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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

794名前なんか必要ねぇんだよ!:2016/03/03(木) 19:50:57 ID:fulr9Cw2
3月3日はサン=ステファノ条約が結ばれた日です

>>793で見たロシア皇帝アレクサンドル2世による大改革ですが、当初から軌道に乗っていたわけではなく、国民の不満は解消されませんでした
この不満を外に逸らすためにアレクサンドルは対外進出を図り、その標的として目を向けたのがバルカン半島でした
バルカン半島ではオスマン帝国の弱体化に乗じて諸民族の独立運動が盛んであり、また普仏戦争でフランス皇帝ナポレオン3世が失脚したことでロシアはフランスに圧力をかけ、クリミア戦争の講和条約であるパリ条約を改定させることに成功、バルカン半島進出の準備を着々と進めていきます

そんな中の1875年、オスマン帝国支配下のボスニア=ヘルツェゴビナでギリシア正教徒が反乱を起こしし、これがブルガリアにも波及して1876年に四月蜂起が発生しました
またセルビア・モンテネグロがボスニア=ヘルツェゴビナの領有を主張し、オスマン帝国と開戦しましたがオスマン帝国によって撃退され休戦、四月蜂起もまたオスマン帝国によって武力で鎮圧され、多くのブルガリア人が虐殺されるという事態となりました

これを見たロシアは1877年4月、パン=スラヴ主義に基づくスラヴ人の解放、ギリシア正教徒の保護を口実としてオスマン帝国に宣戦、露土戦争が勃発しました
ロシアはシプカン峠の戦いでの勝利以降戦局を優位に進め、イスタンブールに迫ります
オスマン帝国はイギリスに支援を要請し、これに応えたイギリスがマルマラ海に軍を派遣したためロシアとイギリスとの間での戦争の危機が高まり、ロシアはオスマン帝国と講和条約を結びます
これが1878年3月3日に結ばれたサン=ステファノ条約で、この条約によってセルビア・モンテネグロ・ルーマニアの独立が認められ、ロシア保護下でマケドニアを含むドナウ川からエーゲ海に至る大ブルガリア公国が建設されました
これによって不凍港の獲得を宿願とするロシアの南下政策が大きく前進することになりましたが、ロシアの南下を危惧するイギリスと、バルカン半島においてパン=ゲルマン主義を掲げるオーストリアが反発したため緊張が高まることにもなります
これは「誠実な仲介人」を自認するドイツ宰相ビスマルクの呼びかけによってベルリン会議が開かれ、ベルリン条約が結ばれるとともにサン=ステファノ条約は破棄され、ブルガリアは領土を縮小、ロシアの影響力も排除されることとなりました
これによってロシアの南下政策はまたも挫折し、>>761で見たようにロシアとドイツの関係は悪化、またブルガリアでもサン=ステファノ条約での大ブルガリア公国領の復活を目指す大ブルガリア主義が広まっていくこととなります


参考文献
・柴宣弘『図説バルカンの歴史』河出書房新社、2001年
・和田春樹『世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
・谷川稔他『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年


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