。
選択肢を与えることは、即ち僕自信の否定に繋がるから」
('、`*川「デミタスの言葉は、難しくてよくわかんない。
でも、あなたは私に…何か大切なことを、隠してきたってことなの?」
(´・_ゝ・`)「そう、隠してきた。ペニサスが楽しそうにしているからと自分を欺いて、本当はペニサスの笑顔を見続けていたい自分のエゴから、僕は逃げてきた。
それはペニサスも同様で、己の身に起きた災禍から逃れる事で、現在の自我を守ってきた。
君は、自分たちの身に起きた過去を塗りつぶすことで、今日まで平穏に生活してきた。
幼い君にとっての理不尽な現実は、余りにも負担が大きすぎたから」
('、`*川「私たちの過去?」
(´・_ゝ・`)「ペニサスの覚えている過去を、教えて」
('、`*川「え?」
(´・_ゝ・`)「ペニサスが蓋をした、覚えている限りの過去を教えて欲しい。
幾つか質問するから、それに正直に答えて欲しい」
571
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:13:43 ID:YyEx8q220
彼は、私に何をするつもりなんだろう。
私が隠している過去。
幼い頃の理不尽な現実。
私は自分の過去に蓋をして、頭の片隅に真実を押し込めることで、自我を保ってきたって言いたいの?
(´・_ゝ・`)「僕とペニサスとの関係は?」
('、`*川「ええと、幼馴染でカップル。
それと従姉妹、くらいかな」
(´・_ゝ・`)「両親について、教えて」
('、`*川「母は入院中。詳しいことは、あんまり知らない。
父の事は……ほとんど覚えてない。
ねぇ、これって何の意味があるの? 私が、自分の過去を忘れて生きてきたって言いたいの?」
(´・_ゝ・`)「ああ、ペニサスは、ある重要なことを隠している。無意識下に押し込んでいるから、自覚は無いだろうけどもね。
今まではそれも憶測の域を出なかったけども、昼食の時の会話で確信に変わった。
…そうだね。僕は今、自分のためにペニサスに惨い真実を告げようとしている。
この悪夢の解決には、夢の持ち主が真実を知った上で、今後の自らの道を示す必要があると考えている。
だから僕はそのために、ペニサスが忌避している記憶を、思い出させなければいけないと思って質問している。
最終的な決定権はペニサスにある。
忘れ去らねば生きていけなかったほどのトラウマを思い出すか、思い出さずに不安定な過去の上に成り立つ平和を謳歌するか。
思い出す手段に関しても、できればペニサス自信に決めて欲しいと、僕は思ってる」
572
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:14:31 ID:YyEx8q220
やっぱり、彼の本音は難しい。
理解に時間がかかる。
ただ難しい言葉がたくさんあるからじゃなくて、意図を理解するのが難しいんだ。
それでも、彼が押し込めていた心情を告白してまで、自身の今までの忍耐を捨て去ってまで話しているのだから、私は理解しなければいけない。
彼の本音を受け止めたい。
私が秘匿した過去の記憶。
それが何なのか。
当然のことだが、私にはそれが分からない。
知るためには、彼に頼るほかない。
でも……真実を知ることが、私にとって最良の選択なのだろうか。
573
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:15:44 ID:YyEx8q220
彼に対する責任感は勿論ある。
多分彼は、責務で私が真実を訊きたいと望む状況を避けたいだろうけども。
彼は私の決定に異を唱える事は無いだろう。
優しい彼は、誰かに自分の意思を一方的に押し付けたりしない。
それくらいは、本音をひた隠しにしている彼の性格から、既に知っている。
大きなトラウマ。
幼い私が受けた理不尽な現実。
私が、幼いままで生きていたかった理由。
知ったとしても、選択は最後に待っているだろう。
今の私が全てを思い出して、その上で再び真実を虚構に埋めて生きていくことも、恐らくできるだろう。
今までそうして、生きてきたのだから。
574
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:17:00 ID:YyEx8q220
……。
…怖い。
私は今、とても恐れている。
アブサントの甘い匂いが、私の鮮明になりつつある意識を再び濁らせるように周囲に漂う。
幻覚作用と依存性のあるリキュール。
この匂いは、あいつの持ち物。
茫然とする脳で窓の外を見る。
あいつがいる。
筋骨降々とした成人男性の腕。
鬱々とした様子で煙草を吸う痩身の女。
筋張っていて逞しい両腕を持った、肋骨の浮き出た細い体の怪物。
向かいのベランダから、バツの悪そうな笑みを浮かべた下着姿の女性。
腕の持ち主。
恐ろしい。
怖い。
くるな、くるな。
575
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:17:51 ID:YyEx8q220
逃げるように、私はカクテルグラスを一気に呷る。
外の女が口角を下げ、悲壮な視線をこちらに向ける。
喉が焼ける感触。
胃に落ちてゆく、強烈な熱を帯びた液体。
意識が、たわむ。
私は、大人になんてなりたくない。
何も認めず、何も変わらず、幼いままで生きていたい。
あいつの腕が伸びてくる。
やめて、来ないで!
こちらにゆっくりと伸びてくる。
576
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:18:35 ID:YyEx8q220
ゆっくりと、ゆっくりと。
こちらの様子を伺うように、近づいてくる。
こないで!
助けて!
目を思い切り瞑って、耳を必死に両手で塞いで、奥歯を目一杯噛み締める。
強いアルコール臭が、鼻腔を貫いて脳髄を揺らす。
太く大きな腕が、私の頭を掴んでいた。
掴んでいると、思った。
大きな掌。
夢を見る前の日常で、私を強く抱きしめてくれていた大きな腕。
いつも場所を問わず、私が求めたらどんな場所でも現れてくれた、落ち着く感触。
仆盛デミタスの腕。
577
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:19:33 ID:YyEx8q220
筋骨隆々とした、逞しくて暖かい腕。
恐怖の対象だった腕の持ち主は、彼だった。
彼の腕が、私の頭を優しく包んでいた。
怖くて、でも安心して、そんな相反する気持ちが私の中で、十把一絡げに混ざってゆく。
どどめ色に掻き混ぜられて、葛藤を抱えた色。
窓の外を、勇気を振り紋って見やる。
逞しい腕のやせ細った女は、相変わらず向かいのベランダに佇んでいた。
でもその姿は、やっぱりどこか寂しそうで。
とても、申し訳なさそうな笑顔を浮かべていて。
さっきまでの恐怖心は疎らになっていた。
578
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:21:04 ID:YyEx8q220
彼の腕が、私の頭をゆっくりと撫でている。
黄色い机から、少しだけ身を乗り出して、いつもの素振りと慣れた手つきで撫でてくれている。
彼の手は、私の頭をすっぽりと掴めるくらいに大きい。
少し力を入れれば、私の頭はスイカみたいに砕けてしまうと思う。
でも、そんな恐れは微塵も感じなくて、泣き出してしまいそうなほどの儚い優しさが、直接手から伝わってくる。
儚くて希薄で、実像をしっかりと捉えないと消えてしまいそうなほどの、切ない存在感。
579
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:21:42 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「落ち、ついた?」
彼の声。
独特なイントネーション。
余裕が無くて、緊張や過度のストレスに晒され続けた時に曝け出す、心情の吐露。
彼から分けてもらった強かさのおかげで、少しだけ相手の様子を伺える余裕が生まれた。
彼がここまで狼狽えることは、滅多にない。
…私も、頑張らないと。
せめて今だけでも、前に進まないと。
大好きな彼と一緒にいたい。
いつもみたいに、もどかしくて一時的で不確実だけども、満たされていた日常に戻りたい。
( 、 *川「あり、がとう。いつも、いつも…」
580
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:22:41 ID:YyEx8q220
奥歯を噛んで、涙が溢れないように必死に堪える。
彼の本当の優しさに負けないように。
私は彼の腕を両手で摩る。
大きいから全部を包めなくて、蔦みたいに絡みつく格好になってしまうけども。
この方がきっと、安心できるだろうから。
('、`*川「私、本当のことを知りたい。
最初から全部、濁りの無い視点で過去を見たい」
彼の腕に若千の緊張が走る。
固唾を飲んで、答えに窮している様子が如実に伝わってくる。
その機微さえも愛おしくて、切ない。
こんこんと溢れる彼の感情が、私の空洞を埋めてゆく。
581
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:23:47 ID:YyEx8q220
お父さんと、目の前の良人が重なる。
彼を、いつもみたいに、抱きしめたい。
(´・_ゝ・`)「無枠なのはわかってるけど、その…本当に、いいの?」
('、`*川「お願い」
(´・_ゝ・`)「…分かった。
何が起きるか分からないから、しっかりと掴まっててね」
彼が立ち上がる。
私も同様に席を立つ。
行儀が悪いって怒られそうだけど、私達は隣り合わせで黄色いテーブルに腰掛けた。
バーテンダーの黒い影は、相変わらず無表情でこちらに顔を向けている。
影に表情なんて無いけども、何となく、困ってそうな雰囲気。
本音を言うと、まだ怖い。
これから先に待ち構えている真実を、目の当たりにすることが恐ろしい。
だってそれは、幼い頃の私が自分の心を騙してまで隠してきた内容だから。
無かった事にして、深く深く心の奥底に仕舞い込めて、徹底的に無視し続けてきた出来事だから。
そうしなければ生きてこれなかったほどに、重い真実なのだから。
582
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:24:38 ID:YyEx8q220
段々と思考が鮮明になってきている。
先ほどのアルコール臭も、呆然と夢の中を彷徨っているような浮遊感も、ぼやけた像も見当たらない。
薄暗くて湿度の高いバーの店内。
臂部に当たる冷たくて硬質な触覚。
飲食店に不釣合いな、和気藹々としたBGM。
そして隣には、希薄な存在感の仆盛デミタスがいる。
デミタスの存在感が、ここがただの夢で無いことを証明している。
以前にも増して、密度の上がった筋肉が非現実過ぎて、思わず吹ぎ出したくなる。
着ている白いシャツがパツパツに張っていて、見ていてちょっと面白い。
本当に、ボディビルダーみたいな体型。
583
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:25:34 ID:YyEx8q220
その存在感のおかげで、現実的で不気味な夢の世界を、楽観的に見ることができている。
現実で、散々毎日私を抱きしめてきた、彼の腕。
やっぱり希薄な雰囲気なんだけども、この一ヶ月間が嘘みたいに健康的になってる。
ただ表情だけは少し不健康で、目の下には深い隈ができていた。
私の脳は既に平常稼働しており、ここが例の夢の中であること、目の前の彼が夢の共有によりここに来たことを理解する。
最後に見た景色が、テーブルからこぼれ落ちていく味噌汁と、それを歯牙にもかけないで私を支える、彼の必死な表情であったことも。
584
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:26:31 ID:YyEx8q220
私が悪夢の世界にいること、デミタスの深い隈、そして彼がここにいることを考えると、心が締め付けられる。
でも。
でも…
その申し訳なさを凌駕するほどの恐怖心が、目の前に聳えている。
不随意に指が震え、奥歯がガチガチと音を鳴らすのが分かる。
ああ、本当に私は情けない。弱虫だ。
585
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:28:14 ID:YyEx8q220
一緒にテーブルに腰掛けながら、手をつないでいる。
彼の温度が伝わる。
筋肉の熱量から反比例して、冷たく安心する体温。
心の温かい人が、意思に反して行える特技だと思う。
怖くたって恐ろしくたって震えが止まらなくたって、隣にはデミタスがいる。
いつでも、どんな時でも、私を守り続けてくれた彼が居る。
あなたは"自分のために"なんて言ったけども、私はそうは思わないよ。
自分の健康も感情も蔑ろにしてまで私を支えてくれているあなたは、誰よりも私のことを想ってくれてるって、知ってるよ。
あなたの言葉に、あなたの振る舞いに、あなたの愛情に、何度救われてきたのか、私には分からない。
私のために、一体どれほどの犠牲を払い続けてきたのか、分からない。
私のことなんて捨ててくれればよかったのに。
自分のことすら十分に賄えず、浅い考えで迷惑を掛け続けてきた私のことなんて、嫌いになってくれれば良かったのに。
面倒臭いやつだって、愛が重いって、根本的に嫌いだって、そう言ってくれれば、どんなに楽だったことか。
私はあなたのことが、何よりも誰よりも大事だった。
表面的な言葉に見えるけども、大好きだった。
四六時中いつでも一緒にいたかった。あなたを独占したかった。
586
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:29:06 ID:YyEx8q220
あなたが私のいないところに行ってしまうことが、厭だった。
あなたが他人と話しているのを見るのが、厭だった。
それであなたが傷ついて、苦しみに喘いでいる雰囲気が、厭だった。
その怨嗟をお首にも出さずに、独りで苦しみ抜いている姿を見るのも、厭だった。
.
