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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
467
:
Republica de Venexia
:2015/02/01(日) 01:31:24 ID:???
2月1日は鄭成功がゼーランディア城を攻略した日です
16世紀以降、東アジアでは中国の生糸と日本の銀との交易が大きな利益をあげるようになりましたが、中国は倭寇の影響もあって日本と直接交易しようとせず、中間交易が盛んとなります
その一大拠点となったのが台湾で、日本だけでなくポルトガル、スペイン、オランダなども訪れるようになります
その中でオランダが1624年に台湾にゼーランディア城を築いて拠点とし、中国沿岸を支配する鄭芝龍と結んだのです
鄭芝龍は明によって厦門の提督に任じられ、清が明の北京を攻略した後には息子の鄭成功とともに、唐王永歴帝を擁立し、南明政権である隆武政権を打ち立てます
清は各地の反清勢力を鎮圧するなかでこの隆武政権を滅ぼし、鄭芝龍も投降させますが、鄭成功はこれに従わず抗戦を継続しました
鄭成功の財政基盤は交易であったため、清は海禁令を強化し、さらに1661年、遷界令を発して鄭成功の孤立化を図ります
これに対し鄭成功は沿岸地域を放棄し、新たな拠点建設を目指しますが、その標的となったのが台湾でした
鄭成功は1661年に台湾に侵攻、ゼーランディア城を包囲し1662年2月1日にこれを陥としました
鄭成功自身はその翌年に病死しますが、その意志は息子の鄭経が受け継ぎ、1683年まで清に対抗することとなるのでした
鄭成功の運動は日本にも伝えられています
永歴帝を奉じた際、鄭成功は永歴帝の国姓である「朱」を賜りましたが、それに由来する「国姓爺合戦」が近松門左衛門によって人形浄瑠璃として公演され、鄭成功は和藤内として登場します
「国姓爺合戦」は大好評を博し、17ヶ月に渡って公演されることとなったのでした
本日は鄭氏台湾の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・上田信『中国の歴史9 海と帝国 ─ 明清時代』講談社、2005年
・岸本美緒・宮嶋博史『世界の歴史12 明清と李朝の時代』中央公論新社、2008年
・歴史学研究会編『史料から考える世界史20講』岩波書店、2014年
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