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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
767
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2015/10/19(月) 21:59:32 ID:PnPTMUN6
10月19日はイサベルとフェルナンドが結婚した日です
15世紀のスペイン、カスティーリャ王国ではフアン2世・エンリケ4世と指導力に欠ける王が続き、貴族勢力が政治を牛耳るようになりました
特にエンリケ4世の評判は悪く、その治世で貴族はますます勢力を伸ばしていきます
またエンリケには嫡男が産まれず、王位は王女のフアナあるいはエンリケの異母妹イサベルが継承することとなります
このうちフアナはラ=ベルトラネーハと呼ばれたように、エンリケの寵臣ベルトラン=デ=ラ=クエバが父親であるとされました
真偽はどうあれ、エンリケはロス=トロス=デ=ギサンド協定でフアナの王位継承権を否定し、イサベルを王位継承者としたのは事実です
エンリケに反対する勢力はこれを認めず、エンリケの異母弟アルフォンソをアルフォンソ12世として擁立しますが、アルフォンソが急死したため計画は頓挫、イサベルの王位継承が決定されました
一方アラゴン=カタルーニャ連合王国でも混乱が起こっていました
アラゴンは度々ペストに襲われたことで国土が荒廃し、また王権・貴族層・中産階級層・都市平民層・農民層など様々な勢力が対立し、分裂していたのです
これはナバラ王アルフォンソ5世の弟フアン2世がアラゴン王になったことでさらに激化します
ナバラ王国内の紛争が隣接するカタルーニャに持ち込まれ、内戦に発展しました
これを収拾するためフアンはフランス王ルイ11世に救援を求め、ピレネー山脈のフランス側のカタルーニャを譲渡する代償を払ってようやく状況を打開できたのです
この平定後の状況を固めるために行ったのが、息子フェルナンドとカスティーリャのイサベルとの結婚でした
1469年10月19日、イサベルとフェルナンドは結婚し、ここにカスティーリャとアラゴンの合同が成立します
1474年にエンリケ4世が死去したことで2人は共同でカスティーリャ王となりました
もっともこの時点ではカスティーリャとアラゴンはそれぞれの慣習が引き継がれ、国家としての連合は希薄でした
1479年にアラゴン王フアン2世が死去し、フェルナンドが王位を継承したことでカスティーリャとアラゴンは連合王国として機能するようになるのでした
本日はカスティーリャ・アラゴン連合の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・立石博高『世界各国史16 スペイン・ポルトガル史』山川出版社、2000年
・岩根圀和『物語スペインの歴史 海洋帝国の黄金時代』中央公論新社、2002年
・アントニオ・ドミンゲス・オルティス、立石博高訳『スペイン 三千年の歴史』昭和堂、2006年
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