587
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:30:16 ID:YyEx8q220
見えなければ、聞こえなければ、認識しなければ、存在しないのと一緒だ。
私が彼から離れれば、意識できなくなれば、いなくなれば。
彼の苦しみを、私が認知できなくなればいい。
彼が私を嫌って何処かへ行ってしまう現実を、知らなければいい。
彼の嗚咽や哀哭を、私が聴けなければいい。
そうすれば、苦しむ彼を見て苦しむ必要は無くなる。
彼が自己を偽り続ける必要も無くなる。
誰も苦しまない。誰も痛くない。
否。
私は苦しまない。彼も苦しまない。
588
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:31:20 ID:YyEx8q220
たぶん私は、この夢を求めていたのだろう。
現実から逃避していると認識できないほどの現実感を伴った、夢の世界を。
真実を直視しないでも許される、喜怒哀楽を捨て去ることができる世界。
彼が、傷付かない現実を。
私はここを本心では甘受していた。
自我のある人間が存在しないここを。
私が現実に愛想を尽かしてしまえば、デミタスは本心から動けるようになるかもしれない。
私に対しての愛情という責務から、解かれるかもしれない。
多種多様な問題から、少しでも楽になれるかもしれない。
私を……嫌いに、なってくれるかもしれない。
589
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:32:20 ID:YyEx8q220
私はデミタスが好き。デミタスも私が好き。
でも彼は何かに苦しんでいる。彼はそれを表在させない。
笑顔の裏の傷の正体を誰にも見せない。
だから彼が本当は泣き咽いでいるのか喜びに満ちているのか、悲しみに押し潰されそうになっているのか、分からない。
感情の正体が誰にも分からない。
思考の根底が誰も理解できない。
自我を十把一絡げに縛り付け、本音を声の裏に深く忍ばせているのは分かる。
自らの自由を、徹底的に奪っていることは分かる。
だから私は、猫になることにした。
彼にとっての猫。
猫のように自由になって、彼を一時でも解き放てれば良いと思ったから。
彼が苦しむ姿を、見たくなかったから。
590
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:33:29 ID:YyEx8q220
彼と身体を重ねる時。
朝昼夕問わずに交わる時。
私は彼に猫のようなしなやかさで巻きついて、嬌声を耳元で呟いて、指をふやけるくらい舐め回した。
"にゃあ"と鳴いた。
鳴いて、鳴いて、彼の情欲を昂ぶらせてきた。
それが性欲故か、羨望故かは私には判断できない。
ただ、鳴いてからのデミタスは、獣のように私を求めてくる。常に、必ず。
彼は今、私の前で変わりつつある。
夢の中だからこそなのかもしれないが、今まで私に言わなかった本音を告げてくれる。
表面的な他愛もない会話であっても、どこか心が篭っているかのように感じた。
彼の変化が、皮肉にも私の逃亡先であらわになったのだ。
591
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:34:27 ID:YyEx8q220
何が彼を今のようにしたのか、私には分からない。
本音を直隠し、常に正常であること、常識的行動を心掛けること、倫理に則り行動すること。
デミタスの言動は、常に模倣的だったのだ。
その彼が、私の前で本音を曝け出してくれている。
それだけでも十分な理由になる。
デミタスは相変わらず、私の腕を優しく握ってくれている。
ひんやりとした優しい冷たさ。
じっとりと重苦しい空気の漂う店内には、ちょうどいい緩衝材。
どれくらいそうしていたのかは定かではない。
二人でテーブルに座ってから、決して短くない時間が経っていると思う。
592
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:35:19 ID:YyEx8q220
('、`*川「待っててくれて、ありがとうね。
…やっぱり、デミタスは鋭いね。私が決断したって言った時点で、まだ戸惑ってるのが分かってたんでしょ?
だからこうして、一人で考える時間をくれた」
(´・_ゝ・`)「……お酒を一気飲みした後だったから、ボーッとしてるんじゃないかと思っただけだよ」
('、`*川「私たち、やっぱり似てると思うわ」
(´・_ゝ・`)「くさいセリフだけど、愛し合ってるんだから、そりゃ少なからず似てる部分は多いんじゃないかな」
('、`*川「…まぁ、そうよね。でも、根本的な部分というか、思考の一部っていうのかな。
そういうところのことよ」
(´・_ゝ・`)「というと?」
593
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:37:36 ID:YyEx8q220
('、`*川「自分のために相手を望むところ」
(´・_ゝ・`)「言葉が少なくて、よく分からないよ」
('、`*川「なんていうか、利己心みたいな感情よ。
自分のために相手の笑顔を見たい、自分の心の安定のために相手からの愛情が欲しい。
そういう気持ちのことよ」
(´・_ゝ・`)「あぁ、そういう意味ね」
('、`*川「デミタスも私も、当たり前だけど、相手のことが好きだった。単純に愛していた。
だから相手のためにとことん気を遣って、大事にして、支えあってきた。
でもそうやって、自己の本心に薄い虚構を貼り付けることに慣れてしまって、相手のために自分が出来ることを考え尽くしてしまったの。
それで本心が迷子になってるの。
"好き"って感情が根っこにあるんだけど、二人で一緒にいると、どうしても食い違う部分が出てくるでしょう?
その些細な食い違いにすら、本心の言葉とは若干ニュアンスの異なる"不自然じゃない言葉"を言ってしまっている。
本心からズレていく表面に耐えられなくなって、私たちは自己を内省するようになった。
その結果、デミタスの答えとしての行動が、自身は正常であるという観念。
私のは現実逃避。
私が悪夢を見始めてから変化してゆくあなたを見て、離れることがあなたのためになると考えてしまった。
だから私は、ここで夢を見続けている。
悪夢を見続けることが、あなたのためになると思っていたから、ここにいた」
594
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:38:47 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「…なんか、凄いね。茶化すつもりはないんだけども、会話でそんなに長い論を展開出来るのって」
('、`*川「あら、さっきまであなたがしてたことと一諸じゃないの。
深層心理の渦中にいるんだから、ありのままの感情を口から出せるのよ」
(´・_ゝ・`)「……夢の中だと、心に浮かんだ言葉でさえも、筒抜けになるんだね。
ペニサスに隠すような疾しい感情、無いけども…これはこれで、少し恥ずかしいなぁ」
('、`*川「心の声なんて聞こえないよ。
デミタスのなりふりを見ていたら、"正常"って言葉が、一番的を射ていただけよ。
……でもね、これだけは言わせて欲しいの。
私は今、前に進みたいの。本心から変わりたいと思ってるの。
…デミタスと一緒に生きて行きたいと、心から思ってるの」
(´・_ゝ・`)「……」
595
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:40:23 ID:YyEx8q220
('、`*川「デミタスが私に本音で話すことを厭わなくなった様に、私も自分の利己心を認めたいの。
……私は自分勝手に相手のためになることを考えて、あなたの前から姿を消すことを選んでしまった。
一時凌ぎで解決に繋がらない、自分のためだけの逃避行を選んでいた。
でも、あなたは私の為を想い、己に課した"正常"の呪いと決別した。
それが自分の利己心故であることを認めて、自分の気持ちに決着を付けた。
だからこそ、ここに来ることができた。
私も、できることならもう逃げたくない。
この先にある真実を見定めて、それで決めたいの。
手伝って……くれる?」
(´・_ゝ・`)「僕なんかで良ければ、喜んで」
私の目を見て、彼は正真正銘の本音を短く言い放つ。
似合わない隈を浮かべた精悍な青年の表情。
私にとっては、幼い頃から見続けてきて、憧れ続けてきた円な瞳。
596
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:41:11 ID:YyEx8q220
巨漢で膂力滾る彼の掌が、私の双眸に蓋をする。
優しくゆっくりと、まるで死人にするかのように、静かに瞼を下ろしてゆく。
(´・_ゝ・`)「目をゆっくり瞑って、僕がいいって言うまで閉じててね。
……僕の手を、しっかりと握って、離さないで」
その言葉は、私に向けているのと同時に、彼自身にも向けられているかのように間こえた。
僕を離さないで、と。
いつまでも握り締めていて欲しいと、希求している声。
愛おしい響きだった。
597
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:42:07 ID:YyEx8q220
周囲が何かに包まれていくように、空気が変遷する。
先程までの生暖かい湿気が拭い去られ、どこからか涼しい風が吹いてきている。
微風が当たる感覚がくすぐったい。
改めて、彼の掌を力強く握り締める。
やっぱり、変化というものはどうしても不安だ。
私はまだ、大人になりきれていない。
それどころか、年相応の成熟さですら持ち合わせてない。
何事にも不安がいっぱいで、苦しさに塗れていて、沢山嘘を付いて生きてきた。
彼の支えがあるにも関わらず、不安定なままだ。
598
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:42:45 ID:YyEx8q220
足元が解れていく感覚。
先程までは爪先がバーの床に小突く硬い感触が伝わってきていたが、それが徐々に無くなっていた。
彼の言葉通りなら、この先には私が隠した過去の記憶が待ち構えているのだろう。
見ないふりをし続けてきた、本当の思い出を教えてくれるのだろう。
この夢の根源を形作っている、私の深層心理。
599
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:43:51 ID:YyEx8q220
恐怖の具現化とも言える、あの筋骨隆々とした腕に窶れた女の身体を持つ化物の正体。
双子の老婆はどうして双子なのか。
誰かに…私に似ているような気がするのは、何故か。
どうして私が幼い頃使っていた黄色いテーブルに座っているのか。
青緑色の扉は、どこかで見たことがあるかもしれない。
それがどこであるのか、私には皆目見当もつかない。
600
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:44:34 ID:YyEx8q220
あの豚の死体は、結局何なんだろう。
私の夢の中で、一番わけが分からない存在。
食欲を失うこと以外の感情を抱けない、腐った死体。
たぶんあれが、根底に一番近いような気がする。
無意識に、考えないようにしていたから。
私は過去を見に行く。
今度こそ、過去の自分と決着を付けるために。
601
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:45:52 ID:YyEx8q220
23.厭藤ペニサス
.
