[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
787
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2016/02/26(金) 12:26:14 ID:dHk0XJwk
2月26日はベルリン会議が終了した日です
19世紀、ヨーロッパ各地で産業革命によって工業化が進展すると、アフリカは機械の潤滑油となるヤシ油・ピーナッツ油の生産地としての需要が高まり、また工業製品市場としての役割も果たすようになりました
それまでヨーロッパによるアフリカへの進出は地中海沿岸にあたる北部と、貿易拠点となる沿岸部に限られていましたが、この時代には内地への進出が活発化し探検やキリスト教布教が行われるようになります
これらの活動はヨーロッパによるアフリカの植民地化を推し進めることにもなり、スタンリーの探検によってコンゴがベルギーの植民地となったのは
>>89
でも見た通りです
しかしこのベルギーの進出に対しイギリスとポルトガルが反発し、これにフランスなども絡んでコンゴをめぐる対立が深まっていきました
この対立の原因が列強による無秩序なアフリカ分割にあったため、1884年、ドイツのビスマルクが仲介に乗り出しベルリン会議が開かれます
会議にはアフリカ進出を図る14の国々が参加し、秩序だったアフリカ分割が話し合われました
そして1885年2月26日、ベルリン会議は終了し列強間での協定が取り決められました
その内容は、コンゴ自由国の権益を承認、コンゴ盆地の自由貿易と中立化、コンゴ川・ニジェール川における航行自由権、奴隷貿易の禁止などでした
また、会議ではアフリカ分割における基本原則も合意されます
1つは勢力範囲の原則で、沿岸部を占領すればその後背地の所有権も得られ、また他国の権益が無い場所を勢力圏に組み入れる際には列強に通告しさえすればよいというものでした
もう1つは実効支配の原則で、新たにアフリカの領土を併合する場合、その地域における他国の権益、通商・航行の自由を確実に保障できる実体的な支配権を確立しなければならないというものでした
このために列強は現地で行政・治安機構を整備することが必要となり、列強によるアフリカの植民地化が急速に進められることとなったのでした
参考文献
・宮本正興・松田素二編『新書アフリカ史』講談社、1997年
・川田順造編『世界各国史10 アフリカ史』山川出版社、2009年
・福井勝義他編『世界の歴史24 アフリカの民族と社会』中央公論新社、2010年
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板