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海のひつじを忘れないようです
283
:
名無しさん
:2017/08/21(月) 22:11:24 ID:vG2lH35Y0
「あれ、持ってきてくれる?」
ミセリが指の先を曲げて引っ張り寄せるようなジェスチャーを行う。
けれどぼくはミセリの意図がわからず、それにこの小さな身体から
手を離してしまってよいものなのかもわからず、動くに動けなかった。
そんなぼくに、彼女がもう一度催促する。大丈夫だからと、付け加えて。
結局、彼女の言葉に従った。「お願い」とつぶやいた彼女の、
その妙にさみしそうな声色に負けて。彼女の身体を、手近な木にもたせかけ、
放り投げたノートを再び拾う。開いていたページに付着した緑を払い、彼女に手渡す。
ノートを受け取った彼女は、その開いたページに顔を近づけた。
まつげと紙とが触れそうなくらいな、至近距離にまで。
まるでそうしないと、書かれている文字が読み取れないかのように。
まるで視力が、ほとんどないかのように。
彼女の隣に座る。彼女からノートを取り上げる。
彼女が少し驚いたようにぼくを見た。
吐息のかかる距離で。生を感じる、その距離で。
叫び声は必要なかった。ささやき声で、十分だった。
ノートを開き、読み上げる。そこに書かれた文言を。
魔女の残した魔法の呪文を。長い、長い時間を掛けて、
ぼくはその一個の物語を読み上げていった。秘めたる魔女の内面を唄っていった。
彼女は黙って聞いていた。目をつむって、森の一部と化したように静止していた。
静止しながら、それでも彼女は生きていた。ぼくが最後のページを読み終えた時、
彼女の閉じた目元から、涙が一筋こぼれ落ちた。
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