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【誕生日スレ】今日は何の日?【総合】
238
:
名前なんか必要ねぇんだよ!
:2014/08/04(月) 01:03:00 ID:2iy6.vAY
8月4日はアルカセル・キビールの戦いが行われた日です
大航海時代、インド航路を開拓したポルトガルはアジアとの貿易を維持し、ヴェネツィア共和国に対抗するため、北アフリカに植民地を求めていました
そこで目をつけたのがイベリア半島の対岸に位置するモロッコでした
モロッコはサード朝が支配しており、スペイン王国とオスマン帝国との地中海における覇権争いを利用し、勢力を拡大していました
しかし1574年、ムワッタキルがオスマン帝国の支援するアブドゥルマリクによって王位を奪われるという事件が起こります
ムワッタキルはこれに対しポルトガル王セバスティアンに支援を要請、北アフリカへの進出を希望していたセバスティアンはムワッタキルと同盟し、アブドゥルマリクとの戦いに臨みました
そして1578年8月4日、セバスティアン・ムワッタキルの連合軍とアブドゥルマリクのモロッコ軍がアルカセル・キビールで激突しました
この3人の王によって行われた「三王の戦い」は激戦の末モロッコ軍が大勝するものの、3人の王が戦死するという結果となりました
モロッコでは戦死したアブドゥルマリクを継いだアフマドがスペイン・オスマン帝国と渡り合いサード朝の最盛期を築きます
一方ポルトガルはセバスティアンの戦死によりスペインによる併合を招いてしまいます
しかしポルトガルではセバスティアンは戦死しておらず、いずれポルトガルに帰国するとの信仰が広がり、スペイン支配に対抗する際の心の拠り所となるのでした
本日はセバスティアン主義の誕生日です、おめでとうございます
参考文献
・那谷敏郎『紀行モロッコ史』新潮社、1984年
・アントニオ・ドミンゲス・オルティス、立石博高訳『スペイン 三千年の歴史』昭和堂、2006年
・金七紀男『図説ポルトガルの歴史』河出書房新社、2011年
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