602
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:50:06 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「もう目を開けても大丈夫」
体感時間で三分程度目を瞑っていたら、彼が唐突に声を掛けた。
促されて瞼を上げると、そこは穏やかな波の打ち付ける波止場だった。
一面に広がるのは水色の海。
空には立派な入道雲が漂っている。
周辺の海面は浅いらしく、白い砂の色が透き通って見渡せる。
その色彩に負けじと存在感を放っているのが、深い深い碧色の空。
今にも落ちてきそうなほどの、深い青。
打ち付ける波飛沫と海岸特有の潮風が心地良い。
いつの間にか、私とデミタスは服を着替えていた。
丈が短くて、生地の薄い白色のワンピース。
下着は付けているが、薄いリネン製のため透けて見えてしまう。
隣のデミタスは、白の半袖Tシャツにグレーの短パン。
かなり大きめな作りなのに、やっぱり筋肉で張っているのが可笑しくて、自然と口角が上がる。
周囲を見渡すと、あらゆるところに猫が居る。
603
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:51:08 ID:YyEx8q220
疎らに散らばっているものの、どこを見ても必ず視界に入るように猫が歩いている光景が、非現実さを呼び起こす。
体に当たる風の流れも、天から燦燦と降り注ぐ熱線も、銘々で撫で心地の違う猫の毛並みも、全てが現実的で、やっぱりここも例の夢の中なのだと確信する。
(´・_ゝ・`)「ここは僕の夢。
自由を謳歌する猫が闊歩する、開放感溢れる南国の島」
デミタスは淡々とした口調で語りかける。
私に、自分自身に、真実を刻み込むように言葉を紡ぐ。
604
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:52:07 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「僕の深層心理が生み出した世界。だから自由に溢れているんだろうね。
僕の心を、望みを写している鏡だから。
今の僕が出来上がった原因には、過去のある出来事が関わっている。
ペニサスも深く関わっていることだよ。
そして、その当事者で現在話せる状態にある人間が、ペニサスを除けば僕しかいない。
いや、ペニサスはその過去を封じ込めてきたんだから、多分僕以外に語れる人間はいないんだろう」
私の足元に一匹の猫が擦り寄ってくる。
灰色のトラ。
柔らかい毛並みが手のひらに優しくて、撫でても逃げる素振りを見せないことから、人懐っこい性格を感じさせる。
足が短いのか歩幅が小さく、とてとてと歩く姿が微笑ましい。
素肌の足に猫の温度が伝わってきて、正直言うと、ちょっと暑苦しい。
605
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:53:18 ID:YyEx8q220
('、`*川「今のデミタスになる原因に、私も関わっているのね」
(´・_ゝ・`)「関わっているというよりも、根本そのものになっていると言ったほうが正しい。
傷付けるつもりは無いし、そのことにペニサスが責任を感じる必要は無いよ。
僕が勝手にペニサスにとっての最良を考えて、誰に相談するでもなく独りで決めた結論だったんだから。
ペニサスは理由に過ぎない。安心して欲しい」
彼が私の手を取る。
静脈と筋肉の筋が浮き出ている、武骨で大きな腕。
その堅牢な見た目に反して、手の平からひんやりと伝わってくる、熱の無い体温。
606
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:54:41 ID:YyEx8q220
私たちの前を、一匹の猫が歩く。
先導するようにしてゆっくりと腹を揺らし、脂肪がたっぷり乗った身体を引きずるように。
短い黄色の毛並みの、巨大な猫又。
デミタスの腕と同じくらい太ましいが、猫の方は主成分が警肉だ。
昔読んだ漫画の主人公で、こんな猫がいたような気がする。
ふてぶてしい糸目と短い足。
だが意外にも、歩行速度は俊敏だった。
その猫が、私たちを島の中へ案内してくれる。
607
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:56:34 ID:YyEx8q220
(´・_ゝ・`)「最初から、ゆっくりと見ていこう。
時系列順に、ね」
デミタスが、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声で囁く。
彼と猫又に導かれるまま、足を動かしてゆく。
('、`*川「…ここ、素敵な場所ね。
肌を焼くような太陽光も感じないし、潮風は穏やかで涼しいし、可愛らしい猫がたくさんいる。
ここも、私の九龍と同じように、現実に存在する場所なの?」
(´・_ゝ・`)「たぶん、あると思うよ。
ここまで南国の世界なのかは分からないけども、"猫島"っていう名前を、どこかで聞いたことがある」
('、`*川「夢から覚めたら、一緒に行きましょうよ。
ここ最近は色々と忙しくて、全く遠出してなかったじゃない?
たまには二人で旅行にでも行って、ゆっくりと郷愁を味わいたいわ」
(´・_ゝ・`)「確かに、そうだね。
思えば僕たち、あんまり遠出したこと、無かったね。
…折角の夏休みだし、起きたら二人で、この島に行く計画でも練ろうか」
たぶん以前のデミタスなら、ここにいる猫を嬲り殺しにしていたと思う。
彼の中での自由を象徴している生物だったから。
自分がなりたくてもなれない自由を存分に生きているのが猫だったから、嫉妬で殺していたんじゃないかと思う。
憧れの存在が自分よりも肉体的に弱者だとしたら、それに敵う程の強い感情でも無い限り、衝動を抑えられなかっただろう。
608
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:57:11 ID:YyEx8q220
私も、たぶん彼の中では猫と一緒だったのだろう。
嫉妬心を上回る感情が好意だと捉えるのは、余りにも虫が良すぎる解釈だ。
上回っていたのは、私に対する義務感と責任感だろう。
609
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:58:13 ID:YyEx8q220
街並みは廃れていた。
風鈴が風に揺れて、チリンチリンと涼しい音を奏でている、木造二階建ての宿舎。
潮風に長年晒されたのか、ペンキの剥がれかかっている、トタン屋根の平屋。
私の背よりもずっと高い石垣の上を、デミタスと同じ視点の高さで、猫が数匹歩いている。
時々彼も足を止めて、傍を歩く彼らの頭を撫でていた。
穏やかで静穏。
閑静な田舎風景がどこかノスタルジックで、心に優しい。
ずっとここにいたくなってしまう。
隣にいる彼の深層心理が見せる世界。
どんな場所よりも素敵な、彼の心の中が垣間見えた気がする。
610
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/17(水) 23:59:39 ID:YyEx8q220
少し歩くと、住宅街から離れたところに一軒の屋敷が見えてきた。
立派な門構えは近くで見ると苔に侵食されていて、かなり腐食が進んでいる。
中に聳える平屋も殆どの部屋が朽ち果てていて、客間として使われていた部屋以外は、畳の隙間から背の高い雑草が茂っていた。
私たちが猫に導かれたのは、その客間。
大きなソファーの前には、木製の褪せたテーブルとヒビの入った液晶テレビ。
天井が殆ど取り払われていて、青い空と白い雲が室内から見渡せる。
柔らかい陽光が、薄暗い室内を優しく照らしている。
私たち二人と黄色い猫又一匹がソファーに座る。
太った猫は脂肪が体毛の上からでも浮き出て見えて、だらしなく座っている姿に貫禄が出ている。
611
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:00:55 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「まずは、一番最初から見ていこうか」
そう言って、彼はボロボロのリモコンでテレビを付ける。
砂嵐。
幾つかチャンネルを切り替えると、そこには二人の男女が映し出されていた。
筋骨隆々とした、垂れ眉で精悍な顔立ちの男性と、芯の強そうな薄目の凛とした女性。
612
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:02:24 ID:BoYVctQs0
※
(;´・ω・`)「ええっと…ここをこうすれば、いいのかな?」
lw´- _-ノv |「ちょっと待って! …こっちを反対側に向けて引っ張るのよ。その間は空いてる手で背中を支えて……そうそう、上手上手! 良い感じじゃない!」
入道雲が見える一室で、若い男女が幼子のオムツを交換している。
男は何度も失敗しながら、不器用そうに手を動かしている。
画面越しでも、その必死さが伝わって来るほどの真剣な表情だ。
それを女性が手助けしている。
オムツがようやく安定したのか、幼子は落ち着きを取り戻していった。
セミの鳴き声に混ざって、徐々に小さな寝息が聞こえ始める。
それを確認してから、二人がおずおずと幼児の顔を覗き込む。
613
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:04:28 ID:BoYVctQs0
(´・ω・`)「……寝ちゃったね」
lw´- _-ノv |「普段はなかなか寝付かないのに、今日は珍しいわね。お父さんがいるからかしらねー」
(*´・ω・`)「そうだったら、うれしいなぁ」
そう言われて、男はにやけ顔になる。
まだ20代前半と思われる、柔和な表情をした男性。
その笑顔が、どことなく誰かさんを連想させる。
lw*´- _-ノv |「…いつ見ても可愛いんだけど、眠ってると、よく顔を見れるから良いわよね。
ほんとうに、可愛らしい。
鼻の形なんて、あなたそっくりよ。フフッ」
(*´・ω・`)「なんだか、久しぶりにゆっくり顔を見れた気がするよ。
見れば見るほど、僕らの子だね。
目元は君に似て、意志の強そうな形してる」
lw´- _-ノv |「んん〜? それは褒め言葉として、受け取っていいのよね?」
(;´・ω・`)「も、もも、もちろんだよ! 君に似て芯のある顔立ちだなぁって、思っただけさ!」
lw´- _-ノv |「ふぅん?」
614
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:05:30 ID:BoYVctQs0
男性がやや慌てた口調になって弁解し、それを聞いた女性が唇を尖らせる。
男性と比べると、ふた回りほど小さくて華奢な女性。
中学生と言われれば信じてしまいそうなくらいに幼い体駆と、力強い眼光の瞳が特徴的だ。
(*´・ω・`)「あ、その唇の形も似てる。カワイイ」
lw*´ _ ノv |「もう! 調子いいんだから⋯」
言われて彼女は赤面する。
どうやら満更でもないらしく、口角がだらしなく下がっている。
荒々しい口調に反して、彼女の幼い体型に相応しいあどけなさを感じさせる表情。
615
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:06:36 ID:BoYVctQs0
(*´・ω・`)「ははは。こういう午後は久しぶりだから、ついからかいたくなっちゃったのさ」
lw´- _-ノv |「全く………私の育休が終わったら、オムツ交換もお風呂もご飯も、しっかりやってもらうんだからね」
(´・ω・`)「そうだねぇ。今のうちから、しっかりできるように、ならなきゃねぇ」
lw´- _-ノv |「そりゃ私だって、出来る限り一緒にするわよ、育児は夫婦の営みですもの。
でもオムツ交換くらいは、一人で出来ても良いと思うわ」
男性は少しだけ真剣な表情になる。
翳りを浮かべた表情が不釣り合いで演技じみて見えるが、声色は真面目そのものだった。
616
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:08:09 ID:BoYVctQs0
(´ ω `)「………そうだよね。
うん、わかってるよ、わかっているとも。
頭では理解してるんだけども、なかなか手がついてこなくてさ。…僕も、しっかり頑張るよ」
言われた女性は、バツが悪そうな表情になる。
男性の真摯な言葉と表情が、彼女の良心を咎めたのだろう。
lw´- _-ノv |「あんまり落ち込まないでよね。そういうつもりで言ったんじゃないんだから。
…それに、わたしはあなたの努力家なところを、好きになったんですからね」
(*´・ω・`)「……」
lw*´- _-ノv |「…っさ! 私たちも、お昼ご飯の準備をしましょっ!」
617
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:09:44 ID:BoYVctQs0
女性の溌剌とした大きな声が反響する。
それを聞いて、赤子が不意に大声で泣きだした。
恐らく目を覚ましたのだろう、女性の声に劣らない大音量。
二人があたふたと、落ち着きなく動いている。
女性は赤子をおんぶして子守唄を歌い、男性はガラガラを両手に掲げて鳴らしている。
どこにでもある新婚夫婦の団欒。
数多くの苦労、負担、疲労等を上回る深い愛情と幸福が満ちた空間の映像。
私の心が自然と温まってゆくのが実感できる。
郷愁にも似ているが、もっと深い原始体験のような感情が湧いてくる。
家庭に対する帰属願望と憧憬だろうか。
618
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:10:42 ID:BoYVctQs0
唐突に画面が真っ暗になる。
隣を伺うと、デミタスがリモコンを弄っていた。
どうやら彼がチャンネルを変更したため、テレビが暗転したのだろう。
数秒の砂嵐。
その後に、画面に何かが映り始めた。
619
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:12:40 ID:BoYVctQs0
※
場所は、アパート郡に囲まれた遊具の少ない公園。
砂場とジャングルジムと滑り台。あとはお飾り程度の小さなブランコが設置されている。
まだ物心ついて間もない女の子と男の子が、一緒に砂遊びをしている。
それを遠巻きに眺めているのは、先ほどの男性と、彼によく似たガタイのいい男性。
よく観察してみると、先ほど子守していた男性は頬が少し痩けており、表層の筋肉が一回りほど落ちてしまったかのように縮んでいた。
隣のガタイのいい男性の方が、体格的には先ほどの人に近いような感じさえする。
620
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:13:55 ID:BoYVctQs0
(*´・_・`)「ねーねー、これなーにー?」
男の子が向かいの、手が砂まみれになっている女の子に話しかける。
誰かに似て、存在感の希薄な男の子。
(・、・*川「これはねー、ねこさん!」
女の子は元気一杯に返事する。
(*´・_・`)「ねこさんなのー? だんごむしさんじゃないの一?」
(・、・*川「ねこさんなの! にゃんにゃん!
