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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
283
:
Republica de Venexia
:2014/09/15(月) 00:50:52 ID:???
9月15日(旧暦)は関ヶ原の戦いが行われた日です
豊臣秀吉の死後、豊臣家では石田三成らを中心とする文治派、加藤清正らを中心とする武断派の対立が激化し、徳川家康はその武断派と接近し、豊臣政権内での勢力を拡大していきました
三成はこれに危機感を覚え、家康が会津征伐のため上方を留守にしている間に反家康勢力を結集、毛利輝元を総大将として挙兵しました
この「西軍」はまず伏見城を陥とし、家康方の諸城を攻め落としながら東へと進撃します
一方、家康率いる「東軍」は小山評定にて会津征伐を中止し引き返すことを決定、両軍激突へと向かっていきます
1600年9月14日、家康は美濃赤坂に本陣を構え、決戦の準備を整えます
しかし徳川秀忠率いる、徳川譜代の武将を中心とする別働隊は到着しないままでした
一方の西軍は大垣城に集結し、14日夜には関ヶ原に進出、陣を構えましたが、小早川秀秋が松尾山の西軍を追い出して布陣、また大津城攻めにより立花宗茂や毛利元康らが本戦に参加できないという状況でした
そして1600年9月15日東西両軍は関ヶ原にて相対し、東軍井伊直政の鉄砲隊の射撃により決戦の火蓋が切って落とされました
西軍は松尾山の小早川隊、南宮山の毛利勢が動かないという数的劣勢のなか、笹尾山の石田三成、北天満山の小西行長、南天満山の宇喜多秀家、松尾山山麓の大谷吉継らを中心に、それぞれ黒田長政・細川忠興、織田有楽斎・古田織部、福島正則、藤堂高虎・京極高知を相手に善戦し、戦局は膠着状態となります
三成はここで総攻撃をかけるべしと判断し、狼煙を打ち上げますが、半ば中立の立場をとっていた松尾山の小早川秀秋はもとより、吉川広家の内応により南宮山の毛利勢も動きませんでした
秀秋はその後、家康側につくことを決め、西軍を「裏切り」大谷隊に攻めかかります
吉継はこれを予測していたため一旦は押し返すものの、脇坂安治らが秀秋と同じく東軍側につき、これにより大谷隊は総崩れとなります
大谷隊の壊滅により西軍諸隊は次々と崩れ、敗走することとなります
島津義弘が正面突破による撤退を試み、島津豊久が捨て奸で討死したのもこの時です
こうして東西両軍の決戦は一日で決着し、徳川家康は天下人へとのし上がることとなったのでした
本日は天下分け目の戦いの誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・外川淳『完全制覇関ヶ原大合戦 この一冊で歴史に強くなる!』立風書房、2000年
・笠谷和比古『戦争の日本史17 関ヶ原大合戦と大坂の陣』吉川弘文館、2007年
・光成準治『関ヶ原前夜 西軍大名たちの戦い』日本放送出版協会、2009年
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