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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
546
:
Republica de Venexia
:2015/03/28(土) 00:12:27 ID:???
3月28日はスヴェン=ヘディンが桜蘭を発見した日です
紀元前1世紀頃、タリム盆地タクラマカン砂漠の北東部にはロプ=ノールといわれる広大な湖が存在していました
この湖の西岸に位置し、シルクロードの要地となって交易によって繁栄したのが桜蘭でした
中国においてはこの地域は西域と称され、特に武帝の時代に西域へと大きく勢力を拡大し、桜蘭もその支配下に入り、漢の東西交易の恩恵を受けておおいに栄えます
しかし漢は王莽のクーデターに遭い代わって新が成立、その新を倒した後漢ですが西域統治には手が回らず、西域諸国家は分立状態となりました
この時桜蘭は周辺諸国を併合して勢力を広げ、以後西域の一大国家としての繁栄が続きます
ところが4世紀にはロプ=ノールが干上がってしまい、豊富な水源を失った桜蘭は急速に衰退、廃墟となった桜蘭は歴史の表舞台から姿を消しました
桜蘭の名がが再び知られるようになったのは、スウェーデンの探検家スヴェン=ヘディンの中央アジア探検によってでした
ヘディンは大学でシルクロードという言葉の生みの親リヒトホーフェンの指導を受け、シルクロード地域の探検に乗り出していたのです
1900年3月28日、ヘディンはタリム盆地の探検中に桜蘭の遺跡を発見しました
また、ヘディンは桜蘭の近辺で干上がった川床も発見します
ヘディンはこれをロプ=ノールの跡で、かつてタリム川の水がここに流れ込んでいたと考えます
タリム川は堆積・侵食作用によって定期的に流路を変え、それに伴ってロプ=ノールも各地を彷徨っていたとの仮説を立てたのです
後の1934年、ヘディンは再び同地を訪れ、干上がっていた川が流れており、その先でロプ=ノールが復活していたのを確認、ロプ=ノールが移動していたとの説有力説の1つとなったのでした
本日は「彷徨える湖」の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・長澤和俊『シルクロード』講談社、1993年
・赤松明彦『桜蘭王国 ロプ・ノール河畔の四千年』中央公論新社、2005年
・岩村忍『文明の十字路 中央アジアの歴史』講談社、2007年
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