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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

691名前なんか必要ねぇんだよ!:2015/07/29(水) 00:04:45 ID:YBCqMwzQ
7月29日はキスカ島撤退作戦が成功した日です

キスカ島は1942年、ミッドウェー作戦と同時に行われたアリューシャン攻略作戦で日本軍が占領し、拠点が置かれました
やがてアメリカが反攻作戦を開始すると、アメリカ本土に近い同地も攻撃にさらされるようになります
1943年5月、アメリカ軍はアリューシャン列島に本格的な上陸作戦を行いキスカ島よりも日本本土に近いアッツ島に上陸、守備隊は奮戦したものの玉砕しアメリカの支配下となりました

これでキスカ島はアッツ島とアメリカ本土に挟まれた孤立無援状態となり、キスカ島周辺の制海・制空権はアメリカ軍の手中に収まることとなったのです
この状況でアリューシャン方面の放棄が決定され、キスカ島に残る約5000人の守備隊の撤収作戦が企図されました
この撤収作戦を指揮したのが第一水雷戦隊司令官、木村昌福少将でした

木村少将は艦隊への電探配備、そしてキスカ島周辺に発生する濃霧に紛れての撤収を考えます
電探については当時の最新鋭駆逐艦で電探と逆探を備えた「島風」の配備によって解決します
そして濃霧の発生を確認するため潜水艦をキスカ島周辺に派遣し天候情報の収集を図りました
1943年6月29日、木村少将はキスカ島撤収作戦を開始、旗艦「阿武隈」に軽巡「多摩」「木曾」をはじめ十数隻の部隊でキスカ島へと出撃します

しかしこの日はキスカ島に近づくにつれて霧が晴れ、木村少将は反転を決意しました
部下はキスカ島突入を主張したものの木村少将は撤退を断行、その際に「帰ろう、帰ればまた来られるからな」と言ったとされています
再び第一水雷戦隊がキスカ島へと出撃したのが同年7月28日で、この時は霧も晴れず、翌7月29日、艦隊はキスカ島へと突入し守備隊5000人の収容に成功したのです
8月1日にはアメリカ軍に見つからないまま幌筵島に到着しました
一方のアメリカ側は日本軍が撤収したことに気付かないままキスカ島への上陸作戦を実施、友軍を日本軍と誤認し同士討ちを行うという有様でした
こうして木村少将の指揮する第一水雷戦隊は、困難な撤収作戦をまさに完遂したのでした


本日は「奇跡の作戦」の誕生日です、おめでとうございます


参考文献
・佐藤和正『艦長たちの太平洋戦争 34人の艦長が語った勇者の条件』光人社、2010年
・将口泰浩『キスカ島奇跡の撤退 木村昌福中将の生涯』新潮社、2012年
・別冊宝島編集部『日本海軍 全作戦記録』宝島社、2014年


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