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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
586
:
Republica de Venexia
:2015/05/02(土) 00:02:08 ID:???
5月2日はゾフィー=アウグステ=フリーデリケが産まれた日です
ゾフィーは1728年5月2日、後にプロイセンの元帥となるアンハルト=ツェルプスト侯クリスティアン=アウグストとホルシュタイン=ゴットルプ家のヨハンナ=エリーザベトの長女として産まれました
と、このように生粋のドイツ人であった彼女ですが、やがてロシアへと旅立つ日がやってきます
その頃のロシアはという女帝エリザベータの治世でしたが彼女には子供がおらず、1741年に即位後間もなく後継者の選定を行います
ここで選ばれたのが、ホルシュタイン=ゴットルプ公カール=フリードリヒと、エリザベータの姉であったアンナ女帝との息子、つまりピョートル大帝の孫であるペーター=ウルリッヒでした
なおペーターは同じく国王に子供のいないスウェーデンも後継者として迎え入れようとしていましたが、当時ロシアとスウェーデンはバルト海を巡って争っているところでした
これが実現した場合、ロシアはピョートル大帝の孫が帝国スウェーデンを率いるということになるため、いち早くロシアに迎えることとなったのです
こうして1743年、ペーターは皇太子としてロシアに入り、ピョートル=フョードロヴィチと改めてました
次に行われたのがピョートルの妻、つまり皇太子妃の選択で、これに選ばれたのがゾフィーだったのです
ホルシュタイン=ゴットルプ家を通じてピョートルのまたいとこにあたるゾフィーは1744年にロシア入りし、名をエカチェリーナ=アレクセーヴナと改めました
この2人が後のロシア皇帝ピョートル3世、女帝エカチェリーナ2世となるのですが、ピョートルのプロイセン贔屓、プロイセン王フリードリヒ2世>信奉によって夫婦仲がうまくいかず、やがてクーデターによりピョートルが廃位されエカチェリーナが女帝となったのは>541でも見た通りです
本日は後のエカチェリーナ2世の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・和田春樹『世界各国史22 ロシア史』山川出版社、2002年
・土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年
・長谷川輝夫・土肥恒之・大久保桂子『世界の歴史17 ヨーロッパ近世の開花』中央公論新社、2009年
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