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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

692名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/07/30(木) 00:28:56 ID:xHyUWr4s
7月30日はプラハ窓外投擲事件が起こった日です

>>288の大シスマによってローマ教皇の権威失墜は決定的となり、各地で教会の世俗化や腐敗がさらに進行していきました
14世紀後半にはオックスフォード大学のウィクリフが教皇権を否定し教会が財産を蓄えることを批判、そしてイングランドの教会・国王の教皇からの独立を訴え、聖書の英語訳を進めます
このウィクリフの説に共感したのがベーメンのフスで、彼もまた教会の土地所有や世俗化を批判、また聖書のチェコ語訳を進め、民衆もこれを支持するようになりました

教皇はこれに対しフスを破門、また神聖ローマ皇帝ジギスムントは1415年、コンスタンツ公会議にてフスを焚刑に処しました
この結果ベーメンではジギスムントに対し激しい怒りが沸き起こり、より急進的なフス派の信仰が広がるようになります
そしてジギスムントがベーメン王も兼ねることになるとついにプラハ市民は決起、1419年7月30日、プラハ市庁舎を襲撃し市長と市参事会員を窓から投げ落とすというプラハ窓外投擲事件が起こります

この事件がきっかけとなって勃発したのがフス戦争です
フス派にはプラハの都市貴族・大学を中心とするウトラキスト派と、農民・職人・下層騎士を中心とするより急進的なターボル派がおり、当初両派は協力したびたび皇帝軍を撃破しました
やがて教皇がバーゼル公会議で妥協案を出し、ウトラキスト派はカトリックと結びターボル派が敗れることになります
1436年にウトラキスト派とカトリックは和約を結びフス戦争は終結しますが、宗教改革やチェコ人の民族運動の先駆として後世に影響を与えることとなるのでした


本日はフス戦争の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・南塚信吾『世界各国史19 ドナウ・ヨーロッパ史』山川出版社、1999年
・木村靖二編『世界各国史13ドイツ史』山川出版社、2001年
・薩摩秀登『物語チェコの歴史 森と高原と古城の国』中央公論新社、2006年


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