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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

765名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/10/14(水) 13:06:57 ID:hftCl/gg
10月14日はイエナ・アウエルシュタットの戦いが行われた日です

フランス革命に際しプロイセンはオーストリアとともにピルニッツ宣言を発して反革命の姿勢を明確にし、フランスへの干渉を進めました
もっとも両国にとってはオスマン帝国やロシアの進出に対抗する方が急務であり、>>364などで見たようなポーランド分割が行われます
一方フランスはピルニッツ宣言を脅威に感じ両国に宣戦布告、1792年のヴァルミーの戦いでの勝利後は攻勢に出、94年にはライン川左岸一帯を領有するようになります

このフランスの進出に対し、93年なはプロイセン・オーストリアにイギリスなども加わって第一回対仏大同盟が結成されますが、プロイセンは95年にフランスと単独講和を結び同盟を離脱します
これでオーストリアは事実上孤立してしまい、カンポ・フェルミオの和約でベルギーを、リュネヴィルの和約でトスカーナを放棄し、フランスのライン川左岸領有も認めさせられました
しかしその補償としてライン川以東の諸領邦を統廃合しプロイセン・オーストリアに与えられるという条項も盛り込まれていました

こうして1803年、神聖ローマ帝国の諸領邦はナポレオンによって整理され、バイエルン・ヴュルテンベルク・バーデンなどが領土を拡大してプロイセン・オーストリアに続く第三勢力として台頭、ナポレオンの保護下に入ります
この諸領邦の統廃合の過程で>>211のライン同盟が成立し、ここに神聖ローマ帝国が解体されました

このようにナポレオンがドイツに進出し大きな影響力を持ったことは、当然プロイセンの警戒を呼び起こします
直接のきっかけとなったのがハノーファー支配を巡る両者の利害対立で、プロイセンは宣戦布告し軍を南下させます
しかし1806年10月14日、イエナ・アウエルシュタットにおいてプロイセンは大敗を喫し、ナポレオンは勢いに乗じてプロイセンの首都ベルリンまで侵攻するのです
そして翌年には>>668で見た屈辱的なティルジット条約が結ばれることとなるのでした


本日はプロイセンの決定的敗北の誕生日です、お悔やみ申し上げます


参考文献
・木村靖二編『世界各国史13 ドイツ史』山川出版社、2001年
・福井憲彦編『世界各国史12 フランス史』山川出版社、2001年
・谷川稔他『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年


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