おっきくてぇー、ふわふわしててぇー、あったかいの!」
(*´・_・`)「そうなの一? でもこのねこさん、ちっちゃいよー。つめたいよー。
…あ! もしかして!」
(・、・*川「もしかしてー?」
(*´・_・`)「だんごさんだ! だんごさーん!」
621
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:15:07 ID:BoYVctQs0
小さな二人が、ちぐはぐな会話を繰り返している。
支離滅裂で意味の無い問答を、ただなんとなく続けている。
純粋で眩しい二人の姿が微笑ましい。
周りに同い年くらいの子が何人か一緒に遊んでいる中で、何故かふたりっきりで遊んでいる。
不穏な空気はまるっきり無いが、ただ、なんでだろうと疑問に思った。
(`・ω・´)「お前んちの子、めっちゃ元気だよな。ペニサスちゃんだっけか?」
ガタイのいい男性が、膂力溢れる声で隣の男性に話しかける。
声量に反して響きは穏やかで、包容力のある独特な声質だった。
対して隣の男性は、呆然とした目つきで幼子二人を見守っている。
622
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:16:45 ID:BoYVctQs0
(´・ω・`)「ははは、元気だけが取り柄な子なのさ。
デミタス君だって、いい勝負じゃないか」
先ほどオムツ交換に苦戦していた男性と同じ声だ。
声から力強さは感じられず、どこか達観しているかのような、哀愁のある響きを持っている。
(`・ω・´)「まぁ、まだ3歳だからなぁ。
二人とも遊びたい盛りだし、家も近いってのもあっから、相性がいいんだろうよ」
(´・ω・`)「ほんとだよね。ペニサスもデミタス君も、他の子供たちなんて目もくれず、二人でばかり遊んでいるからねぇ」
(`・ω・´)「…ったく、お前もたまには遊んでやれよな。子供ってのは目を離した隙に、グングン成長しちまうんだから。
カミさんも一緒に連れてきて、みんなで遊んでやれよ?」
623
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:18:24 ID:BoYVctQs0
言われた男性は、僅かに顔に翳が差す。
少し俯きながら、小さな声で呟くように話す。
(´ ω `)「僕だって、できることなら毎日遊びたいさ。
あいつもここに連れてきて、あの頃みたいに二人で支え合いながら、我が子の成長を見守りたい」
(`・ω・´)「…そんなに悪いのか? ウチの嫁さんも産後うつにはなったけどよ、お医者に見せて、程よく休暇を堪能したら、直ぐにケロって元通りだったぜ」
(´・ω・`)「あんまり公に言えないけども、あいつのお母さん、分裂病なんだよ。
精神疾患と遺伝の関連性はまだ不明だけども、そういう血統は発症する確率があるって、ドクターが言ってたんだ」
(;`・ω・´)「⋯⋯⋯」
(´・ω・`)「今日だって、できれば連れてきたかったけども…あいつも仕事がある以上、なかなか都合良く休暇を合わせられないんだよ。
僕だって、家族を養っていくために、しっかりしなきゃいけないんだし」
624
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:19:57 ID:BoYVctQs0
(`・ω・´)「あんまり気負い過ぎんなよな。
お前は昔っから、色々と背負い込み過ぎなんだよ。
素直に言いたいことを吐いちまったほうが楽になる時だって、あるんだからな。
近所には俺らが住んでんだから、いくらでも頼れよな…迷惑かけてるなんて、思うんじゃねえぞ」
(´・ω・`)「兄さんには敵わないな、本当に。
全部お見通しってわけか」
(`・ω・´)「お前は顔に出やすいからな、表情みりゃー発さ。
ペニサスちゃんも気丈に振舞ってはいるが、寂しがりやだからな。
…あんなに小さい子が他人に、しかも大人に向かって気を使ってるなんて、余りにも残酷すぎる。
子供ってのは、本来純粋であるべきだ。
カミさんと仕事のことでいっぱいいっぱいかも知んねぇが、しっかりあの子自身を見てやれよ」
(´・ω・`)「そうだな…。
あと、悪いんだが明後日…」
625
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:21:23 ID:BoYVctQs0
(`・ω・´)「わかってるって、保育園の送り迎えくらい、いつでも行ってやるさ。
ついでにお前らの分の飯も、作っといてやるよ」
(´・ω・`)「毎回すまない、本当に。いつか埋め合わせするよ」
(`・ω・´)「いいっていいって! そもそも保育園の先生が、子供に優しくすんのは当たり前だろうが。
お前はただ、自分が出来ることを頑張ればいいんだよ」
(´ ω `)「僕の、出来ること、かぁ…」
(`・ω・´)「言っとくが、仕事のことじゃねぇからな。家族のことだからな。
お前が家族のために仕事に精を出してんのは知ってるが、心ってのは金だけで育つもんじゃねぇ。
家族からの、両親からの愛情が必要不可欠な栄養なんだよ。
ちゃんと、ペニサスちゃんに笑いかけてやれよな」
626
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:22:39 ID:BoYVctQs0
男達が話しているタイミングで、帰宅を告げるチャイムが鳴り響く。
腕時計が示す時刻は、午後17時ちょうどだった。
公園に備え付けられたスピーカーから哀愁のある『タ焼け小焼け』の旋律が流れている。
(・、・*川「おとーさーん! かーえーろっ!」
砂場から、つい先ほどまで砂遊びしていた少女が窶れた男性に向けて駆けてくる。
少し遅れて後ろから、おどおどした様子で片割れの男の子が歩いてくる。
女の子のタックルを、男性は両手で優しく受け止める。
(・、・*川「デミタスくんとねー、すなあそびしてたのっ!
デミタスくん、にゃんにゃんつくるの、じょーずなんだよー!」
(´・ω・`)「ははは、デミタス君はすごいなぁ。お父さん、憧れちゃうな」
627
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:24:38 ID:BoYVctQs0
(・、・*川「でもね、でもねー! ペニサスも、じょうずにできたんだよー!
デミタスくんとおなじくらい、じょーずなんだよー!」
(´・ω・`)「そっかー、ペニサスはすごいなぁ。
お父さんにも今度、ネコさんの作り方、教えてなぁ」
(・、・*川「うんっ!
こんどは一、せんせ一も一、デミタスくんもー、おとーさんもおかーさんも、みーんなであそぼーねー!」
(`・ω・´)「はっは、ペニサスちゃんは優しいな。
明日は保育園のみんなと一緒に遊ぼうな」
ガタイのいい男性は、女の子に返事する。
そして近くの男の子と女の子の頭に腕を伸ばし、ガシガシと撫でる。
その筋骨隆々とした腕が、どこかで見たことあるような気がして、私は隣に座っているデミタスを見た。
腕の太さや大きさが、とてもよく似ている。
デミタスがリモコンを操作しチャンネルを切り替える。
一瞬の砂嵐。
628
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:26:58 ID:BoYVctQs0
※
(´・_ゝ・`)「言わなくても分かるかもしれないけども、これは僕たちの記憶を映し出している」
ああ、やっぱりそうなのね。
(´・_ゝ・`)「ペニサスには、心当たりの無い記憶が多いと思う。
僕だって、正直言ってこんなに幼い頃の思い出は、鮮明には覚えてない」
そうよね。
じゃあ、ここに写っている映像は、誰かの想像が作り出したものなのかしら。
(´・_ゝ・`)「いや、恐らくそうじゃない。
深層心理に刻みつけられた記憶を、そのままの形で映し出しているんだと思う」
ふぅん?
(´・_ゝ・`)「記憶ってのは、脳の松果体や海馬が保管していると考えられている。
と言っても、人の記憶をデータ化して抽出する手段は実現できていないから、まだ憶測の域を出ないんだけどもね」
629
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:28:00 ID:BoYVctQs0
想起できない思い出でも、脳の奥には全てが記録されているってことかしら?
(´・_ゝ・`)「僕はそうだと考えている。
だって、そうじゃないと、この映像が説明できないじゃないか」
でも、デミタスは最初に言ったよね。
ここが僕の夢、だって。
(´・_ゝ・`)「ああ、あれね。今更だけど少しだけ語弊がある。
ここは僕の心理が基底にあるけども、同時にペニサスの記憶をテレビを媒介して抽出しているんだ。
原理はよく分からないけども、僕の心の中に他人が存在してる時点で、僕たちの理解できる範疇を超えてると思うし」
630
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:28:47 ID:BoYVctQs0
思考停止は怠惰よ。停滞は死を意味するわ。マンガのキャラがそう言ってた。
(´・_ゝ・`)「重い言葉だね。でもそれは、ペニサスが言うからこそ、重厚なんだろうね」
どういう意味かしら?
(´・_ゝ・`)「そのままの意味だよ。皮肉じゃないから安心して」
なんだか要領を得ない会話ね。
つまり何が言いたいのよ。
(´・_ゝ・`)「ペニサスと僕に共通する出来事、つまりさっきまで見ていたような一家の映像と、その後に引き起こされる悲劇とのギャップで、ペニサスは心を閉ざしてしまったってこと」
私が過去から逃避している原因のことね。
631
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:31:31 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「先に結論だけ言おう。
ペニサスの父親は、事故で既に亡くなっている。
君の母親は、僕の父に過度の飲酒が目撃され、精神状態が不安定なことから病院へ入院。
その後、重度の統合失調症を発症し、現在彼女には母親としての魂は宿っていない」
母が入院しているのは知ってるけども、事故? 飲酒? 何なの?
