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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
423
:
Republica de Venexia
:2015/01/10(土) 01:19:24 ID:???
1月10日はカエサルがルビコン川を渡った日です
ローマではグラックス兄弟の改革のが失敗に終った後、民会を中心とする民衆派と、元老院を中心とする閥族派の対立が激化し、「内乱の一世紀」と呼ばれる時代に突入しました
まず民衆派のマリウスが軍制改革を行いローマの軍事力向上を達成しますが、皮肉にもその軍制改革により勢力を拡大した閥族派のスッラによってマリウス派は一掃され、元老院が復権されます
しかし保守的な支配を続ける元老院に対する不満が高まり、前60年には民衆派のカエサル、閥族派のポンペイウス、大富豪貴族のクラッススによる三頭政治が成立します
このうちカエサルはガリア、ポンペイウスはヒスパニア、クラッススがシリアへの軍事遠征を受け持ち、特にカエサルはガリア遠征の成功によりローマ市民の間での人気が高まっていきました
このカエサルの活躍にポンペイウスは危機感を覚え、それにつけ込んだ元老院はポンペイウスを懐柔、反カエサル派へと転向させます
また前53年にクラッススがパルティアとの戦いで戦死したことで三頭政治の均衡が崩れ、カエサルとポンペイウスの対立は激化することとなります
この間カエサルはガリア統治のためずっとローマ不在でしたが、ポンペイウスが元老院によって異例の単独執政官に就任すると2人の対立は決定的となり、カエサルはローマ帰還を決断します
当時、ルビコン川はガリア属州の南の境界であり、そこを越えればローマ領内でした
その境界線を武装解除せずに渡ることはすにわち国家反逆罪にあたるにも関わらず、カエサルは前49年1月10日、あの有名な言葉とともにルビコン川を渡り、ローマへと進撃するのでした
本日は「賽は投げられた」の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・長谷川博隆『カエサル』講談社、1994年
・北原敦編『世界各国史15 イタリア史』山川出版社、2008年
・桜井万里子・本村凌二『世界の歴史5 ギリシアとローマ』中央公論新社、2010年
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