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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

710名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/08/17(月) 00:01:17 ID:IK9R1v2o
8月17日はトラヤヌスの門の戦いが行われた日です

>>133で見たように、ブルガリアはシメオン1世がコンスタンティノープル総主教から皇帝として加冠され、またブルガリア大主教を総主教に格上げさせてブルガリア正教会の独立を実現、第一次ブルガリア帝国の最盛期を現出しました
しかし彼の度重なる征服戦争は国力の疲弊を招き、財政は破綻することとなります
927年にシメオンが死去すると以後は積極的な行動を取れなくなったのです

シメオンの後を継いだのはペタル1世でしたが、彼の治世でブルガリアはビザンツ帝国の一従属国となり、セルビア人やマジャール人との戦いで疲弊していきます
ペタルの後を継いだボリス2世の代でもブルガリアの劣勢は続き、969年にはキエフ大公国の攻撃で壊滅的な打撃を受けました
971年にはブルガリアを併合し、ボリスはコンスタンティノープルにて退位、ブルガリア正教会も再びコンスタンティノープル総主教の管理下に置かれることとなったのです

しかし976年、ビザンツ皇帝ヨハネス1世が急死し新たにバシレイオス2世が即位すると、ビザンツ帝国では反乱が勃発します
貴族が起こしたこの反乱は約2年間に渡って続き、これに乗じてブルガリアでは地方長官の子であったサムイルが独立国家を建設、シメオン1世の後継者を自称して皇帝を名乗りました
バシレイオスはこれを鎮圧するため自ら軍を率いブルガリアに侵攻しますが、986年8月17日、トラヤヌスの門の戦いにてサムイルに大敗、コンスタンティノープルへの撤退を余儀なくされます
その後ビザンツ帝国では軍事権を掌握していた大貴族バルダス=フォーカスの反乱が起こり、これに多数の貴族が加担したためバシレイオスはその鎮圧に謀殺されました
一方サムイルはビザンツ帝国への反撃を開始、一時は旧ブルガリア帝国領の大半を回復、バルカン半島をほぼ制圧することとなったのでした


本日は第一次ブルガリア帝国復興の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・森安達也・今井淳子訳編『ブルガリア─風土と歴史』恒文社、1981年
・ロバート・ブラウニング、金原保夫訳『ビザンツ帝国とブルガリア』東海大学出版会、1995年
・井上浩一・栗生沢猛夫『世界の歴史11 ビザンツとスラヴ』中央公論新社、2009年


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