(´・_ゝ・`)「時系列順に、先にペニサスの母親について話そう。まずは彼女が産後うつに陥った原因だが……酷な言い方になるが、ペニサスのことだ」
私なの?
(´・_ゝ・`)「というよりも偶然の産物だよ。
ペニサスは超低出生体重児として、この世に生を受けた。
生まれつき身体が弱くて、大きく育たない可能性があった。
君の母は、ペニサスを強く生んであげれなかったことを自分のせいにした。
自責の念にかられて、せめて必死に仕事をして、金銭的に恵まれれば、罪滅ぼしになると考えたんだろう。
だが、産褥婦というのは職場によっては奇異の眼差しに晒されるし、精神状態は常に不安定だ。
不器用な君の父は常に彼女に寄り添おうと四苦八苦したが、一家の大黒柱としての責任もある。
家族と共に過ごす時間よりも、仕事で家を空ける時間の方が、長かったんだ」
今の私があるのは、その頃の両親が必死になって頑張ってくれたからなのね。
(´・_ゝ・`)「良くも悪くも、そういうことだね」
632
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:33:40 ID:BoYVctQs0
それで、飲酒ってのは何なの?
過去の記憶はほとんど無いけども、母から暴力を受けた痣なんて、身体に無いわよ。
(´・_ゝ・`)「過剰防衛だったんだろうね。僕の父も、あの後何度も頭を抱えて悩んでいた。
ある日、父がペニサスのお父さんに頼まれて、君の送迎のために家を訪れたんだ。
君の母親は当日、急な体調不良で仕事を休んでいた。
その情報が、僕の父には入ってなかったことが要因の一端だったんだろうね。
…僕の父が合鍵を使って玄関を開けると、鼻を突く強いアルコール臭が充満していた。
恐る恐る室内を伺って見ると、君の母が顔面蒼白の状態で床に倒れているのを見つけたんだ。ペニサスは眠っていたから分からなかったと思うけど、その時の強いアルコール臭が無意識下でトラウマになったんだろうね。
…そのお酒が、君が夢で何度も見てきたアブサント。
アルコール度数が非常に高く、依存性も酒類の中では抜群、おまけに幻覚作用まであるお酒だ。
薬物中毒者が薬代わりに飲んでいる酒としても、有名だね」
633
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:36:00 ID:BoYVctQs0
それで母は入院。
院内で更なる自責に駆られて、精神病棟へ移転となった…って感じかしら。
(´・_ゝ・`)「そうだね、もともと色んな事を溜め込んで、自分で処理してきた人だったんだろう。
お酒に関しても、ペニサスの母は酒を嗜む人じゃないから、あのアブサントも一時しのぎのつ
もりだったんだろうね」
それで、そのあとはどうなるの?
(´・_ゝ・`)「……君の父は、強い責任感に苛まれる。
ペニサスには今まで以上に良く接するようになり、仕事もそれまでの倍以上勤労するようになる。
たぶん、壊れてしまったんだろう。
彼がペニサスに向ける笑顔は極めて無機質で、会話も長く続かない。責務のような愛情だった。
もしくは、ペニサスを見てなかったのかもしれない」
634
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:36:40 ID:BoYVctQs0
どういう意味?
(´・_ゝ・`)「君を通して、自分が追いやってしまった最愛の人を眺めていたんだろうね。
瓜二つな君の母を、ペニサスに投影していたんだろう」
……。
635
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:39:48 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「続けるよ。
そんな歪な環境の中にも光はあった。うぬぼれだけど、差し伸べられる手はあったんだ。
君の両親が破綻してから、僕たち家族が一層ペニサスの面倒を見るようになった。
家族といっても、母は僕が物心つく前に亡くなっていたんだけども。
君の両親に代わって、僕の父は僕に向ける以上の愛情を君に注いだ。持ち前の太い腕で、君の頭をよく撫でていたっけ。
ただ、ペニサスは何もしなくても愛情が感受される環境にのめり込んでしまった。依存してしまった。
愛ってのは、人が思っている以上に複雑だ。
使いようによっては、毒にも薬にもなる。
この場合、悪い方に転んでしまったんだろう。
……中学に上がると同時に、君は引きこもりになった。
誰かに苛められるわけでも、勉強や運動ができないわけでもない。
対価を払わなくても好意を甘受できる環境に、依存したんだ。外敵の存在しない、居心地の良いあなぐらに。
その時君が使ってた部屋の扉が、あの青緑色の扉。
黄色いプラスチックのテーブルは、君が机代わりにしていたもの。
愛と言う名の毒と薬で乖離した感情を、あの老婆達は揶揄していたんだろうね」
636
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:41:18 ID:BoYVctQs0
……嬉しかったの、純粋に、真っ直ぐな感情を向けてくれるデミタスが。
愛されることが、守ってもらえることが、心地良かったの。
あの人の……シャキン先生のゴツイ腕で頭をガシガシ撫でられるのが、私は好きだったの。
父は不器用だったから、私との接し方がぎこちなかった。
もともと要領の良い人じゃなかったから、余りにも離れすぎてしまった娘との距離を埋める方法が、見つからなかったのね、きっと。
言葉と感情が反発し合ってて、私はこの人が何を考えているのか読めなくなって、日々不信感と不安だけが募っていったわ。
637
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:42:46 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「僕もペニサスの家庭がどういう状態にあるのか、子供心に分かっていたから、嫉妬はしても憎むような事は無かった。
…小さい頃から、好きだったことが大きいんだけどね。
女の子だから愛情一杯に育てて、男の子は女の子を守れるようにならなきゃいけないって、父に何度も言われ続けてきたよ。
でもそんな義務感じゃなくて、ただペニサスが好きだったってことを、分かってほしいな。なんてね」
義務感とか、責任感だとかと思っていたわ。
(´・_ゝ・`)「それがまるっきり無かったとは、否定しないさ。…話を戻すね。
僕の父が、四人で遊園地に行こうって計画したんだ。
兄として、弟の振る舞いに見兼ねた部分があったんだろうね。これを機に、ペニサスとペニサスの父との仲を修復しようと考えたんだ。
もちろん、息抜きが名目だけどね。
その頃は、みんな本当に一杯一杯だったから」
638
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:43:48 ID:BoYVctQs0
遊園地…赤黒い錆と硝煙の匂い。
豚の死体、内臓。
双子と、犬がいる……?
……ねぇ! これは何? 私は何を見たの?
せまいよ、こわいよ、くらいよ。
ここはどこなの?
何が起こってるの?
ねぇ!
.
639
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:44:47 ID:BoYVctQs0
「ジェットコースター、コーヒーカップ、ゴーカートにお化け屋敷。メリーゴーランド、観覧車」
見たくなかった。
楽しかった。
コンクリートの焦げた匂い。
眩い世界に、ぎこちない笑顔の父。
縦に割れて、肉の焼ける生臭い匂い。
.
640
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:47:26 ID:BoYVctQs0
「早めに切り上げて、時刻は大体14時頃。
それでも十二分に楽しんだ僕たち二人は、後部座席で午睡を摂っていた」
照り返す太陽光と生暖かい熱風。
ああ、あの豚は。
風に流れて飛んでくる青葉の、なんて瑞々しいこと。
筋肉がそげ落ちて、過労と不摂生が溜まった、脂肪に満ちた肉体。
充満するエアコンから排出された人工的な気温。
だから、だからあの豚が――
.
641
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:49:39 ID:BoYVctQs0
「ああ、帰りは俺が運転するよ。
お前は疲れてるんだから、助手席でゆっくり休んでろ」
「僕は全然元気だよ、兄さんこそ、疲れてるでしょ」
「お前ほどじゃねぇさ。
いいから、大人しくしてろって…ったく、ペニサスちゃんの頑固さは、父親譲りかねぇ」
四ツ辻。
青信号。
横断歩道に、私たちと同い年くらいの双子。
後ろに、犬のリードを持った老婆。
――思い、出した。
.
642
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:52:49 ID:BoYVctQs0
※
遊園地からの帰り道。
私の父は日頃の疲労が起因して、存分に楽しめていない様子だった。
ただ、久しぶりに見た混じり気のない疲れた顔が、なんだか嬉しくて、私はそれなりに満足していた。
父の嘘偽りのない表情を見ることができたから。
でもやっぱり疲れているのは誰から見ても明らかで、シャキン先生が代わりに運転して帰った。
助手席には私の父、後ろには私とデミタス。
デミタスはまだまだ元気いっぱいで遊び足りない様子だったけど、私はクッションに腰を下ろした時点で睡魔に負けた。
一瞬で暗転する世界。
UVカットの窓越しに注がれる穏やかな太陽光が、ちょうど良い温度を分け与えてくれて、効き過ぎのエアコンも気にならなかった。
643
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:54:00 ID:BoYVctQs0
自分の叫び声で目が覚めた。
重力の向きが変わった。
左が下に、割れた窓に半身が押し付けられていた。
右半身に僅かに掠る大きな存在。
横転。
前を見る。
父の姿が見当たらない。
急激に覚醒する意識と、相変わらずまどろみの中にある感覚とが、一緒くたに混ざり合う。
鼻を劈く焦げ臭い匂いと、目の前に広かる赤い血の海。
644
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 00:58:15 ID:BoYVctQs0
生臭い。
スーパーの魚介コーナーの臭。
腐敗臭と赤黒い鮮血。
視線の先、違くのガードレールが赤くひしゃげていた。
付着するのは、縦に割れた、赤と黄色と黒と白。
正中線で裂けた肉塊。
あれは何?
たっぷり乗った脂肪が誰かに似ているような、でもあの誰かに脂肪は無かったんじゃないか。
あれ。
(´・ω・`)らんらん♪
ブタさん。
.
