■掲示板に戻る■ ■過去ログ 倉庫一覧■
戦場監督「謀反イク」
-
てゐーっ!(一太刀)
-
お願いし申すと行ってみろ!
-
なんていやらしい"""穴"""なのだ…(釣り野伏等の策を警戒)
-
勝鬨の声くらい出せよ
-
兵糧攻めて!もっと兵糧攻めて!
-
太い軍資金が欲しい…(貧乏旗本)
-
(謀反の噂を流して殿を疑心暗鬼にさせるなんて)どこの罠だよ
-
な・ま・く・び・がっ いいわぁ〜(人斬り修羅)
-
(搦手ばかりに気を取られて正門からの侵入を許し亭許して)ケツマンコばっかりじゃねぇよ
-
単騎で本陣を急襲し敵軍大将が咄嗟に受け止めた軍配に太刀の傷を付けた事からタチ中年の異名がついたらしい
-
人よりちょっと武勲を上げたからって調子に乗るな
-
数多の合戦で活躍したため、その役職から鬼玄蕃と呼ばれていたが、有名な辞世の句「何か変 まんこに太いのが 入っトゥル いいわいいわ 乳首がいいわ」からも分かる通り、こいつ相当な変態だぜ?
玄蕃寮に勤めていた際、歓待していたキリシタン宣教師らを厚遇、その教えにも理解を示し率先して広めたため、宣教師らから「完徳」と呼ばれていた
彼の通称である現場監督とは玄蕃と完徳が変じた物であるとされる
-
ほら編隊親父行くぞ(出陣)
-
何か変、変よ変よ(伏兵の気配)
-
来年の大河ですよね
俺は現信じゃないけど楽しみだなあ
-
(太刀筋が)見える見える…不刀いいぜ(刀を捨てる)
これ以上(お前の剣は俺の身体に)入らないみたい
-
「ハイルハイル…」と何かを刀に込める仕草を見せたり「太い珍宝におまん魂(坂本龍馬)が入っちゃう!」と何らかの霊的な力を宿すような戦いを見せたことから「太刀中念」の異名を持っていた(単に死ぬほどしつこかったため太刀執念と呼ばれていた説もある)
-
(信玄の本陣に) 入っちゃった〜><;
-
あの腹でどうやって戦うんだよ
-
大魂でも入るんじゃないか?(シャーマンキング)
-
火の手が広がってないか?(本能寺)
-
太い部屋(城内の間取りの異変をいち早く察知し隠し通路の存在に気づく)
-
>>12
部下からの圧倒的な人望から「今玄徳」とも呼ばれていたらしい
-
玄蕃(げんば)には黄色の極小ふんどしを身に着けてお気に入りの小坊主と陣中で盛り合っていたという逸話が伝わる。
このとき玄蕃はふんどしの下で勃起をしており、この様子を実家が貸家を営む家臣が目撃し、ひよこを連想したことからひよこを象った菓子が生まれたという。
-
なんてぇ親父なの(幼少期の頃から虐待まがいの稽古をつけられる)
-
(戦果を)報告してくれよ…
ぐはぁ!(懇意にしていた部下の死を告げられる)
-
お前ボカロみてぇだな!?
-
戦火が広がってないか?(後退を余儀なくされる前線)
-
南下変…変よ変よ(自分の部隊の謀反に気づく)
-
>>15
ああ〜ダメダメダメ(現場役西田敏行逝去で制作中止)
-
少し武士「こっちの流派なんかさ、すごいんだぜ?(自慢)」
-
大好き死「だから(切腹は武士として)ズルいって言うのマヂやめて」
-
ぐはぁ!(腹心の叛逆)
-
77歳の黄門水戸藩の印籠爺「なんで徳川さんそんなにね?若々しくて元気でね?ここに居るの、本物なんですかって言われて(笑)」
-
どっちだよ(小山評定)
-
玄部隊(げんぶた)きっしょ
-
玄庵(げんあん)はいい加減に玄蕃寛徳が当代最高の武将で美丈夫であることを認めなよ(笑)
-
焼き討ちされて炎に囲まれ絶体絶命の時も全員を斬り終わるまで奥の間から逃げなかったらしい
その時の逸話が「火寄るに武去らん部屋」と伝わり城下に伝わる符牒の「ひょんにむさらんへよ」になったとか
-
謀反するような奴は結局部下に謀反されるケースが多いから
後に部下に討たれるだろうね
-
>>38
草
-
後の為政者によって書き換えられた偽りの現場像に惑わされてる学者が多すぎw
あんなの百姓上がりの薄汚い浪人だったわよ
-
"忠念"という太刀を終生愛用したらしい
-
>>42
希少な隕鉄使った流星刀で一振しかないから「幻刃」って呼ばれてる奴だよね
-
もっと武帝!武帝武帝!(軍事クーデターの暗示)
-
「布都意珍宝」(布都の意思を宿すと謳われる伝説の刀)を大変気に入っており、御万庫(沢山の宝物を収納出来るほど広い倉庫の意)に入れて愛でていたという逸話がある
-
乙杯(地名)攻めて!もっと乙杯攻めて!
-
歴史書によって扱いがバラバラすぎる
絶世の美男子で市井から尊敬されていたという記述もあれば、顔だけの自惚れ屋と非難されていたとも言われている
しかも女の子説まであると言うね...
-
なんなら実在を疑問視されてるのもある
-
現様上杉謙信説
-
ではお願いし申すと言うてみよ!
-
豪族の健志絵夢氏の末裔らしい
■掲示板に戻る■ ■過去ログ倉庫一覧■