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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
373
:
Republica de Venexia
:2014/12/04(木) 01:01:51 ID:???
12月4日はフランク王カールマンが亡くなった日です
フランク王国は、カロリング家の名称の由来となったカール=マルテルが716年、アウストラシアの宮宰となました
当時のフランク王国は、カール=マルテルの父親中ピピンを破ったネウストリアの宮宰、ラガンフリドが王国全体の覇権を握っていました
カール=マルテルはこのラガンフリドを破り、またフリーセン人やザクセン人を抑え、テューリンゲン、アレマニエン、バイエルンなどの諸部族を従え、さらにプロヴァンスなど南フランスにも遠征を続けました
カール=マルテルの最大の功績は732年のトゥール・ポワティエ間の戦いにおける勝利で、国内外の声望を高め、フランク王国最大の実力者となります
しかしカール=マルテルは王位に就くことはなくあくまで諸侯の一人であり続け、カロリング朝が開かれるのはカール=マルテルの息子小ピピンの代ででした
カール=マルテルの死後、その所領は分割相続され、アウストラシアをピピン、ネウストリアをカールマンが統治します
やがて747年、カールマンが俗世を捨ててモンテ=カシノ修道院に隠棲しピピンが単独の支配者となると、751年にはフランク王キルデリク3世を幽閉し自ら国王となるのでした
こうしてカロリング朝が開かれ、ピピンはアキテーヌやラングドックに勢力を広げ、ガリア全土へと支配権を拡大していきます
この小ピピンが768年に死去した後、再び分割相続によって領地を得たのがカールとカールマンでした
カールはアウストラシア、ネウストリア、アキテーヌを支配し、カールマンはブルゴーニュ、アレマニエン、プロヴァンス、ラングドックを得、共同王として分割統治が行われました
しかし771年、カールマンが急死し、カールが単独の国王となったのです
こうしてフランク王国全土の支配者となったカールはさらなる勢力拡大を行い、後に西ローマ帝国を復活させ、「シャルルマーニュ(カール大帝)」と称されるようになるのでした
本日は単独王カール1世の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・柴田三千雄・樺山紘一・福井憲彦『世界歴史大系フランス史1 先史〜15世紀』山川出版社、1995年
・五十嵐修『地上の夢キリスト教帝国 カール大帝のヨーロッパ』講談社、2001年
・佐藤彰一『カール大帝 ヨーロッパの父』山川出版社、2013年
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