645
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:00:36 ID:BoYVctQs0
肉塊の後を追うように灰色のコンクリートを走るのは、これまたカラフルな肉塊。
引き伸ばされた、白くて長い腸。
真っ赤なレバーに、黄色っぽい膵臓。
太くて赤い、血管が引き伸ばされている末端には、拍動を止めた心臓。
父だ《豚だ》
肉塊だ《死んでない》
誰だ、あれは。
なんなの、これ。
なんなの。
意識が途切れる間際、私の頭は筋骨隆々とした腕に掴まれた。
646
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:01:38 ID:BoYVctQs0
「大丈夫か! しっかりしろ! 今すぐ助け出してやるからな!」
彼の、シャキン先生の、腕だった。
647
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:03:39 ID:BoYVctQs0
※
テレビが消える。
不意に訪れる、開放感と爽やかな風。
取り払われた窓枠から、舞い込んでくる一陣の突風。
顔を面面から見上げると、青い水平線が見渡せる。
ぐるりと一周してみれば、青々と茂った樹林群と、海岸沿いに疎らに点在する住居が見える。
眼下には、小さくなったコーヒーカップにメリーゴーランド、錆まみれで風化しつつある黒く煤けたジェットコースター。
私が座っている椅子は冷たく硬質な表面で、ザラザラとした手触りが伝わってくる。
648
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:04:34 ID:BoYVctQs0
荒廃した遊園地の、観覧車の中。
隣にはデミタス、向かいの座席には、黄色い毛並みで糸目の猫又が座っている。
テレビはどこにも見当たらない。
長い年月を感じさせる遊園地。
私たちがいるのは、観覧車の天辺にある一室。
小さな島が一望できるほどの高所、島の天辺。
649
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:06:21 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「それで……ペニサスは、どうしたい…?」
デミタスが私に目線を合わせて話しかける。
相変わらず、感情の読み取れない平担な口調だった。
('、`*川「あの腕は…デミタスのお父さん……シャキン先生、だったんだね」
(´・_ゝ・`)「そうでもあるし、違うとも言える。
最初はペニサスのお父さん。次に僕の父。
最後に、僕の腕を表していたんだ」
('、`*川「似てるものね、みんなガッチリした体格だし」
(´・_ゝ・`)「運動神経はからっきしさ」
力なく笑う姿が、私の父と重なる。
650
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:08:00 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「信号待ちしてたお婆さんの腕から犬が逃げて、それを捕まえようとした双子が飛び出してきたんだ。
犬は無事だったらしいけども、二人と僕たちが乗ってた車は、思いっきり正面衝突しちゃってね」
('、`*川「私のお父さんが、窓から投げ出された」
(´・_ゝ・`)「双子の方は兄が死亡、ペニサスのお父さんは、即死だったらしい。
その後、うちにペニサスは引き取られるんだけど、僕の父は事故のことで自分を責めて、失跡してしまったんだ。巨額の遺産を残してね。
僕んちは父子家庭だから、そのまんまあのアパートで、僕とペニサスの二人で暮らすようになったってわけ」
なんだか、とことん不幸な話だ。まるで他人事のようにすら聞こえる。
でも、これはまごう事なき真実で、私が逃避していた過去の全貌だと理解している。
これは他人の歴史ではなく、私にまつわる出来事なのだ。
651
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:09:26 ID:BoYVctQs0
(´・_ゝ・`)「ペニサスが望むのなら、僕はこの夢で一緒に生きる。現実を捨て、こちらの世界に残る。
一人を望むのなら、僕は喜んでここから立ち去るよ」
目前で猫が口を開きかけるのを遮って、私は声を出す―――。
652
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:10:02 ID:BoYVctQs0
('、`*川「にゃあ」
.
653
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:12:08 ID:BoYVctQs0
彼は嘘をついたから。
本心そのままの言葉に薄い表皮を被せて、ごまかそうとしたから。
だから私は、彼に正直な言葉を求めた。
(´ _ゝ `)「……一緒に、いたい」
彼の呟き。
猫が、耳まで避けた大きな口で欠伸をする。
夏っぽくない乾いた風が、割れた窓から流れてくる。
心地良い。
彼の本音を聞けたんだから、私の答えは既に決まっていた。
('、`*川「――家に、帰ろう」
654
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:18:30 ID:BoYVctQs0
24.而木またんき
.
655
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:20:04 ID:BoYVctQs0
夢を見た。
廃墟の街の
図書館の
高校の
九龍の
猫の
――の
夢。
656
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:21:43 ID:BoYVctQs0
茜色に翳む地平線。
儚い金星の空色。
ゴミだらけの街が窓から見える。
窓枠しか存在しない窓。
(・∀ ・)「まーた夢かよ」
657
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:24:00 ID:BoYVctQs0
何度目だ、この夢。何回俺はこれを繰り返す。
せめてこの記憶が覚めても保持されていれば、俺は救われるってのに。
木製のささくれだったテーブルに、背もたれのない椅子。
机の上にはお飾り程度の照明と、一冊の本。
表題には分かりやすく『過去』の二文字のみ。
薄っぺらい本だ。キャンパスノート程度の厚みしかない。
これを読み終えれば、夢から覚めることを俺は知っている。
何度も繰り返し見てきた夢の断片から俺が導いた、それっぽい真実が書かれた本。
黒い装丁に手のひら大の大きさ。
最初のページに、幾つか手書きの文字が疎らに書かれている。
658
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:25:08 ID:BoYVctQs0
『而木 またんき
高校一年生、16歳、男子。缺ヒッキーと付き合っている。
同性愛者。身長は177cm、高校生の平均以上。
自ら危険に飛び込む性格。刹那主義。
ヒッキーとくるうが高校からの同級生だと知っている。付き合っていたことは知らない。
両親とマンションで3人暮らし、4LDK。一部屋空いている。
中学生で同性愛者だと気づく。
自分よりデカい物が苦手。
幼少期の記憶が曖昧。容姿端麗だが自己を醜い姿にしか認識できない。だから鏡を嫌う。
代償行動は歪曲。
中学より以前の記憶がない。』
659
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:26:00 ID:BoYVctQs0
おそらくここまでが、現実での俺だ。
自分で認識できている自我を俯瞰的に記してある。
三人称視点で自分を見つめたほうが、頭にすんなり入ってくるんだ。
自分の存在が、物語の登場人物みたいに見えるから。
次のページを捲る。
風化して、がさついた紙質。
660
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:27:13 ID:BoYVctQs0
『双子の兄がいた。非常に仲が良く心身共に鏡写しの二人だった。
特に障害も無くスクスク育つ。両親からの過度な愛情の下で育つ。
やや過保護な家庭だった。
わんぱくで悪戯好きな性格に育つ。ガキ大将キャラだった。
世の中は自分を中心に回っていると思っていたタイプ。
中学の頃、シャキンの運転する車が事故した原因が二人。
対向歩道で両親が待っているとき、後ろの老婆がリードを離し、その犬を追って赤信号を無視して渡る。
事故に二人共巻き込まれる。』
661
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:28:05 ID:BoYVctQs0
『兄の臓器が一部移植され弟のまたんきは生き延びる。
その事故でそれ以前の記憶を無くす。
両親は兄弟それぞれへの愛情や言葉を彼一人に向ける。
二つ分の意識を彼一人に向けるようになり歪な人格が出来上がる。
物置と言われている部屋は鍵が掛かっており入ったことが無い。
実際は兄の部屋がそのまま残っている。』
662
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:28:41 ID:BoYVctQs0
たぶんこっちは、夢の中でしか認知できない過去。
現実の俺の支離滅裂さ、破綻した性格を鑑みるに間違っていないと思う。
本から顔を上げる。
剥き出しのコンクリート壁に背中を付けて、腕組している影。
スーツ姿で俺と瓜二つな体型。
( ・∀・)
兄だ。
663
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:29:35 ID:BoYVctQs0
ここ最近は、俺の周りで色々と人助けしていたらしい。
他人の無意識下で夢を導いている、この噂の出所。
ネットの住人にも影響を及ぼしているかは知らねぇが、あの話に触発されてトソン達は夢を見たんだろう。
窓から顔を出して景色を眺める。
使い古したブラウン管テレビ、鉄骨の残骸、複数の空き缶類を正方形に圧縮したスクラップの山、得体の知れない生ゴミの詰め込まれた半透明のポリ袋。
瞼にそれらは映らない。
この高所から遥か下を見下ろしたところで、具体的に呼称できるものは何も分からない。
だが。
664
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:30:45 ID:BoYVctQs0
雲の下に鎮座してある無数のゴミ山の情景が、俺には手に取るように分かる。
トソンが見たって言ってた、夢の情景そのものだ。
寧ろ俺が見てる方が原初なんだろう。
あいつが同じ景色を見た理由も、理解できる。
トソンは人一倍、他人に敏感な性格だからな。
665
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:31:49 ID:BoYVctQs0
人には、その人となりの核が存在している。
細胞の核とか、地球のマントルだとかと同じように。
トソンはそれが、全部他人由来で出来ている。
本来なら個人の核の上に、他人からの影響や自身の経験が種み重なって人格ができていくんだが、あいつの性根は100%他人で構成されている。
あいつ自身は、その真実を否定するだろうけどな。
666
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:33:39 ID:BoYVctQs0
面白い人間、興味深い物事、珍事やらに興味津々なのは、本当の意味で芯の無い自分を形成するために他人が必要だからだ。
たまねぎみたいに、無限に剥がれる心の持ち主だから。
形骸だとしても面白いものが、あいつには必要だったんだ。
生きる手段だったんだろうよ。
否定しないさ、応援する。
中途半端に自分が無い人間は無数にいるが、完全に自分がいない人間なんて、そうそう見つからない。
そんな自我の欠如を深く考察して、心理を理解している女子高生なんて、まさに稀有だ。
そういう意味なら、あいつは誰にも負けない天才だと思う。
紛れもない才能の持ち主だって、胸張って言ってやる。
667
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:34:26 ID:BoYVctQs0
こんな風な思考が根源にあるから、現実の俺も、あいつと縁を切れないんだろうよ。
傍からみりゃ、外見だけが美人なクソ真面目の堅物だからな。
モテない理由は分からないが、内面を見れる俺みたいなやつ以外にはグッとこない人間性なんだろうよ。
このままの俺が目覚めることが出来るなら、俺はトソンに告白するだろう。
押し付けがましくないし、他人の意見を否定せずに尊重する。
スタイルは良いし、クソ真面目だがノリも良い。
それに、そもそも俺は同性愛者じゃないしな。
668
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:35:05 ID:BoYVctQs0
現実で活動している俺は、それは酷く破綻していただろう。
自分勝手なのに正義漢ぶってて、生き方そのものを設定ゆえだと考えてる、痛い中学生みたいなやつ。
仕方ないんだ。意識の根底に俺がいるから。
歪んだ性格も一貫性の無い発言も、現実逃避に徹した俺が、選んだ人格だったんだ。
そうじゃないと、生きられないんだ。
669
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:35:57 ID:BoYVctQs0
どこかの誰かと違って、俺には差し伸べられる腕がない。
心の底から愛を見つめ合った、最愛の人間がいない。
他人に屈することを由としない、偏屈な人間性しか持ち合わせちゃいない。
670
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:37:23 ID:BoYVctQs0
俺は現実から逃げた。
自分で均した安寧な夢の世界へ、本性を隠した。
逃避を、享受したんだ。
自業自得さ。
ここから出られないのも、本音じゃここを住処とする事に諸手を挙げているからさ。
自虐趣味なんだろうよ。
地響きがする。
そろそろ朝だ。
ここは雲の上なのに、天はさらに上に存在する。
彼方から幾許もの蓮の首が落ちてきたから、散華もそろそろ終わる頃なんだろう。
671
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:38:26 ID:BoYVctQs0
肌が焼ける。
意識が空気に溶けてゆく。
無言の行はまだ続くのか、先が思いやられるな、全く。
( ・∀・)「……」
小奇麗なスーツに身を包んだ兄が、机に置かれた本を手にする。
そのままスーツの懐に忍ばせて、窓枠を軽く跨ぎ姿を消した。
あいつはまた、『過去』を理由に夢を運んでゆくのだろう。
仄暗い過去を直隠しにして生きている人間へ、収容された根幹を運んでゆく。
672
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:39:50 ID:BoYVctQs0
ぬらぬらと、天涯から赤い血が降ってくる。
生温くて、唾液の乾いた味がする、赤錆の膿が既に世界を埋めていた。
(´・ω・`)
滲む夕日が梵天模様で、そのひしゃげた顔が癪に障る。
俺がどうにかできることじゃない。
見ることの叶わない社会に願いを馳せて。
どうか、現実に生きる人びとに、幸のあらんことを。
673
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:43:52 ID:BoYVctQs0
25.六十トソン
.
