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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
775
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/10/28(水) 10:46:28 ID:6OSWRmRo
10月28日はマルグレーテ1世が死去した日です
北欧の3国、デンマーク・スウェーデン・ノルウェーは、ヴァイキング時代を通じてキリスト教化が進み、また部族の統合も進んで国家としての形が整えられていきました
その後11〜14世紀初頭にかけて、それぞれの国内では王や貴族、聖職者の間での争いが続きます
国外からも神聖ローマ皇帝や帝国諸侯、ハンザ同盟の諸都市の圧迫を受け、13世紀にスウェーデンに併合されていたフィンランドもノヴゴロド国に攻撃されてカレリア地方の東半分を割譲するなど、外部勢力の進出によって動揺する時代が続いていました
このような状況で国内を平定し王権を高め、また積極的な外征によって失地を回復していったのが1340年にデンマーク王に即位したヴァルデマール4世でした
ヴァルデマール4世によるデンマークの強大化は周囲の警戒を招き、反デンマーク同盟が結成されます
同盟にはハンザ同盟の諸都市やシュレスヴィヒ、ホルシュタインなどの帝国諸侯だけでなくスウェーデンも加わっておりデンマークは苦境に立たされますが、1370年に講和がなされデンマークの領土は維持されました
こうしてデンマークを強国にのし上げたヴァルデマール4世が男子が産まれまいまま1375年に死去した後、その実権を握ったのがマルグレーテ1世でした
マルグレーテは王位継承問題に際し、自身の息子であるオーロフ2世をデンマーク王とすることに成功し、自らは摂政として国政の実権を握りました
またノルウェー王妃でもあったマルグレーテは夫であるノルウェー王ホーコン6世が急死すると、オーロフ2世をノルウェー王に就け、こちらではオーラヴ4世として即位します
こうして両国は同君連合となり、デンマーク=ノルウェー連合王国が成立、マルグレーテは摂政としてその事実上の支配者となったのです
このオーロフ2世は1387年に17歳で急死し王位が空位となってしまいますが、デンマーク議会はマルグレーテを王国全体の後見人とし、実質的な女王としての権限を与え、新国王選出を委ねることとなります
ここでマルグレーテが新国王に選んだのが、自身の又甥にあたるポンメルンのエーリクでした
エーリクはまずノルウェー国王エイリーク3世として即位します
また当時スウェーデンではメクレンブルク出身のアルブレクトが国王となっていましたが、貴族や聖職者との対立が続いており、マルグレーテはスウェーデン貴族の要請に応えてスウェーデンに出兵、アルブレクトは追放されました
ここで新たにスウェーデン王となったのが先にノルウェー王となっていたエーリクで、こちらではエリク13世として即します
エリクはデンマーク王エーリク7世としても即位し、ここにデンマーク・ノルウェー・スウェーデン3国による同君連合が成立したのです
この連合を確固たるものとするため1397年、マルグレーテはデンマーク優位のカルマル同盟を結成します
これによってデンマーク連合王国が成立し、北欧3国は
>>159
でスウェーデンが独立するまで統合されることとなったのです
マルグレーテは1412年10月28日に死去しするまで3国の摂政として事実上の支配者として君臨し、大国となったデンマークを主導したのでした
本日はマルグレーテ「女王」の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・武田龍夫『物語北欧の歴史 モデル国家の生成』中央公論社、1993年
・百瀬宏・熊野聡・村井誠人『世界各国史21 北欧史』山川出版社、1998年
・橋本淳『デンマークの歴史』創元社、1999年
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