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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
407
:
Republica de Venexia
:2015/01/02(金) 00:47:43 ID:???
1月2日はナスル朝の都グラナダが陥落した日です
イベリア半島では
>>259
で見た西ゴート族が定着し、5世紀初頭に西ゴート王国が成立しました
しかし711年、ウマイヤ朝がイベリア半島に侵攻し西ゴート王国は滅亡してしまいます
ウマイヤ朝はキリスト教徒の支配に苦心し、また支配者層間での内紛が頻発するものの、後ウマイヤ朝が成立した後の8世紀半ばには統治が安定するようになりました
929年にはアブド=アッラフマーン3世がカリフを名乗って後ウマイヤ朝は全盛期を迎え、1031年まで存続、以後イベリア半島のイスラーム王朝はムラービト朝、ムワッヒド朝と変わっていきます
一方イベリア半島のキリスト教徒はというと、イスラーム支配を逃れた勢力が北部山岳地帯にアストゥリアス王国を建国します
これが718年のことで、ここからアストゥリアス王国を中心とした再征服運動、レコンキスタが展開されていくのです
レコンキスタは
>>131
で見たようにアルフォンソ7世のカスティーリャ王国が主導するようになり、アラゴン王国、ポルトガル王国も南下を進め、12世紀後半にはイベリア半島のほぼ北半分を支配するようになりました
劣勢に陥った当時のイスラーム王朝は、イベリア半島最後のイスラーム王朝であるナスル朝で、1232年に成立したこの王朝は1492年まで存続することになります
というのも、
>>170
の通りアラゴン王国はシチリアの反乱に干渉して同地を支配下に置くなど地中海方面へと勢力を伸ばしており、
>>40
で見たようにポルトガルはイングランドから航海技術を学んで大西洋方面への進出を目指しており、ナスル朝と正対していたのは実質カスティーリャ王国のみだったからでした
しかしあくまでイベリア半島における小国であるナスル朝は次第に追い詰められ、1479年にはアラゴン王フェルナンドとカスティーリャ女王イサベルのカトリック両王の結婚によりスペイン王国が成立すると、レコンキスタは最後の展開を迎えます
1492年1月2日、ついにナスル朝の都グラナダが陥落し、イベリア半島からイスラーム王朝が駆逐されることとなったのでした
本日はレコンキスタの完成日です、おめでとうございます
参考文献
・アントニオ・ドミンゲス・オルティス、立石博高訳『スペイン 三千年の歴史』昭和堂、2006年
・高山博『ヨーロッパとイスラーム世界』山川出版社、2007年
・W.モンゴメリ・ワット、三木亘訳『地中海世界のイスラム』筑摩書房、2008年
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