674
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:45:47 ID:BoYVctQs0
今日は8月15日、晴れ。
私はお泊まり会以降、例の夢を見なくなっていた。
そもそも実りのある夢を見る頻度が低かったこともあったので、特に感慨深さは無い。
最後に見たのはデミタス先輩の家で寝た時の、知らない高校の夢。
夢の中だと、妙に思考が落ち着いて考えを巡らせることができたので、そこだけが少し心残りだ。
ペニサス先輩の昏睡事件が起きてから、既に何日か経過している。
どうしてデミタス先輩が眠ったのか、私はよく分からなかったが、くるうさん日く『デミタス君が眠って夢を見れば、ペニちゃんに会って説得できるかもしれないから』だそうだ。
675
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:46:43 ID:BoYVctQs0
夢の共有があんなに簡単にできるのだから、その気になればコンタクトなんてすぐに取れるだろうと思ったが、多分その辺りの事情は、私が考えているよりも複雑なのだろう。
元来変人の集まりだったが、例のお泊まり会以来、変人たちは変人なりに、少しずつ変わっていった。
以前はあれだけ連絡を避けていたヒッキーさんとくるうさんが、わりかし頻繁に接触するようになっていた。
二人とも、まるで本物のカップルのような関係になっていたが、真偽のほどは定かではない。
気がかりがあるとすれば、学校の夢で見た二人のまぐわいだろうか。
676
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:48:12 ID:BoYVctQs0
互の虚を埋めるような、激しい性交。
貪り合って、補い合って、酷く歪んで見えた光景。
二匹の黒い獣という表現は、今現在もわりかし的を射た説明だったと自負している。
二人が互いに夢中になっている中で、心配なのはまたんきだった。
ヒッキーさんに首ったけで、彼以外眼中に無いほど盲目的な愛を注いでいたのだから、自暴自棄になってもおかしくない。
そんな私の心配は、あっさり外れる。
彼は以前と変わらず二人に接しているし、それなりの嫉妬や羨望は見せるものの、会話に大きな変化は見当たらない。
677
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:49:01 ID:BoYVctQs0
ただ、時々またんきの発言が意図している内容が理解出来なくなる。
昨日言っていた発言と、今日話す意見が食い違う事例が、拍車にかけて増加している。
不気味なほどに支離滅裂で、一貫性が欠如している。
酷な表現になるが、元々足りなかった頭のネジが更に抜け落ちてしまったようにさえ見える。
それと同時に、自分の心情を吐露することが増えた気がする。
最近の傾向だと、ヒッキーさんへの愛情を告げると、間を挟まずに自分が実は異性に欲情する旨を話して聞かせたり、とか。
678
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:50:04 ID:BoYVctQs0
変わらず会話は面白いし、一緒にいて退屈しない人間性ではあるので、関わり方を大きく変えようとは思わない。
ただ、彼の破綻振りがおふざけでない事が分かるのが、怖いだけだ。
彼はたぶん壊れているんだろう。
パーツが足りないわけでも最初から欠落しているわけでもないが、本人は望んで直さずにいる。
暗間で彷徨うことに、慣れてしまったんだろう。
或いは急速に進化と成長を遂げてゆく人々への、歪んだ羨望と嫉妬心。
夢の中で彼は真理を見失い、混迷の沼沢に溺れていた。
679
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:51:22 ID:BoYVctQs0
私の身勝手な希望としては、彼には治ってもらいたい。
心が欠けた状態を維持し続ければ、いずれ限界が来るからだ。
私たちはまだ若い。傷は長い時間をかけて修復することができる。
或いは彼の場合は、進行方向を変えることだって出来ると思う。
あべこべでありながらも会話やコミュニケーションにおいて抜きん出た才能を発揮できる人物なんだから、試しても失敗しないだろうと予想できる。
彼に何があったのか、私には分からない。
またんきは、夢の中ではデミタス先輩とペニサス先輩としか会っていないと話していた。
学校の図書室で、ヒッキーさんとくるうさんが交わっているのを見たわけでも無さそうだった。
680
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:52:43 ID:BoYVctQs0
高校生は多感な時期だ。
人付き合いや将来への漠然とした不安、恋人や友人、大人との交わり方など、いくつもの機会に遭遇する。
その中で自己を内省し、成長してゆく準備期間でもある。
故に、彼が自我に迷走するのも分からなくない。
私は飽くまで一人の友人として、彼と変わらない人間関係を堪能してゆこうと思う。
変化を起こすほど現状を憂いているわけでは無いし、人は勝手に進化してゆくからだ。
私には私のスタイルがある。
彼にも彼のスタイルがある。
違いを認めるのも時には必要なことなのだから、私は私なりのやり方で、彼を見守ってゆくとしよう。
681
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:53:25 ID:BoYVctQs0
デミタス先輩とペニサス先輩が変わったがどうかは、私には判断出来なかった。
彼らとはまだ出会って間もないし、互いにどんな性格の人物なのか分かっていないからだ。
自分の中で他人を評価するには、判断材料が足りなすぎる。
ただ、第一印象と現在の印象は、かなり変化したと思う。
682
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:54:31 ID:BoYVctQs0
デミタス先輩が眠った次の日の朝、二人はほぼ同時に目を覚ました。
あの時の情景は、今でもありのままを思い出せる。
デミタス先輩は不思議と清々しい顔立ちをしていて、私は思わす見惚れてしまった。
ペニサス先輩が目を覚まし、隣で起き上がったデミタス先輩を見ると、突然彼に抱きつき大きな声で泣き始めた。
(;、;*川「怖かった! もう会えないかもしれないって思って、それが嫌で! 寂しくて、でもまた会えて! 嬉しくて、嬉しくて、たまらないの!!」
纏まらない無垢な言葉と、顔面を涙と鼻水でぐしゃぐしゃに濡らした幼い素振りが愛らしくて、自分よりも歳上な人物なのに、とても微笑ましく感じた。
幼子が、父親に泣きついているかのような姿だったから。
683
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:55:40 ID:BoYVctQs0
それを優しく肯定しながら頭を撫でるデミタス先輩の姿が、親子みたいで面白くて、今思い出しただけでも自然と顔がほころぶ。
彼はきっと、いいお父さんになるだろう。
私がデミタス先輩に抱いた第一印象は、無気力で存在感の希薄な巨人だった。
だが、ペニサス先輩を抱きしめる姿や表情からは父性や包容力を感じさせ、体つきも筋肉質に戻っていた。
希薄な存在感だけは相変わらず漂ってはいたが、恐らくそれは彼のアイデンティティなのだろう。
彼を彼たらしめるのに必要不可欠な要素。
684
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:56:29 ID:BoYVctQs0
ペニサス先輩に持った最初の印象は、大人びた雰囲気の少女だった。
泣き崩れる姿やデミタス先輩に純枠に甘える様子などを見ていると、その印象は真逆だったと痛感する。
大人びた姿を演技することで、自分を騙っていたのだろう。
彼女には憮然としたしかめっ面よりも、あどけなく満面の笑みを浮かべた、素直な表情の方がきっと似合うだろうと思う。
685
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:57:14 ID:BoYVctQs0
……周囲の人物をかく評価してきた私はというと、誰よりも何も変わっていない。
悲観しているわけではない。この短時間で、私の根底が変化するとは考えていないだけの話だ。
他人を評価することで自己の評価を無視するのは、私の得意技だから。
686
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 01:59:55 ID:BoYVctQs0
――潮風が頬を掠める。
海猫の静かな鳴き声と、足元に打ち付ける汐のささやき。
強い太陽光が波止場の剥き出しのコンクリートから反射して、皮膚をジリジリと焼いていくのを実感する。
日焼け止めクリームを塗ってきといて正解だった。
今日のコーディネイトはシンプルそのもの。
ウェッジヒールのエスパドリーユに、生成りリネンのワンピース。
紫外線対策の一環でもあるが、ツバの広い麦わら帽子。私のお気に入り。
程よく力の抜けたスタイリングが、この季節と場所にはちょうど良い。
687
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:01:53 ID:BoYVctQs0
川* ゚ 々゚)「トソンちゃーん! 早く旅館に行こ一よー!」
後方から、くるうさんの呼び声が響いてくる。
こんなに大きな声を恥じらいもなく出せる人だったのが意外だった。
振り返ると、彼女がこちらへ駆けてきていた。
ノースリーブの水玉ブラウスに、インディゴブルーのショートデニム。
足袋を模したサンダルは、とあるブランドのアイコニックアイテムだった。
彼女が着れば、どんな服装でも様になる。
彼女が隠し続けていた素肌。透き通るような青白い肌。
688
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:03:22 ID:BoYVctQs0
腕には縦横無尽に奔る無数のリストカット痕と、まあたらしい紫斑の滲む複数の水泡。
足にも腕にも所狭しと瘡蓋が犇めき合っているが、この傷を見るのは、実は初めてではない。
高校の夢を見てから、彼女は露出の多い服をよく着るようになっていた。
本人日く「露悪趣味」とのこと。
あまり突っ込んで聞いていいか憚られたので、くるうさんの傷に言及するつもりは無い。
それに、こうして白日の下に晒しているのだから、本人にとっては既に過ぎたことだと思う。
それをいちいち掘り返すのも、野暮だろう。
689
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:04:40 ID:BoYVctQs0
私たちは今、"猫島"と言われる場所へ旅行に来ている。
二人が夢から覚めて間もなく、デミタス先輩とペニサス先輩が提案したのだ。
ヒッキーさんとまたんきは用事があるとのことで、ここには私とくるうさんとデミタス先輩とペニサス先輩の四人で来ている。
なんと驚き、旅費はデミタス先輩が出してくれた。
690
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:06:06 ID:BoYVctQs0
川* ゚ 々゚)「ネコッ」
ミ´- _- 彡「ニャー」
川* ゚ 々゚)「ねこねこ」
ミ´- _- 彡「ニャー」
(゚、゚トソン「……」
川* ゚ 々゚)「ニャア、ニャー!」
ミ´- _- 彡「ムフー」
川* ゚ 々゚)「ゴロゴロー」
ミ´- _- 彡「!」
(゚、゚トソン「…」
川; ゚ 々゚)「あっ…ニ、ニャーニャー!」
ミ´- _- 彡「ムっ、フっ」
(゚、゚トソン「…」
川; ´ 々`)「むふー〜〜……」
(゚、゚トソン「……」
691
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:07:28 ID:BoYVctQs0
足に猫が擦り寄ってくる。
極めて人慣れしていて、ともすれば危うさすら感じる。
黄色くて短い毛並みの、糸目で脂肪たっぷりな巨大猫。
ヒールを履いてる私の、脛くらいほどの大きさ。
この貫禄やふてぶてしさから察するに、俗に言う猫又というやつだろう。
決して可愛い顔つきではないが、擦り寄られて悪い気にはならない。
顎の下を撫でてやると、ゴロゴロと喉を鳴らす。
その姿が本当に可愛くなくて、逆転した愛おしさすら覚える。
692
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:08:18 ID:BoYVctQs0
(゚、゚トソン「…」
ミ´- _- 彡「…」
(゚、゚;トソン「……」
ミ´- _- 彡「ニャー」
(゚、゚;トソン「……に…」
ミ´- _- 彡「?」
(゚、゚;トソン「に、ニャッ」
ミ´- _- 彡「…」
(゚、゚;トソン「…………」
ミ´- _- 彡「ニャー」
(゚、゚トソン「…」
ミ´- _- 彡「ゴロゴロ」
(゚、゚*トソン「…」
693
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:10:36 ID:BoYVctQs0
折角の旅行なんだから、精神論は無しにしよう。
いくら思考を煮詰めても、納得のいく結論が出ないことはざらにある。
考えを巡らすのは、また別の様会にとっておこうと思う。
いずれ時間が解決する。
流れる時間の中の私が諭してくれる。
葛藤は、最期の最後までとっておこう。
夢から覚めるまで、覚るまで。
(゚、゚*トソン「ニャア!」
694
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:12:29 ID:BoYVctQs0
(゚、゚トソンたまねぎのようです 終
695
:
◆MSKEobRqzo
:2020/06/18(木) 02:13:33 ID:BoYVctQs0
以上です。
大量に他作品のネタをパクりまくって、本当に本当に申し訳ございませんでした。
696
:
名無しさん
:2020/06/18(木) 02:20:01 ID:uUYYQHGw0
乙!!、!
