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よくわかるグラスリップ概論

171名前なんか必要ねぇんだよ!:2017/01/16(月) 00:25:02 ID:aqmHM/4g
新年あけましておめでとうございます。
グラスリップ研究学会から酉年にちなんで「どうせみんなジョナサンになる」をお送りします。

グラスリップにおいて印象的に登場する「鳶」と「鶏」ですが、一言で違いを述べるなら、飛べるか飛べないかでしょう。
それはそのまま登場人物の自由にならない現実として描かれます。
概論では鳶=駆となっていますが、本編を見ればわかる通り、彼自身もまた地べたを歩き回るしかない鶏でもあります。

例えばそれは第三話「ポリバケツ」において、山に誘われた彼が透子に「山には一人で登るから」と答えた帰り道、鳶を見上げる駆の姿が止め絵で描かれます。(グラスリップの止め絵がそれほど重要なのかという疑問点はさておき)
駆は他に二度、鳶を見上げるシーンがあります。ひとつは殴られに神社へ行ったとき。もうひとつは、学校に行き透子にもらった腕飾りを見て「会いたいよ」とか呟いちゃう直前。どちらにせよ、やはりままならない現実に悩んでいます。

この辺りのことを踏まえると、唐突な当たり前の孤独を沖倉両親から聞いた透子が、
「ジョナサン、あなたもしかして駆くん?」と、頭疑うような発言したことから多少は電波っぽさがなくなるのではないでしょうか。
どこか超然としたキャラクターとして配置されていたダビデが、実は自分たちと同じ不自由に悩む若者であったのだと判明したわけです。

選択肢の不足によって受動的にならざるを得なかった子供が、大人になり自由意思によって動き始めるというのが、今回テーマである「ジョナサン化」であり、おそらくは制作陣が設定したキャラクターの成長なのではないか、となるわけです。
裏側を知らず貸し出される本をひたすら読んでいた祐が、本性を知った後に、彼の祖父が言った「読まされ」ていたのとは違う心境で読書を始めること。両親の再婚や透子に惚れている男相手に、きちんと向き合おうとするやなぎ。

主人公の沖倉駆については、すくなくとも鳥に着目してみれば、自分の判断で母親について世界を回ることになったのだろうと思われます。
なぜならば透子は彼を追うのか待つのかはさておき、なにかしらの決心をしたのだろうことが読み取れます。
そう考えると、最後にジョナサンの由来が「冒険者」と聞いた直後に透子が、「未来の私が」の発言をする唐突さも、こうしてみれば筋道の通った彼女なりの決意だとわかるのではないでしょうか。

冒険者ジョナサンは、かもめのジョナサンなのか、にわとりのジョナサンなのか、ジョースター家の甘ちゃんなのかは知りませんが、最初から飛べるわけではない不自由な鶏が、鶏小屋から飛び立っていく成長を、鳶との対比によって表現しているのではないでしょうか、ということです。


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