[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
387
:
Republica de Venexia
:2014/12/18(木) 00:23:48 ID:???
12月18日はフビライがモンゴル帝国の国号を大元とした日です
モンゴル帝国第4代ハーン、モンケが1259年8月に急死すると、モンゴル帝国では後継者争いが勃発しました
後継者として有力であったのはモンケの弟であるフビライ、フレグ、アリクブケでしたが、このうちフレグは遠く西アジアにいたため対応が遅れ、フビライとアリクブケによる内戦が始まりました
フビライは金蓮川、アリクブケはカラコルムでそれぞれ独自にクリルタイを開いて大ハーン即位を宣言します
この時点ではモンゴル本土でクリルタイを開き、モンケの葬儀を取り仕切ったアリクブケに正統性がありました
しかし戦力的にはフビライが優勢で、チャガタイ家がアリクブケから離反したこともあってアリクブケは降伏、1264年7月、フビライは単独の大ハーンとなります
4年間にわたる内戦によってモンゴル帝国は分裂し、フビライは帝国の再統合を進めます
モンゴル本国を中心にジョチ・ウルス、フレグ・ウルス、チャガタイ・ウルスがゆるやかに連合するこの新帝国は陸・海の通商路が通され、商業と流通により結合されるユーラシア大交易圏を成立させました
その結合点となったのが、フビライが1266年に造営された首都、大都でした
大都を中心に新帝国は機能し始め、フビライはさらなる試みに着手します
それが1271年12月18日に行われた、「大元」への国号改称でした
大元は「乾元」という言葉に由来し、それは天や宇宙を意味し、モンゴル族の間で全ての源として崇められる「テングリ」という言葉に通じるものでした
つまりフビライは、自らが治める国がモンゴル族の頂点であることを強調し、この大元を中心にモンゴル帝国の再統合がさらに進められることになったのでした
本日は大元ウルスの誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・杉山正明『モンゴル帝国の興亡上 軍事拡大の時代』講談社、1996年
・ロバート・マーシャル、遠藤利国訳『図説モンゴル帝国の戦い 騎馬民族の世界制覇』東洋書林、2001年
・ジャン=ポール・ルー、田辺希久子訳『チンギス・カンとモンゴル帝国』創元社、2003年
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板