697
:
名無しさん
:2020/06/20(土) 01:06:08 ID:.1vdG8wg0
この作品読むことができて良かったわ
乙
698
:
名無しさん
:2020/06/22(月) 17:17:44 ID:cJ.BY/fE0
あーーーめちゃくちゃ良かった
すごくよかった
699
:
名無しさん
:2020/07/08(水) 16:55:40 ID:QJUIAjU.0
急にらん豚ブッ込んでくんなや!シリアスだったのにわろてまうやんけ!
乙!
700
:
('A`;削除)
:('A`;削除)
('A`;削除)
701
:
('A`;削除)
:('A`;削除)
('A`;削除)
702
:
名無しさん
:2020/07/21(火) 13:03:38 ID:hSC5AW.A0
へんぴ
703
:
MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 12:53:30 ID:/VREY1p60
7話投下し忘れていたので今夜落とします。
今更で申し訳ありません。
704
:
名無しさん
:2020/08/12(水) 18:58:53 ID:St0Att760
楽しみ
でも酉がちょっとおかしい
705
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:33:32 ID:wgN5bZDE0
7.缺ヒッキー
706
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:35:13 ID:wgN5bZDE0
(-_-)「それにしても現実問題、外泊なんて許されるのか?
というか、誰の家でやるつもりなんだよ」
僕らは今、都心の大型ショッピングモールの中にいる。
両手にはファンシーなぬいぐるみが大量に押し込められたビニール袋と、大手ブランドのショッパーバッグ、それにアニメのキャラクターをあしらった風船が3つほど握られている。
殆ど全て彼の戦利品だ。
一先ず今はモール内のフードコートにて休息を摂っている。
彼の所有物である以上、地べたに置くわけにもいくまい。
707
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:36:10 ID:wgN5bZDE0
(・∀ ・)「外泊については、両親けっこー寛容だから許可はもらえるだろーよ。
俺自体に問題は無い。
友達んちに暫く世話になるとか言っとけば、納得するだろうしさ」
彼は近郊のマンションにて両親と暮らしている。
三人家族、間取りは確か4LDKだったはず。
なぜ三人なのにそんな広い物件に住んでいるのかと尋ねると、
(・∀ ・)「残った一部屋は物置」
とだけ言っていた。
部屋以外にキッチンやダイニングもあるのだから、スペース的に十分すぎるような気もするが。
708
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:37:04 ID:wgN5bZDE0
彼は両親に自分達の関係や性的嗜好は告白していない。
自分が同性愛者だと気づいたのは中学に上がったばかりの頃だと言っていた。
幼い頃から男女の隔たりなく誰とでも仲良く遊んでいた、活発な少年だったらしい。
彼は昔から整った顔立ちをしていた為、よく女の子と間違えられていた。
体つきも華奢で今よりも線が細く、所謂美少年だった。
初恋の相手は女の子で小学校低学年の頃。
709
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:38:30 ID:wgN5bZDE0
ただ、何となく違和感のような物は、その頃からあったという。
恋をしてもキスをしても友達の延長線のような認識しかなく、後の彼女もそうだったと。
中学に上がると、近隣小学校の見知らぬ子供たちが入りこんでくる。
彼は他の学校から来た男の子に、何かときめきを感じたと話していた。
しかしその淡い恋心は告げることなく、自身がLGBTである事実は今もなお公にはしていない。
怖いのだという。勇気が出ないのだとも言っていた。
詳しい話は教えてくれない。まだ言いたくないらしい。
それらを語っていた時の彼の表情は、なぜか妙に楽しそうな笑顔だった。
710
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:39:55 ID:wgN5bZDE0
両親にとっては一人息子である故、孫の顔を見せることが出来ない可能性を示唆するカミングアウトは未だ出来ていないらしい。
僕も一人息子ではないとはいえ、孫の顔を親に見せられないのは申し訳なく思っている。
彼も似たような状況なので、両親に同性愛者だと告げることが出来ない気持ちもよく分かる。
それ故、僕達はまだ家族についての込み入った事情については話し合っていない。
いずれ時が来た時に話すべきだと思っている。
…しかし、いずれとはいつのことなのだろう。
深い事情の話を時間のせいにして遠回しにしていると、いずれその日が訪れなくなるのではないかと時々思う。
果たして、その語り合うべき時は本当に来るのだろうか。
711
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:40:55 ID:wgN5bZDE0
(・∀ ・)「ヒッキーは一人暮らしだから問題ないだろうけどもよ。
…悪いが俺には、泊めてくれそうなやつの心当たりは無い。
ってか逆に、ヒッキーは誰か宛があったりするのか?
お前の部屋は何人も宿泊できるほどデカくねーしさ」
外泊が問題無いとなると、重要なのはそこだった。
誰に泊めてもらおうか。
またんきが今言ったとおりで、僕の住居はポロアパートのワンルームだ。
広さ四畳半の和室、窓際に大きめのクローゼットが鎮座している。
築65年の民家を2年前にリフォームした物件。
クローゼットやら本棚やら冷蔵庫やら食器棚やら平たいベッドやらが所狭しと押し込められた空間であるため、実質的な生活スペースは2畳にも満たないだろう。
712
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:41:54 ID:wgN5bZDE0
僕はそんなゴミ箱みたいな部屋で生活している。
他人を泊められる余裕は一切無い。
(-_-)「そうだよな、それが一番頭を悩ましているところなんだよ。
トソンさんの部屋とかは、どうなんだ?」
女の子の、まして女子高生の部屋であるため、自分で言っておいて気が引けている。
(・∀ ・)「あいつんちには何回か行ったことあるけどよ、ヒッキーの部屋より整理整頓されてるってだけで、広さは大して変わらなかったぜ。
それにあいつは、自分ちに野郎二人も泊めたくないだろ。
俺がもし女だとしても、年頃の男二人と寝床を共にするなんて、まず考えらんねーし。
…だとしたらくるうさんちも、おんなじ間取りだから難しそうだよなぁ…」
713
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:43:06 ID:wgN5bZDE0
彼は僕の元カノである韶実くるうの存在を既に認知している。
過去に付き合っていたということは話していないが、またんきのことだから恐らく何かを察しているのかもしれない。
彼がそれを知っていて聞いてこないのか、気付いていないのかは僕には分からない。
彼は不用意に他者の生活に干渉しないし、自分の心情に関与する意見も同様に表出しない。
本当の意味での本音を、真意を誰にも語りたがらない性格だ。
…誰かと瓜二つだ。
もしかしたらそれも、僕が彼と一緒にいる理由の一つなのかもしれない。
714
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:44:10 ID:wgN5bZDE0
(-_-)「正直なところ、その二人がこの提案に乗るかどうかすら怪しいけどな。
くるうはともかく、トソンさんが同じ屋根の下、他人と寝れるかって時点で少し怪しい。
…二人とも、面白い事には目が無いって部分だけは、共通してるんだがな」
(・∀ ・)「トソンの場合、なんやかんや当事者の疑惑もあるし、首突っ込まずにはいられないだろうよ。
あと可能性があるとするならー」
(-_-)「あの二人ぐらい?」
(・∀ ・)「あの二人? ……あー、先輩のこと?」
自分たちの事情を知っていて、且つ許容出来る人物だと、もう彼ら二人ぐらいしか思い当たらない。
715
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:45:34 ID:wgN5bZDE0
一人は、仆盛 デミタス(フモリ デミタス)。もう一人はその彼女の、厭藤 ペニサス(イトウ ペニサス)。
デミタス君は、またんきやトソンさんと同じ高校の先輩に当たる人物で、確か今年受験生だった筈だ。
彼の両親は既に故人であったが、その二人の遺産のおかげで彼は現在、少し大きなマンションで暮らしていたと思う。
ペニサスさんは現在高校二年生、またんき達とは別の学校に通っている。
彼氏であるデミタス君と同居中だ。
その事実を聞いたときは随分とませた高校生だなと思っていたが、どうにも折入った深い事情がある様子だった。
詳細については聴くことが憚られたので、あまり認知していない。
716
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:46:35 ID:wgN5bZDE0
デミタス君とは美術展で知り合った。
全国の都道府県で選び抜かれた学校の美術部員が描いた作品が一斉に展示される催しが近所で開催されていて、その時に心を奪われた絵画を制作したのが彼だったのだ。
それ以来二人とは何かと縁があって、現在では僕の数少ない友人の一人になっている。
少し前に会った際、幾つか使っていない部屋があると話していた。
二人の了承さえ得られれば、どうにかなるだろうと思う。
因みにデミタス君とペニサスさんは、くるうやトソンさんとは面識が無い。
カップル二人については考えるのも杞憂な気がするが、くるうとトソンさんはどうだろうか。
717
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:47:24 ID:wgN5bZDE0
(・∀ ・)「あのカップルか…。
別にいいけどもさ、俺ちょっと、デミタス先輩苦手なんだよね」
(-_-)「そうだったか? 学校ではよく世話になってるって言ってなかった?」
(・∀ ・)「いや、会話とかは寧ろウマが合う。
そうじゃなくてだな…その、こう、体格的な部分というか、外見的な部分というか…」
(-_-)「なるほど、そういうことか」
(・∀ ・)「これマジで誰にも言うなよ?」
(-_-)「分かってるって。
いや、でも何というか、未だその事に慣れてなかったんだな」
718
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:48:40 ID:wgN5bZDE0
またんきは自分より背の高い物が苦手だ。
恐らく誰しも感じたことがあるだろう、自分を上から見下ろされる感覚。
或いは見下されているかのような圧迫感。
デミタス君の場合は威圧感とも言えるだろうか。
仆盛デミタス。彼は異常な程に巨大だ。190cmは優に超えるだろう。
もしかしたら2mをも超えるかも知れない。
性格も一筋縄にはいかないが、その圧倒的な巨体で彼と距離を取る人間は少なくないだろうと予想できる。
決して悪人に部類されるような人物ではない。
寧ろ性格は極めて穏やかで、常に柔和な笑みを携えた、優しい心の持ち主だ。
ただ、一枚岩な性格では無いというだけの話である。
719
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:49:27 ID:wgN5bZDE0
(・∀ ・)「とにかくっ!」
(;-_-)「うおっ」
いきなり大きな声を挙げるから驚いてしまった。
彼は怯えている自分を鼓舞するかのように話し始める。若干早口で聞き取りづらい。
(・∀ ・)「これで役者は揃ったわけだ。
早速みんなに連絡して丸め込もうぜ! 善は急げって言うしな」
嬉々とした表情で話す彼は、何故か生き急いでいるような、或いは死に急いでいるかのような儚さを醸し出していた。
720
:
◆MSKEobRqzo
:2020/08/12(水) 21:50:20 ID:wgN5bZDE0
以上になります。
失礼致しました。
721
:
名無しさん
:2020/08/13(木) 13:28:17 ID:rVvhvIlI0
おつおつおつ
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