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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
248
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2014/08/13(水) 00:54:54 ID:ojFTFSLo
8月13日はコルテスによってテノチティトランが陥落した日です
コンキスタドール(征服者)として知られるエルナン・コルテスは1485年にスペインにて生まれ、その家系は後にイスパニョーラ島の統治者となるニコラス・オバンドの縁戚に当たっていました
15世紀末のスペインは海外進出に積極的で、特に新大陸、アメリカ大陸の植民地化が進められていました
コルテスも新大陸に渡ったスペイン人の一人で、1511年、ディエゴ・ベラスケスのキューバ征服に参加し、その秘書官としてキューバ経営に参画します
しかし次第にベラスケスとの関係が悪化し、1519年、コルテスは500の兵を率いてメキシコに侵攻することになります
一方、その当時のメキシコはというと、アステカ帝国が繁栄を享受していました
1428年に成立したアステカ帝国はモンテスマ1世が積極的な遠征を行い、メキシコ湾岸地域を次々と支配下に収めていきました
その後もアステカ帝国の版図は広がり、1502年に即位したモンテスマ2世は太平洋沿岸地域にも勢力を拡大、彼の代でアステカ帝国の最大版図が実現されます
首都のテノチティトランは大いに繁栄し、まさに絶頂期といえましたが、その繁栄の一方でアステカ帝国支配下の諸民族は重税に苦しみ、アステカ帝国への不満を高めていました
コルテスはそのような状況下におけるメキシコに侵入したのです
わずか500人の兵で進軍したコルテスでしたが、反アステカの諸民族が次々にコルテスと同盟を結び、その連合軍は大軍へと膨れ上がります
コルテスは当初テノチティトランに迎え入れられるもやがて追放され、さらに1520年にはアステカ人がスペイン人に対して反乱を起こし、反乱を止めるよう説得したモンテスマ2世も殺されてしまいます
コルテスはいったん退却し、1521年、改めて連合軍を率いて侵攻します
そして同年8月13日、数ヶ月間に渡る包囲の末テノチティトランは陥落し、アステカ帝国の広大な領土を獲得したのでした
本日はアステカ帝国の命日です、お悔やみ申し上げます
参考文献
・モーリス・コリス、金森誠也訳『コルテス征略誌 「アステカ王国」の滅亡』講談社、2003年
・アントニオ・ドミンゲス・オルティス、立石博高訳『スペイン 三千年の歴史』昭和堂、2006年
・大垣貴志郎『物語メキシコの歴史 太陽の国の英傑たち』中央公論新社、2008年
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