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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】

548Republica de Venexia:2015/03/30(月) 00:25:32 ID:???
3月30日はクリミア戦争が終結した日です

「トルコの脅威」として怖れられたオスマン帝国は18世紀になると弱体化し、近代的な国家の整備が進むヨーロッパ諸国との力関係が逆転するようになりました
なかでもロシアはエカチェリーナ2世がクリミア・タタールを追放して以来、オスマン帝国の圧政を受けるスラヴ民族解放という名目で南下政策を進め、1828年に始まる露土戦争でボスポラス・ダーダネルス両海峡の自由通行権を得、黒海における通商権も獲得しました

しかしこのようなロシアの南下政策は中東やバルカン半島に影響力を得ようとしていたヨーロッパ列強の反発を招き、特にイギリスとフランスはオスマン帝国を支援してロシアへの対抗を図ったのです
そして1853年6月、ロシアは聖地イェルサレムにおける正教徒の保護を名目にオスマン帝国領に軍を派遣し、オスマン帝国はイギリス・フランスの支援を背景に宣戦布告、クリミア戦争が勃発しました

ロシアは緒戦には勝利したものの、産業革命を経て近代化したイギリス・フランスの軍隊に押され、鉄道網の未整備による補給の停滞もあって次第に劣勢となり、1855年8月にはクリミア半島の要塞セヴァストーポリが陥落します
そして1856年3月30日、オーストリア・プロイセンの仲介によってパリ条約が締結され、クリミア戦争はロシアの敗北によって終結しました
こうしてロシアの南下政策は阻止されたものの、以後ヨーロッパ列強の対立が表面化することとなります
勢力均衡によって大国間の戦争を防ごうとしていたウィーン体制はここで完全に崩壊することとなったのでした


本日はウィーン体制の命日です、お悔やみ申し上げます


参考文献
・新井政美『オスマンvsヨーロッパ 〈トルコの脅威〉とは何だったのか』講談社、2002年
・土肥恒之『興亡の世界史14 ロシア・ロマノフ王朝の大地』講談社、2007年
・谷川稔他『世界の歴史22 近代ヨーロッパの情熱と苦悩』中央公論新社、2009年


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